【掲載日:平成23年4月19日】
堀江には 玉敷かましを
大君を 御船漕がむと かねて知りせば
今 一つ 田辺福麻呂が残しし 歌綴り
過ぐる 天平十六年〔744〕
皇都となった難波での宴での 歌控え
堀江には 玉敷かましを 大君を 御船漕がむと かねて知りせば
《堀江浜 上皇船で 来られるん 先知ってたら 玉敷かせたに》
―橘諸兄―〔巻十八・四〇五六〕
玉敷かず 君が悔いていふ 堀江には 玉敷き満てて 継ぎて通はむ
《堀江浜 玉敷かへんの 悔やむなら 朕が敷かさし 通うと仕様か》
―元正天皇―〔巻十八・四〇五七〕
橘の とをの橘 八つ代にも 我れは忘れじ この橘を
《橘を 枝もたわわな 橘を ずっと忘れん この橘を》
―元正天皇―〔巻十八・四〇五八〕
橘の 下照る庭に 殿建てて 酒みづきいます 我が大君かも
《橘の 実の照る庭に 御殿建て 酒宴をされる 上皇さまよ》
―河内女王―〔巻十八・四〇五九〕
月待ちて 家には行かむ 我が插せる 赤ら橘 影に見えつつ
《月の出を 待って帰るわ 髪挿した 赤橘を 月に照らして》
―粟田女王―〔巻十八・四〇六〇〕
堀江より 水脈引きしつつ 御船さす 賤男の伴は 川の瀬申せ
《堀江から 流れに沿うて 棹をさす 船頭言んやで 危ない場所を》
―作者未詳―〔巻十八・四〇六一〕
夏の夜は 道たづたづし 船に乗り 川の瀬ごとに 棹さし上れ
《夏の夜は 道危ないで 引くの止め 浅瀬棹さし 上って行きや》
―作者未詳―〔巻十八・四〇六二〕
元正上皇と橘諸兄との 親密が伝わる
今 政情は 緊張の中に 安定を見
仲麻呂路線が 着実に進みつつあるものの
左大臣 橘諸兄も 落ち着きを取り戻していた
家待 不在難波宴に 思いを馳せ 追い歌作る
橘諸兄の政権での活躍を期待し
皇室への いや増しの貢献祈りつつ
常世物 この橘の いや照りに 我が大君は 今も見る如
《上皇は 常世渡りの 橘や 照り輝いて 居られる今も》
―大伴家持―〔巻十八・四〇六三〕
大君は 常磐に在さむ 橘の 殿の橘 直照りにして
《橘家の 御殿花橘 輝いて 我が上皇は 変わらずおわす》
―大伴家持―〔巻十八・四〇六四〕
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久米広縄館の宴 三月二十六日
田辺福麻呂 帰京の途へ
一月も経たず後 大和より悲報
元正上皇 崩御
時に 天平二十年四月二十一日
〔難波宴の追い歌 詠いしに この訃報
何たる皮肉 神がかりよな 福麻呂殿〕
ぷっつりと 途絶える 家待が歌詠み