goo blog サービス終了のお知らせ 

令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

家待・越中編(一)(36)玉(たま)敷(し)かましを

2010年12月10日 | 家待・越中編(一)友ありて
【掲載日:平成23年4月19日】

堀江には たまかましを
      大君おほきみを 御船みふねがむと かねて知りせば



今 一つ 田辺福麻呂さきまろが残しし 歌綴り
過ぐる  天平十六年〔744〕
皇都となった難波なにわでのうたげでの 歌控え

堀江には たまかましを 大君おほきみを 御船みふねがむと かねて知りせば
《堀江浜 上皇おおきみ船で 来られるん 先知ってたら たま敷かせたに》
                         ―橘諸兄たちばなのもろえ―〔巻十八・四〇五六〕
たま敷かず 君がいていふ 堀江には たま敷きてて ぎてかよはむ
《堀江浜 たま敷かへんの やむなら うちが敷かさし かようと仕様しょうか》
                         ―元正天皇げんしょうてんのう―〔巻十八・四〇五七〕
たちばなの とをのたちばな にも れは忘れじ このたちばな
たちばなを 枝もたわわな たちばなを ずっと忘れん このたちばなを》
                         ―元正天皇げんしょうてんのう―〔巻十八・四〇五八〕
たちばなの したる庭に 殿との建てて さかみづきいます 我が大君おほきみかも
たちばなの の照る庭に 御殿ごてん建て 酒宴うたげをされる 上皇おおきみさまよ》
                         ―河内女王かふちのおほきみ―〔巻十八・四〇五九〕
月待ちて 家には行かむ 我がせる 赤らたちばな かげに見えつつ
《月の出を 待って帰るわ 髪した 赤たちばなを 月に照らして》
                         ―粟田女王あはたのおほきみ―〔巻十八・四〇六〇〕
堀江より 水脈みをきしつつ 御船みふねさす 賤男しつをともは 川のまう
《堀江から 流れに沿うて さおをさす 船頭せんどんやで 危ない場所を》
                         ―作者未詳さくしやみしょう―〔巻十八・四〇六一〕
夏の夜は 道たづたづし 船に乗り 川の瀬ごとに さおさしのぼ
《夏の夜は 道あぶないで 引くのめ 浅瀬さおさし のぼって行きや》
                         ―作者未詳さくしやみしょう―〔巻十八・四〇六二〕

元正げんしょう上皇と橘諸兄たちばなのもろえとの 親密が伝わる
  政情は 緊張の中に 安定を見
仲麻呂路線が  着実に進みつつあるものの
左大臣 橘諸兄たちばなのもろえも 落ち着きを取り戻していた

家待 不在難波なにわうたげに 思いをせ 追い歌作る
橘諸兄もろえの政権での活躍を期待し 
皇室への  いや増しの貢献祈りつつ

常世物とこよもの このたちばなの いや照りに 我が大君おほきみは 今も見るごと
上皇おおきみは とこ渡りの たちばなや 照り輝いて られる今も》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇六三〕
大君おほきみは 常磐ときはさむ たちばなの 殿のたちばな ひたりにして
橘家たちばなの 御殿ごてん花橘たちばな 輝いて 我が上皇おおきみは 変わらずおわす》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇六四〕
―――――――――――――――
久米広縄くめのひろつな館の宴 三月二十六日
田辺福麻呂  帰京の途へ
一月も経たず後  大和より悲報
元正上皇 崩御ほうぎょ
時に  天平二十年四月二十一日
〔難波宴の追い歌 詠いしに この訃報しらせ
 何たる皮肉 神がかりよな 福麻呂さきまろ殿〕
ぷっつりと  途絶える 家待が歌詠み