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令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

家待・越中編(二)(06)八十(やそ)氏人(うぢひと)も

2011年08月02日 | 家待・越中編(二)歌心湧出
【掲載日:平成23年5月10日】

物部もののふの 八十やそ氏人うぢひとも 吉野川
             絶ゆることなく  仕へつつ見む



帝の詔書しょうしょに 精神の高揚こうよう覚えた 家持
湧き上がる 制作意欲は 
次々 と 長歌の群れを生む
〔いまは こここしにこうして
 役目果たしに いそしみおるが
  やがてのこと 帰京がなれば
 ていによる 吉野行幸みゆきの 従駕じゅうがもあろう
 その折には 従駕歌 うたわねば〕

高御座たかみくら あま日嗣ひつぎと あめの下 知らしめしける 皇祖すめろきの 神のみことの 
かしこくも 始め給ひて たふとくも 定め給へる み吉野の この大宮に ありがよひ し給ふらし

《天おさむ 日の神いで この国を おおさめされた ご先祖が
 始めなさって 造られた このみ吉野の 大宮に 天皇おほきみ様が かよわれて ご覧なされる ここの宮》
物部もののふの 八十やそともも おのへる 己が名負なおひて 大君おほきみの けのまにまに 
この川の 絶ゆることなく この山の いやぎに かくしこそ 仕へまつらめ いやとほなが

《お仕え申す 我々も それぞれの 家名かめいち 天皇おほきみ様に 従って
 この川のに 有り続け 山の峰々 続くに 仕え続け ずうっとずっと》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇九八〕

いにしへを 思ほすらしも 我が大君おほきみ 吉野の宮を ありがよ
《その昔 しのばれるか 大君おほきみは 吉野の宮に おかよいなさる》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四〇九九〕
物部もののふの 八十やそ氏人うぢひとも 吉野川 絶ゆることなく 仕へつつ見む
《大勢の つかえの人も 吉野川 したがい続け 見続けするで》
                         ―大伴家持おおとものやかもち―〔巻十八・四一〇〇〕
                               五月十二日】

しょうむのみかどが 最後に吉野へ行かれたは
 確か  天平八年〔736〕
 あれ から 十三年 早いものだ
 わしは 内舎人うちとねりにも なってらなんだ
 藤原きょうの疫病死 橘諸兄 もろえ様左大臣
 広嗣ひろつぐが乱
 関東行幸みゆき に   京 紫香楽しがらき いろいろあった
 その後 の 朝廷は ごたごた続き・・・
 ああ 昔の 君臣しての 行幸みゆきうたげ 
 今一度 かなわぬものか〕
皇親こうしん穏健おんけん派 家持 思いに沈む
        ――――――――――――――
のち 天平勝宝二年〔750〕十月
河辺東人かわべのあずまひとから 入手の 天平八年吉野行幸みゆき時歌

朝霧の たなびく田居たゐに 鳴く雁を とどみ得むかも 我がやどの萩
《庭萩よ 朝霧なびく 田ぁで鳴く 雁のくんを められんかな》
                         ―光明皇后こうみょうこうごう―〔巻十九・四二二四〕