goo blog サービス終了のお知らせ 

令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

旅人編(16)鮎子さ走る

2009年10月26日 | 旅人編
【掲載日:平成21年11月27日】

春されば 吾家わぎへの里の 川門かはとには あゆばしる 君待ちがてに

【玉島川。玉島東方簗場やなば付近】


梅花うめはなうたげ
それは また 旅人たびとの 歌ごころを 揺り動かす
ころは  三月
鮎の季節が 近い
鮎と言えば  松浦川〔玉島川〕
数人の供を連れた  旅人
山迫る  川の瀬 
すこし上った 簗場やなばの吊り橋付近
そこは 緑の山間やままと清流の里 
桃源郷と 見紛みまがう場所だ

旅人は 思いをせる
眼前に 髣髴ほうふつと浮かぶ 幻影
筆を走らせる  旅人 
旅人たびびとの問いかけ歌】
あさりする 海人あまの児どもと 人はいへど 見るに知らえぬ 良人うまひとの子と
《魚釣る 漁師の子やと うけども 見たら分かるで 良家ええしの子やろ》

娘子おとめの応える歌】
玉島の この川上かはかみに 家はあれど 君をやさしみ あらはさずありき
《そうやねん うち川上に あるけども 恥ずかしよって うそついたんや》

旅人たびびとの娘子を誘う歌】
松浦川まつらがは 川の瀬光り あゆ釣ると 立たせるいもが すそれぬ
《鮎釣ろと 光る川瀬に 立ってはる あんたのすそ 濡れてるやんか》〔乾かしたろか〕
松浦なる 玉島川に 鮎釣ると 立たせる子らが 家路いへぢ知らずも
《玉島の 川の瀬立って 鮎釣りを してるあんたら うち何処どこやねん》
とほつ人 松浦の川に 若鮎わかゆ釣る いも手本たもとを われこそ巻かめ
《松浦の  川で若鮎 釣ってはる あんたと一緒に 泊まってみたい》

【娘子の誘いに応える歌】 
若鮎わかゆ釣る 松浦の川の 川波の なみにしはば われ恋ひめやも
《若鮎を  釣ってる川の 波みたい 浮いた気持ちと 違うでうちは》
春されば 吾家わぎへの里の 川門かはとには あゆばしる 君待ちがてに
《春来たら  うちの家ある 里の川 鮎飛び跳ねる あんたを待って》
松浦川 七瀬ななせの淀は よどむとも われはよどまず 君をし侍たむ
《川の瀬が  淀むようには 悩まんと あんた信じて うち待ってるで》
                         ―大伴旅人―〔巻五・八五三~八六〇〕 

〔これは  思いもかけず いい歌ができた〕
川瀬に 得意げな 歌人うたびと旅人が 立っている





<玉島川(一)>へ



<玉島川(二)>へ


旅人編(17)天娘子(あまをとめ)かも

2009年10月25日 | 旅人編
【掲載日:平成21年11月30日】


君を待つ 松浦の浦の 娘子をとめらは 常世とこよの国の 天娘子あまをとめかも

【玉島川。玉島東方簗場やなば付近】


〔これを 見せずに くものか
 相手は よろしがいい
 あやつ  神仙の思想に 通じておるで 
 そうじゃ  ものがたり風に仕立て
 歌の 前文まえふみとして 添えてやろう〕

《わしが松浦まつらを 尋ねし折に 玉島川を 遊覧せしが たまさかう 鮎釣る娘子おとめ 
 花のかんばせ うるわしかぎり 立ち居の姿 輝くばかり 眉はやなぎ 頬桃の花 
 心気高けだかく 優雅な様子 他に比ぶる ものとてあらず

 わしはいぶかり 娘子おとめに問うた 「何処いずこの里の 何方どなたのお児か もしや常世とこよの 仙女せんにょじゃないか」
 娘子おとめら笑い 答えて曰く 「われら漁師の 家なる娘 草葺き小屋の いやしい子らぞ 
 言うべき里も  家なぞ無くて 名乗る名前も 持ちあわせぬぞ 
 水親しむを  好みとなして 山に遊ぶを 楽しむばかり 
 浦のほとりで 泳げる鮎の 姿よろしと うらやみおりて 
 山の狭間はざまに 座りてままに 雲や霞を 眺めて暮らす 
 たまさかいし 高貴なお人 感に堪えずて 打ち解け話す 
 これより後は 夫婦みょうとの契り 結ばないでは おられはせぬぞ」
 娘子おとめの言葉 それがし受けて「分かりもうした あなたの思い 慎み聞きて かしこみ受ける」

 やがて日は西 なねばならぬ またの逢う瀬と 思いのたけを 歌に託して 贈りて別かる》

旅人たびとに 悪戯いたずら心が 芽生える
〔そうじゃ 
 よろしに またぞろ 羨望せんぼうさせるも 可哀そう
 うまくもないない歌 作らせるも 考えものじゃ
 代わりに  わしが作って
 これも  添えて送るとするか〕

松浦川 川の瀬早み くれなゐの の裾濡れて 鮎か釣るらむ
《川の瀬が  早いよってに 紅い裾 濡らして鮎を 釣ってんやろか》
                         ―大伴旅人―〔巻五・八六一〕 
ひとみなの 見らむ松浦まつらの 玉島を 見ずてやわれは 恋ひつつらむ
みんなして 見てる玉島 ええ景色 わし見られんと あこがれるだけ》
                         ―大伴旅人―〔巻五・五六二〕 
松浦川 玉島の浦に 若鮎わかゆ釣る いもらを見らむ 人のともしさ
《玉島の  浦で若鮎 釣る児らを 見てるあんたら 羨ましいで》
                         ―大伴旅人―〔巻五・五六三〕 

ややあって 吉田宜よしだのよろしからの返書が 届く
そこには  申し訳程度の 一首が
君を待つ 松浦の浦の 娘子をとめらは 常世とこよの国の 天娘子あまをとめかも
《あんたはん 待ってるうた 娘子おとめらは 桃源郷の 仙女せんにょやきっと》
                           ―吉田宜よしだのよろし―〔巻五・八六五〕




<玉島川(一)>へ



<玉島川(二)>へ



旅人編(18)倭も此処も

2009年10月24日 | 旅人編
【掲載日:平成21年12月1日】

やすみしし わご大君おほきみの 食国をすくには やまと此処ここも 同じとそ思ふ

吉田宜よしだのよろしに 便りが届く
そこには 旅人たびとの 弱々しい姿があった
わが盛り いたくくたちぬ 雲に飛ぶ 薬はむとも また変若ちめやも
《もう年や  長生き薬 飲んだかて 若返ること できやせんがな》
                         ―大伴旅人―〔巻五・八四七〕 
雲に飛ぶ 薬はむよは 都見ば いやしきが身 また変若ちぬべし
《長生きの 薬飲むより 一目ひとめでも 都を見たら また若返る》
                         ―大伴旅人―〔巻五・八四八〕 
〔これは  どうしたことか
 こんな  気弱な旅人 見たこともないぞ
 高熱を帯びた足のれ 歩きもままならぬよし
 処方をとの願いもあるが  一刻を争う病状じゃ
 わしが出向いても  間に合わぬ
 筑紫にる 友の百済医師に託すか
 それにしても  筑紫は 遠い
 しばらく会わぬうち かようなわずらいとは〕 
遙遙はろはろに 思ほゆるかも 白雲の 千重ちへへだてる 筑紫つくしの国は
《白雲が 隔てて遠い 筑紫国 思う心も 遥々はるばる遠い》
                         ―吉田宜よしだのよろし―〔巻五・八六六〕
君がゆき 長くなりぬ 奈良路なる 山斎しま木立こだちも かむさびにけり
《行ってもて 長い日たった 奈良の家 庭の木立こだちも うら寂びてもた》
                         ―吉田宜よしだのよろし―〔巻五・五六七〕

急ぎの返し文が  旅人に届く
病の床  身動きさえもならぬ旅人
〔なんと言うておる 
 なに 
 なまじの治療では 如何いかんともし難いと言うか
 この上は  切開の術を用いるべしと・・・
 情けなくも  恐ろしい事じゃ
 おお  家の木立 繁りっぱなしとか
大和が  恋しいのう
 わしも  心根を弱まらせたものじゃ
 昔 石川足人いしかわのたりひと殿には
 強気で言い返したものだったに・・・ 
あれは 大宰府着任なしのころか〕
さす竹の 大宮人おほみやびとの 家と住む 佐保の山をば 思ふやも君
《あんたはん  奈良の都で 住んどった 佐保のお山が 懐かしないか》
                         ―石川足人いしかわのたりひと―〔巻六・九五五〕
やすみしし わご大君おほきみの 食国をすくには やまと此処ここも 同じとそ思ふ
《何を言う 何処どこっても おんなじや 日本の国やで 大和もここも》
                         ―大伴旅人―〔巻六・九五六〕 
〔年は取りたくないものじゃ〕 
身を横たえたまま  傷心旅人 
力ない目が  遠くを見やる



旅人編(19)磐国山を

2009年10月23日 | 旅人編
【掲載日:平成21年12月3日】

周防すはなる 磐国山いはくにやまを えむ日は 
             よくせよ 荒しその道

【磐国山=今の欽明路峠への道】


早馬は  飛ぶ
大和へ  朝廷へ
旅人たびとの 申し状 以下の通り
「先ごろよりの そう腫物はれもの〕によるやまい
 快復の 捗々はかばかしくあらず
 しものこと あり候わば 悔いあるにより
 遺言ゆいごんいたしたきの儀 これあるにつき
 急ぎ 在京親族 稲公いなきみ並びに麿まろの二人をして
 西下さいかの取り計らい 乞い願うばかりなり」
早速に 勅許ちょっきょを得た 両名 
馬をいで 西へ 筑紫へ 大宰府へ

一方 旅人のやかたでは
護摩ごまき煙の 上る中 祈りの声音こわねが響き
百済医師執刀しっとうの 切開術の 手が進んでいた
「取れ申した これが 病の原因もとい
見れば 大人のこぶしもあろうかと言う 腫瘍しゅようだま
さすがの旅人も  ギョとなった
「もう  大丈夫でござる
 一命は取り留めて候 
 ただ  いま少しの 養生節制は 欠かせぬが」

「何は  ともあれ 良かったではないか
 なになに やまい原因たね 心ふさぎの重なりじゃと
 ひなへの赴任 奥方の死 長屋王の変事と
 公私共の  気疲れでは あったのう」
ここ 大宰府の外れ ひのもり八幡の地
快癒かいゆお礼まいりを終えた 一行
旅人の回復を見届けた  稲公・胡麿
両名を 送るべく同行した 大伴百代おおとものももよ 山口若麿
それに  旅人の子家持の五人であった
夷守ひなもりうまや ここで 別れの小宴が持たれた 
「御苦労で  ござった
 後は  我々が
 今以降の  気疲れをなされぬよう お守り致す
 ご両名は  朝廷への よしなの報告と
 道中くれぐれもの  心配りを なさいませ」
草枕 旅行く君を うるはしみ たぐひてそし 志賀しか浜辺はまべ
《あんたはん 旅立たれるの しよって ついて来たんや 志賀の浜まで》
                         ―大伴百代―〔巻四・五五六〕 
周防すはなる 磐国山いはくにやまを えむ日は よくせよ 荒しその道
《岩国の 山越える日は 神さんに ちゃんとおがみや 道けわしから》
                         ―山口若麿―〔巻四・五五七〕 

送る者  送られる者 
双方の胸に  旅人平癒の安堵が 広がっていた





<磐国山>へ


旅人編(20)行くも去かぬも

2009年10月22日 | 旅人編
【掲載日:平成21年12月4日】

月夜つくよよし 河音かはとさやけし いざここに
             くもかぬも 遊びてかむ

【あしき川 中央奥宝満山 中央手前あしき山の裾】


ここ 蘆城あしきうまや 
大宰府の官人らの多くが  集っていた
官主催のうたげ
大納言に叙せられ 
みやこへの帰還かなった 旅人たびと
祝の はなむけ宴である
時に  天平二年〔730〕秋
藤原房前ふささきへの 梧桐あおぎり日本やまと琴の願いが通じたか
はたまた  天が 旅人を必要としての 呼寄せか
死病しにやまいを克服した旅人
中央政界での  尽力の場を思い 
両のかいなに 力のみなぎりを 覚えていた

官人たちは 惜別わかれこころを 切々とうた
旅人との別れの 哀惜あいせき
そちとしての 勤め上げし 政務への礼賛らいさん
豪放ごうほう磊落らいらくな 人となりへの 思慕しぼ
そして 明日は 我もの 羨望せんぼうを忍ばせて
ないまぜの 思いを込めた 歌みが 続く

さきの 荒磯ありそに寄する 五百重波いほへなみ 立ちてもても わがへる君
《あんたへの 思い次々 波みたい 岬回って 荒磯ありそに寄せる》
                         ―門部石足かどべのいはたり―〔巻四・五六八〕
韓人からひとの ころもむとふ むらさきの こころみて 思ほゆるかも
《紫に めたあんたの ころも見て わしの心も 寂しさまる》
大和やまとへに 君が立つ日の 近づけば 野に立つ鹿しかも とよみてそ鳴く
《大和へと  あんた帰る日 近こなると 悲しんやろか 鹿鳴き騒ぐ》
                         ―麻田陽春あさだのじゃす―〔巻四・五六九、五七〇〕
月夜つくよよし 河音かはとさやけし いざここに くもかぬも 遊びてかむ
《月きれえ 流れもきよい さあみんな 行くも残るも 楽しいやろや》
                         ―大伴四綱―〔巻四・五七一〕 

北に宝満山ほうまんやまを望み 
清流流れる あし川〔宝満川〕の景観
みやこ育ちの 官人たち 
大和の山野を見る思いが  
ここでの うたげもよおしを させたのであろう

見た月の影  聞いた川瀬
交わす 歌声 重ねる 酒坏さかづき
それぞれが 忘れ得ぬ 思いをいだいて
夜は更けていく 




<蘆城>へ


旅人編(21)さぶしけめやも

2009年10月21日 | 旅人編
【掲載日:平成21年12月7日】

言ひつつも 後こそ知らめ とのしくも
             さぶしけめやも 君いまさずして

【大宰府正庁址】


湿っぽいうたげが 続いている
天平二年〔730〕十一月 
大伴旅人おおとものたびと 大納言に昇進
人臣の極みにのぼりつめた 旅人
みやこへ戻るにつけての はなむけの宴
目出たい  祝の宴で あるべきに
酒の味は  苦い
宴席に 集う人々の きずなは 
官人としての  それではない
友人 知己 同胞はらから の 絆
それだけに  別れの辛さが 先に立つ

あま飛ぶや 烏にもがもや 都まで 送りまをして 飛び帰るもの
《飛ぶ鳥に  なってあんたを 都まで 送って行って 戻ってきたい》
人もねの うらぶれるに 龍田たつた山 御馬みま近づかば 忘らしなむか
《こっちみな しょんぼりやのに 龍田山 近くに見たら 忘れんちゃうか》
言ひつつも 後こそ知らめ とのしくも さぶしけめやも 君いまさずして
さみしさは あんたるうち まだ浅い ほんまさみしさ ってもたあと》
万代よろづよに いまし給ひて あめの下 まをし給はね 朝廷みかど去らずて
《ずううっと 長生きされて 国のため 活躍してや 朝廷みかどに居って》
                         ―山上憶良―〔巻五・八七六~八七九〕 

宴果てて  戻った 憶良
まんじりともせずの  夜明け
旅人を思い  自分を思う
あまざかる ひな五年いつとせ 住ひつつ 都の風俗てぶり 忘らえにけり
きょうはなれ ここの田舎に 五年り みやこ風情ふぜいを 忘れてしもた》
かくのみや いきらむ あらたまの く年の かきり知らずて
《いつまでも 溜息ためいきついて 暮らすんか 今年も来年つぎも その翌年つぎとしも》
ぬしの 御霊みたま給ひて 春さらば 奈良の都に 召上めさげ給はね
《頼みます  あんたの引きで 春来たら 奈良の都に 呼び戻してや》
                        ―山上憶良―〔巻五・八八〇~八八二〕 

憶良私懐わたしのおもいの歌を 前にして 旅人は 思う
〔本心  わしと共にと 思ってくれているのだ
 残される者の心  わからぬ わしでない〕
旅人は  妻を亡くした時の 
憶良の  友情を 思い出していた





<大宰府(二)>へ



旅人編(22)水城の上に

2009年10月20日 | 旅人編
【掲載日:平成21年12月8日】

大夫ますらをと 思へるわれや 水茎みづくきの 
               水城みづきの上に 涙のごはむ

【水城の全貌、上水城付近】


旅立ちの一行は そちやかたを出 
いま みずの堤に立っていた
振りかえる 旅人たびと
三年を過ごした  館が見える
それらの日々が  走馬灯が回る如くに 思われる
筑紫赴任への  船旅
小野老おののおゆ歓迎の 春の宴
憶良との  すれ違い
大伴郎女いらつめとの 永遠とわの別れ
憶良の 心情こころあふれる弔問
郎女無き日々の憂い 
丹生女王にうのおおきみからの便り
長屋王の変 
総勢三十二人が集いし 梅花うめはなうたげ
松浦川への  遊行
死病の取りかれと 回復
なんと  目まぐるしくもの 日々であったろう

馬上 感慨にふける旅人に あゆみを寄せる女人にょにん
筑紫での 数多あまたの宴席にはべりし遊女 児島
老齢  やもめの旅人に 
それとなくの気遣いを見せてくれた  児島
旅人とて  その都度の 気配りを 
気付かずにいたわけではない 
ここ 大宰府を去り みやこへと戻れば 
児島との別れは 今生こんじょうのものとなろう
互いの胸を知りながら  
それぞれが 別れの心をうた

おほならば かもかもむを かしこみと 振りき袖を しのびてあるかも
《いつもやと 袖振るけども 門出かどでには はしたないかと 辛抱しんぼするんや》
                         ―児  島―〔巻六・九六五〕 
倭道やまとぢは 雲がくりたり しかれども わが振る袖を 無礼なめしとふな
《道雲に 隠れてしもたで ええかなと 袖振るけども 堪忍かんにんしてや》
                         ―児  島―〔巻六・九六六〕 
倭道やまとぢの 吉備きびの児島を 過ぎて行かば 筑紫つくしの児島 思ほえむかも
《帰り道  吉備の児島を 通るとき きっと思うで 筑紫の児島》
                         ―大伴旅人―〔巻六・九六七〕 
大夫ますらをと 思へるわれや 水茎みづくきの 水城みづきの上に 涙のごはむ
《男やぞ 水城の上で 涙なぞ いてたまるか 女のために》
                         ―大伴旅人―〔巻六・九六八〕 

遠ざかる  旅路の一行
今にも  泣き出しそうな空
雲が  垂れこめ 馬上の旅人の影は 遠ざかる
えにえた 児島が 袖を振る
振り向こうとしない旅人の馬は もやの彼方に





<水城>へ


旅人編(23)潮干潮満ち

2009年10月19日 | 旅人編
【掲載日:平成21年12月9日】

荒津あらつの海 しほしほち 時はあれど 
            いづれの時か わが恋ひざらむ


旅人たびとの船出に 先立ち
郎党・従者の一行は  
那の大津を後に  大和への航路を進んでいた
大和へ戻れば  大納言職遂行に 従者は倍増する
早急に帰っての  準備が必要とされる

主人  旅人とは違い 用意の船は 大船ではない
航路の不安は  比ぶべくもない
乗員の  船旅不安 帰京の喜び 
二つの思いを乗せ  船は 一路 東へと・・・

わが背子せこを が松原よ 見渡せば 海人あま少女をとめども 玉藻刈る見ゆ
《おお見える アガ松原から 眺めたら 磯で少女おとめら 玉藻刈ってる》
                         ―三野連石守みののむらじいそもり―〔巻十七・三八九〇〕
荒津あらつの海 しほしほち 時はあれど いづれの時か わが恋ひざらむ
《海の潮  満ち干の時は 決まってる わしの思いは 引く時ないわ》
                         ―作者未詳―〔巻十七・三八九一〕 
いそごとに 海人あま釣船つりふね てにけり わが船泊てむ 磯の知らなく
《磯どこも  漁師の船が 泊まってる わしら泊るん どこの磯やろ》
                         ―作者未詳―〔巻十七・三八九二〕 
昨日きのふこそ 船出ふなではせしか 鯨魚いなさ取り 比治奇ひぢきなだを 今日けふ見つるかも
船出ふなでしたん 昨日みたいに 思うたが 早いもんやな ヒジキの灘や》
                         ―作者未詳―〔巻十七・三八九三〕 
淡路島あはぢしま 渡る船の 揖間かぢまにも われは忘れず 家をしそ思ふ
《船の梶 あいだ狭いが そんなも わし家のこと 忘れられへん》
                         ―作者未詳―〔巻十七・三八九四〕 
大船おほふねの 上にしれば 天雲あまくもの たどきも知らず 歌乞わが
《船の上 波に揺られて 頼りない 何時いつ着くんやろ 懐かし家に》
                         ―作者未詳―〔巻十七・三八九八〕 
あま少女をとめ いざく火の おぼほしく 都努つのの松原 思ほゆるかも
《ぼんやりと  津野の松原 見えとおる なんとは無しに 懐かしいがな》
                         ―作者未詳―〔巻十七・三八九九〕 
玉はやす 武庫むこわたりに あまづたふ 日の暮れゆけば 家をしそ思ふ
《きらきらと  武庫の海峡 日ィ暮れる 夕暮れ寂して 家思い出す》
                         ―作者未詳―〔巻十七・三八九五〕 
家にても たゆたふ命 波の上に 思ひしれば 奥処おくか知らずも
《この命 うちに居っても 頼りない 船の上では なお頼りない》
                         ―作者未詳―〔巻十七・三八九六〕 
大海の 奥処おくかも知らず 行くわれを 何時いつ来まきむと 問ひし児らはも
《海越えて 何処どこまで行くか 分からんに 何時いつ帰るかと あの児が聞いた》
                         ―作者未詳―〔巻十七・三八九七〕 



旅人編(24)磯のむろの木

2009年10月18日 | 旅人編
【掲載日:平成21年12月10日】

鞆の浦の  磯のむろの木 見むごとに
             相見し妹は  忘らえめやも

【「むろの木」 仙酔島にて】


天平二年〔730〕十二月 
大伴旅人おおとものたびとは 海路上京のにあった

大宰だざいそちとして 筑紫へくだったは 三年前
あの時  妻と一緒であった
よもや半年 永遠とわの別れが来るとは・・・
大納言拝命の帰路だが 
それを思うと 出世など らぬわ
山上憶良 沙弥満誓さみまんせいら 心楽しい歌友うたともがいた
酒も  こよない友であった
梅花うめはなうたげ 任官祝いの宴 送別の宴
その度に  心の慰めとなった 歌と酒
宴果てたのちの むなしさ 
あれは お前のないせいであったか〕

今宵の  船泊まりは 鞆の浦
旅人たびとに 妻恋しさが つの
吾妹子わぎもこが 見しともうらの むろの木は 常世とこよにあれど 見し人ぞ
《お前見た 鞆のむろの木 変われへん それ見たお前 いまもうらん》
鞆の浦の  磯のむろの木 見むごとに 相見し妹は 忘らえめやも
《むろの木を  見るたびお前 思い出す 一緒に見たんを 忘れられへん》
磯のうへに 根ふむろの木 見し人を いづらと問はば 語り告げむか
《磯の上  根張るむろの木 教えてや 見てたあの人 どこ行ったやろ》
                       ―大伴旅人―〔巻三・四四六~四四八〕 

冬寒ふゆさむの 海風うみかぜは 身にむものの
内海うちうみの 航路は 波静かであった
夜明け 大和島嶺やまとしまねに 日が昇る
〔ああ  帰ってきたのだ
左手に見えるのは 敏馬みぬめの崎か〕
旅人たびとの胸に またしても 妻の面影が 浮かぶ
妹と来し 敏馬みぬめの崎を 帰るさに 独りし見れば 涙ぐましも
敏馬みぬめさき お前と見たな 帰りみち ひとりで見たら 涙とまらん》
行くさには  二人我が見し この崎を 独り過ぐれば 心悲しも
《来るときは 二人で見たな このみさき ひとりとおるん 悲してならん》
                       ―大伴旅人―〔巻三・四四九、四五〇〕 

時に  旅人六十六歳
老齢のあまざかるひなへの赴任・妻との別れ・傷心をいての帰郷であった





<鞆・むろの木>へ


旅人編(25)筑紫や何処(いづち)

2009年10月17日 | 旅人編
【掲載日:平成21年12月11日】

ここにありて 筑紫つくし何処いづち 白雲しらくも
              たなびく山の  方にしあるらし


帰京後の  ひと月余り
旅人たびとは 旅の疲れも見せず 
しかるべき方面への 挨拶に 奔走していた
公人としての役目  
実直この上ない  旅人には 
ないがしろにできない 日々であった

私人としての  落着きを得た 旅人
今度は  友との懇親に 忙しい
〔そうそう  礼をせねば
 帰京の折 難波浜での歓待の高安王たかやすのおおきみ
 王は  この度 昇進の栄を得たにより 
 新しい束帯服そくたいふくを 送るとしよう〕
わがころも 人になせそ 網引あびきする 難波なには壮士をとこの 手には触るとも
《この衣 漁師まがいに 着さすなよ 漁師まがいの 難波壮士あんたえが》
                         ―大伴旅人―〔巻四・五七七〕 

〔大宰府に  残った友からの便りが 来ておる
 みな  それぞれに
 寂しく思ってくれておるようじゃ〕  
今よりは やまみちは 不楽さぶしけむ わがかよはむと 思ひしものを
《大宰府へ  通う山道 楽し無い 今までずっと 楽しかったに》
                         ―葛井大成ふぢゐのおほなり―〔巻四・五七六〕
天地あめつちと 共に久しく 住まはむと 思ひてありし いへの庭はも
《いつまでも  いついつまでも 住みたいと 思うてたんやで あんたの庭に》
                         ―大伴三依おおとものみより―〔巻四・五七八〕
〔わしも  人を送った後 寂しい思いをした
 あれは  大宰府在任の頃
 丹比県守たじひのあがたもりとの別れであった〕
君がため みしまちざけ やすの野に ひとりや飲まむ ともしにして
《友無しで  独り飲むんか この酒を あんたのために 造ったいうに》
                         ―大伴旅人―〔巻四・五五五〕 

〔おお これは 満誓まんせい殿からの便り
 忙しさにかまけてしもうた  返事をせねば〕
まそ鏡 見かぬ君に おくれてや あしたゆうへに さびつつらむ
《気心の 知れたあんたに 置いてかれ さみしいこっちゃ 朝夕ずっと》
ぬばたまの くろかみかはり 白髪しらけても 痛き恋には ふ時ありけり
《黒い髪 しろなるほどに 年齢とし取って こんな苦しい 恋するやろか〔相手男やのに〕》
                         ―沙弥満誓さみまんせい―〔巻四・五七二、五七三〕

ここにありて 筑紫つくし何処いづち 白雲しらくもの たなびく山の 方にしあるらし
《都から 筑紫何処どこやと 見てみるが 雲の棚引く 遥かかなたや》
くさの 入江に求食あさる あしたづの あなたづたづし ともしにして
《毎日を  心もとのう 暮らしてる お前さん言う 友置いてきて》
                         ―大伴旅人―〔巻四・五七四、五七五〕 
人恋しい  旅人がいた



旅人編(26)植えし梅の木

2009年10月16日 | 旅人編
【掲載日:平成21年12月14日】

吾妹子わぎもこが ゑし梅の樹 見るごとに 
             こころせつつ 涙し流る


佐保の旧邸きゅうてい
ここは  
大宰府赴任前 大伴郎女おおとものいらつめと共に暮らした家
〔築山を造り  梅を植え・・・
今から  思えば
なんと満ち足りた むつみのときであったのか〕
〔帰京が決まった折にも 
 ここ佐保の家が  思い出された
 あの時  なんとは無しに 思いし
 帰京後の心情おもい
 かへるべく 時は成りけり 京師みやこにて 手本たもとをか わがまくらかむ
《帰る時  とうと来たけど 帰っても 誰の手 枕に したらええんや》
                         ―大伴旅人―〔巻三・四三九〕 
みやこなる れたる家に ひとり寝ば 旅にまさりて 苦しかるべし
《戻っても さみし家での 独り寝は 苦しいこっちゃ 野宿するより》
                         ―大伴旅人―〔巻三・四四〇〕 

〔いいや  戻ってみると
 筑紫の空で  思うたより
 遥かにつらく 寂しい限りじゃ〕
人もなき 空しき家は 草枕くさまくら 旅にまさりて 苦しかりけり
愛妻ひとらん うつろな家に 暮らすんは 旅よりもっと むなしいこっちゃ》
                         ―大伴旅人―〔巻三・四五一〕 
いもとして 二人ふたり作りし わが山斎しまは たかしげく なりにけるかも
《その昔 お前と作った うちの庭 木ィ鬱蒼うっそうと 繁ってしもた》
                         ―大伴旅人―〔巻三・四五二〕 
吾妹子わぎもこが ゑし梅の樹 見るごとに こころせつつ 涙し流る
《手ずからに  お前の植えた 梅の木を 見るたび泣ける 胸込み上げて》
                         ―大伴旅人―〔巻三・四五三〕 
目に映る  あれもこれも 
郎女への思いなしに  
見ることのかなわぬものばかり




旅人編(27)淵は浅さびて

2009年10月15日 | 旅人編
【掲載日:平成21年12月15日】

須臾しましくも 行きて見てしか 神名火かむなび
                淵はさびて 瀬にかなるらむ


思う以上に  中央政界の変貌は 激しかった
長屋王の変事を経て  
皇親勢力の打撃は  覆うべくもなく 
藤原氏四郷は  ますます権勢を誇り 
他の貴族の力は  衰えそのものであった
旅人たびとにとり 大納言職は 有名無実

張り切っての帰郷故の  虚脱感
境の身に  加わった 心の空虚
身体の不調は  旅人に取りつき 
床を延べることが  日増しに多くなっていった
身は 平城ならの佐保に あるものの 
思われるのは 故郷ふるさと 飛鳥のことばかり
須臾しましくも 行きて見てしか 神名火かむなびの 淵はさびて 瀬にかなるらむ
一寸ちょっとでも 行ってみたいな 飛鳥あすかふち あそなって瀬に なったんちゃうか》
指進さしずみの 栗栖くるすの小野の はぎが花 らむ時にし 行きてけむ
《飛鳥野の 栗栖くるすの里へ 行きたいな 萩散る頃に 先祖参りに》
                         ―大伴旅人―〔巻六・九六九、九七〇〕 
その萩  まさに 花開こうとする 七月
看護虚しく  武人の家の 誇り継ぎし旅人は 
帰らぬ人となった 
朝廷よりの 看護のつかさ 犬養人上いぬかいのひとがみは うた
見れどかず いましし君が 黄葉もみちばの うつりいれば 悲しくもあるか
《いつまでも あがめよおもてた あんたはん 死んでしもうて 悲しいこっちゃ》
                         ―犬養人上いぬかひのひとがみ―〔巻三・四五九〕
そこに控えた 舎人の余明軍よのみょうぐんも 
血涙と共に  詠う
しきやし さかえし君の いましせば 昨日きのふ今日けふも さましを
《慕うてた あなた存命ったら お召声めしごえ 昨日も今日も 掛ったやろに》
かくのみに ありけるものを はぎの花 咲きてありやと 問ひし君はも
《萩の花  咲いてるやろかと 聞いてたに これが定めと 言うもんやろか》
君に恋ひ いたもすべ無み あしたづの のみし泣くゆ 朝夕あさよひにして
《あなたはん  恋し思ても 甲斐ないな 泣き泣きおるで 朝晩なしに》
とほながく つかへむものと 思へりし 君いまさねば こころもなし
《いつまでも  お仕えしょうと 思てたに あなた居らんで しょぼくれとおる》
若子みどりごの ひたもとほり 朝夕あさよひに のみそわが泣く 君無しにして
《赤ん  這いずり回り 泣くみたい 朝晩泣いてる あなた居らんで》
                         ―余明軍よのみやうぐん―〔巻三・四五四~四五八〕

永年 仕えた 舎人の 旅人に寄せる 思いのたけ
そこには  見事な 主従の姿があった
旅人  享年六十七歳