犬養万葉今昔―犬養孝先生著「万葉の旅」を訪ねて

犬養孝先生名著「万葉の旅」記載の万葉故地309箇所を訪ね、先生が撮られれたのと同じ場所に立った写真撮影を目指す紀行。

★机の島ーしただみ

2007年08月28日 | 紀行アラカルト
われはもや 机島来たり 先生の 号泣しとう 机島来たり

万葉紀行 最後の行程は多少難航した。
机島へ渡るすべがない。
かつてあった遊覧船も今はない。
旅館に問い合わせても 船を持っていない。
釣り船のお客は対応しているが・・・・ との返事。

観光協会にTEL。
船を出してくれる宿の調べを頼み
やっとのことで見つけてもらった。
能登島「はまづる」。
場所は能登島曲(机島に遠い)であるが 和倉温泉に船を一艘舫(もや)っているとのこと。
お世話になることとした。

すこし波は高いが 船は船着場を離れ 机島へ。
瀬嵐の先に垂れ下がるような種子島。
その先っぽに こじんまりした机島が見える。
潮の引いたとき 二つの島は つながるそうな。

島に近づいたとき 東方より 全島写真。
南・西を回り込むようにして北の着船場へ。
ポツポツと柱杭が見える。桟橋は落ちてしまっている。
鉤のついた棒で 杭を岩を手繰り寄せて着岸。

ひとり船から下りる。
水べりを廻るように かろうじて通路がある。
道もなく 草ぼうぼうかと思ったが 意外と通りやすい。
西へ回り込んだところに 歌碑はあった。
御影石の表面が 光っている。
「かしまねの 机の島の しただみを ・・・・・・」
のうたが刻み込まれている。
ここで 犬養先生は 奥さんとの渡島を思い出されて 号泣・嗚咽されたらしい。
しばし 歌碑を眺め 歌碑をなで おもむろに写真を撮る。


碑の周りは意外と草の繁茂はない。
よく見ると 草の先が尖っていない。
誰か 少し前に刈り取った人がいるのだ。
歌碑の表面が光っていたのも 磨いたのかも知れない。
歌碑を訪ねる人がいたのだ。
先生は一人ぼっちではなかったのだ。
■しただみ

歌碑の訪問を終え 船に戻ってみると
旅館主人の高木さんが 近づいてきた。
「これが しただみ ですよ」
小さな巻貝が いくつか 手の中にあった。
私も少し拾って 塩揉みしたのを 夕食の膳に出してもらった。
素朴な味だった。
犬養先生も ここへ来たとき 味わわれたに相違ない。

■私の写真

 
■「万葉の旅」写真


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★珠洲の海ーわびしさ漂う

2007年08月28日 | 紀行アラカルト
能登島を後に、珠洲へと向かう。
のと鉄道が 2年前の4月に穴水~蛸島間廃線。
穴水からはバスの乗り継ぎだ。
特急バスを使っても 和倉から珠洲鉢ヶ崎まで2時間半。
特急バスは 日に2往復。
生活者にとっても 旅行者にとっても 不便この上ない。
と 思うのは私ひとりか?
生活は 車利用が定着しており 旅行者は レンタカーだ。
免許を持たない 絶滅危惧種の 私には やはり不便。
鉢ヶ崎到着から帰りのバスまで 約2時間。
その間に 先生の撮影場所を探し 写真を撮らねばならない。

撮影場所は 三崎町寺家(じけ)海岸とある。
寺家の集落の海岸は長い。
端から探すしかない。
海岸沿いは 護岸堤防があるばかり。
波の打ち寄せる 砂浜はない。
ちいさな砂地を見つけても 苫家など ありもしない。
それでも 犬養先生のご加護。
苫家とは行かないが やっと 錆びたトタン屋根の船小屋を見つけた。
波の動きを見ながらの撮影。

これが309箇所目の写真だ。

鬱蒼とした森に抱かれた 須須神社では ひぐらしの声が 静寂に沁みていた。

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