豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

中田耕治『ハウハウ受験英語塾』(1975年)

2022年02月06日 | 本と雑誌
 
 きのう(2022年2月5日)の東京新聞に中田耕治氏の死亡記事が載っていた。
 2021年11月26日(!)に94歳で死去、肩書きは「作家、翻訳家」とある。

 ぼくは中田氏の著書を1冊だけ持っている。
 『ハウハウ英語塾 英文解釈ーー重要成句・構文のすべて』(二見書房、サラブレッド・ブックス49、1975年、680円)である。
 カバー扉の著者紹介によれば、中田氏は当時明治大学講師、1928年東京生まれ、明治大学英文科卒で、10代の頃に戦後派最年少の批評家として文壇デビュー、人物評伝、舞台演出、作家、翻訳家として活動し、本書は彼の著書・翻訳書として115冊目の作品とある。

 表紙に書かれた「古典から現代まで150冊のポルノ例文」という宣伝文句や、本文中に挿入された挿し絵に誘われて購入したのだろう。中身はほとんど読んだ形跡がない。
 最初の60ページ弱は文法と構文の説明があり、それ以降は左ページが文法事項・構文・成句の解説で、右ページには例文と和訳が載っていて、最後に熟語集が付いている。
 例文の出典は、すべて「チャタレー夫人の恋人」「ファニー・ヒル」「わが秘密の生涯」「エマニュエル夫人」などポルノ小説で、挿絵もついている。“Open Marriage” など本邦未訳の作品もある。
 「チャタレー夫人の恋人」を素材に、“in spite of oneself” の説明が載っているページに楓の押し葉が挟んであった(※下の写真。「自分でもどうしようもなかった」という訳文があてられている)。
     

 高校時代に帰国生で英語ができる同級生がいた。「クソ」がつくほど真面目な彼が「チャタレー夫人の恋人」の英語版を教室に持ってきて、(チャタレー事件最高裁判決によって「猥褻物」の烙印を押されたため)1960年代当時の日本語版では削除されていた部分を読み上げては日本語訳を級友に聞かせて、はしゃいでいた。
 普段の真面目ぶりとあまりにミスマッチで、聞いている方が恥ずかしくなった。
 何年か後に、友人の結婚式で彼と同席したので、その話をしたら嫌な顔をされた。

 中田氏の本書は、例文の出典がポルノ小説である以外はごく普通の英文法、構文解説の本である。
 当時は新書版形式の受験参考書(『試験に出る英単語』など)が流行っていたが、本書の読者の多くは、ポルノ出典の例文の日本語訳しか読まなかったのではないか(ただし今読んでみるとたいした内容ではない)。
 ぼくもその一人だったかもしれないが、本書が出版された昭和50年(1975年)にはぼくはすでに大学生になっているから、受験参考書として買ったわけではなさそうである。

 2022年2月6日 記


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