豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

加藤周一『高原好日』

2009年05月26日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 加藤周一『高原好日』(ちくま文庫)を買った。

 表紙カバーの折返し部分に著者の近影が載っている。
 その写真が、中学生のころに読んだカッパ・ブックスの『読書術』をよみがえらせた。
 首を傾げる角度、カメラを避けた視線など、昭和37年の『読書術』のままである。年齢を重ねて少し穏やかになったようにも見えるが、その眼光の鋭さは衰えていない。
 ぼくは、2、3年前の夏の昼下がりに、追分の“追分そば茶屋”で晩年の加藤周一を見かけたことがある。
 国道ではなく、追分駅のほうからの上り坂を、女性2人と一緒に店に向かって歩いてくる彼に気づいた。
 「あっ、加藤周一だ」と思った。一瞬眼が合ったが、ぶしつけな視線を感じたのであろう、まさに『読書術』のあの視線が返ってきた。

 この本に登場する人物のうち、ぼくがお目にかかったことがあるのは、中野好夫、川島武宜、中村真一郎、宇佐見英治、樋口陽一の5氏だけである。
 中野好夫氏は、沖縄返還15周年の日弁連のパーティーの会場で見かけた。ぼくは『沖縄白書』を担当した編集者だった。中野氏はパーティーの途中で体調を崩され、救急車で病院に運ばれた。
 川島、樋口両氏は編集者時代に、いずれも筆者と編集者の関係で何度かお会いした。川島さんは東大を定年後、銀座の三信ビルの中に弁護士事務所を構えていた。レトロなビルの隣のテナントは“渡辺プロ”だった。
 宇佐見さんは東京のご近所で、しばしばお見かけした。行きつけの鰻やさんも同じだった。

 結局、軽井沢で見かけたことがあるのは、著者ご本人を除けば、中村真一郎だけである。
 何十年も前に、軽井沢の旧道を歩いていた時のことである。当時、旧道の入口近くの右手に、水野正夫が経営する“ミズノ”という喫茶店があった。
 そのオープンテラスの席で、ステッキにあごをのせて不機嫌そうな顔をして、通りを歩く人の群れを見るでもなく見つめていた。
 「あっ、中村真一郎だ!」と気づいて、思わず視線をとどめてしまった。目があったように思ったが、“追分そば茶屋”での加藤周一と違って、まったく何の反応もなかった。
 この本によると、中村は幼少の頃から事情があって強い孤独感をもち、「孤独な群集」の一人として、「広場の孤独」を生きぬいていたという。
 “ミズノ”にぽつねんと腰掛けていた中村は、まさにそんな風情であった。

 この本に登場するそれ以外の人々は、同じ時期に軽井沢に滞在していたこともあるが、すれ違ったことさえない。
 僕とはまったく接点のない、別世界の“軽井沢”があったのだ。
 
 ところで、教師だった祖父も父も、軽井沢ではもっぱら本を読むか、原稿を書いていた。
 電話も引かず、住所も知らせてなかったので、手紙も、東京の自宅から転送したもの以外は届かなかった。最初はテレビも置かなかった。
 朝夕、散歩に出る以外は終日机に向かっていた。東京から持ってきた本をすべて読んでしまうと、父などは、ただただ「もう東京に帰ろう」と訴えつづけていた。
 誰かに車に乗せてもらえないと、本を抱えて帰京できないのであった。ここは、川島武宜さんと同じである。
 加藤氏とは違って、父たちが軽井沢で知人と会うことはほとんどなかった。
 昭和30年前後に、父が、草軽電鉄に乗って、北軽井沢の田辺元を訪ねたエピソードが、数十年間語り継がれたほど、軽井沢での交際は希薄だった。
 毎夏軽井沢に滞在する知人がなかったわけではないが、お互いに勉強の邪魔をしないように遠慮したのだろう。

 学者は清貧であらねばならない、軽井沢に別荘を持つのは贅沢であり公言すべきことではないという意識が、父たちの時代にはまだあったかもしれない。
 父は、軽井沢の家のことを、「山荘」とか「小屋」などといっていた。確かに「小屋」程度の建物ではあったのだが、そこには“別荘”という言葉を避けたいという気持ちが感じられた。
 そんな環境だったので、僕も、軽井沢では勉強するか、本を読むしかなかった。

 軽井沢に関心を寄せる人は、それぞれの思いがあって軽井沢に関心をもっている。ぼくは、他人が描く軽井沢に共感を感じたことがほとんどない。
 加藤周一『高原好日』はそんな中では、別世界の話ではあるが、違和感の少ないほうだった。
 “軽井沢”を描くことは難しい。

 * 写真は、加藤周一『高原好日』(ちくま文庫、2009年)の表紙カバー。

 2009/5/26

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加藤周一『読書術』

2009年05月24日 | 本と雑誌
 
 加藤周一の『高原好日』(ちくま文庫)を読んだ。軽井沢、信濃追分で出会った人々との交流や思い出を語った本である。

 何年か前の夏休みに、軽井沢の国道沿いの平安堂書店で、平積みされたこの本を見たことがあった。
 信濃毎日新聞社から出た単行本だったが、買わないでいるうちに、なくなってしまった。
 その後、見かけることがなかったので、絶版になったのかと思っていた。ところが、最近になって、ちくま文庫から出ていることを知った。

 ぼくが加藤周一をはじめて知ったのは、『頭の回転をよくする読書術』(カッパ・ブックス)を読んだ時である。
 奥付を見ると、「昭和37年10月25日 初版発行」となっているから、その頃、中学1年か2年の時に読んだものと思う。
 
 中学生のぼくは、カッパ・ブックスをけっこう読んだ。

 林高(正しくは「高」+「躁」のつくり)『頭のよくなる本』を信じて、米に麦を混ぜて食べ、食後にはビタミンB1の錠剤を服んだ。
 この本を読んで、安心して自慰ができるようになった。自慰には何の害もない、自慰はいけないことだと思う葛藤こそ有害だ、と書いてあった。「葛藤」という言葉を『広辞林』で調べたが、要領を得なかった。
 でも安心した。
 
 郡司利男『カッパ特製 国語笑字典』を読んで、今日に至る“親父ギャグ”の基礎を築いた。
 【はえ(蠅)】という項目には、「うじより育つ」とあった。
 【ふるさと(郷里)】には、「そこに生まれた人を、いたたまれなくした土地」という語義(?)がついていた。
 皮肉な物言いもこの本で覚えたかもしれない。
 例えば、【自問自答】石原慎太郎著『亡国の徒に問う』 など。

 そのような流れのなかで、加藤周一『読書術』も読んだのだろう。
 昭和30年代は、まだ「読書百遍、意自ずから通る」式の読書が求められていたと思う。そんな時代に、加藤周一『読書術』は、難しい本は読まなくてよい、難しいのは読者の頭が悪いからではない、と言ってくれた。
 
 「読まずにすませる読書術」などという章もあった。読み通した本より、買ってパラパラめくっただけの本が多いのも、彼の影響かもしれない。
 「一人の著者を徹底して読む」と言う項目もある。
 モーム、エド・マクべイン、R・S・ガードナー、シムノン、マイ・シューバル(の翻訳)、初期の川本三郎、亀井俊介など気に入った著者は、出版されたものは(ほぼ)すべて読んだのも、彼の影響だったのだろうか。

 ただし、加藤周一『読書術』で一番印象的なのは、カバーの裏表紙に載っていた彼の写真だった。
 とにかく、怖いのである。
 首をやや傾げて、レンズから視線をそらし、カメラの1メートルくらい右側を睨みつけているのだが、その眼は、人が近づくことを拒絶しているようである。
 
 加藤周一の『高原好日』について書くつもりだったが、到達しないうちに長くなりすぎてしまった。『高原好日』は次回にまわすことにする。

 * 写真は、加藤周一『頭の回転をよくする読書術』(光文社カッパ・ボックス、1962年)の表紙カバー。

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モーム「カジュアリーナ・トリー」

2009年05月23日 | サマセット・モーム
 その、“カジュアリーナ・トリー”(ちくま文庫)の表紙。
 和田誠の描いたモームの肖像が添えられている。

 奥付には、1995年5月24日第1刷とある。ちょうど14年前の明日である。今でも出ているのだろうか。
 
 なお、この文庫本の底本は、それこそ英宝社の、中野好夫訳“手紙・園遊会まで”と、小川和夫訳“東洋航路・環境の力”(ともに1951年刊)と巻末に記されている。

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モーム「園遊会まで」

2009年05月23日 | サマセット・モーム
 
 今年の連休は、自分で勝手に《サマセット・モーム週間》と決めて、久しぶりにモームの作品を読んで過ごした。

 その後、授業が再開されてモームもすっかりご無沙汰になってしまった。
 ところが、きのうの昼下がり、神保町の古書店街を歩いていて、モームを見つけた。

 神保町交差点すぐ手前の山本書店の店頭を何気なく眺めると、またしても、あの紺色と緑色の2色の装丁の新潮文庫が目に飛び込んできた。
 近づいてみると、“園遊会まで”だった。100円。

 ぼくは新潮文庫のモームは“人間の絆”の第1巻から、“剃刀の刃”第2巻までほとんど持っている。
 ないのは、この“園遊会まで”と、“アシェンデン・Ⅱ”、“怒りの器”の3冊だけである。

 “アシェンデン”の第2巻は、以前、近所の古本屋で見かけたのだが、第1巻にはない“イギリス情報部員”とかなんとかいう副題が、表紙にゴシックで印刷されていたため、「不体裁だな」などと迷っているうちに売れてしまった。
 創元推理文庫所収の“秘密諜報部員 ashenden”を持っていたのも、躊躇した一因だった。その後、二度とお目にかかれなくなってしまった。惜しいことをした。

 残りの2冊、“園遊会まで”、“怒りの器”は、これまで一度も見たことがない。
 本屋の書棚に並んだ文庫本の背中に「園遊会」という文字を見つけて、「やった!!」と思って引っ張り出してみると、マンスフィールドの“園遊会”だったという経験をしたことも何度かある。

 幸い、十数年前に、ちくま文庫から“カジュアリーナ・トリー”が出て、“園遊会まで”に収録された短編を読むことはできるようになり、同じく“アー・キン”が出て“怒りの器”なども読むことはできる。
 問題は、ぼくの本棚に並ぶモームものの見栄えだけである。

 山本書店店頭の100円均一の棚に置かれていたモーム“園遊会まで”は、今年5月の、“サマセット・モーム週間”を締めくくるための、ぼくへのプレゼントということだろう。

 * 写真は、サマセット・モーム/田中西二郎訳“園遊会まで”(新潮文庫、昭和47年、14刷)の表紙カバー。

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モーム「幸福な夫婦・凧」

2009年05月06日 | サマセット・モーム
 
 “ Be your age !”

 
 せっかく《サマセット・モーム》というカテゴリーを立てておきながら、ほとんど書き込みをしなかった罪滅ぼしに、今年のゴールデン・ウィークは、勝手に《サマセット・モーム週間》ということにして、何件かの書き込みをした。
 これで一応《サマセット・モーム》のカテゴリーも10件を越えて、《豪徳寺》なみになった。

 久しぶりに読んだ『モーム短編選(下)』(岩波文庫)の小品も面白かったし、“A Marriage of Convenience”も“Mabel”も、かつて挫折した“Cakes and Ale”ほど難しい英語ではなかったので、なんとか読むことができた。
 今から40年以上も前の1968年の予備校時代の5月頃にも、モームを読んでいたのかと思いつつ、そして奥井潔先生を思い出し、当時の四谷界隈を思い出しつつ、読んだのだった。
 ※下の写真は奥井先生の著書。
                      

 もう、これで《モーム週間》は打ち止めにするが、最後は、何度か触れた英宝社の《英和対訳・モーム短編集》から、『幸福な夫婦・凧』の表紙を掲げておく(英宝社、昭和33年[ただし手元にあるのは平成5年の第19刷])。
 「凧」(“The Kite”)は中野好夫訳、「幸福な夫婦」(“The Happy Couple”)は小川和夫訳で、瀬尾裕という人の訳注と前書きがついている。

 買ったときのレシートが挟んであって、それを見ると、1998年1月21日の17:54に、紀伊国屋書店新宿本店で買ったことになっている。
 『環境の生き物』に収録された短編が、これらの英宝社の対訳本にあることを知って、購入したのだろう。

 この本の前書きで、瀬尾氏は、モームの短編からあえて代表作を選ぶなら、「雨」「赤毛」「大佐の奥方」、そして「凧」を挙げると書いている。
 
 「凧」(“The Kite”)は、モームのいわゆる“フロイトもの”である。

 7歳の誕生祝に母親から凧を買ってもらった息子が、凧揚げに取りつかれてしまい、やがて父親、母親そろって毎週末は近所の広場で凧揚げにうち興ずるようになる。
 21歳になった息子は結婚するが、たまたま通勤の列車の窓から眺めた凧揚げ風景を見て、再び週末になると実家に帰って、父母と凧揚げに熱中する。

 そして、凧揚げに熱中する夫に、“Be your age !”(中野訳では「ちっとは歳も考えなさい」)と非難する妻に逆切れして、妻を離婚してしまう。さらに、彼の行動を詰る妻に対して、扶養料の支払いを拒絶したために裁判沙汰にまでなってしまう・・・。

 そんな内容の話である。書き出しにある通り、“This is an odd story”である。
 要するに、「マザコン青年」の結婚失敗談なのだが、母親と息子を結ぶものが「凧」というのが何とも奇妙である。

 フランクリン(だったか)が雷雨の中で凧を揚げて、雷が電気であることを証明したというエピソードがあったり、トルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』(新潮文庫)に収められた「クリスマスの思い出」という作品の中にも、冬の凧揚げが描かれている。
 ヨーロッパ人もけっこう凧揚げが好きらしい。

 しかし、モームの「凧」はどう読んだらいいのだろうか。
 実は、話の最後のパラグラフに、モームの「凧揚げ」の深層心理に対する考えが記されているのだが、これは蛇足だろう。
 この話の母子関係の説明としては、まったく説得的でない。

 前の『モーム短編選(下)』に収められた「マウントドレイゴ卿」もそうだが、“フロイトもの(「マウントドレイゴ卿」は“オカルトもの”と言ったほうが正確かも)”になると、モームは少し説明過剰になる嫌いがある。
 モームが描いた話を信じるかどうかは、もう少し読者を信頼して、読む側に委ねたらよいのに、と思う。

 いずれにしても、「凧」をモームの短編の代表作に挙げるのには、僕は納得できない。「雨」「赤毛」以外は人によって意見は異なるだろう。

 でも、それはそれとして、英宝社にはぜひとも品切れの作品も再録して、『環境の生き物』として再刊してほしいものである。
 モーム側か訳者側の著作権の問題か、それとも翻訳上の問題でもあるのだろうか。

 * 写真は、中野好夫他訳『英和対訳モーム短編集(2) 幸福な夫婦・凧』(英宝社)の表紙。

 ** 実は、今日5月6日はわれわれの31回目の結婚記念日なので一応(?)こんな作品を挙げておいた。ただし、「幸福な夫婦」というのがどんな内容だったかははっきり覚えていない。

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モーム「サナトリウム・他」

2009年05月05日 | サマセット・モーム
 
 岩波文庫の『モーム短編選(下)』(行方昭夫訳、岩波書店、2008年)を読んだ。
 
 この巻には、「物知り博士」「詩人」「ランチ」「漁夫サルヴァトーレ」「蟻とキリギリス」「マウントドレイゴ卿」「ジゴロとジゴレット」「ロータス・イーター」「サナトリウム」「大佐の奥方」「五十女」「冬の船旅」の12編が入っている。

 このうち、後の4編は、もとは“Creatures of Circumstance”(『環境の生き物』、1947年)に収められたものである。

 中野好夫編『モーム研究』(英宝社)の付録によると、“Creatures of Circumstance”という短編集には、The Colonel's Lady, Flotsam and Jetsam, Appearence and Reality, The Mother, Sanatorium, A Woman of Fifty, The Romantic Young Lady, A Casual affair, The Point of Honour, Winter Cruise, The Happy Couple, A Man from Glasgou, The Unconquered, Episode, The Kite の15編が収められている。

 しかし、これらの作品の翻訳は、英宝社の《モーム傑作選》か《英和対訳・モーム短編集》というシリーズでしか読むことができない。
 しかも現在でも買うことができるのは、『英和対訳モーム短編集(1)~(3)』に収録された、「母親」「大佐の奥方」「幸福な夫婦」「凧」「五十女」「冬の船旅」の6作のみである。

 かつては、残りの「征服されざる者」「エピソード」「体面」「根なし草」「サナトリウム」「仮象と真実」「思いがけない出来事」「ロマンチックな令嬢」「グラスゴウ生まれ」も、英宝社から『モーム傑作選Ⅲ~Ⅴ』として出ていたらしい(中野編『研究』による)。
 「かつて」といっても昭和27年の発行で、しかも受験参考書と見られていたためか、アマゾンの中古本でも見かけないし、うちの大学の図書館にも置いてない。

 新潮社の『サマセット・モーム全集』から新潮文庫版に収録されなかった作品は、古本屋でようやく手に入れて読んでみると、あまり面白くなかったことが多かったから、英宝社の『傑作選』から落ちていった作品も、案外大したものではないのかもしれない。
 しかし、かつて翻訳があったことが分かっているのにお目にかかれないというのは、どうも気になるものである。
 もし英宝社が今でも版権を持っているのだとしたら、ぜひ『環境の生き物』として、まとめて復刊してほしい。
 
 さて、今回の岩波文庫版『モーム短編選(下)』には、“Creatures of Circumstance”(『環境の生き物』)からも、「サナトリウム」「大佐の奥方」「五十女」「冬の船旅」の4編が収録されている。
 まず、これらを読んだ。

 “Creatures of Circumstance”は、1947年、モーム73歳の時の出版である。さすがに晩年になったせいか、登場人物に対して温かいまなざしが注がれているとまでは言えないにしても、モームのシニカルさは大分穏やかになっている。
 とくに、1900年代初期に発表された「便宜的な結婚」や「メイベル」などを読んだ後では、この印象が強い。
 
 『環境の生き物』の中で「サナトリウム」は今回はじめて読んだが、悪くはない。
 アシェンデンもののひとつらしいが、サナトリウムが舞台といっても湿ってなくて、結核患者特有の昂揚した雰囲気が伝わってきた。

 それでもこの巻で一番好きな作品は、『環境の生き物』に入っていたものではないが、あの「マックス・ケラーダ氏」が登場する、冒頭の「物知り博士」だろう。
 ケラーダ氏のことは受験生時代に読んで以来、100ドル札をめぐる結末は、主人公の奇妙な名前とともに忘れることができない。
 最後の「冬の船旅」も同じような趣向の作品だが、ケラーダ氏ほどにはミス・リードを好きになることはできない。

 巻末に訳者による結構長い「解説」が付いているが、モームの短編にここまでの解説が必要だろうか…。
 「物知り博士」に始まって、「物知り博士」で終わるということなのだろうか。

 * 写真は、行方昭夫訳『モーム短編選(下)』(岩波文庫、2008年)の表紙カバー。
 扉の裏に、「サナトリウム」「大佐の奥方」「五十女」についてのみ著作権の表示がある。これらの作品にだけ著作権が残っているということなのか…。

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モーム「人間の絆」

2009年05月04日 | サマセット・モーム
 
 Norah ; Of course, I knew you never loved me as much as I loved you.
 Philip ; Yes, I'm afraid that's usually the case. There's usually one who loves and one who is loved.

 
 モームもの、今回は“映画で英会話--人間の絆 Of Human Bondage”(朝日出版社、2000年)。
 今でも、アマゾンに中古本が500円くらいで出ているから、《お宝》度はあまり高くはないかもしれない。

 レスリー・ハワードとベティ・デイビスのビデオ(CD-ROM)2枚に、英文と日本語の対訳シナリオが載った本がついたもの。

 この本、実はキム・ノヴァクが出演していた“人間の絆”だとばかり思って注文したのだが、届いてみると何と、1934年製作の古いものだった。
 
 若い頃のモームと思しき医学生が思いを寄せる女ミルドレッドを演じているのが、キム・ノヴァクでなくて、ベティ・デイビス。
 あの“何がジェーンに起ったか?”の、薄気味悪いお婆さんである。
 しかし、このベティ・デイビス演じるミルドレッドがちっとも魅力的に見えない。こんな女に一途に思いを寄せる若きモームがただのお人好しの馬鹿に見えてしまうのである。

 先日BSでヒチコックの“めまい”をやっていたが、あの映画でジェームス・スチュアートをだます女を演じたキム・ノヴァクこそ、「魔性の女」である。
 ベティ・デイビスはただの“ヤな女”にしか見えなかった。
 やっぱり、キム・ノヴァクでなければ。

 ということで、途中で放っぽり出したままになっていたが、今年のゴールデン・ウィークは“サマセット・モーム週間”(?)ということで、義務的に見てしまうことにした。

 そして予想通り、つまらなかった。
 ミルドレッドより、後から出てくる未亡人ノラや、結局フィリップが結婚を申し込むことになるサリーのほうが100倍好ましい女に描かれている。

 途中のどこかで、「何かに捕われている」というニュアンスで“bondage”という台詞が使われていたような気がするが、原作の“bondage”はそんな意味ではないだろうか。
 (後でシナリオを探してみると、ノラがフィリップにむかって、「あなたはミルドレッドに縛られている」という台詞があった。おそらく、ここの“you were bound to her”を“bondage”と聞き間違えたのだろう。)

 ずっと放っておいたのが気になっていたので、とにかく見終わってホッとした。

 * 写真は、“映画で英会話--人間の絆 Of Human Bondage”(朝日出版社、2000年)の表紙。向かって左がベティ・デイビス、右がサリー役のFrances Deeという女優さん(らしい)。勝負は明らかだと思うのだが…。
 冒頭の台詞は、本書の76頁にある。 
 ※ この言葉はモームの恋愛観を示すもので、「赤毛」におけるニールソンのサリーに対する思いも、「人間の絆」と同様に、実現することのなかったモーム自身の相思相愛への憧憬が描かれていると、行方行夫「英文精読術 Red」の解説に書いてあった(25頁以下。どこかに「人間の絆」のこの文章への言及もあったが見つからない)。
 行方によれば、モームが理想とした女性は「お菓子と麦酒」のロージーと、「人間の絆」のサリーだったとある(「モームの謎」岩波現代文庫77、85頁)。ぼくはロージーも忘れがたいが(ハーディーの「テス」を読んで乳搾り娘に恋したというモームの前書きが印象的だった)、上にも書いたように「人間の絆」のノラが今でも印象に残っている。
 ※2024年5月16日 追記

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モーム研究

2009年05月04日 | サマセット・モーム
 
 「僕は批評家達から、二十代には残忍だと言われ、三十代には軽薄だと言われ、四十代には皮肉だと言われ、五十代にはちょっとやると言われ、現在六十代では皮相だと言われた。」

  中野好夫「モームの歩んだ道」(本書所収)に引用されたモーム自身の言葉。


 モーム関連《お宝》、第3弾は、中野好夫編『モーム研究--現代英米作家研究叢書』(英宝社、昭和29年[持っているのは昭和58年の15刷])。
 
 この本も、ひょっとすると今でも入手可能で、《お宝》というほどではないかもしれない。
 でも、一番スタンダードなモーム研究書のうえ、出版社の名前の中に《宝》が入っているので、許してもらおう。
 《英宝社》の対訳本以外では読めないモームの作品もあることだし…。

 箱と奥付には『モーム研究』となっているが、扉は『サマセット・モーム研究』となっている。
 どっちでもいいことだが、図書館の人などは悩むことだろう。

 「幸福な夫婦」、「凧」、「大佐の奥方」、「母親」などは、行方昭夫の岩波文庫の『モーム短編集(2)』が出るまでは、英宝社の対訳本で読むしかなかったのだが、この本によると英宝社というのは千代田区三崎町にあるらしい。
 
 わが大学のすぐ近くではないか。いつか散歩がてら立ち寄ってみよう。

 * 写真は、中野好夫編『サマセット・モーム研究--現代英米作家研究叢書』(英宝社、昭和29年)の箱。

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モーム「メイベル- “Mabel”」

2009年05月04日 | サマセット・モーム
 
 “Mabel”

 (“W. Somarset Maugham ; Collected Short Stories Volume 4”(Penguin Book)に収録)


 婚約者から逃げ続ける男が主人公というので、どんな話かと思って“Mabel”を読んでみたが、まったくつまらない作品だった。

 これでは、だれも翻訳しようという気にはならないのも当然だろう。

 東南アジアの植民地で働くイギリス人ジョージがイギリス在住の女メイベルと結婚することになった。しかし、現地の状況が白人娘を迎えるのにふさわしくなるのを待っているうちに7年も経過してしまった。

 そのため、いざ彼女が現地に到着する頃には彼の熱はすっかり冷めていた。しかしそのことを言い出すことができず、男は、ビルマからシンガポール、ラングーン、サイゴン、バンコク、香港、と逃げ続ける。
 ついには、横浜、さらに再び中国に渡って、上海から揚子江沿いに、重慶、漢口、成都、最後はチベットにまで逃げるのだが、どこに行っても彼女からの手紙が届き、やがて彼女がやってくる。

 そして、とうとうチベットで追いつかれて結婚する羽目になり、それから8年後に、ビルマのパガンという港町のクラブで、停泊中の船を下りて一杯引っかけに来たモーム氏と出会う。・・・

 それだけの話である。映画では、“パピヨン”や“逃亡者”などといった「逃亡もの」というジャンルがあるが、逃亡ものとしても出来は悪い。
 逃亡の理由に説得力がなく、逃げ方にもサスペンスが感じられないのである。
 最後にチベットで結婚せざるを得なくなるというのも、工夫がない。

 まあ、横浜のGrand Hotelが出てくるのが、ご愛嬌か…。
 “Mabel”の中では“Grand Hotel”となっているが、当時外国人が宿泊する横浜のホテルといったら山下埠頭の“Hotel New Grand”だろう。

 * 写真は、適当なものがなかったので、主人公ジョージが横浜に逃げてきた時に泊まったと思われるHotel New grandの外観。
 ちなみに、この写真に写っている3階の角部屋は、敗戦後の占領初期にマッカーサーが宿泊した、いわゆる「マッカーサー・ルーム」(315号室)である。

 ** などと書いたのだが、気になってGoogleで“横浜グランドホテル”と検索してみたら、ちゃんと“横浜グランドホテル”というのがあった。
 明治22年の創業で、フランス人が経営しており、もっぱら外人を相手としていたが、関東大震災で焼失したという。
 “ホテル ニューグランド”は別会社らしい。というより、ホテル・ニューグランドが設立されたために、グランド・ホテルは再建を断念したとある。
 でも、せっかくだからニューグランドの写真は残しておこう。

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モームの例文中心 英文法詳解

2009年05月04日 | サマセット・モーム
 
 “You'd look rather silly divorcing your wife because she'd committed adultery ten years ago.” 

  W. Somerset Maugham, “The Colonel's Lady”

 
 モーム関連“お宝”の第2弾は、納谷友一・榎本常弥著『モームの例文中心 英文法詳解』(日栄社、昭和45年[ただし僕が持っているものは昭和52年の第18版])。

 日栄社というのは、受験生にとっては、「枕草子」「源氏物語」「徒然草」などの注釈書を発行している出版社として知られているのではないかと思う。
 この英文法の参考書も、それらの古典の注釈書とほぼ同じ色合いの、オレンジ色と赤の装丁である。

 昭和52年の版を持っているということは、受験生の時に買ったものではない。サラリーマンになってから、まだモームに興味があった頃に、目にとまって買ったのだろう。

 実際の大学受験の時は、培風館の青木常雄著『英文法精義』というのを使った記憶がある。

 その本の前書きには、「昭和25年夏、軽井沢の培風館・山本山荘で執筆した」と書いてあったと思う。
 この培風館の山荘は、昭和30年代に毎夏居候していた叔父の軽井沢、千ヶ滝の別荘の裏山の山頂にあった。中腹に獅子岩のある小高い山である。この《豆豆先生の研究室》の第1回目にその写真が添付してある。

 あの山の上で執筆した本だ!という想いが読み進める原動力になって全ページを読み通した。文法書を全ページ読むことに意味があるとは今では思えないが。

 もう1冊、山崎貞の『新新英文解釈』(研究社)というのも使った記憶がある。

 “It's no use of crying over spilt milk.”だの、“It is a long way that has no corner.”といった紋切り型の例文が結構載っていた(ように思う)。
 最近になって復刻版が出たという広告をみた。いかにもわれわれ団塊の世代が狙われているようで癪だけれど、やっぱり懐かしいので、いずれ買うつもりである。

 さて、『モームの例文中心 英文法詳解』は、前書きによると、大学受験用の文法参考書の執筆を依頼された著者が、どれも大同小異の受験参考書にあって、形式にせよ例文にせよ独自のものを開発すべきだということで、納谷氏が10年にわたって集めてきたモームの用例カードから例文を採用することにしたものだとある。
 
 実際には、適当なものがない場合にはモーム以外の作家の文章も少なからず採用されているが、モームの文章が多いことは確かである。

 例えば、この本で一番最初に出てくる例文は、「自動詞と他動詞の区別」の項目登場する。
 “He spoke in a very low, quiet voice.”(“Rain”からの引用)で、spokeは「自動詞」として使われており、“He spoke beautiful English, accenting each word with precision.”(“Letter”からの引用)で、spokeは他動詞として使われていると説明がある。
 確かに、前のは「低い静かな声で話した」だし、後のは「きれいな英語を話した」である。いつもはこんなことを意識したことはないが…。

 中には、“You'd look rather silly divorcing your wife because she'd committed adultery ten years ago.”などという、いかにもモームらしいけれど、大学受験の高校生にふさわしとも思えない例文もある。
 分詞構文の用法のうち《条件》というところの出てきて、出典は“Lady”とある。“Lady”は凡例によると“The Colonel's Lady”(「大佐の奥方」)の省略である。

 前にも書いたように、僕は18歳の予備校生のときに、駿台の奥井潔先生の講義でモームに出会った。
 いずれここに引用したような箴言をちりばめた文章だったのだろうが、それなりに読んでいたのだと思う。

 表紙裏に、納谷友一氏の訃報を伝える新聞記事が貼ってある。
 1979年10月17日付の記事で(新聞名は不明)、東京電機大学教授の同氏が、前日70歳で亡くなったとある。告別式が行われる三鷹の禅林寺は太宰治のお寺だろう。

 * 写真は、納谷友一・榎本常弥著『モームの例文中心 英文法詳解』(日栄社、昭和45年)の表紙。

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モーム慣用句辞典

2009年05月03日 | サマセット・モーム
 
 《サマセット・モーム》などというカテゴリー(項目)を立てておきながら、モームについての書き込みがあまりにも少ないので、連休の間に少し補強をしておこう。

 まずは、僕が持っているモーム関係の“お宝”グッズをいくつか自慢してみる。

 その1は、荒牧鉄雄編『モーム慣用句辞典--付:固有名詞辞典・作品解説』(大学書林、昭和41年)。
 
 箱の表題は上のようになっているが、扉には『モーム慣用句辞典--付:固有名詞註解/作品に見られる「日本のこと」など/聖書からの引用事項/短編全集ストーリーの梗概と解説/主要書目年表/A Maugham Handbook』という、きわめて長いサブタイトルがついている。

 荒牧鉄雄という名前は受験時代の記憶にわずかに残っているが、荒牧編といいつつ、「はしがき」を読むと、実際には藤本熊雄さん(下関市早鞆高校女子部長)という人が書いたらしい。
 大変なモーム愛好家だったのだろう。

 ちなみに、早鞆(はやとも)高校というのも懐かしい名前である。確か、僕が子供の頃に甲子園に出場したはずである。僕は学校の地理の時間よりも、高校野球の中継からはるかに多くの日本の地名を覚えたように思う。
 早鞆もそうだし、宇部、日田、倉吉、三田、中村、池田、多度津、志度、金足、五所川原、黒沢尻、などなど、甲子園がなかったら、僕にはまったく縁のない地名である。

 閑話休題。

 モームのファンだった時代に買ったのだが、パラパラとめくっただけで、実際に使ったことはほとんどない。
 《お宝グッズ》といいながら、文字通り「宝の持ち腐れ」である。
 僕のような英語力の貧困な者にとっては、モーム特有の言い回し以前に、登場人物の外形の描写などに使われる(しかし法律の論文などには決して出てこない)形容詞などが分からないのである。

 例えば、昨日読んだ“A Marriage of Convenience”でも、最初に登場するアメリカ人のサーカス興行師の描写のかなりの部分を僕は読み飛ばした。
 背が低く、太った赤ら顔の男で、カリフォルニアの二流都市の三流ホテルから出てくるような男というだけで、造形は十分である。
 どうでもいいような単語を引くことで、読み進める気持ちが萎えたのでは本末転倒である。

 そんなわけで、《モーム慣用句辞典》のご厄介になることはなかったのだが、申し訳ないので、今回“A Marriage of Convenience”に出てきた“Port Side”をこの《モーム慣用句辞典》でひいてみると、ちゃんと固有名詞の註解のところに、「Suez運河の地中海側の港。-Marriage of Convenience」と出典まで明記して出ていた。

 この小説にはBangkokも出てくるが、Bangkok はモーム作品に頻出する地名だろうからあえて収録されていないだろうと思ったが、意外にもBangkok も出てくる。
 Bangkokは「タイ国の首都で、メナム河に臨む主要港。」とあり、出典として、「Mabel;Marriage of Convenience」が挙がっている。Bangkokが2作品にしか出てこなかったのかと、これまた意外な発見をした。

 “Mabel”というのも、この辞典の《作品の梗概》を読むと、婚約者が嫌になって男が逃げ回るという話らしい。モームの定番もののひとつである。

 『モーム慣用句辞典』にはこの“Mabel”の出典は書いてなかった。《aga-search.com》という推理小説などに詳しいサイトのモームの項目にも“Mabel”はなかった。翻訳はないのだろう。
 “A Marriage of Convenience”を収めた“W. Somerset Maugham Collected Short stories Volume 4”の中に収録されているので、読んでみよう。

 “Marriage of Convenience”のようなかなりマイナーな作品に出てくる地名まで拾ってあるのだから、他の作品の地名もこの辞典には収録してあるだろう。

 * 写真は、《モーム慣用句辞典》の函(Amazonなら「初版、帯付き、経年劣化あるものの綺麗です」とでもいうあたりか…)。 

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モーム「便宜的な結婚」 2

2009年05月03日 | サマセット・モーム

 “The fact is that in a marriage of convenience you expect less and so you are less likely to be disappointed. As you do not make senseless claims on one another there is no reason for exasperation. You do not look for perfection and so you are tolerant to one another's faults. Passion is all very well, but it is not a proper foundation for marriage.”

  W. Somerset Maugham, “A Marriage of Convenience” (Penguin Twentieth-century Classics)


 舞台は、バンコクからどこかへ向かう東洋航路の小さな船の中である。ダイニング・ルームの床をゴキブリが歩き回るような汚い船の中で、モームは退屈している。

 乗り合わせたのは、フランス人の商売人、ベルギー人の入植者、イタリア人のテノール歌手、それにアメリカ人の夫婦、フランス人の夫婦が各1組。

 アメリカ人夫婦の夫はサーカス興行師で、20年以上の間ポートサイドから横浜までの港を動物やメリーゴーランドと一緒に渡り歩いている。

 背が小さくて肥った、「カリフォルニアの二流の町の三流のホテルで見かけるような」このアメリカ人は、モームに話しかけてきては、体良く自分に酒をおごらせたばかりか、妻君にもレモネードをおごらせたりする。
 デッキ・チェアに寝そべったその妻君は、腕にサルを抱いて海を眺めている。女房のほうも夫に似て、小太りで赤ら顔をしている。

 彼らは似た者同士だから結婚したのか、それとも長年の間にかくも似てきたのだろうか、などとモーム氏が独り言ちたりするので、さてはこの夫婦が主人公かと思っていると、実は、モームとアメリカ人夫婦を横目に、デッキを行ったりきたり散歩するフランス人の元海軍将校とその妻が主人公であった。

 このフランス人も、背が低く、醜い小さな痩せた顔をしている。もじゃもじゃの髪と髭をした彼のことを、モームはプードルのようだと思う。
 このフランス人がやがて語り始める、その妻との結婚が「便宜的な結婚」というわけである。 ・・・・
 
 49歳で退役したフランス人の元海軍将校は、政府筋につてのある従兄に再就職の斡旋を依頼したところ、植民地省の高官に呼び出される。
 高官が言うには、南方の植民地に総督のポストが空いている。但し1つだけ条件があり、総督は妻帯者でなければならない。前任者の総督が現地の娘と関係をもったことが発覚し、現地のフランス人の間で顰蹙をかったため、次の総督は必ず妻帯者でなければならない。

 しかも出発は数週間後に迫っている。悪くない話だが、独身だった元海軍将校は困惑する。ところが、高官は「フィガロに広告を打てば花嫁候補などすぐに集まる」とこともなげに言う。
 仕方なく言うとおりに広告を打つと、何と4372通もの応募があった。出発までの数週間でこの中から最適の女性を選ぶことなどとてもできそうもない。

 再び困惑して公園のベンチに座っていると、偶然旧友が通りかかった。事情を聞いた彼は、自分の従姉妹にちょうどよい年頃のがいて、ジュネーブに住んでいる。私からの事伝えだといってチョコレートを届けてほしい。
 もし彼女を気に入ったらプロポーズし、気に入らなかったら黙って帰ってくればいいと言う。

 さて、訪ねていった元海軍将校氏は彼女に一目ぼれする。
 モームの目には、ただの無骨な大女にしか見えないのだが、元将校には、はじめて会った彼女は、「Juno(ローマ神話の結婚の守護神だそうだ)の威厳と、ヴィーナスの優雅さをもち、ミネルヴァの知性を感じさせる、まだ若くて高貴な女性」のように思えた。
 彼は事情をすべて打ち明け、その場で結婚を申し込む。彼女は一瞬躊躇するが、結局は承諾し、晴れて彼は植民地総督の地位を得て、赴任するのだった。

 これが「便宜的な結婚」の一部始終というわけだが、最後に、モームはフランス人の妻君をして、冒頭のような台詞を吐かせるのである。
 
 「こんな便宜的な結婚だったから、あなたは大した期待もしなかったかわりに、大して失望することもなかったというのが本当のところでしょう。つまらないことで相手と言い争うこともしなかったから、怒ったりすることもなかったし、相手に完璧なんて望まなかったから、相手の欠点も許すことができたの。たしかに情熱的であるのは素晴らしいことだけど、結婚のきっかけとしてふさわしいものかしら。」

       ・・・・・・・・    ・・・・・・・・

 おそらく、アメリカ人のサーカス興行師夫婦も情熱による結婚ではあるまい。小さくて薄汚い東洋航路の船に乗り合わせた二組の夫婦は、東南アジアの凪の海の気だるさの中に溶け込んでいくようであった。

 引用した最後の台詞なども、いかにもモームご本人が喋っているようである。フランス人元将校の妻は、このような台詞をはく人物としては造形されていないように思う。
 ストーリーの展開も、もう一ひねり、一波乱あるかと思ったが、割とあっさりと終わってしまった。
 
 モームの1903年の作品というから、習作に近いものだろう。しかし、その後も変わらないモームらしさを伺うことはできる。

 * 写真は、荒牧鉄雄編『モーム慣用句辞典』(大学書林、1966年)の表紙カバー。次のコラムをご参照ください。

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モーム「便宜的な結婚」 1

2009年05月02日 | サマセット・モーム
 
 久しぶりに、サマセット・モームを読んだ。

 連休はどこに出かける予定もないので、本でも読もうと近所の書店に行った。しばらく授業もないので、勉強には直接関係のないものがいい。
 
 文庫本のコーナーを眺めていると、岩波文庫の『モーム短編集』の1、2巻が目にとまった。この第2巻のほうには、“Creatures of Circumstance” (「環境の生き物」)に収録された作品が結構入っている。
 “Creatures of Circumstance”は丸ごと翻訳されたものがないので(たぶん)、「大佐の奥方」、「幸福な夫婦」、「五十女」、「凧」などは英宝社の対訳本で読むしかなかった。

 そんなわけで、『モーム短編集』の第2巻を買おうと思ったが、ただ、すでに持っているものとどのくらい重複しているかが気になって、ひとまず家に帰ることにした。

 家に戻って、新潮文庫やちくま文庫のモームをパラパラめくっているうちに、『コスモポリタン・Ⅰ』(新潮文庫、龍口直太郎訳)から、「漁夫の子サルヴァトーレ」、「家探し」、「困ったときの友」、「蟻とキリギリス」を思わず読んでしまった。
 「家探し」は、婚約者に嫌気がさした男が女から逃げる方法を伝授する。逆に、「サルヴァトーレ」は、善良な男が計算高い女から婚約を破棄される話である。「蟻とキリギリス」は相続の話、俗に言う「笑う相続人」のエピソードが描かれている。久しぶりのモームは、やはり面白かった。
 時間つぶしの読書のつもりが、結局は勉強に関わるものになってしまったが・・・。

 さらにモームの書誌を眺めていて、“A Marriage of Convenience”(「便宜的な結婚」)という題名の短編が読みたくなった。
 新学期から始まった『親族法』の講義は、「婚姻予約」から、ちょうど「婚姻の要件」に入ったところで連休を迎えた。
 「婚姻の要件」は、まず「婚姻の意思の合致」から始まるが、そこでは、他の目的の便法として行われた婚姻は無効であるという最高裁の判例を紹介する。
 「便宜的な結婚」で、モームはいったい何を語っているのだろうか。

 ところが、この「便宜的な結婚」を収録した『サマセット・モーム未公開短編集』(創造出版)という翻訳本は、すでに品切れで手に入らないらしい。
 仕方なく、手元にあるモームのペーパーバックを探すと、Penguin Bookの“Collected Short Stories Volume 4”というのに、この“A Marriage of Convenience”が入っていた。

 以前、久しぶりにモームを読もうと、“Cakes and Ale”に挑戦したことがあるが、僕の英語力では歯が立たなかった。
 Macmillan Modern Stories to Rememberシリーズ(桐原書店)のretold版でもチャレンジしたが、この本は“retold”といいつつ、正確にはabridged版というべきもので、途中の枝葉を落としただけで文章や単語はモームのままで、これまた歯が立たなかった。

 そんなわけで、原書で読むのにはコンプレックスがあったのだが、10ページ程度の小品でもあるし、読みはじめることにした。

 長くなったので、以下は次回に…。

 * 写真は、W.Somerset Maugham,“Collected Short Stories Volume 4”(Penguin Twentieth-century Classics)の表紙。

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新・通勤の風景 10

2009年05月02日 | 東京を歩く
 
 同じく、ホテル・エドモント(「エドモンド」かも…)玄関前の風景を、道路の反対側の、もう少し引いた位置から写した。

 後ろにはエドモントの客室棟や、さらに、その後ろに高層ビル(どこの会社か…)がそびえている。

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新・通勤の風景 9 

2009年05月02日 | 東京を歩く
 
 新・通勤の風景9回は、ホテル・エドモント前のプラタナス(たぶん)の街路樹。

 ホテルの正式名称も“ホテル・エドモント”なのか、“エドモント・ホテル”なのか、あるいは“メトロポリタン”何とかに改められたような気もする。
 いずれにしても、飯田橋界隈では“エドモント”で通用する。

 去年の秋にはプラタナスの枯葉が舞い、クリスマスにはクリスマスツリーが飾られ、正月には門松が飾られていた風景が、今は新緑に輝いている。

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