豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

きょうの軽井沢 (2017年9月24日)

2017年09月24日 | 軽井沢・千ヶ滝

 朝5時50分に家を出て、軽井沢に行ってきた。
 ネクスコの渋滞予想によると、7時台の関越道の下りは高坂付近で5キロの渋滞とあったので、その少し前に高坂を通過できるように時間を見計らって出発した。
 幸い、関越道は順調に流れていて、上里でのトイレ休憩を含めて、7時半には軽井沢に到着。


         

 家の軒下に、スズメバチが巣を作っていると管理事務所から連絡があったため、どういう状況か見分する目的のドライブである。

 アース製薬の“スズメバチ・マグナム・ジェット・プロ”(製品名はあいまい)だったかを買い込んで、出かけた。
 説明書には、「巣の直径が25センチ以上の時は業者に依頼するように」との注意書きがあったが、到着してみると、せいぜい20センチくらいだった。

 ネットで調べたスズメバチ退治の対策通り、肌が一切出ないように、フードつきの上下つなぎに、手袋、メガネで武装したが、意外とあっけなく片がついてしまった。
 放置しておいても、寒くなれば絶滅する巣だったのかもしれない。

         


         

 
 その後は、中軽井沢の農協直売所、発地(ほっち)市庭(市場)、追分のすみ屋を回って、もっぱら野菜と果物を買い込み、13時半には軽井沢を出発。
 こんな時間でも、日曜日だけあって、上りの上信道、関越道は渋滞こそなかったが、そこそこ混んでいた。
 上里で女房と運転を後退しようと思ったが、駐車場が満杯だったので、休憩しないで帰ることにした。
 3時半には帰宅。


 きょうの写真は、すべて軽井沢発地市庭から眺めた浅間山。
 雲はいまだ夏雲だが、遠くに眺める浅間山はもう秋の気配が漂っていた。空気の透明感が夏とも冬とも違うのである。

 
 2017・9・24 記


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モーム 『英国諜報員 アシェンデン』

2017年09月15日 | サマセット・モーム

 ジュンク堂のポイントがたまっていたので、サマセット・モーム『英国諜報員 アシェンデン』(金原瑞人訳、新潮文庫)と交換した。

 『アシェンデン』は龍口直太郎訳の『秘密諜報部員』(創元推理文庫、1959年初版、1970年27版)と、河野一郎訳『アシェンデンⅠ』(新潮文庫、1963年初版、1971年11刷)を持っているが、岩波文庫や新潮文庫で新訳と銘打ったものが出ていて気になっていた。

 訳を読み比べるほどの小説でもないが、久しぶりにモームもいいかな、と思った。
 今回のものには、「前書き」が付いていた。他の2冊にはない。
 この「前書き」の最後の一文の意味が私には分からなかった。

 もう1つの不思議は、この小説のタイトルである。

 龍口訳は、表紙は『秘密諜報部員 ashenden』となっているが、背表紙や奥付は『秘密諜報部員』だけである。扉ページの裏の原題には“Ashenden”(原著の刊行年は1928年)とある。創元推理文庫の読者層を考えてのタイトルだろう。
 河野訳のタイトルは『アシェンデン』のみで、秘密諜報部員云々は出てこない。原題も“Ashenden”である。ただし、新潮文庫(旧版)の第2巻の表紙には、ゴシック体で「秘密諜報員」とか何とかというサブタイトルがついていたように記憶する。持ってないので確認できないが。


 これに対して、金原訳は『英国諜報員 アシェンデン』であり、原題は“Ashenden or The British Agent”(刊行年は記載なし)となっている。

 中野好夫編『モーム研究』(英宝社)によれば、アシェンデンの原著は“Ashenden”で、1928年刊となっている。
 ただし、この本の仏語訳は“Mr. Ashenden, agent secret”となっており、スペイン語訳は(おそらく)「秘密諜報員」というタイトルのようである。創元文庫のような要望が強かったのだろう。
 今回の金原訳に書いてある原題は“Ashenden, Or The British Agent”である。刊行年は記載なし。

 編集者の依頼に応じて、『人間の絆』の要約版を自ら作ってしまうほどのサービス精神を有するというモームだから、編集者や出版社からの要望に応じて、このようなタイトルのものも出版されたのであろう。


 2017/9/15 記


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今年最後の軽井沢 (2017年 9月 9日~11日)

2017年09月12日 | 軽井沢・千ヶ滝

 片づけかたがた、週末の9月9日~11日、軽井沢に行ってきた。

 土曜、日曜と秋晴れで、片づけには絶好の天気だった。

 女房が2、3年前から、一度行ってみたいと言っていたのだが、「市庭」というネーミングがわざとらしくて、行く気になれなかった「発地市庭」なるところへ行ってみた。

 軽井沢町の塵芥処理場をもう少し直進したところにあった。

         

 行ってみて、先入観を恥じた。
 なんと、ここも浅間山を眺める絶好スポットと言える場所だった。
 
 長閑な畑が広がる中に、人工的な長屋風の「市場」が立っていて、西の方に浅間山が裾野まで眺めることができる。

         

 中軽井沢駅近くにある、佐久農協販売所をモダンにしたような場所である。
 建造物は、星野のハルニレ・テラスを素朴にしたような感じ。個人的には、こちらの方が好感が持てた。

 北側には子どもを遊ばせるスペースもある。
 あまり知られていないのか、佐久農協やツルヤのように混雑していなくて、駐車場も余裕がある。

         

 
 帰りはカーナビが指示するままに、左折して東に向かうと、道すがらに“軽井沢アイスパーク”という看板を見かけたので、ここにも立ち寄った。

         

 軽井沢町の財政状況の良さに感嘆(嘆息)する。
 立派なアイスリンクである。
 インストラクターがついて1時間400円だかで、実際にカーリングを体験できる。
 ストーンの重さにびっくりした。重い。

         

 ちょうど、この日の夜、軽井沢の女子クラブ(中部電力?)が北見に負けてピョンチャンオリンピック出場を逃したというニュースをやっていた。

 
 道をはさんだ向かい側は、軽井沢植物園。

         
 
 
 入り口の脇に、なぜか1964年の東京オリンピックの馬術会場の聖火台があった。
 かつては国道18号わきの軽井沢中学校の校庭の片隅にあったやつだろうか。

         

 軽井沢の道端に何気なく咲いている雑草を集めたような植物園。
 我が家の庭にも自生しているような草花がたくさんあった。女房のマイブームのブッドレアはなかった(ように思う)。

         

 軽井沢町の“町花”はサクラソウだそうだ。
 確かに桜のような花びらの草であった。

 
 またカーナビの指示通り、北進すると、塩沢の高原文庫を通って、バイパスの塩沢交差点に出た。
 交差点の少し手前に、東急ハーベストクラブが建物を建設中だった。

 
 おまけに、9月10日昼すぎのツルヤからの浅間山。

         

 
 2017/9/12 記


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軽井沢 あれこれ(2017年8月)

2017年09月01日 | 軽井沢・千ヶ滝

 この夏の軽井沢、あれこれ。

 8月17日の旧軽井沢。

 浅野屋の店内は行列。
 女房はパンを買うのをあきらめた。

         

 昼食は天ぷらの“万喜”で。
 この店も昭和30年代からあるのではないか・・・。
 健啖だった祖母のお気に入りで、何度も通った。

         

 サービス天丼と稲庭うどん定食。

         

         

 かつて、旧道での食事は、浅野屋や三笠会館に行ったのだが、浅野屋はメニューをシチューだけに絞ってやっているけど、三笠会館は何年か前に閉店。
 閉店後の店舗跡は寂しい。

         

 夕方、散歩で通った浅間台公園。
 初秋というにはまだ少し早いか・・・。

         


 8月21日のツルヤの駐車場。
 帰る日になって、天気が良くなった。毎年、そんなものである。

         



 おまけに、8月27日に所用のついでに立ち寄った、旧東京都立大学跡地にひっそりと残っていた都立大学(旧東京府立高校)の正門(の片側だけ)。

         

 1969年にぼくが入学したころ、府立高校出身の叔父も習ったという英語の先生がまだ在職しておられた。
 笠井先生という。ぼくも1時間目の授業を受けた。
 授業に向かう柿の木坂の途中で、笠井先生を追い越したことがあった。
 1969年の春先のことである。先生はご定年の1、2年前だったと思う。ゆったりとした歩調で歩いておられた。


 * 冒頭の写真は、散歩の途中で見かけたブッドレア。毎年背丈が高くなっている。今夏は3メートルに迫っているのでは。

 2017/9/1 記         


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