豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

アラン・マクファーレン『イギリス個人主義の起源』

2024年04月05日 | 本と雑誌
 
 アラン・マクファーレン/酒田利夫訳『イギリス個人主義の起源--家族・財産・社会変化』(リブロポート、1990年)を読んだ。
 100頁の余白に「'93・9・8」と書き込みがある。20年前にはここで断念したのだろう。

 イギリスの13世紀以降の中世史がテーマで、中世イングランドにおける「小農」(ペザント peasant とルビ)社会は、通説よりも早く13世紀にはすでに消滅していたという主張のようである。イングランドの土地所有の法概念も分からないし、イングランドの地理に関する基本的な知識すらないので、読み進めるのは難渋を極めた。1日に10ページくらいしか進まない日もあり、途中で旅行に行ったりしたので、3週間近くかかったがとにかく読み終えた。字面を追っただけに近い個所も少なくない。
 ※という訳で、以下の記述は正確な要約ではなく、適切な批評でない可能性がある。あくまでも「個人の感想」である。

 ロビン・フォックスの「生殖と世代継承」(法大出版局)は、近代史における「個人主義」の発展という図式および現実の動向に疑問を提示し、「親族」の復権を唱えるものであった(と読んだ)が、今回のマクファーレンは反対に(一昔前の学生だったら「真逆に」というだろう)、イングランドにおける「個人主義」は、他の北欧(西欧)諸国よりもかなり早く、13世紀にはすでに成立していたと主張する。
 主張のメインストリームは、13世紀頃のイングランドは「小農」社会であったという通説を否定し、その当時からすでにイングランドにおける土地所有の主体は「家族」ではなく「個人」であったということに向けられる。

 著者によれば、「小農」社会は「特定の個人に帰属する絶対的な所有が欠如していること」が主要な特徴であり、財産保有の単位は永続的な「団体」であり、個人はこの団体に属して労働を提供するが、個人が家族財産の持分を売却することはできず、息子をもつ父親は(窮乏した場合以外は)土地を売却することができないし、女性は個人的・排他的な財産権をもつことはないという社会である(131頁)。
 マルクスは、中世イングランドにおいては、ノルマン征服(1066年)以降「家族制的生産様式」による「小農」社会が存続し、15世紀後半に至って土地保有上の革命が起って、「私有財産」が成立し、貨幣地代、無産労働者の発生を伴う「資本的生産様式」への移行が始まったとした。
 ウェーバーも、小農者が土地から解放され、土地が小農層から解放されることによって、16世紀に自由な労働市場が成立し、無限の営利追求を特徴とする資本主義が成立したとする。イングランドは17世紀までには貨幣地代に依存する貴族社会となったが、その理由として、イングランドが島国であり、大規模な陸軍が不要だったこと、ノルマン征服後に中央集権国家が成立し、合法的な法と市場が発展したことを挙げる(66~80頁)。

 これに対して、著者は、イングランドにおいては、すでに13世紀には、大多数の庶民は、親族関係、社会生活において自由な個人主義者となっており、居住地域や職業などに関して社会流動性(移動の可能性)をもち、土地を含む自由な市場を志向する合理的で、自己中心的な存在になっていたという(268頁)。
 彼が自説の論拠として提出するのは、土地売買証書や、マナ(荘園)裁判所判決、人頭税徴税簿、教会簿冊など社会史の文献に頻出する古文書や、それらに基づいて統計的、人口学的分析を行った先行研究である。イングランドにおける土地所有や利用制度の変遷にまったく不案内であるだけでなく、イングランドの地名やその地方の特性もよく分からないので、著者が援用する土地の売買や土地利用の記録がその地方の特殊事情によるのか、イングランドに一般的な現象なのかを想像することすらできない。

 13世紀頃から、「家族の土地」という感情をもたずに土地を売却する者がいて、それに伴って所生の土地(故郷)を離れて他郷に移動する者たちが存在したことを示す記録が少なからず残っていることは理解できたが、それが当時のイングランドで普遍的な現象だったのか、特殊な事例だったのかは理解できなかった。さらに「小農」社会の早期の消滅が、その反面において「個人主義」の成立をもたらしたという因果関係も理解できなかった。13世紀から、祖先の土地に縛られない独立覇気のイングランド人が生まれ始めたというくらいのことなら了解できるが、それを「個人主義の起源」とまで言えるのか。

 いずれにしても、あくまでイングランドの13世紀の話であって、日本における「個人主義」の誕生(もし生まれていたとして)に裨益する知見はない(少ない)ように思う。
 個人的なことだが、ぼくの父方の曽祖父(祖父の父。武士階層の出ではなく、維新後の職業も不詳だが、陶工だった可能性が濃厚)が明治初年に居住していた佐賀の本籍地には、150年後の現在でも子孫(祖父の長兄の末娘の子の未亡人)が住んでいるが(末子相続?)、父方のもう1人の曽祖父(祖母の父)は彦根藩の下級武士だったが、祖先が幕藩時代から住んでいて、維新後には曽祖父も住んでいたはずの本籍地の(土地および)住居はすでに人手に渡っているようだった。
 明治民法の家族法では、祖先から子孫へと未来永劫続くべき「家」(団体)が基本とされ、「家」に属する家族が居住する家屋や家族の生計を維持する田畑などは本来は「家」団体に属する財産(「家産」)だが、法形式上は戸主の個人財産とされた。現在では日本の全土地のうち、九州の総面積に匹敵する土地が所有者不明になっているというのだから、明治民法の時代に戸主が独断で(あるいは家族の了解のもとに)譲渡した土地や、150年のうちに誰も居住しなくなってしまった土地も少なくないだろう。
 マクファーレンのような手法で、明治・大正・昭和前期の日本の土地売買の社会史を記述した本はあるのだろうか。

 ブラクトン、メイン、ブラックストン、メイトランド、プラクネットその他、法律の世界でも名前の知れた学者も何人か登場する。中大出版部や東大出版会、創文社などから出ていた彼らの本(邦訳)の何冊かを持っていたが、退職の際にすべて後輩の研究者にあげてしまった。惜しいことをしたとも思うが、ぼくの手元にあったとしても大した役には立たなかっただろう。ぼくが死蔵してしまうよりも、後輩のほうが少しは役に立ててくれるだろうと思って諦めることにする。
 退職前には、定年後にどんな人生が待っていて、どんなことに関心を抱くか、自分自身でも分からなかった。

 2024年4月5日 記
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