豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

小津安二郎 “父ありき” 

2019年06月16日 | 映画
 
 小津映画のテーマは、そのほとんどが「家族」と「東京」だったと思う 。そして、家族を描いた小津映画の代表作といえば「東京物語」(1958年)をあげる人が圧倒的に多いだろうが、私は、「東京物語」をあまり買っていない。甘いと思うのである。妻(東山千栄子)を亡くし、尾道に残された夫(笠智衆)には、小学校教師を務める未婚の末娘(香川京子)がいる。戦争未亡人になった兄嫁(原節子)のように、あるいは後の「秋刀魚の味」(1962年)の杉村春子のように、香川も結婚しないまま老父の生活を支えつづけそうな気配がある。窓からのぞきこんで笠のご機嫌をうかがう近所のおかみさん(高橋豊子)もいる。年老いて妻に先立たれた笠の寂寞は感じられるが、切迫した孤老問題はエンドマークの向こう側に見えてこない。むしろ、小津が「東京物語」を構想する契機となったというアメリカ映画「明日は来たらず」(1937年、原題は“Make Way for Tomorrow”)の方がはるかに切迫しており、しかも老夫婦にとっては悲劇的である。

 では、私のお気に入りは何かといえば、私は「父ありき」(1942年)を第一に挙げたいと思う。「父ありき」の父親(笠智衆)は金沢で中学教師をしていたが、箱根、鎌倉への修学旅行の引率中に、一人の生徒が無断でボートを漕ぎだし芦ノ湖で転覆死してしまう。教師の責任の重さを感じた父は教師を辞め、縁故を頼って信州、上田の寺で世話になったのち、東京に出て、最初は工場の現場監督のような仕事に就く。教師から工場労働者への転身である。漱石の「坊っちゃん」も、松山中学の教師を辞めて街鉄の技士になったが 、かつてはそういう転職もあったのだろう。
 この父親は、母親を亡くした息子の弁当も作るような父親であるが、「これからの時代には学問がなければならない」といって、父親と一緒に生活したいという息子の希望を認めない 。息子は期待通りに勉強して上田の中学校に合格するのだが、父は、息子を寄宿舎に入れて、単身東京に働きに出ていくのである。その後も勉強に励んだ息子(佐野周二)は、やがて旧制高校から帝大を出て、教授の推薦で秋田の鉱山学校の教師になる。父子二人で温泉旅行に出かけた折に、息子は、秋田の学校を辞めて上京してお父さんと一緒に生活したいと申し出るが、父はこれも許さない。

         
       ▲ 夜行列車の網棚に載せられた父の遺骨

 それから何年か経ち、徴兵検査のために上京した息子は、数日間だけ父子水入らずの生活を過ごすが、父はあっけなく心筋梗塞で亡くなってしまう。息子は、父の金沢時代以来の友人教師の娘(水戸光子)と結婚して、父の遺骨を抱いて夜汽車で秋田に帰って行く。

 * 冒頭の写真は、金沢を去って上田に出てきた父子が登った上田城の石垣。ただし、上田城にはあのような石垣はなく、おそらく小諸城の石垣だと思う。60年以上が経っているが、数年前に小諸城を訪ねたところ、木々がかなり繁っていたが、積まれた石の形状から小諸城だと思った。

 2019/6/16 記



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