豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

貴田庄 『小津安二郎と「東京物語」』

2014年03月15日 | 本と雑誌

 貴田庄『小津安二郎と「東京物語」』(ちくま文庫)と、梶村哲二『「東京物語」と小津安二郎』(平凡社新書)を読んだ。

 どちらも、昨年12月12日の小津安二郎生誕110年、没後50年を当て込んだ出版であり、イギリスの権威ある映画雑誌が世界の映画ベスト1に選んだという「東京物語」に焦点を当てている点も共通だが(もう一つ昨年は「東京物語」公開60年に当たる)、内容はまったく違う。

 梶村のものは、「東京物語」のストーリー進行に従いながら、梶村の印象が語られる。
 葬儀後の食事の場面における杉村春子の食欲の凄まじさなど、いくつかなるほどと思う指摘もあったが、イシグロの引照など煩わしい言及も多く、ポルカ調のBGMを「能天気」と評するなど、ぼくは違和感を禁じえなかった。
 梶村という人は小説家らしいが、ぼくは彼の小説をまったく読んだことがない。小津には興味があるが、梶村には興味がないという人には、あまり面白い本ではないのではないか。

                 

 これに対して、貴田庄の“小津もの”はすでに数冊読んだことがあるが、よくマンネリ化させずに、「東京物語」に焦点を合わせて、小津を語っていると思う。
 まさに小津と同じ、「豆腐屋は豆腐」だが、「またか・・・」という印象はなかった。

 構成がよくて、「東京物語」の誕生から公開、そして現在の評価までを時代順に紹介している。どこかで読んだような話も多いが、それらがうまく再構成されていた。その合間に、ぼくとしては初めて聞く話がちりばめられていて、一気に読めた。
 
 「東京物語」の発端が、野田高悟が戦前に見たアメリカ映画「明日は来たらず」に着想を得たというのは、ぼくは初耳だった。
 「明日は来たらず」では、困窮した老父母が別々の子供に引き取られた揚句、母親(妻)はニューヨークの養老院に入れられることになり、何も知らない父親(夫)はカリフォルニアに住む息子にたらい回しされることになる。
 夫婦がレストランで二人だけの最後の夕食をとり、夫を乗せた汽車がカリフォルニアへ向かって去って行くのを妻が見送るシーンで終わるという。

 この梗概を読むと、この映画も見たくなる。映画としての出来は良くないようだが、老親の悲惨さは「明日は来たらず」の方がはるかに深刻で、しかも現代的である。

 現代日本の老親の状況は、「東京物語」のように生やさしいものではないだろう。
 「東京物語」のエンドマーク以後の笠智衆はどうなったか、恐らく再婚はしなかったであろう原節子はその後どうなったか、もし香川京子は結婚しないまま尾道で笠を介護していたら香川の老後はどうなるのか・・・。
 「東京物語」では余韻として見る者にゆだねられているエンドマーク以降を「明日は来たらず」は描いているのではないか。

 脚本の執筆、完成、ロケハン、撮影、音入れ、封切り、そして公開後の評価と、製作過程に従ってエピソードを交えながら、記述が続いてゆく。

 貴田自身の評価は控えて、「東京画」の冒頭のナレーションを全文引用することによって、締めくくられるのだが、「東京物語」が描いたのは「日本の家庭の緩慢な崩壊」だというヴィム・ヴェンダースに、ぼくは共感する。

 2014/3/15 記

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伊良子序『小津安二郎への旅』、山田昌弘『家族難民』

2014年03月02日 | 本と雑誌

 伊良子序(いらこ・はじめ)『小津安二郎への旅--魂の「無」をさがして』(河出書房新社)を読んだ。

 昨年12月12日が、小津の生誕110年にして没後50年だったので、小津の映画の連続上映会が神保町シアターで行われたり、小津関連の書籍も何点か発売されていたらしい。
 近所の本屋の店頭に、他の特別陳列の片隅に“小津コーナー”があって、何冊かの本が並んでいた。

 その中で立ち読みして一番よさそうだったので買ってきた。
 サブタイトルはボクは嫌いだ。小津の墓石の「無」も嫌い。「無」と刻むこと自体、「無」ではないだろう。
 小津の映画から伝わることも「無」というよりは、はるかに「有」である。

 “東京物語”のラスト近くで、笠智衆が高橋豊子に向かって吐く「一人になると、急に日が長うなりますわ」という台詞(本書39頁)は、「有情」そのものではないか。「無」などでは全然ない。
 ぼくは「東京物語」はあまり好きではない。辛すぎるのである。
 ぼくの両親は「東京物語」の笠智衆、東山千栄子のような父母ではなかったが、杉村春子のように振る舞わなければよかった、という思いを禁じえないいのである。

 しかし、「東京物語」の、あの笠智衆の台詞は小津の映画の中で一番好きな台詞と言っていい。

 著者の志賀直哉「暗夜行路」における時任謙作の妻の不義への疑惑と小津との関係への言及、一般には評価の低い「東京暮色」の評価などは共感できた。
 考えてみると、両方とも妻の「不義」の問題である。
 前に書いた山田洋次の「小さいおうち」にもつながってくる。

                              

 「東京物語」以降の日本の、その家族の変貌に対する見通しは、伊良子からは伺えない。
 その渇を癒してくれるのではないかと期待して、山田昌弘『家族難民ーー生涯未婚率25%の衝撃』(朝日新聞出版)を読んだ。

 1、2年前、死んだ親の年金を詐取するために、中年、初老の息子や娘が、親の白骨化した死体を隠していたのが発覚して逮捕されたという事件が時おりニュースになった。

 山田は1990年代の親に寄生する独身貴族のことを「パラサイト・シングル」と命名した家族社会学者である。
 その頃は親世代には収入があり、彼らパラサイト・シングルも優雅な生活を送ることができたが、親の世代は年金生活を経て次第に死が近づいてきており、子の側も非正規雇用などのために結婚ができなかったり離婚したりで、高齢者のシングルが増加しつつある。
 今から25年ほど経った後には、毎年の孤立死が20万人から30万人になることが想定されるというのである。

 市場が失敗し、政府が失敗し、家族も失敗しつつある日本社会の考えられる近未来図である。

 しかし、そのような現実に対して、山田はパートナーをつくりやすい環境をつくる、シングルでも生きやすい環境をつくるという双方向からの対策を提案するが、山田の処方箋が有効とも思えなかった。

 結局は、「東京物語」の笠智衆と同様、「一人になると、日が長うなりますわい」に耐えて死んでいくしかないだろう。
 映画は、エンド・マークからが始まりだというのは小津の言葉だが、「東京物語」の笠智衆は、その後どのように生き、死んでいったのか。
 「秋刀魚の味」の東野英治郎が娘の杉村春子を便利に使ってしまったように、末娘の香川京子を便利に使ってしまったのか、それとも「秋刀魚」の笠智衆のように断固として一人娘の岩下志麻を嫁がせたのだろうか。

 ちなみに、山田は「パラサイト・シングル」だけでなく、「希望格差社会」だとか「婚活時代」とか、家族評論の世界でいくつも新語を生みだしてきたが、「家族難民」は対象を正確にとらえておらず、ネーミングが悪い。普及しないように思う。

 2014/3/2 記

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