豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

軽井沢 思い出の日々

2012年09月24日 | 軽井沢・千ヶ滝

 このブログに書き連ねた記事のうち、軽井沢関係のものだけを集め、『軽井沢 思い出の日々』と題して、ちょうど3年前の2009年9月24日に自費出版した。

 刊行から程なくして、その本を読んだ私の母から読後の感想文が送られてきた。
 以下にそのまま引用する。

 ○浅間山がよく出てきますが、池袋へ行くためバス停でひるま見た爆発とその後の東京へつくまでの光景を覚えていませんか? まるで原爆の直後をみるようだったけど・・・。ミッチィの生まれた年か、次の年ですよね。

 本は面白くよみましたが、連れて行ったのは私ですよ。二時間も歩いて悪かったわね。この次は背負って行って下さい。

 ○草軽電鉄でS氏(父)が訪ねて行っていたのは京都大学の田辺元氏です。北軽井沢に別荘があり、はじめの一回はアポをとらなかったので、年のいった家政婦に玄関払いされたと聞いています。その後は毎年行っていたようです。

 ○綿貫哲雄さんは社会学者で奥さんが柔道で有名な嘉納治五郎の娘です。眞鶴にも別荘があり、星野の家も家紋入りの軽井沢彫りの家具などあり山一つ持っていられ下の沢に水瓜を冷してあるのを御馳走になったことも。

 その母が9月19日の早朝に亡くなった。
 大正13年生まれの88歳だった。年齢に不足はないのだろうが、まだまだ元気そうだったので、敬老の日に軽井沢の報告に行かなかったことが悔やまれる。

 2006年の12月に、母も一緒に家族で万平ホテルに泊まり、軽井沢の冬景色を見物した。
 とても12月半ばとは思えないようなポカポカ陽気だった。
 アルバムを引っ張り出してみると、あのころはまだ元気で、万平ホテルのクリスマスツリーや、中軽井沢駅(取り壊されたあの旧駅舎)のサンタクロースとトナカイのイリュミネーションを背景に、孫たちと腕を組んで写真を撮ったりしている。
 御代田のメルシャン美術館でも、裏の浅間八景まで登って浅間山を眺めたりした。

 
 年々歳々、人が来りて、人が去っていく。
 変わらないのは浅間山だけである。

         

      
 * 最初の写真は、『軽井沢 思い出の日々』の最後のページを飾った浅間山の写真(2009年8月17日の夕暮れ時)。  
 最後の写真は、ことしの9月初旬に写した浅間山の夕景。綿貫先生の別荘のあった星野の裏手の山など、その他の記事にまつわる写真は少し落ち着いてから掲載することにしよう。       

 2012/9/24 記

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浅間山、暮色

2012年09月15日 | 軽井沢・千ヶ滝
 残暑が厳しいといっても、9月の軽井沢は最高気温はせいぜい27、8℃、最低気温は13日朝などは14℃だった。
 明け方、空気が冷えて咳が出て目が覚めたほどである。

 夕暮れ時にバイパス沿い(軽井沢消防署向かい)の「D2 ケーヨー・デーツー」に出かけたら、浅間山が夕靄に霞んでいた。
 こんな浅間山の姿を見た記憶はあまりない。

 上の写真を徐々にズームすると、このようになる。

     

           

 ちなみに、同じ「ケーヨーD2」の駐車場から、向かいの「しまむら」越しに眺めた離山。
 離山は南南西だったかの方角から眺めると仏の寝顔に見えるらしいが、この角度からはなんの変哲もない小山である。  

          

 ついでに、下の写真は9月13日午前中の浅間台から眺めた浅間山。

   

 2012/9/15 記

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軽井沢ゼミ合宿

2012年09月13日 | 軽井沢・千ヶ滝

 9月11日(火)から今日13日(木)まで、軽井沢のセミナーハウスでゼミ合宿をしてきた。

 勉強は初日11日だけで、12日は朝9時からクルマ3台に分乗して、ドライブに出かけた。

 中軽井沢駅前交差点から山道を登って、峰の茶屋から有料道路に。
 途中の休憩所(看板に「浅間六里ヶ原休憩所」と書いてあった)で浅間山を背景に記念撮影。
 地上は晴天なのだが、浅間山の頂上には雲がかかっていた。

          

 さすがに9月も半ば近くなり、しかもウイーク・デーだったので、道はすいていた。休憩も含めて1時間足らずで鬼押し出しに到着。
 久しぶりに入場料を払って中に入った。まずは観音堂まで登る。
 ここでも浅間山の頂上は曇っていた

       
 
 これに対して、東側を眺めると、嬬恋方面の山並みが青空に映えていた。
 浅間山に比べると背は低いけれど、東側から南方向に連なる山並みが美しいことを発見した。

       


 途中で、9月というのにまだ岩陰にわずかだが残雪の残っている所があった。

 ふもと(?)に戻って、昼食は鬼押し出しから16キロ離れた「浅間とり牧場」というところに行って、とり釜飯。鶏は苦手なのだが、ゼミ生たちが選んだので仕方ない。

 
 昼食後は浅間牧場へ。

 最後に浅間牧場に行ったのは、今年30歳になった息子がまだおむつをしていた頃だから、ほぼ30年ぶり。
 なんでそんなことを覚えているかというと、浅間牧場の草原で女房が息子のおむつを換えていると、近所にいたカップルが息子に捕まえたトンボをくれたのだが、息子がそのトンボを怖がったので、鮮明に覚えているのである。

       

 浅間山も変わらないが、浅間牧場の風景も基本的には変わっていない。
 木下恵介“カルメン故郷に帰る”でストリッパー役の高峰秀子が仲間と踊るシーンを撮影した場所に「カルメンの木」という看板が立っていた。
 さらに牧場入口の休憩所には、「カルメン故郷に帰る」と、森繁久彌主演「山鳩」(森繁が草軽電車の駅長役だったため、草軽電車がふんだんに写っているので有名な映画。僕は見たことがない。)の上映当時のポスターが貼ってあった。

       

 その後、白糸の滝を経由して、旧軽井沢銀座をぶらついてから、5時頃セミナーハウスに戻った。

       

 旧軽井沢銀座通りの観光会館。時計が4時10分を指している。

       

 * 最初の写真は、9月7日に、中軽井沢駅近くの佐久軽井沢農協から、しなの鉄道の踏切越しに眺めた浅間山。
 きょう(13日)の朝も農協前を通りかかったのだが、驚いたことに観光バスが駐車場に止まっていた。観光バスまでやって来るようになるとは、軽井沢農協も、ビッグ・ネームになったものである。数年前までは「知る人ぞ知る」だったのだが。

 2012/9/13記

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