昨日、軽井沢から引き揚げてきた。
今年の軽井沢で一番のショックは、西武百貨店千ケ滝店の建物が取り壊されてしまっていたこと。
いつまでも朽ちるに任せて残っているのも無残だったが、取り壊されて更地になってしまったのを見るのも辛いものがある。
あの南西側の芝生のテーブルで、ビールを飲む叔父のご相伴にあずかってクリーム・ソーダをごちそうになったり、祖父にスパゲッティ・ナポリタンを食べさせてもらったしたのは、50年以上前のことである。
その後、その庭で古書展が開かれていて、サマセット・モーム全集を見つけたこともあった。
もう、何度も嘆いたことだが、“ぼくの軽井沢”は、とっくに現実からは消えてしまっているのだが・・・。
南側の、旧スケートセンターのテニスコートも星野かどこかの駐車場になってしまった。まだ、辛うじてかつてはテニスコートだったことがわかるが、ここも、やがて跡形もなくなってしまうのだろう。
東京に戻る前日9月8日(月)に、女房と息子と一緒に旧軽井沢に出かけた。
いわゆる旧軽銀座を歩いて、昼食をとろうと“三笠会館”に行くと、何か閑散としている。階段下の立て看板を見ると、なんと、前日の9月7日(日)をもって営業を終了したとあるではないか・・・。
ここも時折立ち寄った思い出のレストランだが、その掲示によると、軽井沢店は昭和54年の開店で、35年の営業の幕を閉じたという。意外と新しい店だった。
ちゃんとした黒服を着た年配のウエイターがいて、メニューも多かった。メニューをもう少し絞り込んで、アルバイトのお姉さんの給仕でもよかったのでは、と思うが・・・。
浅野屋でランチを食べて、帰宅した。
こうなると、鳥勝、藤田肉店、柏倉製菓、天ぷらの万喜、中山農園、そして浅野屋あたりに頑張ってもらうしかない。
浅野屋では、あの店のマークの入ったトート・バッグを販売していたが、ぼくはアルバイトの御嬢さんたちが着ている背中にあの赤いロゴの入ったポロ・シャツを販売したら買うのだけれど・・・。
“カルメン故郷に帰る”で笠智衆が唸ったとおり、「変わらないのは浅間山だけである」。
冒頭と下の写真は浅間テラスから眺めた浅間山。
帰京前夜は中秋の名月とかで、天高くまん丸に輝く月が夜空を明るく照らしていた。
2014/9/10 記