豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

きょうの軽井沢 (2019年8月23日)

2019年08月25日 | 軽井沢・千ヶ滝
 昨8月24日(土)
 
 帰京。
 26日(月)、27日(火)と東京で仕事が入っているため。
 土曜日なので、道がすいている午前中に家を出て、佐久農協(しなの鉄道の踏切脇。発地に客を取られて寂れてしまった)、発地市場経由で上信自動車道へ。

 お盆のころ、朝9時ちょっとすぎに発地市場に到着したら、開店前からすでに行列ができていて、とうもろこしは開店と同時にほぼ完売だったので、今回は佐久農協でとうもろこしだけ買ってから発地へ向かった。
 昨日の発地は9時半過ぎに到着したが、以前ほど混んでおらず、とうもろこしも「山のように」というほどではないが、十分に残っていた。
 数年前までは、佐久農協に出ていた「遠山米子」さんのトウモロコシが美味しかったが、最近は見かけない。

 一昨日8月23日

 この日は朝から久しぶりに陽ざしがあったので、曇る前にと思って、浅間テラスのレタス畑に浅間山を眺めに行った。
 数年前までは家から坂道を歩いて登ったのだが、さすがに最近はきついので、近くまでクルマで行ってから、少し歩こくことにしている。

                 

 レタス畑に到着すると、道端のベンチに数名の先客がある。めずらしいことである。浅間山は残念ながら中腹から上は雲に隠れていたのに、である。
 さらに、レタス畑の東側、遠方に数十人の人垣がある。

         

 何だろうと思ったが、見学旅行か何かだろうと思った。
 実はこのレタス畑については、2週間ほど前の信濃毎日新聞に、朝鮮戦争の頃、浅間山麓で巻き起こった米軍基地化反対運動の記事とともに写真が載っていたので、その関係かな、とも思った。

 ところが、お昼のNHKラジオのニュースを聞いて驚いた。
 上皇ご夫妻が、今日午前、大日向村の開拓団開墾地を散策されたと報じていた。
 そうとわかっていれば、もっとゆっくり待っていればよかったな、と思った。確かに写真をアップで見ると、肩に報道用カメラを担いだ人もいる。

 ぼくは、上皇ご夫妻の平和に対する思いと行動を深く尊敬している。

 しかも、この日の夕方、浅間台公園まで散歩に出かけたら、1000メートル林道の入り口のT字路に、警察官が2人立っていて、間もなく上皇ご夫妻が通過するので(誰が通ると彼らは言わなかったが分かった)、歩行は遠慮してほしいと言われた。
 怪しまれても嫌なので、別ルートを散歩して帰宅した。

 上皇ご夫妻と縁のある1日だった。

 下の写真は、ルート変更した散歩の道端に咲いているブッドレア。
 女房がむかし旅行したイギリスのどこかで見かけたブッドレアの咲き方とそっくりで懐かしい、と通るたびに言う。
 一昨年だったか、追分の花屋(果樹園?)で4、5苗買って帰ったが、1苗しか花が咲かなかった。

         

 次いでながら、別の日に撮った浅間山の写真を2枚。
 1枚は発地市場から。個人的には浅間百景のベスト5に入ると思っている。

         

 もう1枚は軽井沢図書館の2階の窓から。

         

 帰京した東京はけっこう涼しい。


 2019/8/25 記



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北條文緒「ニューゲイト・ノヴェル」ほか

2019年08月22日 | 本と雑誌

 8月21日(水)

 北條文緒「ニューゲイト・ノヴェル――ある犯罪小説群」(研究社、1981年)

 1830年から40年代にかけて、産業革命後のイギリスの庶民階級で読まれた犯罪小説の一群があったらしい。

 ウィリアム・ゴドウィン「ケイリブ・ウィリアムズ」、エドワード・ブルワー=リトン「ポール・クリフォード」「ユージン・アラム」など、ぼくの知らない作家、作品ばかりだが、ディケンズの「オリバー・ツイスト」「マーティン・チャズルウッド」なども登場し、アンチとしてサッカレーの「虚栄の市」も出てくる。

 ディケンズは「クリスマス・キャロル」を除いて、学生向きのRewrite版というのかabridged版で済ませてしまったのだが(「オリバー・ツイスト」だの「荒涼館」だのといった文庫本3冊、4冊もある長いものを読む気にはなれなかった)、殺人などの犯罪は出てくるが、「犯罪小説」という印象はなかった。確かに犯罪の場面は出てきたが。
 サッカレー「虚栄の市」も同じく1冊のabridged版で済ませたので、アンチ・ニューゲイトだったかどうかは分からなかった。というより、ディケンズなどと同じように、当時の社会を背景にした通俗小説の印象だった。

 1830年代の刑法改正(死刑の削減)、監獄改良、公開処刑の廃止などと同時代に流行し、やがて廃れていったジャンルのようである。
 初期の犯罪者は都市下層階級で、動機は貧しさであるが、のちには犯罪者はミドル・クラスに移り、動機はさらなる富への欲望であったという。
 
 裏表紙に、益子政史「スコットランド・ヤード――ロンドン 悪の系譜」という本の新聞広告の切り抜きが挟んであった。出版社名は不明。
 高校生か大学生のころ、牧逸馬の犯罪ものを読んでいたところ、内容を見た祖母から、「あんた、こんな本に興味があるの?」と尋ねられたことがあった。
 ニューゲイト・ノベルの読者同様、犯罪予備軍に見られたのだろう。


         
 
 ニューゲイト・ノヴェルについて読んだついでに、この夜は「明日に向かって撃て!」(1969年、ジョージ・ロイ・ヒル監督)を見た。
 前回来た時にボリビアに逃げるあたりまで見たので、その残り。ニューヨーク時代は早送り。
 メイキング・ビデオで知ったのだが、当初ポール・ニューマンの相手役はスティーブ・マックィーンだったそうだ。彼に断られ、ジョン・ボイドにも断られ(なぜだろう? ロケなどで拘束日数が長かったのか)、ようやくロバート・レッドフォードに回って来たらしい。
 レッドフォードはデビュー作にしては堂々としている。

 犯罪者を英雄視しているというか、愛着を感じさせる演出で、ニューゲイト・ノヴェルと同じような社会的批判があってもよさそうだ。
 原題からして“Butch Cassidy and the Sundance Kid”と実在の犯罪者の名前である(こんな題名では日本ではヒットしなかっただろう)。ボリビア人には愉快ではないと思うが。
 20世紀のアメリカや世界ではそんなことは起きなかった。


 2019/8/21 記 



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スイヤルド “souillarde” 余滴

2019年08月22日 | 軽井沢・千ヶ滝
 “スイヤルド”とは、石作りのシンク・・・といった説明が、スイヤルドの現物とともに入り口に掲示してあったが、正確には忘れてしまった。

 家に戻ってから、大学時代の仏和辞典で調べると、「クラウン仏和辞典」(三省堂)にはこの語は載っていなかったが、白水社の「新仏和中辞典」(昭和49年2月20日、49年版。ちなみに1500円)には載っていた。
 何と、この辞典は毎年、新学期を控えた春先に定期的に重版していたのだ! 昭和12年初版となっているが、この辞典はいつなくなってしまったのだろう?
 大修館書店の「スタンダード仏和辞典」というのもあったけれど、こっちは残っているのだろうか。

 さて、“スイヤルド”だが、souillarde [発音記号省略] n.f. (石鹸製造用)ソーダ槽;皿洗い場、流し場、皿洗い桶.という訳語が載っていた。

         

 なお、この単語の一つ前の単語は、“souillard”[発音記号省略(最後のdが発音されない。日本語で表記すれば「スイヤール」)]n.m. 排水孔;排水孔のある石 とある。
 「排水孔のある石」とはどんな石だろう?軽石のようなものか・・・。
 語尾に e が付いているかいないか、女性名詞か男性名詞かだけで、こんなに意味が違ってしまう単語というのは、フランス語にはあったのだったか。
 どういう経緯でこんな2つの単語が生まれたのか。

 石鹸製造用ソーダ槽、皿洗い桶というのも時代がかっているが、学生時代に読まされたドーデやメリメの短編の中なら出てきてもおかしくないかもしれない。
 とにかく授業の前の日に必死で辞典を引くのだが、プロバンスものにはやたらと農業関係というか農場にかかわる単語が出てきて、「俺はこんな小説を読むためにフランス語を選んだのではない!」と腹が立った記憶がある。
 
 例えば、「風車小屋だより」のなかの「星」だが、辻昶訳には、「私がいつも寝るところや、羊の皮をしいたわらのベッドや、壁にかけてあるわたしの大きな袖なしマントや、杖や、石鉄砲などを見たがった」なんていう文章がある。
 おそらくこの部分を訳すために、大学1年だったぼくは「皮」だの「わら」だの「袖」だの「杖」だの「石鉄砲」(こんな単語は辞書にあっただろうか)などといった単語をすべて辞書で調べたはずだ。
 何という徒労・・・。

 「束縛されて 手も足も出ない 虚ろな青春 
  細かい辞書引きゆえに ぼくは青春を台無しにしてしまった」

  せめて、「メグレ警部」でも読んでくれる先生がいなかったものか。


 2019・8・22 記


 余滴の余滴(2019/8/26記)
 東京に戻って、「小学館ロベール仏和大辞典」(小学館、1988年)でも、“souillarde”を引いてみた。
 ①(食器の洗い場や食料戸棚がある)台所横の小部屋;食器洗いの桶(おけ)、②(石けん製造用の)ソーダ槽、とあった。
 この①が追分“スイヤルド”にはぴったりだろう。食器の輝きが店の名にふさわしい。
 それにしても、“souillard”(①排水孔をつけた石、②(イノシシなどの)泥浴場)、③ぬかるみ)や、“souillaer”(汚染する、汚す)といった単語とは語源的にいったいどういう関係なのか・・・。


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きょうの軽井沢 (8月20日)、昨晩は映画 “リンカーン”

2019年08月20日 | 軽井沢・千ヶ滝

 8月20日(火)

 祖父の命日。

 1898年生まれの祖父は、1984年に86歳でなくなった。
 東京はこの日も暑かったが、前日、入院中の病院に見舞った帰りの電車の窓から、西の空は夕日を浴びた入道雲がオレンジ色に輝いていた。
 今年で35年になる。

 軽井沢には祖父の思い出がいくつもある。
 勉強机と椅子は当時のまま。祖父が本を読んでいる隣で、祖母が昼寝をしていたベッドもそのまま。
 晩年の数年間は、夏休みのたびに入院しており、軽井沢に来ることはできなかったから、机と椅子はほぼ40年近く、そのままである。


         


 昨夜、8月19日の夜は、スピルバーグ監督の“リンカーン”を見た。
 140分を超える長編だが、これも一気に見た。面白かった。

 奴隷制廃止の合衆国憲法改正(第13修正)があのような下院多数派工作と南北戦争終結の意図的引延ばしによって成立したとは知らなかった。
 リンカーンと妻との不和、ハーバードで法律を勉強する(させられる)息子との軋轢なども知らなかった。
 あの子たちは、その後どうなったのだろうか。

 岩倉使節団の一員が、「ワシントンの子孫は今はどうしているか?」と質問して失笑を買ったというエピソードがあったような気がするが・・・。


 2019年8月20日 午前 記



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“炎の人 ゴッホ”

2019年08月20日 | 映画
 軽井沢図書館で借りてきた「炎の人 ゴッホ」を見た。
 ビンセント・ミネリ監督、1956年(!)原題“Lust of Life”。

 これも、貸出し中が多い中で、残っていたDVDのなかから消去法で選んだもの。
 大した期待もなく、時間つぶしのつもりだったのだが、これが意外と良かった。122分の作品だが、一気に見てしまった。
 ゴッホはぼくが好きな画家のひとり(筆頭かも)である。

 ゴッホの生涯を、弟テオとの交流を中心に、時系列に沿ってたどったストーリー。

 ゴッホが教会牧師を父として生まれ、伝道師の試験に落とされて、炭鉱町の牧師として炭鉱夫たちに交じって貧困の生活を送るところから人生を始めたことなどは知らなかった。
 ゴーガンとの喧嘩の中で、ゴッホはミレーを高く評価していたが、言われてみれば、初期の馬鈴薯を食う農家の人たちの絵などは、ミレーである。

 画家となってからは、実際その時にゴッホが描いた絵の実物のカットが挿入される。
 郵便配達人、精神科医、入り浸った酒場のビリヤード台、自室の寝台、麦畑、跳ね橋、夜のカフェテラス、耳を切った自画像など・・・。郵便配達人などは俳優も似た人物が選ばれている。
 エンド・ロールで、延々と絵画を提供した美術館その他への謝辞が続いていた。
 
 テオの支援を受け、画家として、パリ、アルル、サン・レミなどを転々としながら絵を描きつづけるのだが、画商や評論家からは評価されず、幻覚症状にも悩まされ、友人ゴーガンを殺そうとして果たせず、結局は自分の耳を切り落とす。夜の12時頃に見ていたのだが、このシーンは怖かった。
 そして最後は拳銃自殺を図り、テオに看取られて死んでゆく。
 
 ゴッホの生涯は、なんとなく知っていたので、映画の展開も無理なくついて行けた。どこでゴッホの生涯などを知っていたのだろうと思って、はたと気づいた。
 中学生のころ、ぼくは毎月1冊ずつ配本される美術全集を買ってもらっていたのだった。しかもその本は軽井沢にもってきていた。

         

 座右宝刊行会(この名前が奇妙だったので印象に残っている)の「世界の美術」で、ゴッホは第19巻(ただし配本は第2回配本、人気があったのだろう)。1963年1月発行、発売は河出書房。ちなみに第1回配本は予想通りルノワールだった。
 この本の巻末にゴッホの年譜がついていて、昨夜みた映画より詳しい生涯を知ることができた。
 耳切り事件の後、ゴッホはアルル市民の告発によって精神病院に収容されたこと、ゴッホは自殺の時にまだ37歳だったこと、彼の自殺から何と半年後にテオも亡くなっていたことなど・・・。

 ゴッホの才能を当時ただ一人見抜いていたテオも天才である。
 何で当時ゴッホの絵が評価されなかったのか、ぼくには分からない。当時の評論家のゴッホ評を読んでみたいものである。
 ぼくは、ゴーガンやセザンヌよりゴッホのほうが100倍好きである。


 映画に戻ると、ゴッホ役を演じるのが、カーク・ダグラスである。
 ぼくが初めてカーク・ダグラスの名を知ったのは、ロック・ハドソンだったかバート・ランカスターだったかと共演した西部劇のスチール写真を「映画の友」か「スクリーン」で見たときだった。なぜか、はっきり覚えている。

 カーク・ダグラスにはゴッホは無理ではなかったか。たしかに短く刈り上げた髪と頬髯は、あのゴッホの自画像に似てはいる。しかし、酒場のシーンや、ゴーガンとの喧嘩のシーンなどは西部劇調に見えてしまった。
 ゴーガン役のアンソニー・クインがこの作品でアカデミー助演男優賞を受賞し、カーク・ダグラスはゴールデングローブ男優賞にとどまっている。アンソニー・クインがそれほど良かったとも思えなかったが・・・。

 1956年製作だから、ぼくが小学校に入学した年の映画である。今から60年以上前である。

 2019年8月19日 記

 追記(2019/8/25)
 その後調べたら、カーク・ダグラスがロック・ハドソンと共演した映画は「ガン・ファイター」(1961年)、バート・ランカスターと共演したのが「OK牧場の決闘」(1957年)だった。
 どちらも公開当時の写真だとしたら、ぼくは子ども過ぎて「スクリーン」など見たはずもない(7歳か11歳である)。バート・ランカスターとは私生活でも親しかったらしいので、何かの折の2ショットを記憶しているのだろう。
 バート・ランカスターは、ただの西部劇俳優だと思っていたが、どうしてどうしてひとかどの大人物だったようだ。
 貧しい家に育ち、バスケットの奨学金を得てニューヨーク大学に入学するが、授業がつまらなくて2年で退学し、サーカスなどで働いたのちにハリウッド俳優になったという。俳優業だけでなく、興業や映画製作も手掛け、晩年は性格俳優として「家族の肖像」にも出ていたらしい。
 いつか「家族の肖像」を見てみよう。



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きょうの軽井沢 (2019年8月17日)

2019年08月17日 | 軽井沢・千ヶ滝

 8月17日(土)

 朝一番で発地市場と追分すみやに出かけてきた。

 発地ではとうもろこしとイチゴを、すみやではブドウを目ざして。

 残念ながら、イチゴは先日の2倍になっており(700円が20000円に!)、すみやのブドウは先客のおばあさんに1箱全部買い占められてしまった。

 仕方なく、買って帰ったトウモロコシを食す。

 浅間山が夏空にきれいだった。
 こんなにきれいに見えることは、ひと夏のうち、何日もない。


 2019・8・17 記
 




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信濃追分 “スイヤルド”

2019年08月17日 | 軽井沢・千ヶ滝
 8月16日(木)

 女房の誕生日。
 研究者仲間から紹介された、追分の“スイヤルド”に行ってきた。

          

 午前中に予約をして、12時前に到着。

 千ヶ滝西区から、1000メートル林道をひたすら西へ走り、テニスコートを過ぎて、浅間サンラインに出る直前を左折したところにある。
 林の中の山小屋風の建物。吹き抜けの室内に3テーブルと、テラスに2テーブルのこじんまりしたレストラン。

 先客が1組、後から3組がやって来た。
 前菜、冷製スープ、パン、メインディッシュ(スペイン豚の料理)、デザート、紅茶で、3900円+サービス料+税。

 まずは前菜。サーモンで包んだラドターユ、枝豆(!)のせ。

         

 冷製スープ。桃だったか?    

         

 メインディッシュ。ローストしたスペイン豚。

                  

 フランス料理はあまり得意ではなかったのだが、ここの料理はおいしかった。
 ご夫婦でやっているのだろう、奥さんに代わって時折料理を運んでくるシェフの男性も穏やかで好印象。

 デザートはティラミスを選択、お茶は紅茶を。実は、プレート向かって右上(14時方向)にもう一品あったのだが、食べてしまった。

          

         

 ひと夏に一回くらいはここでランチをしたい。
 ちなみに“スイヤルド”というのは、石作りのキッチンのシンク(?)らしい。すべてのお皿がピカピカに磨かれて輝いていたのが印象的だった。


 2019/08/17 記

 

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きょうの軽井沢 (2019年8月15日)

2019年08月15日 | 軽井沢・千ヶ滝

 
8月11日(日)

 夜。軽井沢図書館で借りてきた成瀬己喜男「浮雲」を見た。
 成瀬己喜男、溝口健二は好きではないが、ほとんどのDVDが貸し出し中で、これくらいしかなかった。

         

 
8月13日(火)

 夕方5時から、大賀ホールで堤剛と小山実稚恵のデュエット・コンサート。
 終了後、8時前に、車を止めておいたショッピング・プラザへ。プロムナードがライトアップ(?)されていた。

         


 2019/8/15 記 


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アルフォンス・ドーデ 「風車小屋だより」

2019年08月14日 | 本と雑誌

 以前の書き込みで、大学時代のフランス語の授業で読んだ「スガンさんの山羊」は、ぼくの記憶では「スガンさんの羊」だと書いた。
 しかし、軽井沢においてある古いドーデ「風車小屋だより」(辻昶訳、風土社版・世界の名作16巻、1977年)を取り出して眺めてみたところ、ぼくが授業で読んだのは「スガンさんの山羊」ではなく、「星――プロバンスのある羊飼いの物語」という短編だったことが判明した。

 50年ぶりに読み返してみたが、ストーリーの記憶は相当違っていた。
 ぼくの記憶では、どうした経緯からかは忘れたが、貧しい羊飼いの少年が憧れの少女と放牧地で二人だけで一夜を過ごすことになった。
 羊飼いは、少女に触れることも叶わず、つらい羊飼いの生活から逃れるために、満天に輝く星々を眺めながら、あの星の1つになりたいと願いつつ崖から跳ぶのだが、翌朝羊飼いの少年は崖下の草むらの中で死に絶えていた・・・というのがぼくの記憶である。

 星の輝く牧草地で憧れの少女(雇い主のお嬢さんだった)と一夜を過ごすところ、そして、純粋な気持ちでお嬢さんを守らなければと思う気持ちと、彼女を自分のものにしたという気持ちがせめぎあう描写はなくはなかった。
 当時のぼくは、ジョン・トラボルタとオリビア・ニュートンジョンの「サタデー・ナイト・フィーバー」の一場面を連想した。酔って眠っているオリビアを今がチャンスだとけしかける悪魔と、お前を信頼して眠っている彼女を守ってやれという天使が葛藤する(画面の左右に悪魔と天使のアニメが登場する)シーンである。

 辻訳によれば、「わるい考えがすこしも浮かばなかったことは、神さまがよくごぞんじだ」という一方で(47ページ)、夜も更けてお嬢さんが羊飼いの肩に頭をもたげて眠ると、「心の奥ではすこしばかり悩ましい気持ちになっていたが」(52ページ)とある。
 このあたりの記憶はけっこう正確である。
 しかし結末がまったくちがっていた。
 羊飼いは崖から跳んだりはしなかった。ただ自分のとなりで眠るお嬢さんを、夜空の星が自分の肩に降ってきたと思うだけであった。

 なんで、ぼくは50年にわたって、羊飼いは崖から跳んで死に絶えたなどと思っていたのだろうか。何かほかの羊飼いの物語と混同したのだろうか。
 しかもなんで羊飼いが死んだかというと、彼はこの崖から跳べば星になれると信じていたのだが、しかしひょっとしたら崖下に落ちて死んでしまうのではないかという一抹の不安を抱いており、絶対に星になれるとは信じ切ることができなかったからである、という理由までしっかり思い込んでいた。

 <山羊―羊>問題が解決したら、今度は、羊飼いの崖から飛び降り問題という新たな謎が生まれてしまった。
 いずれにせよ、学生時代のぼくは、フランス語ができなかったので、日本語訳を必死で暗記して、わずかに理解できた仏文からどの部分かを推測して日本語訳で読んだストーリーを答案に再現して仏文和訳をしのいだのだった。

 なお、辻訳の初版は1977年であり、この年には、ぼくはもう社会人になっている。
 ぼくが大学時代(1969年~70年ころ)に読んだ日本語訳は岩波文庫だったと思う。「星の王子さま」も「マテオ・ファルコネ」も、そうやってしのいだ。
 だからフランス語はまったく身につかなかった。そもそも1年生の前期だけで文法を終わらせて、1年の後期から訳読が始まるというのは、よっぽど語学の才能のある人間でなければ無理ではなかっただろうか。


2019/8/12 記 

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“二十日鼠と人間” (453ch FOX ムービー)

2019年08月08日 | 映画
 8月6日(火)午後14:10~16:20。
 453ch FOX ムービーで、スタインベックの “二十日鼠と人間”をやっていた。

 こんな映画があることを知らなかったが、ものすごく良かった。「絶対にご覧いただきたい一品」という宣伝文句に嘘はなかった。
 1992年、米、MGM作品。

         


 ぼくは中学3年生の時に「エデンの東」を読んで以来、ベトナム戦争従軍記が新聞に掲載されるまでの間、スタインベックが好きだった。
 彼の描くカリフォルニアが好きだったと言った方が正確かもしれない。

 「二十日鼠と人間」ももちろん読んだはずである。
 大門一男訳、新潮文庫101a、昭和28年10月10日発行、昭和40年2月20日18刷、定価80円。翻訳は旧仮名遣いである。

            

 ストーリーはほとんど忘れていた。
 こんな凄い話だったとは・・・。悲惨なラストシーンだが、その記憶がまったくないというのは、スタインベックが、あのラストシーンを受け入れさせるだけの筆力をもってストーリーを展開していたからなのだろう。

 ただし、ラストシーンは、この映画の方が原作よりもよかった。

        
 レニー役はジョン・マルコヴィッチ、ジョージ役がゲイリー・シニーズという俳優らしい。
 ともに、なかなか良かった。


 2019/8/7 記


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きょうの軽井沢 (2019年8月3日~5日)

2019年08月06日 | 軽井沢・千ヶ滝

 8月2日(金)午前9時前に家を出発して、この夏最初の軽井沢へ行ってきた。

 まだ期末試験の最中なので、雨戸を開けて、バルサンを炊くためだけの目的。
 途中、上里でトイレ休憩しただけだったが、碓氷インター手前が工事渋滞だったため、2時間ちょっとかかって到着。

 バルサンを炊いている間、ツルヤ、発地市場、追分旧道のすみやで買い物。

 軽井沢も日中は30度あり、暑い。
 日が落ちて、夜の8時ころになると、ようやく落ち着いてくる。
 この夜は11時半過ぎから豪雨。数年に一度くらいの豪雨だったが、1時間弱で鎮まった。


 8月3日(土)は、大賀ホールに寄ってから、軽井沢ショッピング・モール(?)へ。正式な名称は知らない。

         

 孫のために、お買得のスニーカーを探したが、まだお盆休み前で強気の値付けのため、買うのは控える。

 マッキントッシュ・ロンドンでは半値のスーツでよいのがあったのだが、サイズが合うものがなかった。
 身長165cmで、ウエスト100cm(だったか?)、そんなのばかりしか残っていなかった。
 いつものように、結局何も買わずに出る。

 下の写真はショッピング・モール内の“すみや”。

         

 昼食は、追分そば茶家へ。

 駐車場は満杯のため、いったん国道を左折して、裏通り沿いにとめる。
 女房と天せいろを注文したが、歳のせいか、途中で満腹になる。もう2人で1人分でも足りる。昔は小天ざるもあったように記憶するが・・・。

         

 帰りがけに、借宿のエネオスで給油。
 廃油処理もやってくれるというので、もう一度、家から灯油を4缶!持っていく。
 20年以上の間、亡母たちが買ったまま放置してあったものが気に掛かり続けていたのだが、ようやくすっきりした。
 ただし、20リットル缶を4つも運んだので、ぎっくり腰になってしまった。


 8月4日(日)はもう帰京である。

 中軽井沢駅踏切脇の農協直売所へ。
 数年前までの賑わいが嘘のように閑散としている。
 発地市場に客を取られたのだろう。以前は道路反対側の駐車場もいっぱいで、道路整理員などもいたのだが。

         

 上の写真は、鳥井原東から鳥井原信号に向かう消防署前から眺めた浅間山。
 
 ツルヤでも、花豆の甘納豆、野沢菜、ソーセージなどを買って、発地市場へ。
 こちらは大混雑。すでに無くなっている野菜、果物の棚もある。
 冒頭の写真は、発地市場から眺めた浅間山。今回はあまりきれいな浅間山は見えなかった。

 12時過ぎに帰宅。


 2019/8/6 記


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オニオン・フィールド その他

2019年08月01日 | 本と雑誌
 炎暑の中、本の断捨離を少しずつ進めている。

 今回は、30歳代だっただろうか、海外の推理小説を読んでいたころの本を何冊か。

 ジョセフ・ウォンボー「オニオン・フィールド--ある警官殺害事件」(早川書房、1975年)
 アメリカ探偵作家クラブ特別賞受賞作品。実際の事件および裁判を60名の関係者へのインタビューによって構成した「事実小説(factual novel)」とのこと。カポーティーの「冷血」に倣った作品らしい。
 「1976年5月16日am.1:52読了」と書き込みがある。こんな夜中に読んでいたのか・・・。
 取っておきたい衝動に駆られるが、この手の本まで残しておいたのでは、断捨離はできない。

 V・ビューグリオシー「裁判--ロサンゼルス二重殺人事件(上・下)」(創林社、1979年)
 1979年アメリカ推理作家協会エドガー・アラン・ポー賞受賞と帯にある。作者は、UCLAのロー・スクールを首席で卒業した元ロサンゼルスの地方検事とのこと。なお、訳者(中村保男)のあとがきに、法廷用語について平出禾氏への謝辞があった。
 「1980年2月1日読了」と書き込みがしてあるが、どんな話だったかまったく覚えがない。

 ドロシー・ユーナック「法と秩序」(早川書房、1978年)
 帯には、「警察官の誇りと腐敗!」、作者は元ニューヨークの警察官とある。これも中身はまったく覚えていないが、悪徳警官ものだったのだろう。ただし、ニューヨークの警察官の三代にわたる物語らしい。
 「1980年4月26日(土)晴れ、まずまずの出来、日立病院で」と書いてある。そうか、この頃、それ以降いまだに続く持病が発症したのだった。

 ジョセフ・ウォンボー「ブルー・ナイト」(早川書房、1975年)
 作者は元ロスアンゼルス市警の警察官。退職を決意した警察官の最後の三日間の行動を描いたらしい。
 「1980年5月8日(木) オニオン・フィールドの方がよかった。最後の感傷がイヤ味だ、日立病院」と書き込みあり。

 ソル・スタイン「法廷の魔術師」(早川書房、1974年)
 これは悪徳弁護士ものらしいが、読んでいない気配。取っておくか・・・。


 2019/8/1 記


 

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