豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

ピンキー(“恋の季節”)

2018年09月13日 | テレビ&ポップス

 4歳の孫がトランプのババ抜きと神経衰弱にはまっていて、わが家に遊びに来ると必ず「おじいちゃん、トランプしよう!」と誘ってくる。
 なるべく孫には付き合おうと思っているので、2、3回は相手をする。

 4歳児の記憶力と集中力はかなりのもので、神経衰弱に関しては、まだら痴呆ともいうべきぼくの記憶力ではとても太刀打ちできない。
 3ペアくらいは連続して当てるし、終盤に近づくと6ペア総ざらいで持っていくこともある。

 ババ抜きに関しても、トランプのカードの痛み(折れ方)でジョーカーその他の何枚かの札が分かるらしい。裏面を見ただけで「これが8だな」などと言って、8を引き当てる。
 記憶力を褒めるべきか、チョンボというべきか。
 「子どもを東大に入れたければ、神経衰弱で遊べ」と東大出身の精神科医が言っていたと家内から聞いたが、東大はどうでもよいが、トランプの教育効果を期待していないと言ったらウソになるだろう。


 前置きが長くなったが、今回の話題はピンキーこと近陽子さんである。

 軽井沢で勉強中に、何気なく勉強机の固くて開けにくい引出しをこじ開けたら、中からトランプと花札が出てきた。
 祖母が花札が好きで、家族でよく遊んだ。

 祖父は仙台で大学教師をしており、戦中戦後には、祖父の家に貧しい学生が何人か下宿していた。
 勉強の合間に、その学生たちと花札をやり、負けた学生が冬の仙台の寒空に焼き芋を買いに行くルールだったと祖母から聞いた。

         

 トランプのほうはハートのエースを表に向けてケースに入っていたのだが、数十年ぶりにケースから出してみて、驚いた。
 カードの裏面が“ピンキーとキラーズ”のピンキーこと近陽子さんなのである!

 ピンキーの“恋の季節”がヒットしたのは、(前にも書いたが)1968年の初夏である。
 ぼくは駿台予備校の四谷校舎に通っていたが、昼飯を食べに行った四谷界隈の昼飯屋のテレビでやっていた“前田武彦のお昼のゴールデンショー”の「今週のゲストコーナー」で初めて“恋の季節”を聴いた。
 1週間の間、毎日連続して出演するゲストだった。

 そしてぼくはブラウン管越しにピンキーに恋をした。
 彼女が出る番組を探し、彼女に少しでも似たところのある予備校生にまで恋をした。
 
 もちろん彼女に関わるグッズは集めた。
 前にも書いたが、“恋の季節”の宣伝用のボード(ドーナツ盤のジャケットと同じ大きさのボード)も手に入れた。
 吉祥寺駅北口の駅すぐのところにあった新星堂で、“恋の季節”のレコードを買ったときに、天井から吊り下げてあったのを指さして、「これをもらえませんか?」とダメもとで頼んだところ、若い女性の店員さんが「いいですよ」と言って、あっさりとビニールひもを引きちぎって渡してくれた。

         

 その後も、みのもんたのNTVの昼番組などに出ていたが、いくつになっても昔と変わらずチャーミングなままであった。
 田代みどりや伊東ゆかりなどと並んで、ふけない女性の代表格だろう。

 その“恋の季節”の当時のピンキーが、すべてのカードの裏面で、きれいな白い歯で微笑んでいる。
 黒のシルクハットには、キラーズの4人の顔が写っている。当時のぼくは、ピンキーといつもいっしょにることができるこの4人に嫉妬心を抱いていた。

 トランプの箱(とスペードのエース)には、「HEIBON PLAYING CARD CO」と書いてあるが、平凡出版はこんな会社も立ち上げていたのだろうか。
 「特殊紙製 ¥400」というシールも貼ってあるが、カードの紙質ははっきりいってかなり悪い。
 孫と遊ぶときは使わないでおいた方がよさそうである。


 2018/9/9 記


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