豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

日産マーチ 1/43ミニカー

2010年06月13日 | クルマ&ミニカー
 
 久しぶりにミニカーを買った。
 1年ぶりくらいではないだろうか。

 きっかけは昨日の新聞の折り込み広告である。
 近所の日産販売店の折り込みが入っていたのだが、販売車のラインナップから“マーチ”が落ちていたのである。
 最近のクルマ雑誌にはマーチのモデルチェンジの記事が載っている。例のタイで生産されて日本にも逆輸入されるというやつである。そろそろマーチの現行モデルもおしまいなのかなと思っていたところであった。

 現行のマーチも、ぼくの好きなクルマの一つであった。
 前にも書きこんだけれど、マイケル・ムーア監督の“シッコ(SiCKO)”に出てくるパリのお医者さんの乗った白のマーチ(マイクラ)が深夜のパリの街を走るシーンは、なかなか恰好がよかった。
 自分に自信のある人はクルマなんかに構っていないという雰囲気がカッコよく思えたのである。
 残念ながら、ぼく自身はそこまでの境地に達してないのだが。

 もともと、「まあるいクルマ」が好きなので、実車は買えないとしてもミニカーくらいは揃えておこうと思っていたのだが、2年ほど前にあちこちのミニカー・ショップを回った時は、京商の表参道ヒルズ店にパプリカ・オレンジ色のが1台あるだけで、他の色は皆無だった。
 あの色は売れ残っているだけあって余りいい色ではないので、放っておいた。しかし、ホンモノが生産終了となるとミニカーもいよいよ入手しにくくなるだろう。

 そこで、GOOGLEで検索してみると、“ホビープラザ ビッグマン”というところで、パールホワイトの“NISSAN MARCH”1/43(KYOSHO “J-collection”)が1800円(+送料500円)で出ていた。
 中古としてはちょっと高いが、他社よりは格安である。元の定価が2000円だから、これくらいは仕方ないと、ワンクリックで購入した。
 ユーザー評価には、一切発送の連絡がなかったなどという批判もあったが、ぼくの場合は、注文した昨日の夕方に発送済みの連絡があり、今日の朝、日曜にもかかわらず、しかも岐阜からの発送にもかかわらず自宅に到着した。
 さっそく、ニッサンの“フィガロ”や“パオ”の横に並べてやった。できればマイケル・ムーアの乗ったマーチのようなホワイトがよかったのだが、パールホワイトもパプリカ・オレンジに比べればはるかによい。
 
 2010/6/13

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森下香枝『グリコ・森永事件 真犯人』

2010年06月13日 | 本と雑誌
 
 森下香枝『グリコ・森永事件「最終報告」真犯人』(朝日文庫、2010年)。

 昭和59年(1984年)に起きたグリコ社長誘拐事件に端を発する一連の“かい人21面相”による恐喝事件の真犯人をほぼ断定した本である。

 捜査側、被疑者側を含め数多くの関係者への取材に基づいて書かれている。しかし、この事件の特徴でもあるが、被害者側はすべて口をつぐんでいるため、被害者側からはまったく取材できなかったようだ。
 これら個々の関係者からの取材を「点」とするなら、それらの「点」を結ぶ縦糸の「線」となっているのが極秘のはずの捜査資料である。
 どこから漏れたのか分からないが、これまたこの事件の特徴である捜査側の内部対立、とくに兵庫県警、大阪府警、滋賀県警の三すくみを考えると、そのいずれかが、あるいはすべてがお互い憎しの感情から漏らしたのではないだろうか。それがなかったら、いくらこの著者でもここまでは書けなかったと思う。
 一番大きな失態を演じたと世間から批判された滋賀県警あたりが、自己弁明のためか、自殺した本部長の弔い合戦のために著者にリークしたのではないだろうか。

 当時は新聞の記事でしか知ることのできなかったあの事件の内実を、かなり良く知ることができた。「グリコ事件」こそが原点であり、その他は「おまけ」であるという指摘はその通りだと思う。
 ただし、ぼくの印象では、著者が指摘する人物はこの事件の真犯人ではないような気がする。この事件は、複数犯による犯行でありながら今日に至るまで仲間割れすることなく秘密が保たれていることが特徴の一つだが、著者の指摘する「真犯人」は事件への関与を周囲にしゃべりすぎている。
 それが、この男が真犯人とは思えなかった理由である。
 
 著者紹介によれば、この本の著者は「日刊ゲンダイ」などの記者を経て、朝日新聞社に入社したという。そんな経歴もありうることをはじめて知った。
 サツ回りからヤクザの取材まで、やり手の記者だったのだと思う。並みの朝日の記者にはない能力のように思われるが(並みの朝日の記者もこの程度の取材はするのだろうか)、なぜ彼女は「日刊ゲンダイ」記者を辞めて「朝日新聞」記者になったのだろうか。
 この本に結実するような取材は、やはり朝日新聞の看板を背負わないとできないのだろうか。

 2010/6/13

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杉山春『ネグレクト--育児放棄』

2010年06月13日 | 本と雑誌

 杉山春『ネグレクト--育児放棄』(小学館文庫、2007年)を読んだ。
 2004年小学館ノンフィクション大賞受賞作。

 2000年に愛知県知多郡で起きた、父母による幼女段ボール箱監禁餓死事件のドキュメント。

 17歳の時に、父は高校3年生、母はヤンキーの状態で子を生み、それから3年後に3歳のわが子を餓死させるまでの成り行きと、父母(さらには彼らの父母ら)の生育歴にまでさかのぼって、この事件の原因を探っている。
 弁護士らから資料提供の便宜があったのだろうが、よく書かれている。少なくとも判決(名古屋地裁平成14年10月30日判決)よりは説得的であった。

 ともに家庭的な環境に恵まれないで育ち、結婚してからも家では一切育児に協力せずにゲームに明け暮れ、面倒なことはすべて「うっとおしい」の一言で回避してしまう父、育児に疲れて買い物依存症に陥った母の口癖は「むかつく」。
 そんな父母(加害者)を児童虐待専門の弁護団は、弁護しつつ再教育を試みる。

 懲役7年の実刑判決を受けた父母もすでに出所していると思われる。
 著者は、本人たちの希望にもかかわらず、この親子(被害者のほかにも2人の子がいる)の再統合には悲観的である。一緒に暮らすことだけが再統合ではないともいう。
 ぼくもそう思う。

 この事件の加害者を擁護する気はないが、こんな事件の発端の一つが、三歳児検診のチェック項目だったことが印象的だった。
 発達に遅れのあった被害児はチェック項目を何一つクリアしていなかった。そのことが母親が検診ひいては医療機関などとの関係を断つきっかけになったようである。
 普通に育っている子の親にとっては何でもないチェック項目だが、この事件の親にとっては自尊感情や子への愛情を喪失させる質問だったのである。 

 2010/6/13

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佐野市郷土博物館

2010年06月10日 | あれこれ

 栃木県佐野市にある県立佐野女子高校に出張授業に出かけてきた。

 この2年間は所属学部の入試責任者をしていたので、出張授業は免除してもらっていたのだが、久しぶりに声が掛った。

 9:14池袋発の湘南新宿ライン、快速宇都宮行きに乗って10:22小山駅着。10:44小山発の両毛線(上り!!高崎行き)で11:13佐野駅着。
 湘南新宿ラインは1時間以上乗らなければならないので、座れなかったらグリーン車で行くつもりだった。湘南ラインのグリーン車のシステムは座れる保証もないので心配だったが、普通車も「ガラガラ」に近い状態で、心配は杞憂だった。

 小山駅で無駄に20分以上待たされて、両毛線に。
 あとで佐野駅で乗ったタクシーの運転手さんに聞くと、この地域は完全なクルマ社会で、両毛線は高校生の通学のために運行しているようなものだから、昼間は1時間に1本しかないらしい。
 田植えの終わった田んぼに張られた水が初夏の陽ざしに光って、のどかな田園風景が広がっている。

 11:13佐野駅着。佐野女子高の集合時間は11:50なので、駅前でタクシーを拾って佐野市郷土博物館に行く。初めからここを訪ねる予定にしていた。この博物館には田中正造の展示室があり、以前から一度訪ねたいと思っていたのである。
 田中は佐野市出身の自由民権運動家で、後に衆議院議員も務めているが、古河鉱業による足尾鉱毒事件に際して、渡良瀬川流域の農民らの窮状を天皇に直訴しようとしたことで有名である。

 資産家だった彼は私財を投じて足尾鉱毒事件と戦い、最後には無一文に近い状態となり、信玄袋一つ抱えて知人宅を訪れ、そこで亡くなっている。その信玄袋の中には大日本帝国憲法と聖書と渡良瀬川の河原の小石が3つ入っているだけだったという話を、むかし林竹二か城山三郎の書いた伝記で知った。
 私利私欲に走る今時の政治家や天下り官僚たちには、爪の垢でも煎じて飲ませたいものである。
 それらが、この博物館に保存されているのである。それだけでも見ておきたいと思って、きょう立ち寄って写真に収めてきた。

 そして、佐野女子高校の授業でも、最初にこのエピソードを紹介して、君たちの郷土はこんな立派な先人を生んだ土地であると紹介してから、本題に入った。
 いつも顔を合わせている大学生も高校生も同じような若者かと思っていたが、久しぶりに何十人もの女子高校生を間近に眺めると、やっぱり女子大生よりははるかに若いというか、まだあどけない印象だった。
 休み時間に廊下ですれ違う時、みんなが「こんにちわ」と挨拶をする。学内のエレベーターで乗り合わせても知らん顔のうちの学生たちとはえらい違いである。その心がけをもったまま大人になってほしい、と切に思う。

 2010/6/10

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