豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

軽井沢に行ってきた(2024年5月18〜19日)

2024年05月20日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 5月18日(土)も快晴、気温は昨日と同じ23℃で、気持ちがよい。

 午前中から旧軽井沢に出かける。いつも通り、水車の道沿いの神宮寺に駐車。
 昭和30年代の終わり頃に、毎年夏休みをこの寺の宿坊で過ごす友人に亡父が会いに行っていた懐かしい寺である。2、3年前に読んだ堀辰雄や川端康成「高原」にも、この寺に隣接する藤屋旅館が登場していたので、それからは、堀や川端の姿も懐かしさの中に加わった。
 本堂は新しくなったようでかつての面影はないが、境内の樹齢400年という枝垂れ桜や木立がかつてを思い出させてくれる。堀も川端もこれらの木々を眺めたのだろう。堀が友人にあてた葉書にはここの桜のことが書いてあった。駐車料金はお布施のつもりである。

   

 つるや旅館の手前の路地を入ったところにある「デリカテッセン」の向かいにある花屋さんの店先を借りて、万平ホテルのアップルパイを販売しているという記事を読んだので行って見たが、連休中だけの臨時営業だったようで、花屋さんは閉まっていた。
 上の写真は、その「デリカテッセン」。創業1980年(?)と壁面に書いてあったので、1960年代の旧軽井沢にあった「デリカテッセン」とは別の店なのだろう。現在の店名が “Delicatessen” という英語なのに対して、昔あったデリカテッセンの看板はドイツ語の “Delikatessen” で、店も本通りに面していたように思う。それにしても、まったく関係がないのか聞いてみたい気がしている。

 旧軽井沢通り(本通り)をそぞろ歩いたが、旧道もかつての賑わいはなく、「貸店舗」の掲示が貼ってある空き店舗も目立つ。物産館は建物もなくなってしまい、大城レース店の旧店舗はシートがかかって改装中だった。三笠会館はどの辺にあったのかすら分からなくなってしまった。
 正午を過ぎたので、浅野屋で昼食をとることにした。
 満席だったが、幸い一組が席を立ったので、ほどなく席につくことができた。ランチのメニューは3つのみ、サービスも若い男性1人だけで、注文、食器の片づけはセルフサービスになっていた。三笠会館は最後までブラック・スーツの年配の男性2人でサービスをしていたが、結局軽井沢から撤退してしまった。浅野屋のような形ででも持続してくれたほうがよかったのに。
 ぼくは、信州産鶏のトマト煮込み、野菜添えを注文。パンは食べ放題だが、われわれの胃ではおかわりは無理だった。ドリンクがついて2180円は、昨今の値上げの時代にあってはリーズナブルだろう。
   
   

 観光会館に立ち寄って、今年の軽井沢のカレンダーとポスターをゲット。冒頭の写真は観光会館の正面。かつては郵便局の建物だった。ここの館内は夏でもひんやりしていて涼しい。

 神宮寺を出て、鹿島の森、雲場の池、六本辻、離山を経由して(スコルピオーネの跡地は何とか温泉になっていた!)、中軽井沢駅前から国道146号に右折して、かつての西武百貨店軽井沢店の手前のスケートセンター、テニスコート跡地を曲って、セゾン美術館、立教女学院キャンプ場を通って帰宅。
 そう言えば、軽井沢新聞5月号に、千ヶ滝温泉ホテル跡地など約22ヘクタールを、西武と野村不動産が大規模開発するという記事が載っていた。2029年の完成を目ざすというが、開発の中味は未定とのこと。どうなるのか心配だが、リゾートマンションなどが建たないといいのだが・・・。
 できればスケート場を作ってほしい。赤坂サカスや、日比谷シティのスケートリンク程度でもいいのだが。それと、西武百貨店軽井沢店も昭和の姿のままに再建を願う。
 記事の見出しには「千ヶ滝温泉ホテル跡地」と書いてあり、ぼくも学生時代に千ヶ滝温泉ホテルにアイスホッケーの合宿で泊ったことはあるが、あの辺りは「軽井沢スケートセンター跡地」と言うべき場所ではないか。

 夕方から散歩に出かける。
 浅間山の夕景がきれいだったので、浅間台公園から大日向神社にむかって坂道を上る。途中で、ISAC(軽井沢インターナショナル・スクール?)の生徒らしい2人組の女の子と、1人歩きの男の子に出会う。ともに外国人のようだったが、女の子たちは「こんにちわ」と声をかけてくれ、男の子は軽く会釈をしてくれた。

   
   

 翌5月19日(日)、午前9時過ぎに東京に向けて出発。渋滞を避けるために、たいていは土曜か日曜の午前中に軽井沢を出発して帰宅することにしている。
 発地(ほっち)市場に立ち寄って野菜を眺めるが、家内の話では東京とほとんど値段は変わらないという。ブロッコリーなどは東京よりも高いという。そのせいか、土曜日の午前というのに人影は少なかった。

 風越公園の交差点を右折して、碓氷軽井沢インターに向かう途中の道沿いに(地図には「女街道」と書いてあるのと「下仁田街道」と書いてあるのがあった)、「モミの木」という洋菓子店があることを知った(下の写真)。
 軽井沢の不動産屋が出しているパンフレットに紹介が載っていて、ここのオーナーは元は東京のヴィクトリアで修業し、夏は旧軽井沢の店舗に勤務していたとあった。軽井沢のヴィクトリアは、あの、「レイホホ レイホホ レ イッ ホ~ ♪」とヨーデルを流しながら千ヶ滝を販売車がまわっていた懐かしい洋菓子店である。

     
 
 ご夫婦でやっているようで、ご主人も厨房(?)から出てきて、しばし昔話に花が咲いた。ヴィクトリアから独立した後は高崎で洋菓子店をやっておられ、最近高崎の店は息子さんに任せて、軽井沢で開店されたとのこと。
 旧軽井沢の旧道入口手前、草軽電鉄の旧軽井沢駅前にあったヴィクトリアのこと、千ヶ滝の西武百貨店にも出店していたこと(そういわれてみると確かに西武の中にもあったのを思い出した)、西武百貨店の入口近くには島津貴子さんプロデュースのPISAのコーナーがあったこと、高崎観音の川向かいの小高い丘の上にあったドライブインや、安中でヤナセがやっていたピラミッド型のドライブインなど、しばし共通の思い出話で盛り上がった。
 ヴィクトリア時代からの定番だというバナナのパイと、イチゴのタルトを買って帰る。値段もリーズナブルで、美味しかった。

 途中横川の荻野やに立ち寄って、孫の好物の力餅も買って帰ったのだった。

 2024年5月20日 記

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