豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

放射7号、未開通道路を歩く

2022年02月27日 | 東京を歩く
 昨日、2月26日の昼下がり、放射7号道路の北園交差点から保谷方面に向かう未開通部分を散歩した。
 北園交差点のすぐ西側のお寺の立ち退きが未了で、さらにもう1か所、農家で道路は遮断されている。近所に住む友人が、その農家をバイパスするとその先は保谷方面まで出来上がっていると言っていたので、暖かさに誘われて歩いてきた。
 この道路が完成すれば、武蔵境の国際基督教大学や多磨霊園も随分近くなるだろう。

 上の写真は、放射7号道路の延伸部分の終点から西側(保谷方面)を眺めたもの、下の写真は、同じ場所から東側、北園交差点方向を眺めたもの。
 

 延伸部分の終点を左折して保谷駅方面に向かうと、菓子店の“シャトレーゼ” が見えてきた(下の写真)。
 ちょうど朝のテレビ番組で、“シャトレーゼ” をやっていて、売り上げベスト1は苺のショートケーキ、2位はシュークリームと言っていたので、シュークリームを買って帰る。1個100円だが美味しかった。コンビニの同価格のものより、はるかに美味しい。
 テレビでやったせいか、駐車場は満車だった。
   

 歩き疲れたので、帰りは保谷駅から西武線に乗る。
 やって来たのは、東急電鉄の車両で “Welcome to SDG's Train” という標語がペイントされた車両だった。どこがSDG's なのかは不明だが。
 下の写真は保谷駅と大泉学園駅の “SDG's” 車両。
   
   

 西武線では京浜急行のデザインの車両も走っているという話だが、いまだ乗り合わせたことはない。

 2022年2月27日 記 

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B面だった「白いサンゴ礁」

2022年02月25日 | テレビ&ポップス
 
 シングル・レコードのB面に入っていた曲のほうがA面の曲よりもヒットすることは時たま起きるが、そんなレコードのことを。

 見つかった古いドーナツ盤レコードのなかに、ズー・ニー・ブーの「涙のオルガン」というのがあった(日本コロンビア、LL-10090-J、1969年4月か? 400円。上の写真)。
 ズー・ニー・ブーのこんな曲には全く覚えがない。おかしいと思って見ると、B面が「白いサンゴ礁」だった。それなら好きな曲だったから、買った覚えがある。ビニール袋から出してみると、ジャケットは両面開きになっていて、右側がA面の「涙のオルガン」、左側が「白いサンゴ礁」になっていた。
 ズー・ニー・ブーのボーカリストは、後に尾崎紀世彦で大ヒットした「また逢う日まで」を最初に歌ったけれどヒットしなかったと聞いた。「白いサンゴ礁」も危うくB面に埋もれるところだった。

   *   *   *
  
 
 もう一曲、「B面問題」について。
 古いレコードの中に、A面に「夫婦 主題歌 涙のカノン」(キングレコード、HIT-1636マルS、©1969年、400円。上の写真)が入ったのがあった。
 この映画も、見たこともサントラ盤を買ったことも全く記憶にない。
 ジャケットの裏面の解説によれば、「『幸福』『男と女』などにつづいて、再びフランス映画が新鮮な感覚と手法で、現代生活のモラルと夫婦の愛情についてのテーマに取組んだ、新人監督ベルナール・ポールの意欲的な秀作」だという(原題 “Le temps de vivre”)。
 主題歌「涙のカノン」は好きな曲だが、映画のほうは記憶にない。

 おかしいと思って見ると、B面が「白い恋人たち」だった(演奏はレーモン・ルフェーブル・オーケストラ)。
 それなら覚えがある。「白い恋人たち」は1976年のインスブルック冬季オリンピックの記録映画の主題歌である。ただし、サントラ盤の演奏はフランシス・レイだった。
 この映画は、女房と渋谷の東急文化会館4階か5階にあった映画館でロードショーで見た。「白い恋人たち」は、あの頃の深夜放送でも頻繁に流れていた。ぼくは滝良子の深夜放送で聞いた覚えがある。

 2022年2月25日 記

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不思議な「不思議なピーチパイ」

2022年02月24日 | テレビ&ポップス
 
 偶然に見つかった古いドーナツ盤レコードの話題をいくつか。

 最初は、竹内まりやの「不思議なピーチパイ」。

 ジャケット裏に「製作:RVC株式会社」とあり、レコードの盤面にRVCとあるが、RVCというのはレコード会社なのかどうか・・・。「’80」という著作権表示らしきものがあるから1980年の作品なのだろう。(なお、B面は同曲のカラオケ版)。
 不思議だったのは、ジャケットの女性が竹内本人ではないこと。
 歌っているご本人の写真をジャケットに掲載しないレコードもなかったわけではない。次に書く「マンダム--男の世界」もそうだったし、中島みゆきや五輪真弓のデビュー盤にもご本人の写真はなかったはずである。
 竹内まりあまでもが・・・と、不思議に思ってよく見ると、何とこのレコードは資生堂が発行(?)した非売品だった。
 「不思議なピーチパイ」が化粧品会社の春のCMソングだったことは覚えていたが、それが資生堂だったとは記憶になかった。当時はそんな宣伝を打つのは資生堂かカネボウしかなかったが。しかも資生堂はテレビのCMでこの曲を流しただけでなく、レコードまで販売促進用に出していたのだ! ジャケットの女性も資生堂のモデルさんなのだろう。

 ぼくは資生堂の化粧品とは全く関係なかったから、おそらくぼくの母親が資生堂の化粧品を買って、化粧品店からこのレコードをもらったのではないかと思う。ひょっとすると、中軽井沢駅前の桐万薬局さんでもらったかも・・・。
 
   *   *   *
   

 CMレコードをもう一つ。
 男性化粧品を販売していた「丹頂」が社名を「マンダム」と変更したさいのテレビCMからヒットしたジェリー・ウォレス「マンダムーー男の世界」。

 こちらは非売品ではなく、東芝音楽工業が発売したれっきとした市販品(東芝LIBERTY,LR2571,400円)。著作権表示から1970年発売と思われる(著作権者はJen-Mor Music Corp. とあるが、誰だろう?)。
 CMに出演していたのは、このレコードのジャケットに登場するチャールス・ブロンソンだった。このレコードにはチャールス・ブロンソン版のジャケットのほかに、もう一枚別のジャケットが入っていて、そっちのジャケットの裏面にはジェリー・ウォレスの(モノクロ)写真が入っている。C&W界のベテラン歌手と紹介されている。
 “All the world loves a lover ・・・” という彼の歌声は今でもぼくの耳に残っている。

 2022年2月24日 記

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坂本九「上を向いて歩こう」ーーはじめてのレコード

2022年02月20日 | テレビ&ポップス
 
 日本地図を使ってすごろく(双六)がしたいと言う孫のために、屋根裏の物置を物色して大判の日本地図を探していたところ、偶然に荷物の隙間から数十枚の古いドーナツ盤レコードが出てきた。
 絶対に買ったはずなのに見つからなかったヴィレッジ・シンガーズ「亜麻色の髪の乙女」や、ペギー・マーチの「なぜだか判らない」なども出てきた。
 中でも一番うれしかったのは、ぼくが人生で初めて買ったレコードである坂本九の「上を向いて歩こう」が出てきたことである。
 東芝レコード(JP-5083)、定価は300円と記載してあるが、発売年月は記載がない(どこかに1961・10と書いてあったようだが見つからなくなってしまった)。 

 昭和36年、1961年の発売。ぼくが小学校6年の時である。
 当時は電蓄のある家は少なかったので、友だちがわが家に聴きに来たりした。親しくもない(というよりは来てほしくないジャイアンのような)やつまで押しかけて来て、勝手に上り込んでこのレコードを聴いた覚えがある。
 あれから60年以上たったのだ。
 今でも「見上げてごらん夜の星を」や三橋美智也の「怪傑ハリマオ」などとともに、ぼくのカラオケの定番だが、コロナでここ数年はカラオケにも行けないでいる。

 これ以外の、今日見つけたレコードについてはまた後日に。

 2022年2月20日 記

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安達正勝『物語 フランス革命』

2022年02月14日 | 本と雑誌
 
 安達正勝『物語 フランス革命ーーバスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで』(中公新書、2008年)を読んだ。

 エドマンド・バーク『フランス革命の省察』を読みながら、フランス革命時代の概説をあらかじめ読んでおいたほうがよかったと何度か思った。しかし、バークの記述は、1789年1年間というフランス革命のごく初期に限定されており、必ずしも革命史の概略を知らなくても読み通すことができた。
 この際せっかくなので、買ったまま放ってあった本書を読むことにした。

 「物語」と題するだけあって、高校世界史の僅かな知識だけでも簡単に読むことができた。そして、フランス革命の展開や登場人物のエピソード的な話題をたくさん知ることができた。どちらかというと、「フランス革命人物列伝」的な記述が中心で、しかも「革命女性列伝」の色彩が強い。
 マラーを暗殺した女や(皮膚病のためバスタブに浸かって執筆中のマラーの絵を見た記憶はあるが、暗殺者の(女性だったことは記憶にあったが)動機や背景は知らなかった。
 「人(l'homme)権宣言」が「男(l'homme)権宣言」にすぎないとして「女権宣言」を起草したオランプ・ド・グージュが最後はジャコバン政権下で処刑されたことは知らなかった。フランス革命では王族、貴族、革命家、民衆を通して女性が活躍したことはどこかで聞き及んでいたが、マリー・アントワネット、ルイ16世の妹(王妹)、ナポレオンの最初の妻ジョセフィーヌからパリ民衆など庶民階級の女房たちまで、多くの女性が登場する。
 フランスで女性参政権が認められるのは1944年(!)のことだが、その後は100名以上の女性大臣が生まれているという。

 本書で知ったトリビアな知識をアト・ランダムに列挙しておく。

 1.フランス国旗の三色旗は、もともとはパリ市を象徴する赤と青の二色旗の真ん中に、ブルボン家の象徴である白を挟んだものだった。フランスの三色旗は、(当時最強国だった)オランダの(赤、白、青の)ヨコ縞の三色旗をタテ縞にしたものと聞いたことがあるけれど(マギー司郎のマジックのようなもの?)。
 2.フランス革命の標語である「自由、平等、博愛」のうち「博愛」は不適当で、「友愛」と訳すべきだと著者はいう。原語の “fraternite” は、本来は修道院の宿舎(“fraternity”[英語]の原語のラテン語)で共同生活を送る修道士たち(“frater”[仏語]の原語のラテン語)の同志愛、同胞愛の意味であり、やがて寄宿学校の寄宿舎(“fraternity”)で共同生活を送る学生たちの同志愛に転じたものであると、以前何かで読んだ。
 要するに、“Fraternite” とは、親族間の血縁に基づく家族愛ではなく、血縁にかかわりなく共に生きる人間の間の「兄弟愛」(シュバイツアーの「人間はみな兄弟」)のような意味だろうから、ぼくは「自由、平等、人間愛」と解している。「博愛」という言葉も「友愛」という言葉も、ぼくは日常生活で使ったことはない。
 3.ルイ16世は開明的で、改革派の国王だった。国民からも愛されており、その後の革命の展開によってギロチンにかけられてしまうが、本来はそのような国王ではなかったと著者はいう。最近の研究ではルイ16世の再評価が進んでいるとのことである。
 ぼくも説得された。大変な勉強家で、早くから英語ほかの外国語を学び、9歳でヒュームと面会した際には彼の著書に「親しんでいた」ためヒュームが驚いたという(35頁)。チャールズ1世も謹厳な人物だったことを想い出した。 
 4.ルイ16世は愛人を持たなかったただ一人のフランス国王であり、悪妻というしかないマリー・アントワネットを守り続けた。パリから逃亡する際にも、アントワネットの愛人を途中まで同道させている。
 国王15歳、王妃14歳で二人が結婚してから7年間も「結婚が成就しなかった」と書いてあった(32頁)。「成就」がいわゆる「婚姻の完成」(イギリス法でいう “consummation”)だとしたら(フランス法にはこの婚姻を無効とする概念があるのか?)、「性交がなかった」という意味である。
 5.ルイ16世は刑罰の人道主義化を唱え、死刑の件数を減らし、執行方法も(失敗が多く簡単に死にきれないで死刑囚が苦しむことになる)斬首をやめてギロチンを導入した。ギロチンの歯を斜めにしたのも国王の提案だという(国王は錠前作りが趣味で金属工学に造詣が深かったという!)。
 ちなみに、女性の髪型のショートカットは、ギロチンにかけられる際に、長い髪が邪魔して首をしっかり刎ねることができないという事態を避けるために始まったという。
 6.革命初期の三部会では第三身分から「国王万歳!」の声も上がった国王が処刑された原因は、反革命に燃える周辺諸国から革命フランスを防衛する戦争のさなかに、敵国オーストリアが支配するベルギーに逃亡を図ったために民衆の怒りを買ったことにあった。これもチャールズ1世と同じである。
 裁判の中では、敵国や王党派などの反革命勢力と通謀する文書が(家臣の裏切りによって暴露された秘密の箪笥から)多数発見され証拠として提出されたのだった。
 7.ロベスピエールは、革命前には合法主義を貫く弁護士であり、革命当初は死刑廃止論者だったという。バークは「三百代言」というだろう。弁護士の中にはそんな輩もいるかもしれないが、ロベスピエールはそんな人物ではなかったようだ。彼も「信仰の人」だったらしく、厚い信仰心はラディカルになりがちであることは、常に「神の摂理」に忠実でありたいと願ったクロムウェルを思い出させる。
 8.ナポレオンンは、上司に連れられて出席したサロンで出会った、年上で2人の子どもの母である未亡人ジョゼフィーヌに一目惚れして結婚する。婚姻届出に際して、妻は年齢を2歳若く申告し、夫ナポレオンは年齢を1歳多く申告したという(年上の妻というのはそれほど恥ずかしいことだったのか?)。教会の権力が衰えた革命後にあってはそのような年齢詐称の婚姻届出も可能だったらしい。

 人物のエピソード中心に記述されているため、時おり時間が前後して革命の流れに迷うこともあったが、バークを苦労して読んだ後では面白く読みやすい本だった。

 2022年2月14日 記


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バーク『フランス革命の省察』余滴

2022年02月09日 | 本と雑誌
 
 昨日読み終えたバーク『フランス革命の省察』(半澤孝麿訳)の余滴を。

 フランス革命によって成立した国民議会を口を極めて批判し、革命前の旧体制を支持するバークだが、何か所か、旧体制維持以外の可能性を示唆する記述もあった。
 イギリスのコモン・ローによる漸進的な法的ルールの形成を肯定する記述については前に書いたが、さらに、「混合政体」の可能性および「中間項」の可能性についての記述があったことを思い出した。

 バークは完全な民主政を批判する文脈で、「王政の専制と大衆の専制との中間に何物かがあるということを、この紳士連中(革命支持者たち)はかつて聞き及んだことはないのでしょうか。法によって方向づけられ、一国の偉大な世襲的財産と世襲的品位によって制御され平衡を保たれている王政――しかもこの二つながら、然るべき恒久機関を通して行動する民衆全体の理性と感情による健全な抑制を受けて再び制御されている王政――」のことを彼ら(革命支持派)は知らないのだろうか。・・・「ある国民が、そのような混合中庸の政府を手に入れる――否むしろ実際所有しているそうした政府をより堅固にする――こと」を自ら選択する人物がいないとでも言うのだろうかと述べている(半澤訳[以下同]157頁)。
 ここでバークが述べている「混合政体」とは、当時のイギリスの憲法体制のことであり、「世襲的財産と・・・」は上院を、「恒久機関」は下院を意味すると訳者の注釈がついている(356頁)。
 
 「国家をめぐる大部分の問題と同じく、ここ(※革命期のフランスにおける体制選択)にも中間項があります。・・・単純に絶対的破壊か改革無しの存続か、という選択肢以外に何か別物があるのです。・・・/立派な愛国者や真の政治家ならば、如何にすれば自らの国に現存する素材で最善が得られるかを常に考えるものです。保存しようとする気質と改善する能力とを合したものが、私にとっての真の政治家の基準です」と述べている(197頁)。
 そして、諸国家の歴史の中では、特定の人々が偉大な精神的努力によって改善を行なうよう召命を受ける瞬間がある。しかしのそのような瞬間にも彼らは必ずしも適切な道具を持っているとは限らない。政治家が偉大な事業を行なうためには一つの力(職人が梃子と呼ぶもの)が必要であると述べている(同頁)。
 ただし、バークがフランス革命期の「梃子」として挙げるものは(旧体制下のフランスの)修道院制度というのだから(同頁)、革命擁護派としては鼻白んでしまうのだが・・・。

 本書の帯には「バークは、政治家が必ず身につけるべき政治的英知の不朽の手引きである。彼に学ばぬ政治家は、海図をもたずに航行する水夫も同然である」というハロルド・ラスキの言葉が記されている(※上の写真)。
 本書を読み始めたころは、何でラスキはこんな本をこのように褒めたのだろうと訝しく思ったが、上のようなイギリス流の憲法体制、議会政治、コモン・ロー法体系についてのバークの言説に対する評価なのだろう。

 2022年2月9日 追記


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バーク『フランス革命の省察』(第2部)

2022年02月07日 | 本と雑誌
 
 エドマンド・バーク/半澤孝麿訳『フランス革命の省察』(みすず書房、新装版1989年)をようやく読み終えた。

 第1部のフランス革命批判、国民議会批判、その一方での旧体制支持の記述がとても同意できる内容ではなかったので、第2部は読むのをやめようかとも思った。しかし、「仁和寺の法師」のように「第2部を読まざれば・・・」となることを恐れて、第2部も含めて最後まで読んだ。
 読んでよかった。
 フランス旧体制を礼賛し、革命後の国民議会および啓蒙思想家に対する罵詈雑言を繰り返す第1部とは打って変わって、第2部では(1790年時点の)フランス革命政権を(第1部に比べればかなり)理性的、冷静に批判している。
 もし第1部だけでやめていたら、結局ぼくはバークの神髄を知らずに人生を終えていただろう。知ったからと言ってぼくの世界観が変わったわけではないが、フランス革命によって成立した国民議会や、革命を導いた啓蒙思想家たちに対する(革命勃発の翌年に現われた)批判を読むことは、その後の自然権思想、人権論、民主主義論を考えるうえで貴重な経験になった。
 ※ 下の写真は同書の口絵に掲載されたバークの肖像画。
     

 まず第一に、バークは革命指導者や啓蒙思想家が唱える「人権」の虚偽性を指摘する。
 「人権」すなわち「人」の「権利」と言いながら、それは決して「人」「人間」一般に平等に保障された権利ではない。それは一定の「財産」を有する人間、高額納税者にしか保障されていない権利(特権)なのである。このことをバークは、当時の選挙制度に現われた投票資格を例に挙げて主張する(222頁~)。
 また、国民議会に送り出された「代表」の1人1人が「フランスの代表」であり、「あらゆる職業階級、多数者と少数者、富者と貧者、大地域と小地域の代表でもあった」はずなのにそうはなっていないという(236頁~)。
 バークに言わせれば、「選挙の本当の目的を達成するには、選ぼうとする人物の適性を知る手段がなければ」ならないが、フランスの選挙人団はそのような能力を有してはいない、「国家についての知識や利害を」持つことのない連中に国家の全命運をかける結果になっているのである(238頁~)。

 貴族や教会、修道院の領地を没収し、また紙幣(アシニァ紙幣)を強制流通させることによって、(没収された)土地は投機の対象となり、フランス全土地の10分の1が金融支配者の手中に落ちることになったという(240頁~)。このような「博奕打国民」を作り出す政策によって、富は都市の金融業者、投機師、山師らの手に落ち、他方で百姓は搾取され、農業や農村的生活そのものが疲弊することになる(245頁~。なお土地の商品化については283頁以下でも再言される)。
 こうして革命フランスにおいては、都市による農村の支配、端的に言えば「パリ共和国」による農村支配が行われることになった。

 ジョン・ロックらの自然権論者が唱え、フランス革命をはじめ近代市民革命が掲げた「人権」によってすべての「人間」が自然権を保障されたわけではなく、その「人権」が実際には、白人(植民地人は含まれない[バークも281頁でこのことを指摘する])、男性(女性は含まれない)、富者(無産者、貧民は含まれない)の権利にすぎなかった、すなわち欧州の白人男性ブルジョワジーの権利にすぎなかったことは、今日では多くの論者が指摘していることである。さらに現在では、近代的な人権が、成人の(子どもは含まれない)、性別違和のない異性愛者の権利にすぎなかったことも糾弾されている。
 しかし、人権保障の不平等性がフランス革命直後の1790年に、すでにバークによって指摘されていたことは驚きであった。しかもバークは、フランス革命がパリ共和国による農村支配であったとも指摘している。このような「都市」と農村の関係の理解は、羽仁五郎『都市の論理』などに現われた(都市は自由化したが農村に封建遺制が残ったという)フランス革命理解と大きく異なる。
 ただし、バークは封建的な土地所有と、所有者である貴族らの奢侈(無駄遣い)によって富が分配されてきたといった趣旨のこともどこかで書いており、自然法によれば土地を開拓し、耕作する者こそが土地の所有者であるべきであるとは考えていない(283頁など)。

 その他にも、バークは、革命フランスの司法部が立法府、執行府に対して劣後する地位に置かれたことも批判する(264頁~)。しかし、裁判官の地位が売買されたり世襲されるような旧体制下の高等法院を廃止し、司法部の権限を制約することは、民主主義を徹底して国民議会の地位を絶対視する革命権力側としては当然の措置だっただろう。
 バークにとっては、(第1部で論じたように)国民議会は無能な議員(三百代言ども!)の集団であり、そのような連中が司法部に優位することは承服できなかったのだろう。バークは、主権者となった国民議会(多数者)による少数者の排除も指摘するが(250頁)、立法部の多数者(による圧政)から少数者の権利を保障することこそが司法部の役割であるという発想はない。
 今日でも司法による少数者の権利の保障、行政部からの裁判官の独立の保障は重要な課題である。

 国民議会による軍隊のコントロールの可能性を疑問視する意見も示唆的である(266頁~)。
 バークは、議会による軍隊の支配を「将校達が三百代言共の支配に」服することであるとまでいう。そして、軍事的な才幹もない三百代言どもによって将校達の権威が貶められる状況が続けば、「やがて、誰か人気のある将軍--兵士を宥める術を知り、しかも真の統率精神を有している将軍--が出現して、万人の視線を彼の一身に集めるでしょう」(278頁)と、まるでナポレオンの出現を予言するようなことが書かれている。
 ナポレオンの登場はジャコバン独裁の終わった1795年、本書出版から5年後のことである。

 フランスの財政についても、革命によらなくとも旧体制下の財政改革によって可能だったことが、第2部でも繰り返されているが(287頁~)、当時の財政や租税の問題はぼくの能力を超える。いずれにせよ、財政ひっ迫に有効な対策を講じなかったフランス旧体制が革命によって崩壊した事実は変わらない。

 なお、第1部では、フランス革命の国民議会、とくにその構成員の不適格性が強く批判されていたが、今日のわが国の国会にもそのまま当てはまるような指摘も少なくなかった。わが国の国会は本当に民主主義国家の国会、国民代表の団体と言えるだろうか。もしバークが今日にあれば、わが議会の現状を肯定することはないと思う。

 --これで、大学1年生の頃に十分に応答できなかった(訳者である)半澤先生との対話は終わりにする。本書を読みながら、常に、半澤先生はなぜこの本を5年半の歳月をかけて翻訳されたのだろう、と考えながら読んだ。
 日本の民主主義が抱える問題は、近代市民革命の初発の時点から指摘されていた課題であったこと、したがってバークの本書は日本の現状を考えるうえでも示唆に富む内容を含んでいるという読み方は、ぼくの曲解かも知れない。しかし、先生は解説の中で「時と所と読者の個性によって多様な読み方をされるのが古典というものの性格である」と書いておられる(416頁)。
 先生から大学での勉強について諭された1969年から50年以上も経って、なんとも情けない結果であるが、それもぼくの個性であり、実力のなさであり、不肖の読者としておゆるしいただくしかない。

 2022年2月7日 記


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中田耕治『ハウハウ受験英語塾』(1975年)

2022年02月06日 | 本と雑誌
 
 きのう(2022年2月5日)の東京新聞に中田耕治氏の死亡記事が載っていた。
 2021年11月26日(!)に94歳で死去、肩書きは「作家、翻訳家」とある。

 ぼくは中田氏の著書を1冊だけ持っている。
 『ハウハウ英語塾 英文解釈ーー重要成句・構文のすべて』(二見書房、サラブレッド・ブックス49、1975年、680円)である。
 カバー扉の著者紹介によれば、中田氏は当時明治大学講師、1928年東京生まれ、明治大学英文科卒で、10代の頃に戦後派最年少の批評家として文壇デビュー、人物評伝、舞台演出、作家、翻訳家として活動し、本書は彼の著書・翻訳書として115冊目の作品とある。

 表紙に書かれた「古典から現代まで150冊のポルノ例文」という宣伝文句や、本文中に挿入された挿し絵に誘われて購入したのだろう。中身はほとんど読んだ形跡がない。
 最初の60ページ弱は文法と構文の説明があり、それ以降は左ページが文法事項・構文・成句の解説で、右ページには例文と和訳が載っていて、最後に熟語集が付いている。
 例文の出典は、すべて「チャタレー夫人の恋人」「ファニー・ヒル」「わが秘密の生涯」「エマニュエル夫人」などポルノ小説で、挿絵もついている。“Open Marriage” など本邦未訳の作品もある。
 「チャタレー夫人の恋人」を素材に、“in spite of oneself” の説明が載っているページに楓の押し葉が挟んであった(※下の写真。「自分でもどうしようもなかった」という訳文があてられている)。
     

 高校時代に帰国生で英語ができる同級生がいた。「クソ」がつくほど真面目な彼が「チャタレー夫人の恋人」の英語版を教室に持ってきて、(チャタレー事件最高裁判決によって「猥褻物」の烙印を押されたため)1960年代当時の日本語版では削除されていた部分を読み上げては日本語訳を級友に聞かせて、はしゃいでいた。
 普段の真面目ぶりとあまりにミスマッチで、聞いている方が恥ずかしくなった。
 何年か後に、友人の結婚式で彼と同席したので、その話をしたら嫌な顔をされた。

 中田氏の本書は、例文の出典がポルノ小説である以外はごく普通の英文法、構文解説の本である。
 当時は新書版形式の受験参考書(『試験に出る英単語』など)が流行っていたが、本書の読者の多くは、ポルノ出典の例文の日本語訳しか読まなかったのではないか(ただし今読んでみるとたいした内容ではない)。
 ぼくもその一人だったかもしれないが、本書が出版された昭和50年(1975年)にはぼくはすでに大学生になっているから、受験参考書として買ったわけではなさそうである。

 2022年2月6日 記


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