豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

“メグレ警視 運河の秘密” 4

2008年06月27日 | 本と雑誌
 
 またまた、ついでに(何も書くことがないので)DVD版“メグレ警視 運河の秘密”の原作を探した際に出てきた邦訳、ジョルジュ・シムノン/宗左近訳『オランダの犯罪』(創元推理文庫、1960年)の表紙。
 オランダの運河が登場する(はずである)。メグレものの中で、ぼくは好きなほうの作品である。

 古本屋で見つけたため、カバーがない。印象的なことに、奥付に訳者の《宗》という朱肉の検印が押されている。
 1960年頃は、まだ検印などが押された本もあったのだ。それも、文庫本で。今時の本には「検印省略」とさえ印刷されていない。それだけ出版社の信用が高まったということなのだろうか。

 この本の解説の中に、ジョルジュ・シムノンは、1950年現在、身長1m74cm、体重74kgと書いてあった。ぼくも身長は1m74cmだから、ぼくとシムノンには共通点が少なくとも1つあることになる。
 どうでもいいことだけど・・・。

 * 写真は、ジョルジュ・シムノン/宗左近訳『オランダの犯罪』(創元推理文庫、1960年)の表紙。

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“メグレ警視 運河の秘密” 3

2008年06月26日 | 本と雑誌
 
 “メグレ警視 運河の秘密”のついでに、メグレ警部もののうち、運河が登場する作品の原作(翻訳)本、第2弾。

 ジョルジュ・シムノン/大久保輝臣訳『13の秘密』(創元推理文庫、1963年)。『13の秘密』のなかの1章も「14号水門」と題されていて、運河にまつわるエピソードだが、さらにこの文庫に収録された「第1号水門」という短編も、「運河」ものである。

 もともと、メグレ警部ものは、初期の小説が売れたシムノンが、ヨットを購入して航海中に、どこかの運河で足止めを食った折に、近くに繋留してあった破船のなかで執筆したのが、第1作だったらしい。たしか、先日借りたDVDのどれかのおまけについていた《メグレ警視》にまつわるエピソード紹介のなかで、そんなことが書いてあったような気がする。
 そういう意味では、モンマルトルではなく、運河こそメグレの故郷ともいえそうである。

 ちなみに、1975年頃に買ったこの文庫の巻末の目録にはシムノンの作品として、『ゲー・ムーランの踊り子』というのも載っている。
 当時は「踊り子」なんてものに興味がなかったので、買わないままにしているうちに、品切れとなってしまった。

 * 写真は、ジョルジュ・シムノン/訳『13の秘密』(創元推理文庫、19年)の表紙。

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“モンマルトルのメグレ” 2

2008年06月25日 | 本と雑誌
 
 DVD“モンマルトルのメグレ”の原作(の翻訳)『モンマルトルのメグレ』(河出書房新社、1977年)の表紙。
 これも、水野良太郎氏の挿画。

 DVDのほうの“モンマルトルのメグレ”の原題は《Maigret et les Plaisirs de la Nuit》、なのに、原作のほうは《Maigret au “PICRATT'S”》。
 いずれにしても、モンマルトルのその手の小屋の名前なのだが、なんで敢えて別の名前にしたのだろうか。

 * 写真は、ジョルジュ・シムノン/長島良三訳『メグレ警視シリーズ7 モンマルトルのメグレ』(河出書房新社、1977年)の表紙。

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“メグレ警視 運河の秘密” 2

2008年06月24日 | 本と雑誌
 
  “メグレ警視 運河の秘密”(DVD)の原作の邦訳は、伊藤英太郎訳『運河の秘密』(京北書房、1952年)という本らしいが、ぼくは持っていない。

 そこで、ぼくが持っている“メグレ警部”モノのうち、運河にまつわる作品のなかから、河出書房新社版“メグレ警視シリーズ 6 メグレと口の固い証人たち”の表紙をアップした。

 このシリーズの表紙は、すべて水野良太郎氏の絵で飾られている。いずれも、小説の雰囲気をよく伝える絵である。
 
 DVDで“運河の秘密”を見なかったとしても、フランスの田舎の運河の風景は、彼の挿絵で十分に想像することができた。

 * 写真は、ジョルジュ・シムノン/長島良三訳『メグレと口の固い証人たち』(河出書房新社、1976年)の表紙。

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“メグレ警視 聖歌隊の少年” 2

2008年06月23日 | 本と雑誌
 
 先日見たDVD“メグレ警視 聖歌隊の少年”の原作(かなり翻案されているが)と思われるG・シムノン/三輪秀彦訳『サン・フィアクル殺人事件』(創元推理文庫、1986年改装新版)の表紙。

 どう見ても、ジャン・ギャバンがモデルと思われるパイプをくわえたメグレ警部(この本の中ではメグレはまだ警部である)の似顔絵が描かれていて、さらに裏表紙には、メグレに扮したジャン・ギャバンのスチール写真が飾られている。

 この第3章が「合唱隊の少年」である。前にも書いたように、冬の早朝に教会の聖歌隊のために早起きして、寒いなかを教会に向かうメグレ少年の回想が印象的だった。
 1998年11月16日(月)に近所の古本屋で購入した、と記してあった。

 * 写真は、『サン・フィアクル殺人事件』(創元推理文庫)の表紙。


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“我等の生涯の最良の年”

2008年06月22日 | 映画
 
 この春先以来、キープ社版“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画”シリーズは、30本近く購入し(3枚組みも含めて)、その大部分を見てきた。
 このブログのコラムにも、何度となく「出典は、“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画”から」と書き込んだ。今年上半期で、この《豆豆先生の研究室》に最も頻繁に登場した固有名詞は、ひょっとすると「水野晴郎」だったかもしれない。

 その水野晴郎さんの訃報が先日の新聞に載った(6月11日付)。
 実は、ぼくは水野晴郎さんという人がどういう人なのか、よく知らなかった。
 警察学博士号なるものを取得したり、選挙に出たり、どんな映画も大体笑いながら褒めてしまって参考にならず、・・・といった具合で、正直に言うと余り好意はもっていなかった。
 しかし、訃報の紹介記事に接して、はじめて水野さんの生い立ちを知った。

 例えば、産経新聞2008年6月11日付によれば、 

 ・・岡山県出身。水野さんは2歳で旧満州に渡り終戦を迎えた。1946年に引き揚げた直後に両親を失ったが、幼かった弟3人と妹1人の面倒を見ながら昼間は郵便局や本屋に勤め、夜は定時制高校に通った。
 「風と共に去りぬ」や「カサブランカ」などの洋画に魅せられ、56年に上京。洋画配給会社「二十世紀フォックス」に入社し宣伝部長を務めて72年、独立し洋画配給会社「IP(インターナショナルプロモーション)」を設立した。
 その間、慶応大学国文科を9年がかりの通信教育で卒業。71年10月から日本テレビ系「水曜ロードショー」の解説を担当。・・・

 とある。

 ぼくは、「警察学博士」も、「慶応大学通信教育」も、何もかもみんな納得がいった。
 親の金で大学を卒業させてもらったぼくらには、何も発言する資格はない。

 ぼくなりに水野さんを追悼する気持ちで、“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画[赤35] 我等の生涯の最良の年”を見た。

 水野さんは、解説の中で、「私はこの映画を10数回見ている」と書いている。
 水野さんにとって、同じ映画を10数回見るということが、その映画に対するどの程度の評価となるのかは分からないが、訃報で紹介されていた彼の生い立ちとあわせ考えると、「私はこの映画を10数回見た」という言葉のニュアンスが分かるような気がする。

 “我等の生涯の最良の年”は、太平洋戦争から帰還した3人のアメリカ兵が故郷に戻ってからの日々を描いたものである。
 大尉は、再就職も、妻との関係もうまくいかず、苛立っている。軍曹は、息子から戦争に対する批判をされたりはするものの、ほぼ順調に銀行員の生活に復帰する。しかし、帰還兵を装った詐欺師を見抜けないで、独断で融資をしてしまう。水兵は戦闘で両腕を失い、苦労をかけないために許婚者と別れようとしている。
 
 最後は、水兵が許婚者と結婚式を挙げ、妻と別れた大尉が軍曹の娘にプロポーズするシーンで終わる。
 水野さんは、軍曹が家族と再会するシーンや、最後に水兵が結婚しようとするシーンなどを挙げて、「この感激は素晴らしいものがある」と評している。

 以前だったら、また「感激か・・」となってしまうところだが、今回ぼくは素直に感激することが出来た。
 戦争から生きて帰ることができて、愛する家族が迎えてくれたり、好きな人と結婚することができるという人生のどこに感激してはいけない理由があるだろうか。

 1946年に製作されたこの映画には、後に団塊の世代のかけらであるぼくたちが、“うちのママは世界一”だの“パパは何でも知っている”などのアメリカのテレビ番組で洗脳された、「家庭の幸せ」「結婚の幸せ」の原形のようなものが描かれている。
 先日、「婚活」時代なる新書を読んだが、若者の結婚の現実にシビアな著者(女性のほう)が、臆面もなく誰々さんは「幸せな結婚」をしているなどと書いている。読んでいるほうが気恥ずかしくなるが、今でも結婚は「幸せ」の目標なのだ。

 年下の弟妹を育てるために結婚をしなかったという水野さんは、“花嫁の父”のような立場で、この映画に感激していたのではないだろうか。
 
 * 写真は、“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画[赤35] 我等の生涯の最良の年”(原題は“The Best Years of Our Lives”)のケース。

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“モンマルトルのメグレ”

2008年06月18日 | テレビ&ポップス
 
 借りてきたDVDの“メグレ警視”シリーズの最後の1本、“モンマルトルのメグレ”を見た。

 DVDの原題は、“Maigret et Les Plaisirs de la Nuit”(「メグレと“夜の楽しみ”」--“夜の楽しみ”はストリップ小屋の店の名前)だが、邦題は“モンマルトルのメグレ”となっている。

 そして、始まりのタイトルには、“d'apres le roman ; Maigret et PICRATT'S de George Simenon”と出ている。
 この作品は、3本見た中では原作との対応が一番はっきりしていて、矢野浩三郎訳『モンマルトルのメグレ』(河出書房“メグレ警視シリーズ7”、1977年)が原作である。
 DVDの邦題も、この日本語訳からもらったものだろう。

 観光客には表面しか見ることのできないモンマルトル界隈の深層を垣間見ることができる。
 今回も、犯人は最初に分かるようになっている。3本とも同じということは、このフランスのテレビ“メグレ警視”シリーズは、いよいよもって「犯人探し」には興味はないようだ。

 * 写真は、DVD“モンマルトルのメグレ”から。

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“メグレ警視 運河の秘密”

2008年06月15日 | テレビ&ポップス
 
 息子の野球の応援から帰宅して、DVDで“メグレ警視 運河の秘密”を見た。

 原題は、“Maigret et Croqueuse de Diamants”、直訳すると“メグレとダイヤモンドの浪費者”となる。
 余りにもおかしいので、辞書を引くと、“croqueuse de diamants”には「(男に囲われた)浪費癖のある女」という訳がついていた(プログレッシブ仏和辞典)。
 これなら、内容にぴったりである。というより、こんな慣用句に合わせてストーリーを作ったのではないかとさえ思える。

 原作はなんだろうか。
 もともと、ツタヤで借りた時の選択の基準は、「原作の雰囲気を映像で見てみたい作品」である。
 メグレ警部のシリーズには、運河が舞台になった作品がたくさんある。
 ぼくが持っている本だけでも、『オランダの犯罪』(創元推理文庫)、『第1号水門』(『13の秘密』創元推理文庫所収)、『メグレと口の固い証人たち』(河出書房)などがある。
 しかし、そのいずれにも、“Maigret et Croqueuse de Diamants”という作品は見出せなかった。テレビシリーズのオリジナルなのか、邦訳されていないのか、それともぼくが知らないだけなのかもしれない・・・。

 もう一度見直すと、始まりのタイトルの中に、“d'apres le roman ; Le charretier de la Providence de George Simenon”とあるのを見つけた。
 長島良三『メグレ警視』(読売新聞社)で調べると、この作品は『運河の秘密』という邦題で出版されたようだ(伊東英太郎訳、1952年、京北書房)。残念ながら、ぼくは持っていない。
 “Le charretier de la Providence”は直訳すると、「神の荷馬車引き」だが、どういう意味なのだろうか。おそらく、直訳だと犯人はすぐにわかってしまうから、『運河の秘密』などという邦題にしたのだろう。『運河の秘密』の方が内容にふさわしいかもしれない。

 でも、いずれにしろ、それらの作品の背景となったフランス国境(あるいはベルギーかオランダ)地帯の運河の雰囲気は十分に味わうことができた。
 松本清張の『アムステルダム運河殺人事件』などと比べると、のどかな田園のなかにある、こじんまりとした運河である。
 流域の人たちにとっては、かけがえのない交通の手段である。たとえ連続殺人事件の捜査のためであったとしても、足止めを食らうようなことになったら、すべての住民が警察(メグレ警部)を敵視することになる。

 ちょっと残念だったのは、昨日見た“メグレ警視と聖歌隊少年の証言”と同じく、当初もっとも捜査に協力的に描かれていた登場人物が犯人だったこと。真犯人が画面にはじめて登場した途端に、「こいつだ!」という予感がした。
 そして、予想は的中してしまった。犯人探しが目的ではない、とはいえ・・・。
 
 * 写真は、DVD“メグレ警視 運河の秘密”の1シーン。

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“メグレ警視 聖歌隊の少年”

2008年06月14日 | テレビ&ポップス
 
 夕方、散歩に出かけて、“TSUTAYA”に立ち寄った。

 すると、「第2、第4金曜日は、ツタヤWカード会員は料金半額!!」という看板がカウンターに立ててあった。きょう入会しても半額になると書いてあったので、このツタヤWカード会員なるものに申し込んでしまった。
 カードが増えすぎて持ち歩きにも困っているのだが、一般の会員だと更新料が必要なのに、このWカードとやらなら、入会金も年会費も更新料も一切無料だという。
 先日も、ヤマダ電機で何とかカードの会員になれば、通常なら1%しかつかないポイントが10%つくといわれて、ついついその何とかカードを作ってしまったばかりである。6万円のものを買ったので、600円か6000円かでは大きな違いである。

 そして、TVドラマのコーナーから、“メグレ警部”ものを3本借りてきた。ツタヤの棚には、メグレ警部ものが30本近く並んでいたが、原作を読んだもののうち、その雰囲気を映像で味わってみたいものを選んだ。

 さっそく、その中から“メグレ警視と聖歌隊の少年”を見た。

 DVDのラベルには“メグレ警視 聖歌隊少年の証言”という邦題が印刷されているが、原題は、“Maigret et l'enfant de choeur”である。かつて読んだ原作(もちろん邦訳でだが)も、原題のままだったように記憶する。
 原作が何に収録されていたのか思い出せず、わが本棚に並んだメグレ警部ものや、長島良三『メグレ警視』(読売新聞社、1978年)や、長島良三編『名探偵読本2 メグレ警視』(パシフィカ、1978年)を調べたが、見つからなかった。

 しかし、間違いなく原作を読んだ記憶がある。
 少年時代のメグレが聖歌隊のために教会へ向かう冬の寒い朝の記憶と、聖歌隊の少年の証言の真偽が問題となる現在の事件とが交錯するという、筋立てもそのとおりだった。
 ただし、原作では、冬の暗くて寒い朝の光景が印象に残っているのだが、今回のテレビ・ドラマ版では、季節は真冬ではないようで、朝の寒さや街のほの暗さはそれほど印象的ではなかった。
 そのかわり、ユトリロの絵のような郊外の街並みが印象的だった。

 その街を路面電車が走っているのもいい。
 しかも、事件を目撃した少年を相手に、自分の思い出話をするメグレが、「子どもの頃、路面電車にコインを轢かせて遊んだ」と語っていた。
 その昔、玉電の沿線に住んでいた世田谷区の子供たちと同じ悪戯を、1910年頃のフランスの子供もしていたことを知って、共犯者として嬉しくなった。
 ぼくとメグレ警部(シムノン?)との唯一の共通点かもしれない。

 時代も何年頃に設定されているのかわからなかったが、かなり旧型のシトロエンのパトカーが登場したり、幌つきのオープンカーなどが背景に走っていたりして、クルマ・マニアなら、何年頃の話なのか分かるだろう。ぼくには分からないが。

 * 写真は、“メグレ警視 聖歌隊少年の証言”のDVDから。

 追記 
 “メグレと聖歌隊少年の証言”の原作を読んだ記憶があると書いた。あれこれと探してみると、『サン・フィアクル殺人事件』(創元推理文庫、1960年[L'affaire Sant-Fiacre])のなかの一章に「合唱隊の少年」というのがあり、このなかに、メグレ自身が、少年時代の冬の朝に寒さの中を教会に向かう光景が描かれていた。

 しかし、ストーリーはDVDの“聖歌隊少年の証言”とはまったく別物であった。このフランスのテレビ・ドラマの“メグレ警視”シリーズの冒頭のタイトルには、“d'apres la nouvell de George Simenon”とだけあった。
 例えば“運河の秘密”には、“d'apres le roman ; Le charretier de la Providence de George Simenon”とあるところを見ると、この“聖歌隊の少年”は、原作を著しく翻案しているので、「シムノンの~から」とは書けないのだろう。

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“ダヴィンチ・コード”

2008年06月08日 | 映画
 
 遅まきながら、“ダ・ヴィンチ コード”を見た。

 今年の正月だったかに、従弟が遊びに来たときに貸してくれたものだが、この春は西部劇づいていたので、見ないままになっていた。
 先日“荒野の七人”を見て、買い置きの西部劇DVDは何もなくなってしまった。
 そして、昨日の土曜は、金曜日の授業の疲れが出て昼間爆睡してしまったので、夜になっても眠くならず、149分もある“ダ・ヴィンチ コード”あたりがちょうどよいだろうと見ることにした。

 ストーリーや結末は、公開当時テレビ番組などでも解説されていたし、既に原作も映画も見ている女房と息子から聞かされていたので、あまり緊迫感もなく、冗長な所は《早送り2》で飛ばしながら見た。
 感想は、女房息子のいっていたとおりであった。

 「あれこれと伏線が張りめぐらされているので、途中でやめられなくて夜更かしさせられたけれど、伏線を回収し始めるあたりからだんだん尻つぼみになって来て、最後はあっけないくらいつまらないよ。」
 と言うのが原作を読んだ息子の感想だった。

 映画もそのとおりだった。
 推理モノとして破綻や無理がいくつもある。最初の殺人のダイイング・メッセージのアホくささ--そこまで書き残す余力があるなら死にはしないだろう--、せっかくトム・ハンクスが「飛んで火にいる夏の虫」のごとく自宅に迷い込んできたのに、事件の黒幕がそこで処理しないで、ロンドンくんだりまでノコノコ一緒に出かけるドジさ加減、途中の脱出劇のイージーさ、などなど・・。

 そして結末も、「何だ、これは!」である。
 どうせエンタテイメントなら、トム・ハンクスにイエスの末裔でももうけさせればよかったのに、と思う。
 シオン修道会については再現フィルムまで使って仔細に紹介しているのに、ダヴィンチも、ニュートンも、まるで添え物のようにしか描かれていない。しかも、事件の黒幕が、追っ手であるトム・ハンクス相手にご丁寧に“ダ・ヴィンチ コード”の謎を解説して差し上げるというオマケつきである。

 パリの夜道をプジョー407(406かも)が走り回るのを見ることができることがクルマ好きには救いといえようか。そういえば、主役の女優はパリの歩道をあの二人乗りのスマートで逆送していた。

 * 写真は、ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントDVD“ダヴィンチ・コード”(期間限定1980円)のケース。

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“荒野の七人”

2008年06月06日 | 映画
 
 夕べ、“荒野の七人”を見た。

 この映画は間違いなく最初の日本公開の時に、東急文化会館のロードショーで見た記憶がある。

 キネマ旬報『アメリカ映画作品全集』によると1961年公開とあるから、まさに昭和36年。ことしの3月20日のこのブログに添付した、わがウエスタン姿の時代である。
 当時小学校の5年生か6年生に、こんな映画が面白かっただろうか。

 景色はきれいだったが、七人の揃い方がいかにもご都合主義的な印象をぬぐえなかった。
 テレビ“拳銃無宿”のスティーブ・マックィーンが若くて、懐かしかった。当時好きだったジュディ・オングがNHKの単発テレビドラマの中で、「スティーブ・マッキーンが素敵」といった趣旨の台詞を喋っていたのが記憶に残っている。

 * 写真は、20世紀フォックスのDVD“荒野の七人--特別編”のケース。

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