豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

びわ湖毎日マラソン、ラストラン

2021年02月28日 | あれこれ
 
 今朝、NHKテレビで「びわ湖毎日マラソン」を見た。
 いつもの日曜日の午前は、TBS「サンデー・モーニング」を見るのだが、8時からNHKで女性代議士による「日曜討論会」をやっていて、終わったらマラソンの中継になったので、そのまま見るともなく見ていた。
 びわ湖毎日マラソンは今年で終わってしまうというので、見たのかもしれない。
 ぼくの父方の祖母は彦根の出身なので、滋賀のびわ湖は多少の思い入れもある。コースは大津だけれど。

            

 びわ湖毎日マラソンで一番の思い出は、フランク・ショーターである。優勝したから記憶にあるのではなく、珍事の思い出である。
 彼はトップで走っていたのだが、沿道の観客の振っている小旗を数枚奪い取ったと思ったら、突然コースを外れて草むらに姿を消したのである。1~2分後に再びコースに戻ってきたと思ったら、また走り出して、結局優勝してしまった。
 試合後の報道で、そのとき彼は便意を催し、コース外の草むらで用を足してから再び走りだしたのだったという事情を知った。それを写真に撮ろうとした観客をショーターが怒鳴ったという本人のコメントもついていた。マラソンでは、コース外に出た場合でも、同じ場所からコースに戻って再び走ることが認められていることも、その報道で知った。

            

 そして、今朝は30キロを過ぎたあたりから、何か記録が出そうな予感がしたので、そこからは真剣に見ることにした。予感は見事に当たって、35キロ付近で3人のトップ集団から抜け出した鈴木健吾選手(富士通)が、そのまま1キロ2分50秒台前半を刻み続けて、とうとう日本新記録の2時間4分56秒で優勝した。
 彼は、昨年のびわ湖マラソンで終盤に失速してしまい、東京オリンピックの選考にも落ち、それから1年間ケガをすることもなく、万全の体調で今日リベンジに臨んだという。気象条件も良かったらしい。

            

 偶然、記録的な日本新記録を見ることができた。今日のテレビ中継では、選手が走る足音を拾っていたのがよかった。マラソンや駅伝の中継では、あの足音を拾わない方が多い。「拾えない」のかも。
 ぼくは一度だけ、東京女子マラソンを沿道で見たことがあるが、走者の足音が遠くから近づいてきて、大きくなり、やがて遠ざかって行くのが印象的だった。
 市橋有理選手が優勝した年である。外苑東通りの信濃町駅近くだった。

             

 最近では、スポーツ番組にしか「ドラマ」を感じない。

 2021年2月28日 記


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宇野重規『民主主義のつくり方」(筑摩書房)

2021年02月27日 | 本と雑誌
 
 宇野重規『民主主義のつくり方』(筑摩書房、2013年)を読んだ。

 菅首相が、書いたものすら読んだこともないのに、「総合的、俯瞰的」に判断して日本学術会議会員として不適格とした著者の本なので興味を持った。怪我の功名と言うべきだろう。宇野さんの書いたものは、東京新聞の論壇などで時おり目にしており、ぼくとしては彼がなぜ指名を拒否されるのか、理由が分からなかった。政府に好意的であるとは言えないが、ぼくなどがいうのもおこがましいけれど、専門家としての業績は十分である。

 民主主義の「つくり方」という書名から、日本を民主主義社会にするためのハウツ本的な内容を予想したが、この予想は外れた。基本的には政治思想の本である。
 古代ギリシャから、ルソー、トクヴィル、プラグマティズムの思想家たち、ハイエク、アレントその他を、「民主主義」の観点からつないでゆくのだが、著者が引用する思想家の学説の紹介は、門外漢にとって有用だった。その内容を要領よく知ることができるだけでなく、読まずに済ますことができた。本書の広汎な内容をここで要約する能力はぼくにはない。

 著者は、「政治を担う市民は、自律した存在でなければならない。他者に依存したままでは、自らを律することもできないからである。それゆえ、人々が政治の領域に参入するにあたって、まず確保しなければならないのは、他者への依存からの脱却である」(83頁)という「依存への恐怖」を指摘し、「自由」には「他者たちとの相互依存(interdependence)という位相がある」(95頁)ことを紹介しながら、しかし著者自身は「いかなる依存を、どの程度まで認めるか」という「自由と依存の関係をめぐる」繊細な思考が求められていると言う(96頁)。
 ぼくは、理念としては「依存への恐怖」を強くもちながら、現実には家族や周囲の人たちに結構依存して生きてきたので、わが立ち位置を顧みる契機を得ることができた。

 著者は、「民主主義をつくる」のは「習慣」の力であると言いたいようである。
 「一人ひとり個人の信念は、やがて習慣というかたちで定着する。そのような習慣は、社会的なコミュニケーションを介して、他の人々へと伝播する。人は他者の習慣を、意識的・無意識的に模倣することで、結果として、その信念を共有するのである」(139頁)。
 民主主義を「心の習慣」(トクヴィルの言葉。ただし「自由の習俗化」の文脈での言葉。136頁)として捉えようという立場には共感する。ぼくは、新渡戸稲造が「デモクラシー」を「平民道」と説いたことを大学時代に知って共感した。「デモクラシー」は「心の習慣」の問題である。阿部斉さんが “virtue” と呼び、トクヴィルが「心の習慣」と呼んだものこそが「平民道」だろうと思う。

 しかし、どうしたら、心の習慣、平民道としてのデモクラシーが定着するのか。
 ぼくの祖父は、大正デモクラシーのほうが戦後民主主義より民主的だったと言っていた。しかし、ぼくは大正デモクラシーに劣っているとしても、戦後日本の民主主義の中で育ち、その価値を信じている。
 この本は「戦後経験」として、藤田省三の言説を紹介するのだが、藤田の戦後経験を言われても、ぼくにはピンとこない。本書の最後の章では、「民主主義の種子」と題して、被災地支援など最近の日本における若干の民主主義の実験を紹介するが、いずれも特殊な事例であって、ぼくの民主主義とは結びつかなかった。 
 やはりこの本は実践の書ではなく、政治思想の本である。同じ古代ギリシャを対象にしていても、アゴラ(広場)における市民の対話を出発点に置く羽仁五郎『都市の論理』に対して、宇野の本書はポリスの、しかも思想家の思弁が出発点になっている。

 ぼくにとっての「戦後民主主義」の出発点は、1963年の中学校生徒会での経験だった。
 生徒会役員会の第1回目の集会の冒頭で、生徒会長だった3年生の女生徒が、「この生徒会はこれに従って運営されます」と宣言して、閲覧に供したのが『議事運営の手引き』という衆議院(国会だったかも?)事務局編の小冊子だった。
 会議成立の定足数、多数決の際の議決の方法など、(おそらくイギリス議会の「習慣」をわが国会が採用したものだと思う)議事運営のルールが記された本である。ぼくは、この本によって「動議」というものの存在をはじめて知り、その採否の方法に強い印象を受けた。多数決による決定と少数意見の尊重との調整は、民主主義の根本問題だが、議論(熟議)の過程における調整方法こそ「動議」であると、ぼくはその時以来ずっと思いつづけている。

 ぼくは一度だけ、生徒会で発言したことがあった。当時、ぼくの中学校では下校時刻になると校内放送で「アニー・ローリー」が流されていたのだが、ぼくは、その夏に見た映画「エデンの東」に感動して、下校時刻に流れる曲を「エデンの東」に変えてほしいと発言したのである。どういう会議の局面で発言したのかまったく記憶にないが、動議というより不規則発言だったかもしれない。しかし、熱く提案したのだろう、セカンドもなかったのだが、議長は「それでは決を採りましょう」と言ってくれた。圧倒的多数が「アニー・ローリー」を支持したが、「エデンの東」にも数票入った。
 ちなみに、今となっては、やっぱり下校時刻は「アニー・ローリー」だと思っている。今でもぼくは「アニー・ローリー」を聞くと、1963~4年の、中学校の夕暮れ時の、冬枯れのけやき林を思い出す。

 著者が、ジョン・デューイに言及し、民主主義の習慣化を言いながら、日本の戦後の学校における民主主義の習慣化の検討に進まなかったのは、上記のような経験を持つぼくとしては残念である。少なくとも、昭和30年代までの日本の各地の学校では、様々な民主化の試みがあったとぼくは思う。

 宇野さんの本は初めて読んだのだが、著者はきわめて穏やかな民主主義者である。この本で主張されているような「民主主義」の「習慣」化を、首相やその側近たちは自分たちに対する危険な思想だと思っているのだろうか。
 
 2021年2月26日 記

 

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『家族・私有財産及び国家の起源』(西雅雄訳)

2021年02月20日 | 本と雑誌
 エンゲルス/西雅雄訳『家族・私有財産及び国家の起源ーーリュウィス・エッチ・モルガンの研究に因みて--改訳版ーー』(岩波文庫、昭和30年6月20日改版第26刷、昭和4年6月第1刷、昭和21年11月第11刷改版)をネットで手に入れた。
 ヤフー・オークション初体験である。

 前に書いた羽仁五郎『都市の論理』には、エンゲルスのこの本(『起源』)の岩波文庫版が時折引用されるのだが、ぼくが持っている岩波文庫(戸原四郎訳)の該当ページに見当たらない。
 岩波文庫には戸原訳の前に西雅雄訳という旧版があることを知った。ひょっとすると羽仁が引用したのはこの西訳かもしれないと思ってネットで探したところ、ヤフー・オークションに100円で出ているのを見つけた。
 Yahooのアドレスは持っていたので、恐るおそる「入札する」→「次へ」→「次へ」を繰り返しているうちに、「入札されました」→「現在あなたが最高額入札者です」→「まもなく入札が終了します」と何度かメールが届き、入札終了時間が過ぎるとほどなく、「おめでとうございます。あなたが落札しました」というメールが届き、あとは「ヤフーかんたん決済」の手続きで、代金と送料を振り込んだ。
 数日待たされたが、昨日だったか現物が届いた。比較的きれいな状態だった。

 さっそく、羽仁『都市の論理』と照合してみた。
 『都市の論理』89頁に、「この(エンゲルス『起源』の)岩波文庫版の88ペイジに、“歴史に現れた最初の階級対立は、一夫一婦制における男女敵対の展開と一致し、そして、最初の階級圧迫は男性による女性の圧迫と一致する。・・・”と引用されているが、西訳の88頁にそのような文章はない。「吾々は単婚家族において、--その歴史的発生に忠実であり且つ男子の排他的支配によって表明された男女の抗抗争を明示している場合にはーー文明に入って以来階級に分裂した社会が、・・・そのうちに運動しているところの対立及び矛盾の縮図を持つのである」というのが対応する文章なのだろうか。
 前後のページも見たが、羽仁が引用した文章は見つからなかった。
 
 あるいは、西訳の改版以前の昭和4年版のページ数なのか。それともエンゲルスの文章を羽仁自身が訳したのか。
 なお、羽仁142頁には「(『起源』の)205ペイジ、215ペイジなどに、奴隷制と農奴制・・・についておこなっている分析は、注目すべきであります」という記述があって、ここでは岩波文庫ではなく、羽仁の『都市』を引用しているが、西訳の205頁、215頁には、確かにローマにおける奴隷制の記述がある。
 ということは、やっぱり西訳のどこかに「歴史上最初の階級闘争」の記述があるのだろうか。

 ちなみに、Googleで調べると、西雅雄さんという方のことを知ることができる。
 労働者向けのオープン・ユニバーシティのようなところで学んだようで、多くのマルクス主義の書物を翻訳し、最後は検挙されて獄死している。
 ソ連や東ドイツなどの「社会主義国」の崩壊後はマルクス主義は人気がないようだが、格差が極大化しつつある現在こそ、「コミュニズム」が求められる時代ではないのだろうか。


 2021年2月20日 記


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「走れ!歌謡曲」番組終了 

2021年02月13日 | あれこれ
 
 昨夜は11時すぎに就寝。
 NHKラジオ深夜便、関西発で視聴者の投稿川柳をやっていた。ラジオをかけたまま、いつの間にか眠ってしまった。

 目が覚めると、(きょう午前)3時からの南沙織特集をやっていた。
 南沙織の思い出はないが、しばらく聴いていた。知らない曲ばかりだったので、ダイヤルを回すと、カーペンターズの「イエスタデ―・ワンスモア」が流れてきた。

 文化放送の「走れ!歌謡曲」だった。
 女声のDJだったが、他の民放のDJに比べれば穏やかな語り口だった。50年近く前の、ぼくが若かったころに聴いていた滝良子や馬場こずえを思い出させる。彼女たちも午前3時からの(他局の)第2部を担当していた。
 次にかかった曲が南こうせつとかぐや姫の「神田川」だった。1972年の曲らしい。ぼくが22歳である。懐かしい曲だけど、ぼくは下宿したこともないので、「神田川」の歌詞のような思い出はない。きょうは南こうせつの誕生日だとも言っていた。彼は何歳になったのだろう。

 驚いたことに、「走れ!歌謡曲」は3月をもって番組が終了になると言っていた。
 若いころは、曜日ごとに、TBS「パック・イン・ミュージック」か、文化放送「セイ・ヤング」か、ニッポン放送「オールナイト・ニッポン」を午前3時まで聞いて、第2部が始まるとスイッチを切って寝ることが多かった。
 「走れ!歌謡曲」も、始まりの口笛(行進曲?)だけ聞いて寝ることが多かった。それでも、番組終了となると、多少の感慨はある。

 4時すぎにNHKラジオ深夜便に戻した。
 浜村淳へのインタビューをやっていた。彼は渡辺プロの所属だったとかで、当時の渡辺プロは銀座の三信ビルに入っていて、隣りは東宝演芸場だったので、よく寄席に通って話術の修業をしたと語っていた。
 桂文楽(だったか?)から、話の合間に「アー」とか「ウー」とか「エー」とかを挟むな、と教えられたと言っていた。ぼくも最初に就職した大学の新任研修で、元NHKアナウンス室長だった大沢さんという方(斉藤季夫アナと同期入社だといっていた)から、全く同じことを言われた。「アー」とか「エー」とか言いたくなったら、むしろ沈黙せよと教えられた。ぼくは、授業の際にこのアドバイスをかなり忠実に守った。だから、やたら「アー」とか「エー」とか「あのー」「このー」を連発する人の話は、気になって仕方がない。
 ちなみに、レトロな三信ビルの渡辺プロの右隣りのテナントが川島武宜先生の弁護士事務所だった。原稿をいただきに伺ったことがあった。

 午前5時近くになって再び「走れ!歌謡曲」に戻した。終わるときに「一人じゃないんだ、日野ファミリー」の日野自動車のCMが入らなかった。口笛行進曲も流れなかった。番組の途中のCMも文化放送関係の催し物のCMだけだったから、日野はすでにスポンサーから降りていたのか。それが番組終了の原因かもしれない。
 若いころは眠りたくなくて深夜放送を聞いていた。今は眠れなくて深夜放送を聴いている。それが17歳と71歳の違いである。昨夜は実質4時間くらいしか眠ってない。
 でも、それでいいのだろう。

 2021年2月13日 記


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ポラン書房、閉店(2021年2月11日)

2021年02月11日 | あれこれ
 
 きのう2月10日の午前、休日前に相手に届いてほしい急ぎの郵便物があり、散歩がてら石神井郵便局まで歩いた。
 一昨日までよりはやや寒いが、風もなく、天気がよくて気持ちがよい。
 北の空には、一筋の飛行機雲が西から東へと流れていた。

 30分ほど歩いて、午前9時半すぎに郵便局に到着。
 以前は「即日速達」というのがあったが、いまは「新特急郵便」というのなら当日に配達されるというので、それにした。郵便追跡サービスで確認すると、午後2時40分すぎに相手に到達したようだ。

 帰り道、西武線の踏切待ちの間に、空がきれいだったので、スマホで写真を撮る。

              

 ついでに通過して行く電車の車両も。新型なのかどうかは分からないが、あまり見慣れない顔である。

              

 
 ショックだったのは、下屋敷通り(わが家ではそう呼んでいるが、地図には「旧大泉街道」と書いてあった)沿いの古書店、ポラン書房が閉店してしまったこと。
 2月7日で店舗での営業は終わり、ネット上のみの営業になるという。

              

 あまり利用しなかったので仕方ないが、思い出はある。
 まだ、関越道の近くに店舗があった頃、新潮文庫のモームの「アシェンデンⅠ」を見つけた。Ⅱ巻がないので買わないでいるうちに売れてしまった。その後、新潮文庫の「アシェンデン」には二度とお目に書かれない。広瀬正の「マイナス・ゼロ」もこの店の店頭100円均一で見つけた。
 最後に入ったのは、去年の10月頃に、「呂運享評伝 上海臨時政府」を買った時だった。もともとネット上の「日本の古本屋」を探していたところ、ポラン書房で売られているのを発見して、しかもポランが最も安かったので、店舗に買いに行った。今後はこの方法でしか購入できなくなる。

            

 --と書いたが間違いで、ことし1月に店頭にあった山本周五郎全集の最終巻を300円で買ったのが最後だった。

 そう言えば、去年の中ごろだったか、「ポラン書房」の看板がなくなっていると息子から聞いたので、行ってみたらテレビか何かの撮影だった。

  2021年2月12日 記

             

 追記 きのう(2月16日)店の前を通りかかったら、引越しのトラックが横づけされて、荷物を積み込んでいた。

             

 追記2(3月13日)そして、2月24日に通りかかったところ、今度こそ本当に看板が外されてしまっていた。

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羽仁五郎 『都市の論理』(1968年)

2021年02月06日 | 本と雑誌
 
 羽仁五郎『都市の論理――歴史的条件・現代の闘争』(勁草書房、1968年)を読んだ。

 以前の書き込み(江守五夫著『結婚の起源と歴史』)ですでに触れたことだが、ぼくは大学に入学したばかりの1969年の春から初夏にかけて、羽仁五郎『都市の論理』とエンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』の読書会に短期間だけ参加した。
 羽仁五郎『都市の論理』(1968年)は、発売当時ベストセラー書に名を連ねるほど売れていて、学生の間でも流行していた。ぼくはハードカバーを買ったが、その本は友人に貸したら返ってこなかったので、今は手元にない。
 現在手元にあるのは、ペーパーバック版で、奥付には1979年3月発行、第31刷とある。10年ほど前に神田神保町の古本屋(今はなくなってしまった篠村書店)の店頭で見かけて買ったもので、裏表紙に50円と書いてある。新刊が売れたから、古本も安値で大量に出回っているのだろう。書き込みや傍線はないし、小口の汚れもなく、元の所有者が読んだ形跡はまったくない。

 ぼくが参加した読書会は、もともとは羽仁『都市の論理』を読むために始まったのが、羽仁の本に触発されて『起源』を読むことになったのだと思う。羽仁は、『起源』を「アトラクティブ」で「スマアト」な本として高く評価し、エンゲルスを(1960年代当時の)ちょっとばかりかっこうのいい最近の学者など及ばないスマートな学者と評している。
 その時は、結局、羽仁『都市の論理』を読み通すことはできず、エンゲルス『起源』も第6章で断念してしまったのだが、50年近くを経て、今回、改めて『都市の論理』を最初から読むことにした。『起源』の第6章以降もいずれ読もうと思う。前半よりも後半のほうが面白そうである。

 今回読み返してみると、『都市の論理』は『起源』の読み方を指南する本ではなく、むしろ、『起源』の間隙を埋める本であり、羽仁の『都市』(岩波新書、1949年)を補完、補強する本と言えそうである。基本的には、マウレル(Maurer)という歴史家の『ドイツ都市法制史』全4巻という本に依拠しているようで(144頁)、Maurerと『都市』が頻繁に引用されているが、羽仁の博識と「自由都市」や「解放」、「反独占資本」への熱い思いが印象的である。
 本書は、もともとは「地域」ないし「コミューン」における精神医療をめぐる勉強会から出発したというが、羽仁自身は、「コミュン」や「コミュニティ(地域社会)」という概念は非学問的として排斥しており、用いられるべきは「都市」ないし「(都市)自治体」であるという。
 ※ちなみに、羽仁がエンゲルス『起源』を引用する個所では岩波文庫版のページ数が書いてあるのだが、ぼくの持っている岩波文庫(戸原四郎訳)のページと照応していない。調べると、岩波文庫版の『起源』には1930年代に発行された西雅雄訳(1946年改訳版)というのがあったらしい。そっちのページ数なのだろう。手元の戸原訳では照合できなくて困った。後に西訳の1946年版も入手したが、これのページ数とも照応していなかった。1930年代の最初の西訳からの引用らしい。

                         

 羽仁のエンゲルス解釈によれば、原始的な人間社会が破壊されて、私有財産制、一夫一婦家族が生まれたが、それがプロレタリアートによって回復される過程の最初に現われたのが都市であり(101頁)、原始共産社会と、来たるべきより高次の共同体との中間段階において原始的な社会を回復しようとするのが「都市」である(93頁)という。
 そして、エジプト、ギリシア、アテネ、ローマなどの古代都市の隆盛と(それらの都市が基礎とした奴隷制の限界による)崩壊、フィレンツェ、ヴェネツィアなどルネサンス時代の自由都市の勃興、そして三十年戦争(と自由都市内部に発生したツンフト組合員や市会議員・評議員の地位の世襲などの腐敗)によって自由都市が崩壊し、農村に残っていた封建制を基礎とした絶対王政が成立し、ついで、絶対王政を打倒したフランス革命によって全国規模で自由都市共和政連邦が成立したという羽仁の歴史観が語られる。
 自由都市で実現した家族からの解放、地域(農村)からの解放が、フランス革命によって全国的規模で市民に及んだが、解放された市民の中から有産者階級(資本家)と無産者階級(労働者)の分化が生じた。有産者による支配から無産者を解放する最初の革命が1848年の二月革命であり、1877年のパリ・コミューンは、階級闘争の場としての都市の可能性と政治組織の方向性(三権分立ではなく、執行委員会と人民裁判所による人民主権)を示したという(353頁~)。

 ーー以上、『都市の論理』に何が書いてあるかを要約しようと試みたが、うまく書けなかったのは、羽仁の話が飛躍するためもあるが、要するにぼくの理解が足りないということであろう。以下は、部分的に印象に残ったことをアトランダムにいくつか。

 かつての職場の近く、九段坂を上りきったあたり、靖国神社の向かい側に大村益次郎の銅像が立っている。「なぜここに大村が?」と不思議に思っていたが、羽仁によれば、上野に立てこもった彰義隊を維新革命軍が九段から砲撃して撃退したのだが、その革命軍の司令官が大村だったという。九段から上野の山は遠くはないが、そう近くはない。歩いたことはないが、本郷の東大赤門までが30分くらいだから、徒歩で1時間程度だろうか。大砲が届く距離だったとは意外である。その大村は明治2年に暗殺され、翌3年には民兵組織であった奇兵隊が弾圧され、その後、竹橋事件、秩父事件を弾圧し、最後に幸徳秋水の大逆事件をでっち上げたのが山縣有朋であり、この巡査出身の警察政治家が近代日本の方向を誤らせたと羽仁は言う(183頁)。

 家(家族)は家父長的支配の場であり、最初の階級闘争は一夫一婦制家族における男と女の戦いであったという記述も見られるが、他方で、家には権力から個人を守るアジール(避難所)という役割もある、ヨーロッパの石造りの家は住居不可侵の象徴であるともいう(225-6頁)。その例として、メリメの『マテオ・ファルコネ』が出てくる(172頁)。父親が匿っていた革命軍の兵士を、懐中時計欲しさに政府軍に売り渡してしまった息子を父親が銃殺してしまう話を、羽仁は家の不可侵性のエピソードとして紹介するが、ぼくはあの話は家父長制的なイタリアの父親による「生殺与奪の権」の実例として読んだ(下の写真は「マテオ・ファルコネ」が入ったメリメの『エトルリヤの壺』)。               
                     
             

 「試験地獄」(当時はこんな言葉があったのだ!)まで独占資本が原因だと、あらゆる社会悪が独占資本によるものとされている。独占資本と政府の癒着が様々な社会悪の原因であるのは間違いないだろうが、「試験地獄」にはもっと様々な要因があっただろう。
 都市自治体に司法権を与えるべきだとして紹介される、自由都市の都市裁判所や(154頁)、陪審制などは、この本を読んだ影響だろうか、ぼくは行政法のゼミで、条例違反事件は自治体の裁判所を創設して、そこで裁くべきだと提案したこととがあった。伊佐千尋さんと倉田哲治弁護士らが立ち上げた「陪審裁判を考える会」にも参加した。 
 ぼくが住んでいる練馬区は、当時(1968年ころ)、水道普及率26%、下水道0%!、ガス36%で、いずれも都内最低、練馬区は「東京のチベット」(!)と言われたいたそうだ。そんな状態でありながら、区民会館の建設に12億円もかけようとしていると批判されている(388頁)。確かにぼくが練馬に引っ越した1960年には、プロパンガス、汲み取り便所、水道は私設だった(水道は現在も私設)。わが家の風呂は薪をくべてから石炭を焚いて沸かしていた。ぼくは1回100円の小遣いで、小1時間釜の前にしゃがんで風呂を沸かした。

 羽仁未央、左幸子など羽仁の家族とのエピソードも出てくる。ベストセラーになる本は「私小説的」な要素が必須であると誰かが言っていたが(清水幾太郎『論文の書き方』に関してそう言っていた)、『都市の論理』にも私小説的というか個人的エピソードが結構出てくる。本書の中には家族からの解放への言及が頻出するが、羽仁にとって「家族からの解放」は切実だったのだろう。参議院議員時代の検事総長(一高で同級生だったと書いてあったので、調べると佐藤藤佐だった)との問答、羽仁の都市論を褒める手紙をよこした(マルクス主義歴史学者だった頃の)林健太郎のことなど。ただし、小泉信三、田中耕太郎、横田喜三郎、磯村英一、今井登志喜、江藤淳など、登場人物はみな過去の人になってしまった。上原専禄、高島善哉は登場するのに、「都市」といえば言及されて当然と思われる増田四郎が出てこないのはなぜなのか。

 大学生になった1969年の初夏、高校時代の恩師を相模湖のお宅に訪ねた折に、羽仁の『都市の論理』を読んでいると話したところ、先生は、「おれの兄貴も兵隊に行くときに『ミケランジェロ』を持って行ったな・・・」と独り言のように仰った。羽仁には時代の若者に訴える力があったのだろう。
 エンゲルスが目ざし、羽仁が目ざした自由で平等な社会はいまだ実現していない。むしろ独占資本は当時よりいっそう独占化し、人民の不平等-格差は拡大するばかりである。自由も怪しくなっているが、これからの時代を「俯瞰」して、(とくに若い)人々に影響力をもつ思想家は現れないのだろうか。

 2021年2月5日 記


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春一番、吹いた?(2021年2月4日)

2021年02月04日 | 東京を歩く
 
 2月4日(木)、きのうは立春。

 そして、天気予報によれば、きょう東京では春一番が吹いたという。
 「春一番」というのは、立春の日以降に、風速8メートル以上で吹く南風のことを言うそうだ。 
 午後2時から近所を散歩で歩いたが、春一番は、内陸の練馬までは及ばなかったようだ。
 日ざしは穏やかで、暖かかったが、風速8メートルの風は感じなかった。テレビでも、海沿いのお台場あたりの風景を写していた。

               

 ちなみに、2月4日に春一番が吹いたのは、1951年の観測開始以来、もっとも早いという。
 1951年、昭和26年といえば、ぼくが生まれた翌年。ぼくは間もなく1歳を迎えようとしていた頃である。もちろん記憶にない。

               

 今年はあまり実感を伴わない春一番だったが、ぼくの大学時代の先生は「東京は2月16日か17日に春になる」という持論を持っておられた。
 当たった年もあれば、全くはずれの年もあった。
 いずれにせよ、早春賦の時期になった。

 何枚か写真を添付したが、きょうの光をとらえているか、自信はない。

  2021年2月4日 記


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『ロンドンーー追う者たち、追われる者たち』(AXNミステリーチャンネル)

2021年02月02日 | テレビ&ポップス
                

 1月31日(土)午後4時から午後10時まで、『ロンドンーー追う者たち 追われる者たち』(BS560ch,AXNミステリー)を見た。

 6話、6時間連続はつらかったが、「モース」も「ルイス」も「ヴェラ」も食傷気味だったので、目先を変える効果はあった。
 導入がややもたもたしていたので、第3話はスルーして、午後6時から1時間は地上波でニュースと天気予報を見た。7時からふたたびミステリー・チャンネルに戻って、第4話から第6話までを見た。

 猟奇的な連続殺人が起こり、早い段階から犯人が誰かは視聴者に明らかになるのだが、追われる犯人側の男女2人組と、追う警察側(こちらも男女)2人組のあいだの駆け引きを描いたサイコ・サスペンスということになっている。
 この犯人側の女は、前に書き込んだ『魂の叫び』のメアリー・ベルを思わせる。彼女も、大人の心を見抜き、平然と詐言、虚言をもちいて相手を引き込もうとする術に長けていたという。このドラマの女もそのような女である。

                               
            
 ただ、コンゴ内戦で家族を失い、医師を目指してイギリスにやって来たババと呼ばれる移民男が、どうして、この女のために殺人まで犯し、最後まで女を守ろうとしたのかが理解できなかった。
 原題は“We Hunt Together”というのだが、追う警察側からの意味は了解できるとしても、追われる側が、なにゆえ“together”で、何を“hunt”しているのかが分からなかった。
 第3話を抜いたのがいけなかったのだろうか。再放送があるようなので、次回は第3話だけを見ることにしよう。

 もう一つの疑問は、この原題をなぜ「ロンドン」に変えたのかという点。
 続いて放映された「ソールズベリー毒殺未遂事件」、近日放送予定の「ダブリン」などの「ご当地もの」と平仄を合わせたということか。
 あまりロンドンらしい風景は登場しなかった。
   
 2021年2月2日 記 



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