豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

サリンジャー「最後の休暇の最後の日」ほか

2021年11月16日 | 本と雑誌
 
 「最後の休暇の最後の日」(原題 “The Last Day of the Last Furlough”,初出は “The Saturday Evening Post” ,1944年)は、「グラッドウォーラー三部作」といわれる(らしい)連作の第1弾。“furlough” というのは(海外勤務の)軍人や公務員の休暇のこと。賜暇(leave)とある。
 この作品は、サリンジャーがいよいよ戦場に出る時期に書かれたもので、家族にあてた一種の「遺書」と見る解釈もあるらしい(スラウェンスキー117~8頁)。
 「グラス家もの」の第3弾であり、(ホールデンの兄)ヴィンセント・コールフィールドが主人公だが、ヴィンセントの親友として登場するジョン・ベーブ・グラッドウォーラーはサリンジャー自身の分身だそうだ。スラウェンスキーによれば、ベーブに付けられた(軍の)認識番号ASN32325200はサリンジャー自身のものだそうだ(同頁)。

 この作品にも、ニューヨークの青年の彼女とのデートの話題や、またしても煙草の場面が何度も出てくる。しかし、この作品の核心は、サリンジャーの戦争に対する思い、戦争を語らないことへの覚悟が語られているところにあると思った。

 ベーブは、第1次大戦に従軍した彼の父に向かって言う。
 「パパの世代の人たちは、・・・まるで戦争って、何か、むごたらしくて汚いゲームみたいなもので、そのおかげで青年たちが一人前になったみたいに聞こえる・・・。みんな、戦争は地獄だなんて口ではいうけれど、・・・戦争に行ったことをちょっと自慢にしているみたいに思うんだ。きっとドイツでも第一次大戦に行ったひとたちが、おんなじようなことを考えたり、いったりしたんだろうと思うんだ。だからヒットラーがこんどの戦争をはじめたとき、ドイツの青年たちは父親に負けないとか、それ以上だとかいうことを証明したくなったんじゃないかな。」
 「ぼくはこんどの戦争は正しいと思うよ。・・・ぼくはナチスやファシストや日本人(鈴木訳では「ジャップ」)を殺すことが正しいと思ってるんだ。・・・ただね、こんどの戦争にせよ、そこで戦った男たちはいったん戦争がすんだら、もう口を閉ざして、どんなことがあっても二度とそんな話をするべきじゃない。・・・もう死者をして死者を葬らせるべき時だと思うのさ。」
 「もしぼくらが帰還して、・・・だれもかれもがヒロイズムだの、ゴキブリだの、たこつぼだの、血だののと話したり、書いたり、絵にしたり、映画にしたりしたとしたら、つぎのジェネレーションはまた未来のヒットラーに従うことになるだろう。」(『サリンジャー選集(2) 若者たち』荒地出版社、1993年、109頁、渥美昭夫訳) 

 ぼくには、ヴィンセントの妹マティーに対する「愛情」がどうしても「幼女愛」に見えてしまうのだが、ホールデンのフィービーに対する思いや、そもそも「ライ麦畑」の「キャッチャー」になろうというサリンジャーの覚悟は、すべてサリンジャーなりの「戦争」の語り方を示しているように思えてきた。
 出征前夜、妹マティが眠っているベッドの端に腰を下ろしたヴィンセントは、「君はまだ小さな少女さ。でも少年でも少女でもいつまでも小さいままではいられないんだよ。」と語りかけるあたりは、『ライ麦畑・・・』のホールデンである(同上113頁)。
 ぼくは、「コンバット」という一昔前のテレビ番組の「戦場のメリーゴーランド」というエピソードを思い出した。「コンバット」の脚本家はサリンジャーを読んでいたのかもしれない。

   *   *   *
 
 「フランスのアメリカ兵」(原題 “A Boy in France”,初出は “The Saturday Evening Post” ,1945年)。 グラッドウォーラーもの、第2作と何かに書いてあったし、鈴木武樹訳『若者たち』(角川文庫)でも「グラドウォラ・コールフィールド物語群」に収められているが、グラッドウォーラーは出てこない。彼は確か24歳で出征しているから「少年」ではないはずだが。
 フランス戦線で塹壕掘りをする少年兵が主人公。戦闘で指の爪を剥がしてしまい、痛みのために自ら塹壕を掘ることができない。そこで、敗走したドイツ兵が残していった塹壕(たこつぼ)を見つけて、もぐり込み、胸のポケットに大事にしまってある母親からの手紙を読む。手紙はもう30回以上も読みなおしたので擦り切れている。そこには海岸の別荘に家族で来ていること、少年兵のガールフレンドの近況などが書いてある。
 読み終えた手紙を胸ポケットに戻して、少年兵は眠りに落ちる。
 サリンジャーらしくなくて良かった。ここでもぼくは、「コンバット」に出ていたビッグ・モロウの部下の兵隊を思い出した。
 『サリンジャー選集(2) 若者たち』の渥美昭夫訳で読んだ。 

    *    *    *

 「他人行儀」(原題 “The Stranger”,初出は “Collier's” ,1945年)。グラッドウォーラー3部作の第3弾。スラウェンスキーでは「よそ者」、鈴木武樹訳では「一面識もない男」と題する。
 戦後アメリカに戻ったベーブ・グラッドウォーラーが、親友ヴィンセント・コールフィールドのもとの恋人(で既に結婚している)ヘレンに彼の戦死を伝えに行く。どのように伝えたらよいのか悩むが、ありのままに、朝の薪割りの最中に飛んできた臼砲が当たって、運ばれたテントの中で3分後に亡くなったと伝える。
 そしてヴィンセントが書き残した「ミス・ビーバーズ」(彼女の旧姓だろう)という詩を手渡す。ぎこちない会話が続くうちに、「なんでポーク氏(現在の夫)と結婚したのか」とベーブが尋ねる。彼女は「彼(ヴィンセント)のせいよ、彼は弟のケネスが死んでからは何も信じなくなったの」と答える。
 会話の最中にベーブは何度もくしゃみをして鼻をかむのだが(「花粉熱」とあるけど「花粉症」か?)、作者の作為が感じられて煩わしい。
 8月末の気だるく暑い夕暮れの帰り道、五番街への歩道で、犬の散歩をさせる太った男とすれ違う。「ドイツ大反攻の時もこの男は犬の散歩をさせていたのだろう。信じられない」とベーブはつぶやく。
 ヴィンセントは戦死してしまったのだ。

 サリンジャーが影響を受けたというサロイヤンの『人間喜劇』だったか『わが名はアラム』だったかにも、おばあさんのもとに息子か孫の戦死を知らせる手紙を配達しなければならない郵便配達の少年の話があった。大学1年の時の英語の授業で読んだ。
 『サリンジャー選集(2) 若者たち』の刈田元司訳で読んだのだが、意味のとれないところがいくつかあったので、鈴木武樹訳『若者たち』(角川文庫、1971年)も参照した。

 2021年11月16日 記

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