豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

岡田尊司『脳内汚染からの脱出』

2007年05月29日 | 本と雑誌
 
 麻疹(はしか)流行で2週間の全学閉鎖になってしまったので、ゼミの代わりに、ゼミのテーマにも関係ある読書の雑感をひとつ・・。
 
 岡田尊司『脳内汚染からの脱出』という本を読んだ。

 最近、すぐにキレる子(大人も)や、面倒くさくなると簡単にリセットボタンを押すように他人を殺傷する子(大人も)のことを、“ゲーム脳”などという言葉を使って説明することがあるけれど、この本の著者(京都医療少年院の精神科医で横溝正史賞受賞の推理作家でもあるらしい)によると、もはやゲーム漬けによって生じる“ゲーム脳”は、薬物依存症、アルコール依存症、ギャンブル依存症などと同じく、“ゲーム依存症”という病気として医学界では認知されているそうだ。

 例えば、ある戦闘シミュレーションゲームを50分間やった人の脳内のドーパミン(仕事を達成したときなどに人に快感を与える神経伝達物質)分泌量を測定すると、平常の約2.0倍になっていて、これはアンフェタミンという覚せい剤(1kgあたり0.2mg)を静脈注射したのとほぼ同程度の分泌になっているという。
 さらに、ドーパミン分泌による快感はやがて耐性を獲得して、もっとたくさんの分泌がなければ快感を得られなくなり、最終的には禁断症状が発生し、ドーパミンの分泌を得るため常にゲームをやっていないとイライラするし、ゲーム以外のことに対してやる気が起こらなくなってしまうという状態に陥るというのだ。そして、このような状態に陥った人は、攻撃性が高まる反面、他人に対する共感性がなくなってしまう。だからカッとなると、親や兄弟でも殺してしまうことができる・・。

 それではどうしたら、子どもを“ゲーム依存症”から守ることができるのか? 
 著者によれば、いったん“ゲーム依存症”に陥った子を治療するのはきわめて困難で、ゲーム依存症にならないように予防することが最善の策だという。出発点は、まず乳幼児期から。最近のお母さんのなかには、自分はテレビやビデオを見たり、携帯でメールなどしながら赤ん坊に授乳させるのがいるらしいけど、授乳はクルマのガソリン給油とは違う。ちゃんと赤ん坊の目を見つめ、赤ちゃんと会話しながら授乳しなければ子どものコミュニケーション能力は芽ばえない。
 そして、子どもが乳幼児期の間は、可能な限り子どもをテレビやビデオにさらさない。家事が忙しいときなど、ついついテレビを見せておいて子守り代わりにしてしまうことがあるけれど、テレビ画面のような一方的コミュニケーション(子どもの側から話しかけてもテレビ画面は応えてくれない)は、子どもの発達にとって有害である。

 そして、ゲーム機も可能な限り低年齢期には与えないこと。著者は小学4年生までは与えないこと、そしてソフトの内容も親が確認して、暴力的、攻撃的なものは与えないことなどを提案している。買い与えた後も、遊ぶ時間を制限すること、夕食後はやらせない(ドーパミンの分泌は人を覚醒させ、睡眠障害の原因になる)、1日30分毎日やるよりは、土曜日に2時間だけというように制限すること(もともとゲームというのはお正月や誕生日といった“ハレ”のときにだけ行う行事だったのであり、ゲームを毎日やるというのは、大人が毎日祭り酒を飲むようなものだという)、宿題をやったらとか塾に行ったらなど、勉強した報酬としてゲームで遊ぶことを許すという条件づけは絶対にやってはいけない。
 そもそも人は勉強をして問題が解けたときにドーパミンが分泌されて快感を得られ、それが動機づけになってさらに勉強をするようにできているのに、このような条件がつくと、人はより大きな快感を得られるゲームをする目的で勉強することになり、本来なら得られたはずの勉強による快感を得られなくなってしまうという。

 それでも、すでに“ゲーム依存症”になってしまった人の背景・性格別の(多動注意障害傾向の子、アスペルガー症候群の子etc.)治療は、基本的に、専門家の関与なしには、かつ本人自身の「このままではいけない、変わらなければいけない」という自覚なしには不可能である。そして“完治”ということは残念ながら不可能のようだ。

 そのほか、一般教養「法学」の講義で話したことのある「もし法律がなかったら人は他人を殺すだろうか?」に対する恐い解答を示すエピソード(“殺人タブーの解除”!)なども出てくるし(107頁以下)、子の引渡し訴訟をめぐってゼミで話し合った「母親優先の原則」(母性神話?)の面からも興味深い内容だと思う。

 君たちの子どもがまっとうに育つなら、998円は高くないと思う。

 * 多少ぼくの主観の混ざった紹介です。

(写真は、岡田尊司著『脳内汚染からの脱出』[文春新書、998円]2007年5月20日刊、の表紙カバー。)

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懐かしのテレビ主題歌

2007年05月14日 | テレビ&ポップス
 
 昭和30年代の子ども向けテレビ番組(少年探偵団の1つはラジオかも)の主題歌を、うろ覚えのままで・・。

 ① 少年ジェット

  勇気だ 力だ
  誰にも負けない その意気だ ヤァ
  正しく 強い この快男児
  その名は ジェット 少年ジェット
  行こう ジェット 少年ジェット
  J! E! T!

 ② まぼろし探偵
  
  赤い帽子に 黒マスク
  黄色いマフラー なびかせて
  オートバイが 空飛べば
  事件が起きた 時なのさ!
  行くぞ! ソレッ!
  みんなの仲間だよ まぼろし探偵

 ③ 少年探偵団(その1)
  
  とどろく とどろく あの足音は 
  ぼくらの仲間だ 探偵団
  胸に輝く 誓いのバッジ
  きょうも 怪しい 影を追う
  ああ、少年 少年 探偵団

 ④ 少年探偵団(その2)

  ぼ、ぼ、ぼくらは 少年探偵団
  勇気 凛凛 虹の色
  望みにみつる 歌声は
  朝焼け空に こだまする
  ぼ、ぼ、ぼくらは 少年探偵団

 ・・・いずれも、ちょっと怪しいけど、間違ってたら許して下さい。

 (写真は、昭和30年代モノの一つ、米沢嘉博・式城京太郎著「2B弾・銀玉戦争の日々」1982年、新評社刊の表紙)
    

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女警部ジュリー・レスコー、新シリーズ

2007年05月12日 | テレビ&ポップス
 数日前、スカパーの728ch(ミステリー・チャンネル)で、“女警部ジュリー・レスコー”の新シリーズというのをやってました。題名は忘れてしまいましたが、確か71話でした。
 はっきり言って、“ジュリー・レスコー”はもう終わってしまったようです。
 まず、ジュリー(ヴェロニク・ジェネ)がめっきり老け込んでいました。2005年製作とありましたから、前シリーズから2年くらいしか経っていないはずなのに・・。ヘア・スタイルと髪の色(染め色)も違和感があります。
 そして、ウンゲマも、カプランも、ゾラもいなくなっていました。いつも雁首を揃えて出ている時は、あまりにも紋切り型すぎてウンザリすることもあったのですが、いなくなってしまうと、やっぱりあの面々が顔を揃えていてこその、“女警部ジュリー・レスコー”だったと思います。“刑事タガート”みたいに、同じ題名のままで、主人公まで代わってしまう番組もあるくらいですから、大した変化というほどではないのでしようか。
 変わらないのは、レスコーが乗っているシルバーのプジョー407(かつては406)が、あの舞台の田舎町(何という名前だったか?)を走る姿だけでした。サルコジなんていう愉快でない人物が大統領になったのを期に、“ジュリー・レスコー”も卒業です。

(写真は、きょう5月12日[土]の午前9時から放映されていた“女警部ジュリー・レスコー”の58話の画面から、カプランとウンゲマ。)

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三浦展『団塊格差』--団塊世代のクルマとスーツ

2007年05月07日 | 本と雑誌
 
 日本社会の階層分化や、“下流社会”化を論じている三浦展の『団塊格差』(文春新書)という本を読みました。
 内容は、要するに、昭和22年から24年に生まれたいわゆる“団塊の世代”に対して、社会では、同質的なひとかたまりの世代として見るのが一般的だが、実は“団塊の世代”の内部で大きな格差が発生している、というのが著者の主張のようです。
 著者によれば、団塊の世代の年収は、1000万円以上が13%に対して、300万円未満が22%、貯蓄高は、2000万円以上が19.1%に対して、500万円未満が39.3%など、けっこう格差が開いているというのです。
 さらに、住宅を購入したのが、バブル期以前(およびバブル崩壊以降)の人と、バブル絶頂期に購入したため過大なローン返済を抱えている人たちとの間の格差、その子たち(“団塊ジュニア”)が生まれた年(→就職の年)の影響などで、フリーター、派遣などの非正規雇用者となっている者も、団塊全体の30%近くいるなど、子どもの格差もみられるようです。
 この世代を同質的な“ひとかたまり”と見なしていたのは、ひとかたまりだという幻想を抱かせておいて、同じような商品を大量に売りさばこうとした売り手側の魂胆だったというのです。
 面白かったのは、“団塊の世代”の嗜好です。
 団塊世代の好きな洋服は、ユニクロが1位で54%、2位が青山で32%、3位はナイキ22%などとなっており、VANは6%、ポール・スチュアート2%、ブルックス・ブラザース3%などはいずれも振るわないようです。著者がパルコのマーケティングをやっていた頃の同僚には、世田谷生まれの慶応ボーイで、ブルックス・ブラザースを着ているようなのが多かったといいます。
 これには、ぼくはちょっと異論があります。ブルックス・ブラザースは、もともとニューヨークではビジネスマン向けのスーツ(いわゆる500ドル・スーツ)を売っていたブランドの1つであって、アルマーニなどとは別格です。日本に進出する際に、ブランド・イメージを高める戦略が功を奏したのでしょうが、ブルックスは、いうならば“ニューヨークの青山”です。団塊がブルックスで買うのも、青山で買うのも、実は同じようなことなのです。(ちなみに、上海では青山は高級ブランドだそうです。)
 ぼくは、けっこうブルックスブラザースのスーツやジャケットを愛用していますが、ブルックスは、1月と7月の西武と東武のバーゲンの時と、あとはふらりと立ち寄った季節はずれの軽井沢ショッピングプラザで、バーゲン価格になっているときにしか買いません。あの程度の値づけが適正だと思うからです。正月早々の東武のバーゲンのときなど、試着室の前の列を見ると、けっこう団塊のおっさんたちが並んでいます。
 もう一つ、団塊が5年以内に買いたいと思っているクルマは、1位BMW9.6%、2位クラウン8.2%、3位プリウス8.1%、4位ベンツ7.2%、5位マークX5%、6位レクサス4.9%だそうです。これも違和感があります。うちの近所は世帯主が大体団塊世代の人たちですが、車庫に並んでいる車を見ると、カローラ、ジープ・チェロキー、ユーノス500、ヴェロッサ、アリオン、ゴルフⅣなんてクルマです。もう一つの特徴は、皆さん結構長く使っています。5年で買い換えると少し気恥ずかしいくらいです。もちろんベンツ、BMW、アウディの家もありますが、こういったクルマを有難がる人はすでに所有しているでしょう。
 ぼくは、前にも書いたようにカローラに乗ってますが、森永卓郎さんの愛車もカローラだそうです(年収300万円時代で印税が入ったでしょうから、もう違うかもしれませんが)。

(写真は、1982年秋~冬のブルックス・ブラザース“Brooks Brothers”の型録。こういうので、ブランド・イメージを構築したのだろう。)

 

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軽井沢町カレンダー

2007年05月04日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 軽井沢町発行の2007年(4月)~2008年(3月)のカレンダー。

 毎年代わりばえのしない写真が並んでいる。旧三笠ホテル、紅葉の別荘地、雪の聖パウロ教会、大賀ホール、白糸の滝、湯川ふるさと公園の6枚。それに上面に大きく雲場の池・・・。

 昔だったら、大賀ホールとか湯川ふるさと公園なんて写真はなく、白い噴煙をゆったりたなびかせている浅間山の写真が定番だったと思う。今年のカレンダーでは、浅間山はその湯川ふるさと公園の背景にぼんやりと写っているだけ。さびしいものである。
 ただし、日々の浅間山の姿は、軽井沢スケートセンターの職員の方がHPにアップしてくれるので、これで眺めることができる。

 どうせなら、クリスマスシーズンに行われるライトアップのきれいな風景でも交ぜたらどうだろうか。閑散としたショッピングプラザから眺めた秋の浅間山なんかも悪くないと思う・・・。

 2007/5/4

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軽井沢町ポスター

2007年05月02日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 5月1日が期限の固定資産税の納付かたがた、軽井沢町役場で今年(2007年~2008年)のカレンダーとポスターをもらってきた。
 “木漏れ日の散歩道に誘われる想い”というコピー(ちょっと恥ずかしい・・)に、旧軽井沢のおそらく万平ホテルに向かう小道が写っている。
 隣りの人が話しているのを聞いていたら、町民でなくても、1000円を払えば買えるらしい。

 写真は、2007年用の軽井沢町のポスター。

 2007/5/2

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