豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

ジェームス・スチュアート “砂塵”

2011年01月31日 | 映画
 
 マレーネ・デートリッヒ、ジェームス・スチュアート主演、“砂塵”(1939年)をDVDで観た。

 ひどい映画だった。題名からして、この映画の一体どこが「砂塵」なのか?

 先日、BSの“ナショナル・ジオグラフィー”だったか、“ヒストリー・チャンネル”だったかで、1930年代にアメリカを襲った大砂塵のドキュメントをやっていた。
 カナダで発生した砂塵が、風に乗って勢力を増しながらアメリカ中西部を襲い、最後はニュー・ヨークにまで到達して自由の女神が砂ぼこりに煙る姿を海(ハドソン河?)に浮かぶ船から撮った映像が流れていた。
 その凄さを期待してみたのだが、まったくに期待外れ。砂塵どころか、映っているのは砂粒くらい。
 原題は“Destry Rides Again”というらしい。Destryは主人公ジェームス・スチュアートの役名だから、原題では意味が通じないのは分かるが(原題もひどいネーミングである)、それにしても“砂塵”はないだろう。

 いかさま賭博師を擁護する腐敗市長が牛耳る腐りきった西部の田舎町に、暗殺された名保安官の息子(ジェームス・スチュアート)が保安官助手としてやって来て、この町の悪を一掃するという紋切り型のストーリー。
 あえて特徴をあげれば、この保安官助手は、拳銃の名手であるにもかかわらず拳銃をもたず丸腰で悪人どもに立ち向かうと着任早々に宣言するところ。拳銃は弱い者が持つもので、自分は「法と秩序」を武器に戦うと宣言し、実際に最初のうちは“一休さん”のように機知と法律を武器に戦いを挑むのだが、結局最後は派手な銃撃戦で幕となる。
 もちろんジェームス・スチュアートも撃ちまくる。
 
 どうもジェームス・スチュアートはぼくにとって「鬼門」のようで、彼が出る映画ではろくな作品を見た記憶がない。マレーネ・デートリッヒというのも、もう少し名女優なのかと思っていたが、それほどの演技ではなかった。
 例によって、水野晴郎さんが「見終わった後の感想は痛快そのものだ」と解説しているが、「水野さん・・・」と言いたくなる。亡くなった直後は素直に彼の言葉を信じようと思ったのだが、1年も経つとやっぱり彼の解説はいささかどうも・・・。

 このところの映画鑑賞は当たりと外れが交互である。

 * ジョージ・マーシャル監督“砂塵”(1939年)。“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画”、(KEEP、280円)。

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“ローマの休日”

2011年01月18日 | 映画
 
 年末にテレビを買った。SHARPのAQUOS、19インチ。自分専用。
 ヤマダのポイントとエコポイントを差し引いて1万円ちょっとの買い物である。現物は1月24日入荷と言われていたが、1月16日(土)の夕方に届いた。

 さっそく自分の部屋にセッティングした。
 さて何を見ようか考えた。昭和30年代のまん中頃、わが家に初めてのテレビが届いたのは水曜日の夜で、最初に見たのはNHKの“事件記者”だった。
 今回は迷った挙句に、テレビ番組ではなくDVDで映画を見ることにした。テレビ(受像機)を買ったからと言って、つまらないテレビ番組を見る義理はないだろう。

        

 そして、久しぶりに“ローマの休日”を見ることにした。
 グレゴリー・ペックの作品を見ようと思って選んだのだが、オードリー・ヘップバーンも良かった。作品も良かった。

 いうまでもなく、ヨーロッパのどこかの国の王女様が、王女様のスケジュールに飽いて、ローマ滞在中のある夜中にホテル(大使館?)を抜け出し、偶然出会ったアメリカ通信社の記者(グレゴリー・ペック)の安アパートに転がり込み、翌朝から一般の女性を装ってローマを満喫し、彼に恋をし、しかしその夜には「国民への義務」を果たすために大使館に戻って行くというストーリー。 
 まあ、逆“シンデレラ”物語といったところか。
 
 ストーリーがぼくの好みにあっている。映画というのはこの程度のストーリーがちょうどよい。重すぎず軽すぎず、ファンタスティックで、少し余韻を残す程度というのが。
 “ローマの休日”はこの年(1953年)のアカデミー脚本賞やアカデミー原案賞(そんな賞があったのだ!)を受賞している。納得である。ちなみに、この年のアカデミー作品賞は“地上より永遠に”、オードリー・ヘップバーンは主演女優賞をとっている。

 この映画にも当時のイタリア車がたくさん登場する。トッポリーノ、チンクエチェント、それにバイクのベスパなどなど・・・。

        

            
 しかし“ローマの休日”はクルマなんか登場しなくても十分に楽しい。
 最後に、王女に戻ったオードリーが記者たちに謁見するシーンで、グレゴリー・ペックはひそかに撮影した写真をすべて彼女に返す。彼女は、“Thank you very much”と答え、ステージの柱の向こうに消えてゆく。

                 

 他の記者たちが去った後も会場に残って、彼女が消えていった柱の向こうを見つめるグレゴリー・ペックの後ろ姿がいい。

        

 * “ローマの休日”(ファーストトレーディング“Classic Movies Collection”)、ウィリアム・ワイラー監督(小津安二郎がシンガポール抑留中にせっせと観ていた監督である)、1953年作品。

 2011/1/18 記

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ヒチコック “断崖”

2011年01月13日 | 映画
 
 1枚280円で買ったDVDで、アルフレッド・ヒチコック監督の“断崖”(1941年、アメリカ)を見た。

 原作はフランシス・アイルズ「犯行以前」というのだそうだ。
 社交界ではいわくつきの色男(ケイリー・グラント)が、列車の中で見そめた大金持ちの売れ残り娘(ジェーン・フォンテイン)と相思相愛となり結婚するのだが、次第に妻は夫が殺人を犯して金を得ているのではないかと疑うようになり、そして「その先はどうなるのだろう?」となってくれればよかったのだが、最初から最後まで「逆玉の輿」の夫、ケイリー・グラントがただの善良で陽気な男のままで、疑わしい感じがまったくしないのである。
 いかにも妻が疑惑を抱きそうな場面では、「いかにも疑わしいでしょ!」とでも言いたげな表情でケイリー・グラントが演技するのである。

 原題は“Suspicion”(疑惑)というのだが、なぜ“断崖”という邦題になったのか。「殺人」現場が断崖の上だったのかもしれないが、この断崖も何かゆったりと白波が打ち寄せるのどかな田園風景にしか見えなかった。
 同じヒチコックの“ロープ”には遠く及ばない、残念ながら“汚名”程度のレベル。
 でも、疑惑をもった妻を演じたジョーン・フォンテインはこの映画でアカデミー主演女優賞を受賞している。

          

 救いは、イギリスの当時の(?)高級車が次々に登場すること。大金持ちの娘がパーティー会場から抜け出してケイリー・グラントとのデートに使う車のボンネットにはロールス・ロイスのシンボルが鎮座している(上の2枚の写真)。オールド・ファッション・カーの名前などはわからないのだが、これくらいは分かる。
 その他にも、イギリス郊外の有閑マダムが乗ったオープンカー(次の写真)や、主人公夫婦が疑惑の断崖へ向かう夫婦専用のクルマも、さっきのロールス・ロイスとは別のオープンカーだった。

          

 古いヨーロッパ車に興味がある人になら薦められる映画かもしれない。

 * KEEP社“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画 断崖”(アルフレッド・ヒチコック監督、KEEP社)

 2011/1/13 記 

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“三人の妻への手紙”

2011年01月09日 | 映画
 
 年末から近所の書店の特設売り場で、KEEP社のDVD“水野晴郎のDVDで観る世界名作映画”を期間限定特価1枚280円で売っている。
 きょう散歩に出かけて、ついつい“三人の妻への手紙”その他3枚買ってしまった。他の2枚はマレーネ・デートリッヒの“砂塵”、ヒチコックの“断崖”である。何を見たいという気分でもない衝動買いだったので、それぞれ恋愛もの、西部劇(仕立ての恋愛もの)、それにサスペンスもの、という見立てである。

 帰宅して、どれということもなく“三人の妻への手紙”を見始めた。
 これが良かった。ぼくの一番好きなタイプの映画だった。ぼくが好きになるアメリカ映画の条件はそう多くない。グレゴリー・ペックが出ているか、いわゆる「ソフィスティケイト」ものかのどちらかである。
 ただし、ぼくは“sophisticated”の本当の意味を知らない。英和辞典に載っている語義では「(都会的な)洗練された」というのがいちばん近いが、要するにカポーティの「ティファニーで朝食を」のようなやつがそれだと思っている。
 そして、今回の“三人の妻への手紙”がまさにそれだった。

 アメリカの平均的な郊外都市の高級住宅街に住む3人の高校時代の同級生とその妻たちの物語である。
 一組目は海軍を退役して地元に戻った名門出の息子(ジェフリー・リン)と、海軍時代に結婚した農家出身の妻、二組目は貧しい学校教師(カーク・ダグラス)とラジオ番組の脚本書きで一家を支える才媛の妻、三組目は地元で7軒の百貨店を経営する成金の夫(ポール・ダグラス)と、手練手管で妻の座を射止めた店の元売り子。
 百貨店の売り子の貧しい家でさえ大きな冷蔵庫が置いてあり、給料が悪いという学校教師の家には当時の日本の家庭とは比べ物にならないくらい広々とした居間があって家族がソファーに腰掛けてラジオを聴いている。
 ただ一人クルマをもっていない教師の妻を、名門妻がクルマで拾ってパーティーに出かける。家の前には数メートルはある前庭が広がっていて、クルマは道路わきに止めてある。名門出に嫁いだ妻の乗るクルマはいまでいうミニバン風。成金の妻の乗るクルマはいかにもアメリカ車といったオープンカー(下の写真)。

        

        

 3人の夫たちは、いずれも過去に、この町一番の心やさしい美人アディーと成さぬ仲だった時期があったことを伺わせる場面がある。
 そして、ある朝、3人の妻が慈善キャンプに出かけようと船に乗り込んだ矢先に、3人のうちの誰かの夫がアディーと駆け落ちしたという知らせが届く。3人の妻たちはそれぞれ自分の夫が駆け落ちしたと思いこみ、これまでの夫婦生活を回想し、反省しながらキャンプから帰宅する。
 その日の夜のパーティーの席に、お定まりのハッピー・エンドが待っている。
 それだけの筋書きなのだが、よかった。ぼくはアディーという女は夫たちが妻の気持ちを試すために作り上げた空想の女性で、実在しない女性だったという“落ち”を予想して見ていたが、外れた。

        

 モノクロの画面から豊かなアメリカの郊外都市の広い街並みを吹き抜ける風のそよぎが伝わって来た。
 ぼくたちがまだ“長屋紳士録”からそれほど違わない世界で暮らしていた1949年の作品である。ぼくたちがあこがれたアメリカの生活がそこにある。
 主人公の3人の夫たちの交流には、小津の晩年の作品の雰囲気も漂う。成金(ポール・ダグラス)は中村伸郎(風貌は北竜二だが性格は中村か)、学校教師(カーク・ダグラス)は笠智衆、そして資産家(ジェフリー・リン)は北竜二、彼らの妻たちはひとまず月丘夢路、木暮実千代、淡島千景とでもしておこうか、といった感じである。

 見た後で『アメリカ映画作品全集』(キネマ旬報社)で調べると、「コスモポリタン誌に掲載された小説を映画化した知的な人間喜劇」と紹介してある(原作者はジョン・クレンブナー)。「ティファニーで朝食を」の原作もコスモポリタンかニューヨーカーに掲載されたはずだから、ぼくの見立ても外れていなかった。

 ジョゼフ・マンキヴィッツ監督はこの映画でアカデミー監督賞と脚本賞を受賞した。1949年製作、日本公開は1950年。原題は“A Letter to Three Wives”。

 2011/1/9 記

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小津安二郎“学生ロマンス 若き日”

2011年01月08日 | 映画
 
 松竹ホームビデオ“小津安二郎大全集”(VHS)“学生ロマンス 若き日”(1929年)を見た。

 小津が監督になって2年目、作品としては8作目にあたるが、フィルムが残っているものとしては小津作品の中で最も古いらしい。
 画質はかなり悪いが、フィルムが残っているだけでも良しとしなければなるまい。

 早稲田と思しき大学の学生たちが期末試験を終えて赤倉にスキーに出掛け、ゲレンデで恋のさや当てを演じるが結局お目当ての女性はスキー部のキャプテンと婚約してしまい、失意のうちに東京の下宿に帰ると、期末試験落第という追い打ちが待っていたというストーリー。

 早稲田(?)大学での試験風景や、早稲田界隈(何度か安部球場らしき野球場が俯瞰で!写っている)の下宿でのいつもながらのドタバタはぼくには面白くない。当時の映画館(活動?)ではあんな場面でも結構笑いをとったのだろうか。
 昭和4年にスキーなどというのはずいぶんモダン(ハイカラ?)な遊びだったと思うが、役者たちのスキー技術は大したことはない。学生の一人として出演した笠智衆の回想録『小津安二郎先生の思い出』(朝日文庫)によると、よちよち歩き程度でロケに出かけたが、1週間の撮影が終わって帰る頃にはスキーの腕前(?)も上達し、駅まで滑って帰ったと書いてある(30頁)。

 失恋したうえに落第までしてしまう主人公の大学生が斎藤達雄、相方の恋敵が結城一郎(ものの本には「一朗」とあるがタイトルでは「一郎」となっていた)、スキー部主将が日守新一、彼女が松井潤子、その母親が飯田蝶子、大学教授が坂本武という、この当時のいつもの小津組の面々が登場する。
 笠智衆もスキー部員の一人として時おり画面に出てくる。前述の笠智衆の回想録には「出番はほとんどなかった」と書いてあるが、意識してみていると彼は結構よく登場する。
 ぼくは結城一郎という役者を知らなかったので、彼を日守新一だと思って見ていた。よく似た風貌である。スキー場の場面の後の方で松井潤子とお見合いするシーンで日守新一の顔がアップになると、これは間違えようもなくあの“一人息子”の日守新一であった。
 
            

 赤倉のスキー場に場面が変わってからは、昭和初期のスキー事情を再現するものとして興味深い。
 まず、赤倉までの交通手段は信越線。軽井沢で斎藤と結城が駅弁を買って食べる。「峠の釜めし」ではないただの幕の内弁当だが二段重ねになっている。
 やがて「田口」駅に降り立つ。現在の「妙高高原駅」である。駅前にもゲレンデがあるようだが、二人はこの駅から電信柱300本分だったかの距離をスキーで移動する。そしてようやく赤倉温泉に到着する。
 板はよく分からないが、ストックは竹製、みんな軽装である。ふだんのセーターを着て、その裾をズボンの中に入れただけ、手袋をつけていない者もいた。当時の学生たちはよほど寒さに強かったのか。

            

 ぼくは斎藤隆雄という俳優があまり好きではなかったが、10本近く見ているうちに何だか味のある役者に見えてきた。あの不思議な表情が印象的である。他のどの俳優とも違う独特の表情をしばしば見せる。戦後の作品になると笠智衆ばかりが気になってしまうのだが、戦前の作品ではまだそこまでの存在感はない。ただの好青年にすぎない。 
 笠智衆『小津安二郎先生の思い出』には、昭和5年の“落第はしたけれど”で初めてタイトルに名前が出たと書いてあるが(31頁)、昭和4年の“若き日”のタイトルにもしっかり「笠智衆」の名前は出ている。笠の思い違いだろう。

 蛇足ながら、笠智衆の本をつまみ読みしていたら、彼は大正13年に松竹キネマ・俳優研究所に採用になったとある。大正13年といえば、先日亡くなった高峰秀子が生まれた年である。彼女の没年が86歳だったから、笠は今から86年前に役者の卵になったわけである。そして高峰の“カルメン 故郷に帰る”の撮影がぼくの生まれた昭和25年、今から60年前だから、彼女は当時26歳だったことになる。
 今ごろになって小津の映画を見たり、木下恵介の映画を見たりしているので(木下は多少見ていたが)、出演している役者さんたちは、ぼくにとってはみんな画面の上の年頃のままである。

 2011/1/8 記

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初出勤 門松(2011年1月7日)

2011年01月07日 | 東京を歩く
 
 ぼくにとって、今日が仕事始め。

 学校の教師にとっては、やはり4月の新学期が真の仕事始めで、正月は「正月休み明け」程度の感じでしかない。

 毎年、初出勤の6、7日頃になると街角の門松や松飾りはほとんどなくなってしまっているのだが、今年は日建設計の玄関前にはまだ門松が飾ってあった(↑)。

 そして例年はこの時期でも門松の飾られていた“エディーズ・カフェ”は去年閉店してしまったので、今朝も期待してなかったのだが、“エディーズ・カフェ”跡地の玄関前には今年もしっかり門松は飾られていた(↓)。

          

 その旧“エディーズ・カフェ”前から、飯田橋駅方面を振り返って、わが“ホッペマの並木道”(正式名称は“i-ガーデン・エアー”通り)を撮影した。年末にはまだ木々には枯れ葉が残っていたが、さすがに冬休みの間にすっかり落ちてしまっていた。

               

 そして最後は、これまた新年恒例の、豆豆研究室の西側の窓から眺めた今年最初のお茶の水界隈の夕暮れ風景。遠くに新宿駅南口のNTTタワーや、さらにそのはるか向こうにわずかに丹沢の山並みが肉眼では見えるのだが・・・。

          

 2011/1/7 記

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小津安二郎“東京の合唱”、“東京の女”

2011年01月06日 | 映画
 
 今年の映画はじめも小津安二郎から。大学図書館で借りた松竹ホームビデオのVHSで、“東京の合唱”と“東京の女”を見た。

 もし小津に「夏三部作」(“晩春”“麦秋”“東京物語”)、「秋三部作」(“秋日和”“小早川家の秋”“秋刀魚の味”)のように(高橋治『絢爛たる影絵』199頁)、「東京三部作」というジャンルがあるとしたら、“東京の合唱”(1931年)、“東京の女”(1933年)、“東京の宿”(1935年)がそれに該当することになろう。
 ただし、撮影年、題名はいかにも「三部作」風だが、この三作にはそれほど一貫性はない。興行面を考えて「東京」と銘打っただけではないか。“東京の合唱”は「学園もの」+「会社員もの」、“東京の宿”は「喜八もの」(主演は坂本武)である。これに対して“東京の女”は似たものが思いつかない。あえて言えば、主人公が最後に自殺するところは“東京暮色”だろうか。
 そう言えば“東京暮色”も「東京」と銘打ってあったか・・・。

 “東京の合唱”(合唱は「コーラス」とルビが振ってある)の最初の場面は、“落第はしたけれど”などと同じ大学の体育の授業風景。いつもと同じように、教師(斎藤隆雄)の指示を岡田時彦その他の学生たちが不真面目にサボるスラップ・スティックから始まり、やがて社会人になった岡田が会社をクビになり、サンドイッチマンをしながら、最後は栃木の女学校に英語教師の職を得るというストーリー。
 当時の東京の会社員世帯にもすでに格差社会の様相が現われていて、二輪車(14インチ位の子ども用自転車)を買ってもらえる家庭の子と買ってもらえない家の子との間に差別が生じている。ちなみに、岡田の娘役を演じているのが幼い高峰秀子だが、4、5歳にして既に後世の「高峰秀子」の面影がある。
 職を失った夫が街頭でサンドイッチマンをしている姿をたまたま目撃した妻(八雲恵美子)が帰宅した夫に向かって、「あんなことをしてまでお金を稼いで欲しくない」といったセリフを吐くシーンがある。娘が病気になった時は、治療費を捻出するために夫は、妻に無断で着物を質に入れてしまうのだが、女房の着物を質に入れるほうがよっぽど恥ずかしい行為で、サンドイッチマンをしてでも家族を養おうとするのは当然のことのようにぼくには思えるのだが。
 最後に、元教師でいまはカレー屋の親父になった斎藤隆雄の斡旋で、栃木の女学校の教師の職を得るのだが、ここでまた妻は、「栃木と云ったって東京からそんなに遠くはない、いつかきっと東京に戻れるわ」と夫をなぐさめる。あの就職難の時代に栃木だろうがどこだろうが教師の職にありつけただけでも御の字ではなかったのだろうか。

                

 “東京の女”は、姉弟二人暮らしの姉(岡田嘉子)が、大学生の弟(江川宇礼雄)の学費を稼ぐために酒場勤めをしていることを、恋人(田中絹代)から聞いてショックを受けた弟が自殺をしてしまうというストーリー。
 岡田嘉子は “東京の宿”でもルンペン母子の母を演じていたが、なんで家なしになったのかは描かれていなかったし、最後にお人よしの飯田蝶子に救われるあたりは「喜八もの」の世界に近い。それに比べると、“東京の女”の岡田嘉子は「岡田嘉子」の記号性に忠実である。彼女が昼間働いている会社に巡査が調べに来るあたりは、岡田の夜の生活のあやしさをうかがわせる。結局それは政治的なあやしさではなく、酒場女(売春婦?)のいかがわしさだったのだが。
 ラストシーン、江川の亡骸の前で田中は泣き崩れるが、岡田は涙を流しながらも毅然と立ちすくんでいる。
 「映画は終わりが始まりだ」というのが小津の口癖だったというが、弟を失った後の岡田はどう生きたのだろうか。

 いずれにしても、小津には、彼の晩年の映画とくに「秋三部作」などとは違った世界があった。今回観た「東京もの」から、戦前の“父ありき”や“一人息子”、さらに戦後の“風の中の雌鶏”や“東京暮色”などにつながる一連の映画のほうが、じつは小津の世界だったように思うのだが。
 そして、小津が描く「東京」はどれも暗い。

2011/1/6 記

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謹賀新年(2011年 元旦)

2011年01月05日 | あれこれ
 
 謹賀新年

 2011年 元旦

 遅ればせながら、今年のわが家のおせち料理。
 女房が西武百貨店池袋店のおせち(金3万円也)の広告写真を参考に作ったもの(女房曰く)。

 もう少し近づいて撮った写真も添付しておく。

                      

 授業が始まる1月7日(金)までは1日1冊本を読もうと決めて実行している。どんなに途中を端折っても、とにかく夜寝るまでに読み終えるのである。読まないよりはまし、程度の読書である。
 そんなわけで、豆豆先生の書き込みが遅れてしまった。

 1月1日(土) 吉武久美子『医療倫理と合意形成』(東信堂)
 1月2日(日) アップルバウム他『治療に同意する能力を測定する』(日本評論社)
 1月3日(月) ウォーラーステイン『セカンドライフ--離婚後の人生』(草思社)
 1月4日(火) ベッカー『経済学ではこう考える』(東洋経済)
 1月5日(水) ドゥネス編『結婚と離婚の法と経済学』(木鐸社)

 ちなみに昨年末は、
 12月26日 筒井淳也『親密性の社会学--縮小する家族のゆくえ』(世界思想社)
 12月28日 ローゼンブラット『中絶--生命をどう考えるか』(草思社)
 12月30日 NHK取材班『無縁社会』(文芸春秋)
 12月31日 北村暁夫編『イタリア国民国家の形成』(日本経済評論社)(の中の1本)
 を読んだ。

 最後の本は献呈を受けたのでお礼状を出すために、その他の本は買ったままになっていたのが気になったので読んだ。『中絶』は新年早々の講義で扱うテーマでもあり、治療同意関連の本も3月までに書かなければならない原稿に関係するので読んだ。 
 意外にも、患者の自己決定権を重視しているはずのアップルバウム『治療に同意する能力~』も、患者の理解を援助するための家族らの関与を認めており、他方、自己決定権に懐疑的な吉武の本も家族や医療者を交えた患者らの共同決定のプロセスを重視しており、具体的な場面における両者の結論にそれほど径庭があるわけではなかった。

 2011/1/5記 

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