豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

三宅正太郎「法律 女の一生」

2024年05月15日 | 本と雑誌
 
 三宅正太郎「法律 女の一生」(中央公論社、昭和9年、婦人公論11月号付録)を読んだ。

 「日本の弁護士」の海野普吉のページを撮影するために、ページを押さえておくだけの目的で書棚から引っぱり出してきたのだが、読んでみると面白いことも書いてあったので、ほぼ全ページを読んでしまった。
 女性の一生の人生行路(ライフ・ステージ)にしたがって、各ステージで遭遇するであろう法律問題を取り上げるという形式を期待したが、残念ながらそうではなく、多少は女性の立場に配慮しながら、法と裁判を概説した法律入門書といったほうがふさわしい。婦人公論編集部と三宅は、女性だからといって特別な法律入門があるわけではなく、女性であっても明治憲法、明治民法下の法律問題について基礎知識を持っていてほしいと思ったのだろう。
 全体は11章からなっている。「結婚と離婚」「親と子」「借地借家人の法律」「証書と証券」「遺言と相続」「戸籍・寄留」「検挙の手続」「刑事裁判」「損害賠償」「保証と抵当」「法律の将来」および(民法を主とした法令集)からなる。「借地借家」と「証書、証券」はスルー。
 なお、「婦人公論の読者方へ」と題した穂積重遠の前書きがついている。私生子保護のために、当時は認められていなかった死後認知の立法の必要などを説いている(死後認知は戦争遺児(胎児)救済のため昭和17年に立法化された)。

 「結婚と離婚」では、婚姻の成立要件、婚姻の法的効果、離婚の要件などが簡単に紹介される。イトコ婚の例として鳩山一郎氏の令嬢と鳩山秀夫氏の令息の結婚が紹介されている。当時そんなことがあったのだ。いわゆる「男子(夫)の貞操義務」を認めた判例の紹介もあるが、当該事案で損害賠償を命じられたのは夫ではなく、不倫相手の女性だった。
 「親と子」では、法的親子関係の種別を概説した後に、私生子(婚外子)問題を検討する。三宅は、私生子の保護をいう一方で、ドイツ1919年憲法の「婚姻は家族生活及び民族の保持並びに増殖の基礎なるを以って憲法の特別の保護を受く」を援用して、婚姻の保護との調整の必要を指摘する。その調整策として、三宅は、婚姻家庭の主婦の処置、すなわち、妻が夫の過ちを許して、夫がその私生子を認知することを認めるか否かに委ねることを提案する。
 私生子を妊娠した女性(西荻窪のカフェ女給とある)が将来を悲観して、(杉並区)上荻窪730番先の中央線踏切で(神明中学校のすぐ近くではないか!)自殺した事件の記事を紹介しておきながら(38頁)、ずいぶん微温湯的な提案ではないか。
 「春の驟雨」という洋画の紹介もある。私生子(娘)を産んが女性がその娘を養育院に奪われ、旅路の果てに命を落として天に召されるが、天国からわが子を見守り、救いの手を差し伸べる。娘が悪い男にだまされそうなまさにその瞬間に、雨を降らせて娘を危機から守るというのだが、その雨が「春の驟雨」だそうだ。映画「ゴースト」のようなストーリーである。

 「戸籍・寄留」は、居住の自由によって戸籍(本籍)と現住所が異なる人間が増えたことによる不便を回避するために、大正3年に制定された寄留法の届出励行を促す。現在では住民票を移すことによって解決される問題である。ぼくも先祖の戸籍を見ながら、寄留地と紐づけされていたら先祖が実際に生活していた土地に近づくことができるのに、と思った。
 戸籍の名の変更に関しては、「山本権兵衛」にあやかって「権兵衛」と命名された子は迷惑をこうむるだろうとある。昭和初期でも「権兵衛」は古めかしい名前だったのだ。シーメンス事件にかかわったのは山本だったか・・・。戦後にも、「角栄」と命名された「田中角栄」くんが、ロッキード事件後に名の変更を申し立てて認められた審判例があった。

 「女の一生」と銘うっているのだから、「検挙、刑事裁判」では女性独自の犯罪を取りあげればよいのにと思ったが、紹介されたのはすべて男の事件である。
 「焼鳥食い逃げ事件」などは悲惨である。親戚に貸した1000円を回収してそれを元手に仕事を始めようと上京した兄弟が、貸した金を返してもらうことができないまま生活に困窮し、目黒区上目黒7丁目の目黒川にかかる東山橋近くの露店の焼鳥店で焼き鳥40串、代金80銭を食い逃げし、追手に捕まった兄は、懐中に用意してあった短刀で自刃したという事件である。不憫に思った警察は弟は訓戒のみで放免したという。
 家族制度の時代に、こんな非情な「親戚」もいたのだ。春になると桜の花見で賑わうあの目黒川の東山橋(あの橋だろうか?)近くで、昭和の初めにこんな悲しい事件があったとは!

 「損害賠償」のうち、義務(債務)不履行による損害賠償の例として、婚姻予約不履行(当時は「貞操蹂躙の訴え」と言われていたらしい)が取り上げられる。
 大正4年の大審院判決までは、婚姻予約の不履行は一切法律上の保護を受けられなかったが、同年の判例変更によって不当な婚約破棄に対して損害賠償の請求ができるようになった。婚約不履行事件153件中、男性が訴えた事件は11件、女性が訴えた事件は142件、うち、同棲前の女性からの訴えが1件、同棲後の女性からの訴えが141件である。
 「婚姻予約不履行」といいながら、実際には同棲開始以後(婚姻届出前)の内縁関係ないし足入れ婚(試し婚)的な関係を不当に破棄された女性からの訴えが圧倒的に多いことが分かる。純粋な婚約(同棲前の婚約関係)の不当破棄の事案は実際にはもっとあったと思うが、「疵物」視されることを恐れて提訴を躊躇する女性も多かっただろう。
 賠償額は、同棲前の女性が原告の場合は、100円以下が1件、100円台が3件、200円台が10件、300円台が23件、同棲後の女性の場合は、500円台が43件、1000円台が19件、1500円台が7件、2000円台が5件、3000円台が2件となっている(166頁)。当時の物価に比べて高額だったように見える。訴えられた男は金持ちが多かったのだろう。「無い袖は振れぬ」だから、貧しい男を訴えても仕方ない。

 不法行為による損害賠償としては自動車事故を取り上げる。
 昭和3年(1928年)当時、わが国の自動車保有台数は約7万台のところ、同年の自動車事故件数は2万7000件、死者617人、負傷者1万9500人とある。自動車3台につき1台以上が事故を起しており、3・5台につき1件の負傷事故を起こしている。驚くべき高い数字ではないか。ちなみに、鉄道事故は8008件、死者2602人、負傷者3119人とある。
  
 「保証」では、保証人になるくらいなら現金を渡して(その人間と)縁を切れと書いて、絶対に保証人になってはいけない、保証は怖いということを諭している。
 最終章の「法律の将来」において、三宅は、明治維新以来わが国はヨーロッパの法律を模倣して、法文至上主義、概念法学の道を歩んできたが、大正デモクラシーの風潮のもとヨーロッパの自由法思想を受け入れ自由主義的法律学が広まったが(借地借家法、調停制度、陪審制、社会法、判例研究など)、最近はそれへの反動から国家主義的ないし唯心論的な議論が起こっている。
 「わが国の法律学はこれまでの自由主義的な明朗さを持ちつづけると同時に、・・・日本の社会のいいところを更に輝かすべき方向に進むべきものと考えております」と結ばれる。東京地方裁判所所長の言葉として、これ以上を期待するのは望蜀の嘆というべきか。

 きょうのNHK大相撲中継で、昭和生まれの幕内力士は3人しかいないと言っていた。昭和も遠くなったのだ。三宅の本書によって、昭和戦前期の日本社会の一端を「法律と裁判」という偏光鏡で眺めた気分になった。

 2024年5月15日 記
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