はぎわら_m の部屋
社会・時事批評、オピニオン、初等物理の気まぐれ考究、物理教育放談

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村上ファンドの代表者が逮捕された。
ライブドア事件のときもそうであったが、このような逮捕劇を材料として、新自由主義型的経済政策への警鐘だとか、いや過剰反応であるとか、様々な意見が出ているようだが、こういう論点には違和感があるのでコメントしておく。

私は、投機ファンドの類は、閉じた体系としてのマクロ社会を豊かにしないものであると確信するが、そういう会社を興し経営する人や、マネーゲームに参加する人を頭からけしからんと非難するつもりはない。

「つつましやかな人」も「強欲な人」も共存するのが社会であるから、不条理な富の移動(金品だけでなく時間や精神的な充足感なども含む)を起こさないように、政治・行政はしっかり制度を整えよと言っているのだ。分かりやすく言えば、元々マネーゲームなどに参加したくなかった人が、風潮に流されて出資させられたり、銀行がバブルに浮かれてつくった不良貸付のツケを「公的資金注入」などという名目で、一般国民に押し付けてはならないということだし、また、実直に生活する普通の人にまで、人生には「勝ち組」と「負け組み」の二者択一しかないと思わせてしまうような洗脳メッセージを(メディア経由で)発信している異常な政治をやめよ、と言っているのだ(勝ちと負けに二分するなどというのは賭博の発想そのものだ)。

巨額の資金でマネーゲームをするのも結構だ。しかしそれは、有り余る資金をもっている者どうしだけで、血で血を洗うような壮絶な奪い合いをすれば良い。一般人が出所となっている穏やかな資金や、まして、税金が流れ込むことのないように、厳格にルールを決め、監視をするべきだ。そういうことが、社会を導く「政治」や「公」というものの存在価値だ。

だから、「規制緩和」などという掛け声だけに立脚し、「公」の意味をきちんと理解し説明できない「新自由主義」は、一国の政策を決める規範原理には元々なり得ないものなのだ。
しかし、ある個人や法人が、新自由主義型の価値観をもつことは自由であり、それなりに尊重されなければならない、、こういうことだと思う。

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〔付記〕
任侠の世界では、賭場に一般人を入れてカモにすることがないように一定の節度が守られているだろう(もちろん見たわけではないが...)。ところが、ヘッジファンドや各種デリバティブが複雑に絡み合うアメリカ型の投機は、こうした任侠の精神すらもたない異様な金集め集団だ。こんなものを、日本が真似することのメリットは何もないと思う。日本人のアドバンテージである勤勉実直性が報われる社会を築くことこそが日本の豊かさを導くとは確信する。

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