本書は、小郡(現新山口市小郡)で其中庵を営んでいた山頭火の1934年(昭和9)の2月4日~3月20日にかけての日記である。僅か1カ月半の日記なので、そう大きな出来事が書かれている訳ではない。書かれているのは、其中庵における日々の出来事と、北九州市に行った時の様子である。山頭火はいうまでもなく自由律俳句で有名な人物である。
山頭火が亡くなったのは1940年10月11日のことだから、その6年以上前の日記という事になる。「其中庵」を結庵したのが1932年のことで、この後、1938年には山口市の湯田温泉に移り「風来居」を結庵しているから、彼の「其中庵」時代の前半の記録ということになる。なお、1939年には愛媛県の松山市に終の棲家となる「一草庵」を結庵した。
庵というのは、彼が曹洞宗で出家した僧籍にある人物だからである。
やつぱり、句と酒だ、そのほかには、私には、何物もない。
句はともかく、僧侶が酒を飲んじゃいかんだろうと思うが。彼は生活能力がまったくと言っていいほどなく、友人などの援助で暮らしていた。酒を飲む金があれば、他にいくらでも使い道があるだろうと思うのだが。しかし、彼は酒と縁が切れなかった。ただ彼の日記を読んでいると寂しがり屋だったことが推察できる。
それは生理的には酒精中毒、心理的には孤独感からきてゐることは、私自身に解りすぎるほど解つてはゐるが、さて、どうしようもないではないか!
この言葉が、彼を端的に表しているように思える。☆☆☆