文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
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書評:四国遍路

2014-01-11 08:16:40 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
四国遍路 (岩波新書)
クリエーター情報なし
岩波書店


 「大師は弘法にとられ」という言葉がある。仏教界には、過去より「○○大師」と呼ばれる人が多く存在するが、単に「お大師さま」といえば、それは弘法大師空海しかあり得ない。四国には、この空海ゆかりの札所が八十八か所あり、それらを巡りあるくことを「遍路」と呼んでいる。

 「四国遍路」(辰濃和男:岩波新書)は、著者が、この八十八か所を実際に歩いて回ったときの体験を連作エッセイとして綴ったものだ。著者は、元朝日新聞の記者で、44歳の時に、お遍路の記事を書くために初遍路を体験したそうだ。この初遍路の結願の時に、60歳になったら、また四国を回ろうと決めたのだが、なかなか思うようにはならない。しかし、衰えていく体力を考えて、68歳の時に、遂に2度目の遍路を決意した。

 といっても、全部で千数百キロの行程である。最近は、自動車や交通機関を使って回る人も多いが、徒歩で回るとなると、やはり一般の人には難しい。著者も全6回に分けて、のべ71日をかけて四国を歩いている。

 正式なお遍路は、白装束で、金剛杖と呼ばれる杖をついて回る。かっては、お遍路は、死出の旅路でもあった。実際に、多くの人たちが、お遍路の途中で倒れ、葬られている。白装束は死出の旅路の支度。金剛杖は、倒れたときの卒塔婆代りなのだ。しかし、金剛杖は弘法大師の分身でもある。何かを抱えた人が、弘法大師と同行二人、光を求めて、八十八か所を彷徨う姿は、物悲しい。

 もちろん、現代のお遍路は、昔とはかなり様子が変わっている。やはり今でも、何かを抱えてお遍路をする人はいるのだが、観光目的で札所を回る人も多い。観光バスから、団体でどどっと押し寄せてくるお遍路さんもよく見られる風景だ。しかし、私はこれで良いと思う。回る目的は、一人ひとり違うのだ。それぞれにあったスタイルのお遍路さんがあってもよいのではないか。ただ、四国遍路の本当の魅力は、実際に歩いてみないと分からないかもしれない。

 本書には、行く先々で受けたお接待のことや、出会った人々のことなど、歩き遍路ならではの出来事が沢山描かれている。八十八か所を回ってみたいと考えている人には、参考になることが多いだろう。実は私も各県にまたがり、全体の四分の一程度は回ったことがある。歩き遍路となるとよほどの覚悟がいるが、交通機関を使ってでも、また機会があれば回ってみたいものだ。

☆☆☆☆

※本記事は、「本の宇宙」と共通掲載です。


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