Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

MADAMA BUTTERFLY (Sat Mtn, Nov 1, 2008)

2008-11-01 | メトロポリタン・オペラ
昨シーズンのOperax3 Best Moment Awardの大賞は、2007年10月27日の『蝶々夫人』でした。
昨年はこの10/27の公演を含み2回実演で彼女の蝶々夫人を聴き、
その後もSFO(サン・フランシスコ・オペラ)のシネマキャストで同役を鑑賞し、
彼女は現在私が一番好きなソプラノの一人ですが、なかでもこの蝶々夫人は、
この役に必要なクオリティが、彼女の声質とぴったり合う時期に入っていることもあり、
(歌手の声はキャリアを経て段々変わっていくので、どんなにはまり役でも
一生ぴったり、というケースはまずなく、だからこそ、そんな”聴き時”を逃すのは、
オペラヘッドにとって、最も悔しいことの一つです。)
今、蝶々夫人を歌わせたら彼女は世界で一番、と公言しまくっている私です。

そのラセットが今シーズンもメトにその蝶々さんで戻って来てくれました。
ただし、ピンカートンは、去年のアラーニャに変わり、ロベルト・アロニカ。
このキャスティングが発表になったときから、”まじかよー?”と失望モードだった私ですが、
しかし、シリウスで聴いた先2回の公演(10/2410/29)での彼があまりにひどく、
もはや失望を通り越し、激怒の域に達してしまいましたので、
今日、舞台に出てきて、あの10/29のような歌唱を繰り広げたならば、
間違いなくブログを書くよりも先に、苦情のメールをゲルプ氏に宛ててしたためる!
と固く決意している私です。

座席に着席し、急いで代役のお知らせのメモが入っていないかプレイビルで確認。
入ってない、、、そして、本ページには、”きちんと”、ピンカートン=ロベルト・アロニカの文字が。
歌う気なんですね、この人、、。

そのアロニカ。
10/29に比べると、だいぶふんばっていました。
実際に声がひっくり返った個所一つを含め、最初から最後まで、
こちらがひやひやするような歌唱でしたが、
やっとこさのぎりぎりでブーを食らわない線に踏みとどまっていたと思います。
10/29のシリウス鑑賞記で紹介したNYタイムズの公演評にもある通り、
確かに声自体のボリュームとスタイルはあると思いますが、
これは何といえばいいのか、、。
声が長年の間に磨耗してしまったのか、
フレーズの途中で突然腰砕けのように芯がなくなったりするのです。
声が全く彼の意思を聞かなくなる瞬間がある、という風で、
ですから、彼自身は頑張っているのですが、
いつその瞬間が来るかわからず、歌っている本人にも、また観客にとっても同様に
フラストレーションがたまる、恐ろしい症状です。
10/29は何かの理由で特にひどかったですが、私個人的には、
根底にあるのは一時的な問題ではなく、半慢性的なものではないかと思います。
残念ながら、私がもしメトでキャスティングを担当していたら、
彼をメトに呼ぶことはこの先二度とないでしょう。
この感じは、実は最近のマルチェッロ・ジョルダーニ(2006-7年シーズンでピンカートンを歌い、
今シーズンも、後半のランで同役で、ドマスの蝶々さんと共演の予定。)にも
共通しているように感じられ、とても心配な兆候です。

サマーズが率いるオケはやはりバニラ。
彼は、きちんとした指揮はしているのですが、
何を指揮してもやや無味乾燥な感じで、本当に面白みがない。
見た目は悪くないのに、しゃべってみると中身がなくてがっかりさせられる男性を思わせます。
そして、苦言を呈すなら、最近のオケはどうも覇気がなく、やや雑な演奏も多い気がします。
今日も然り。


ラセットの蝶々さんはシリウスで聴いた公演に比べると、今日はずっと
ペース配分の面で上手く行っていたように思います。
昨シーズンの歌唱では、登場のシーンがやや不安定で、後になるほど上り調子になっていく、
というパターンが多かったですが、今年は登場のシーンにずっと安定感が増したような気がします。
(逆に、少し最後に疲れがみられた10/24のケースもありますが。)
今日の、蝶々さん登場のシーンは高音域も非常に安定していて素晴らしい出来だったと思います。



しかし、何よりもおどろいたのは、昨シーズンよりもさらに役作りが
良くも悪くも、進化していたこと。
良くも悪くも、というのは、例えば、少し先に飛びますが、
ピンカートンを待ちながら夜が開けるシーン。
夜が明けてからの蝶々さんは、昨シーズンのラセットを含め、
私がこれまで見たどの蝶々さんよりも明るく、子供とふざけあいながら、
まるで全くピンカートンが現れないことは微塵とも疑っていない、という様子で
今日のラセットは演じていました。
ここは、後でシャープレスが口にする、
”蝶々さんの信じやすい心は、すでに真実を気付きはじめている”という言葉を受けて、
どことなく不安の影を感じさせるように演じられることの方が圧倒的に多いような気がするので、
これは大変新鮮でもあり、また冒険的な解釈であるように感じました。
人によって、この解釈がしっくり来る人と来ない人がいるかもしれません。

しかし、一幕の二重唱の場面については、
歌唱で必要とされるスタミナとパッションを十全に満たしながら、
それでいて、15歳という少女らしさを決して失わない演技に、
彼女のこの場面での歌唱と演技が至ろうとしている完成度の高さに、本当に驚きました。




毎回このミンゲラ演出のプロダクションの蝶々さんを見るたびに文句を言っている気がするのですが、
飽きずに今年も言わせていただくと、とにかく、説明的に過ぎる、と感じます。
ミンゲラ氏が亡くなった後、舞台監督を担当している奥様のキャロリン・チョアによって、
少しタッチアップが施されたように思われ、
そのおかげでより演出の意図がはっきりした部分もあるのですが、
逆に、観客のイマジネーションの余地を残さないというか、
黒子を多用した、あまりに説明的な舞台上の動きの多さに辟易します。

そのタッチアップの成果の一つでしょうか、文楽の人形による子供の動きが、
今年は異様なまでに生き生きとしていて、文楽人形を使って表現しうる限界まで達しているほど。
文楽人形が怖いくらいに演技達者になっているのです!!
しかし。私がこの文楽人形の使用に最初から反対しているのは、
今まで何度も『蝶々夫人』のレポートで書いてきたとおり。
文楽人形を支持している人は、人形の方が人間の子供よりも指示通りの演技が出来るから、
ということらしいですが、とんでもない!!
前にも書いたとおり、私は人間の子役が自分の境遇にぴんと来ない様子であちこちよそ見していたり、
蝶々さん役を歌うソプラノに抱きしめられながらきょとん、とした顔をすればするほど、
リアルだわ!と思うし、また彼の境遇の不憫さを感じて涙が出てしまいます。
なので、演技力がパワーアップした文楽人形がわざとらしく、
かわいく蝶々さんに擦り寄ったり、名演技を繰り広げれば繰り広げるほど、
戸惑ってしまうのでした。

この文楽人形に関しては、プロダクションのプレミア以来、
特にアメリカ人にとっては、日本の伝統文化の導入ということもあって、
アンタッチャブルなトピックになってしまっている感があり、
誰もが絶賛しているように見えるか、しっくり来ない人は黙っているしかない、といった雰囲気でしたが、
やっと、いろいろな意見が出てくるようになってきているように思います。
メトのオペラ・ギルドのサイトでもそうですが、今日の公演でも、二人、
この文楽人形に賛同できない、とおっしゃっているアメリカ人の観客の方と遭遇しました。

一人は、ラウンジでご一緒した、フィラデルフィアにある大学で教鞭をとっていらっしゃる年配の男性。
先生仲間の男性とそのお嬢さんの3人で、この公演を見るためにNYまでいらっしゃったらしいですが、
お嬢様は初めてのオペラ鑑賞。
”二重唱での提灯が綺麗だったわ”(下の写真参照)という若者らしい意見に、
”わしは、わけがわからんかったね。”とばっさり。教授、きびしー!!
”まあ、君とは違って、年寄りだからかもしれんがね。”と笑って、
同じテーブルにいた私の方をご覧になるので、
”実を申しますと、私もあの提灯が苦手で、、。私もオールド・スクールなんでしょうか?”
と答えたのですが、あまりにギミックの多いこのプロダクションに、
やはり違和感を感じる方がいらっしゃるんだ!と嬉しく、話がはずみ、
二度目のインターミッションでもお会いする約束をして別れました。




その二度目のインターミッションでは、”あの文楽の人形はなんじゃ?”と、お冠の教授。
結局、ミンゲラの演出すべてに納得されていないようでした。

ちなみに、私達の背中合わせに座っていたご夫婦の会話も合間に聞こえてきたのですが、
やはり、”舞台にあまりにもたくさんの要素がのりすぎているけれど、、音楽は素晴らしいなあ。”
というご意見でした。

そして、その二度目のインターミッションを終え、席に戻った際に、
隣に座っていらっしゃった、おばあさまから、
”公演、楽しんでいらっしゃる?”と声をかけられ、
”ええ、とっても。歌が特にすばらしいので、、。”と答えると、
”本当に。でも、一つだけ、言わせてもらえるなら、あの、人形、、あれはとっても嫌だわ。”
今日、こんなにも続けて、2006年以来私の胸にくすぶり続けてきた意見を、
こうして口に出しておっしゃってくださる人に連続してお会いできた感激に、
つい、おばあさまの左腕をしっかりと握り締め、
”やっぱり、そう思われます!!??実は私も大嫌いなんです!!”と、
つい興奮し、絶叫してしまう私なのでした。



2006-7年シーズンに蝶々さんを歌ったドマスの歌唱力と演技力では、
この演出上のキズを十分に補えていないので、見ていて実に感動の薄い舞台だったのですが、
ラセットは、この異様な演技力を身につけた文楽小僧を相手に、
昨年よりもさらに自分の演技を濃くすることで応戦。
子供を目に入れても痛くない、とかわいがる様子に、
蝶々さんにとって、実はピンカートンに捨てられること以上に、
子供と引き裂かれることが辛かったのではないか?と思わせるユニークな仕上がりになっていて、
この文楽人形を使用する演出という制限の中では、もうこの方法しか、
有効に観客の心に働きかける道はない、と思わせるほどで、
彼女の舞台勘の素晴らしさに、本当に感嘆させられます。




そう、この数々の演出上のキズがあるミンゲラ演出を、
唯一、観客の心に訴える公演にひっぱりあげられるのは、ラセット、彼女しかいません!
なのに、なのに、今シーズンのライブ・イン・HD(ライブ・ビューイング)では、
亡くなったミンゲラへの敬意か何だか知りませんが、プロダクション・プレミア時のキャスト、
つまり、ドマスとジョルダーニのコンビを復活させてしまうゲルプ氏なのでした。
ゲルプ氏!!あなたは、こと、この一件に関しては大変な誤りを犯そうとしています!!!!

この際、ピンカートンはもうどうでもいいですが、
(私の希望をいえば、昨シーズン、そのキャラが異様なはまりぶりを見せたアラーニャですが、
ジョルダーニでもまあ良い。アロニカだけは許してください。)
蝶々さんは、絶対に、ラセットでなくてはならない!
メトでは今こんな公演をやってます!とアピールするのが
このライブ・イン・HDの目的の一つなら、みすみすラセットの登場を阻むなんて、
私には狂気の沙汰としか思えません。

この蝶々さんは彼女のシグネチャー・ロールになりつつあるだけに、歌う機会が多く、
(今シーズンだけでも、メト、シカゴ、サン・ディエゴの三つの歌劇場で、
同役を歌う予定のようです。)
昨年のシーズンに比べると、ペース配分等に注意しなければならないせいもあってか、
少し歌が冷静になっている気もするので、ピンカートンやシャープレスに達者な人が入る、とか
(さっき、ピンカートンはどうでもいい、と言ったばかりですが、
まあ、完全にはどうでもよくはないのです。)、オケが燃える、とか、
何か起爆剤がないと、あの昨年の10/27級の熱い舞台は出てこないかもしれせんが、
逆を言うと、今日のこの素晴らしい歌唱でも、彼女の上限でも、まぐれでもなく、
まだ余裕があるということで、もし今日オペラハウスで当公演をご覧になった方がいらっしゃったなら、
いかにそれがすごいことか、実感いただけると思います。
彼女の蝶々さんは現在のオペラ界の宝です。見れる機会のある方は、
絶対に絶対に見逃してはなりません。
低音域から高音域にわたる声のしなやかさ、十分な重量さ、それでいて蝶々さんの
心の変化・成長を感じさせる微妙なニュアンスと必要なときに醸しだされる軽さ、
何よりもあの舞台上の表現力と演技力、、
ラジオ等の音源では、彼女のオペラハウスでの歌唱の魅力の半分も伝わっていませんので。

Patricia Racette (Cio-Cio-San)
Roberto Aronica (Pinkerton)
Dwayne Croft (Sharpless)
Maria Zifchak (Suzuki)
Greg Fedderly (Goro)
David Won (Yamadori)
Keith Miller (Bonze)
Conductor: Patrick Summers
Production: Anthony Minghella
Direction & Choreography: Carolyn Choa
Set Design: Michael Levine
Costume Design: Han Feng
Lighting Design: Peter Mumford
Puppetry: Blind Summit Theatre, Mark Down and Nick Barnes
Grand Tier D Even
ON
*** プッチーニ 蝶々夫人 Puccini Madama Butterfly ***

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