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「100万回生きたねこ」 佐野洋子 講談社

2014-12-05 | 読書



この絵本は、沢山の人に読まれていることを知りませんでした。読んでみて、これは読む人の年代や経験などで、様々な感想があるのもわかりました。
トラ猫は100万回生まれて、時には王さまに飼われ、船乗り、サーカスの手品つかい、泥棒には利用され、おばあさん、小さな女の子に可愛がられました。
でもいつも飼い主が大嫌いでした。

なぜだろう、ねこは大嫌いな飼い主に可愛がられながらも、思いがけない悲惨な死に方をしました、唯一自然に死んだのはおばあさんの膝の上でしたがこのおばあさんも嫌いでした。飼い主はねこの死を悲しんで泣きました。でも猫は生まれ変わっても、また飼われて死んだのです、生まれても生まれても大嫌いな飼い主に出会いました、ねこはただ可愛がられるだけというのは望んでいませんでした。

この話は何度も生まれ変わって、飼い主からどんなに愛されていても、満足できない、やはり愛することを知らないと生きたことにはならないという話でした。

ねこは100万回生まれ変わって、いやな世の中で好きでもない人に可愛がられ、庇護され、かごに入れられ、負ぶわれ、膝の上で一生を終えました、悲惨な死を迎えたこともたびたびあります。生まれた数だけあります。死が悲惨であっても、飼い主は大切に埋葬して悲しんでくれました、それでもまた生まれ変わって望まない一生を送りました。

満足し納得できる、望むような生きかたではなかった。いくら生まれ変わっても可愛がられ、保護される境遇から抜け出ることが出来ませんでした。

やっと、野良ねこに生まれ変わって、自由を手に入れました。いくら雌ねこが寄ってきても、もう彼は自由に生きることを選び、自分が自分である誇り高い矜持をもっていました、どんな愛も受け入れることはもうなかったのです。白猫にめぐり合って可愛がられるだけの仮の姿ではない本物の自分を見つけました。白猫とともに一緒を終え、もう生まれ変わることはありませんでした

どんな環境に生まれても、選択できる人生が広く開いていても、わずかな隙間しかなくても、自分の生き方は自分で選び、与えられた命を全うする、そういう生き方が自分も回りもともに愛することだと猫を通して感じました。可愛がることと愛することは本質が全く違うことだったのです。





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