空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「喪失」 カーリン・アルヴテーゲン 柳沢由美子訳 小学館文庫

2021-03-03 | 読書
 
この本を読んで「偶然の祝福」という小川洋子さんの本を思い出した。短編集だった、その中のもの哀しい「失踪者たちの王国」という一編がこの作品のどこかに細くつながっているような気がしてならなかったが。
これは題名「喪失」からの単なる連想で読む前はこんなことだろうと思っていた。
小川さんの文芸作品とミステリの違いにちょっと気づいた。文芸作品は言葉や雰囲気が後に残るがミステリはストーリーの面白さかな、などとあとになって感じるところもあった。


「喪失」は主人公のシビラが両親の顔色を窺がう生活を捨てること、社会的な身分証明をなくしてまで自由な暮らしを手に入れようとしたことを指している。

裕福な暮らしは窮屈だった。家柄を鼻にかけ見栄を張る母親と、町の人々の殆どを雇っていると自負する会社経営者の父親。
18年間シビラは子供社会でも枠外にいた、子供ながらの嫉妬と偏見にさらされ味方はいなかった。 母の叱責を逃れるために先回りして心理を読み取る術も覚えた。

母親の言葉の矛先を逃れようと耐えてきた、その鋭い嗅覚と判断力を武器にしてついに「失踪」する。
そして32歳の今までホームレス同様の自由な王国を手に入れてきた。
食事と寝床が欲しいときは、よく使う手で甘い男に近寄り食事を奢らせ、ホテルの部屋をとらせる。そして久しぶりにのびのびとゆっくり風呂に入りベッドで眠った。
ところが翌朝になってドアの外が騒がしい。後ろ暗いシビラは裏口から逃げた。
新聞広告で昨夜の男が惨殺されたという記事を読む。ホテルマンの証言でシビラが容疑者になっていた。

殺人は続いて起きた。シビラは連続殺人犯として指名手配され新聞に写真が出る。
さぁどうして冤罪を証明するか。
警察の網をかいくぐり、髪を染め服を変え逃げなくてはならない。

母も気がとがめたのか月々少額ながら送金してきた、シビラは私書箱に届いた金はできるだけ使わず、いつか小さな家を買いたいと思って溜めていた。だが犯人をつかまえて冤罪を晴らさなくてはならない。鍵の壊れた屋根裏に居場所を見つけてふと思った。何もかも諦めてしまえば簡単なのに。

面白いことに、シビラは生きるすべを見つける知恵は人並外れていたが、やはり世の中の進化には遅れていた。
夜、眼鏡の少年が屋根裏に上がってきた。15歳の彼はパトリックと言い、シビラが浮浪者とみると本物のホームレスに出会って「COOL!!」といって驚き、好奇心に目を輝かして話を聞きたがった。

シビラの話を信じ始めるところから、やっと何とかなりそうだと読む方も力が入る。おまけにこの子はいまどきだ、パソコンにも強い。両親にはなにか言い訳をしてきたらしく一晩は話ながら並んで寝た。
そしてその夜また四件目の殺人が起きる。
これでパトリックは心からシビラの無実を信じることになる。ワトスン君を得て、シビラは真相解明に向かう覚悟ができる。

殺された4人はどういうつながりがあり、なぜ殺されたのか。
ワトスン君のネット友達の天才が、料金は高いがコンピュータに侵入して非公開の情報を手に入れられるという。
彼のおかげで手がかりができた。真実は深い穴の底から不気味な顔をのぞかせた。

まぁシビラの失踪までの事情もなかなか哀れだが、ありふれたストーリーになるところをよく切り抜けて読ませる。
パトリックもご都合主義だと悟らせない存在感があり、何と言っても終盤の真相で文字通り度肝を抜かれる。
女性作家らしい終わり方は今回も味わい深く、余韻もある。


ストーリーのさわりは備忘録のようなものだが、自由に生きようとするシビラの「喪失」は、最初に感じた失踪者たちのむなしい未来と残された過去の想いが、人の蒸発という言葉に置き換えても胸に迫るような思いがあった。存在がなくなる、過去だけを残してふっといなくなること、テーマの底にある哀感をうまく語っているようで、この作品は多くの共感を得て「ガラスの鍵賞」を受賞している。
 
 
2021.2.12再
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ささらさや」 加納明子 ... | トップ | 「尹東柱詩 空と風と星と詩... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

読書」カテゴリの最新記事