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「朝の少女」 マイケル・ドリス 灰谷健次郎訳 新潮文庫

2019-11-21 | 読書

 

あの忘れてしまうような一瞬の輝いたとき。自然の中に住んでいた少年と少女がいた。
 
作者はインデアンの血を引くアメリカの方で、もう亡くなっているが、人類学や先住民研究者だったそうだ。
 
 舞台はアメリカの未開の地。そこで暮らしている少女は早起きが好きなのでモーニング・ガール(朝の少女)と名づけられている。 弟は夜が好きなのでスターボーイ(星の子)という。
朝もやから始まる昼の一日を自然の一部になって楽しむ少女と、夕暮れから海の音を聞いたり体を岩にしたりして遊ぶ少年がいる。

 読んでいると、昔気づかないで過ごしてしまった、私の一時期、まだ人になっていなかった優しい頃に戻ることができる。それが僅かな一時期だったり、もう忘れてしまっている、人によっては経験することもなく通り過ぎてしまったそんな時があったのだろかと振り返るような、優しい時間が思い出される話。
少しずつ成長していく子供たちの心の動きもさわやかで、書かれていることは、今では難しい分野に通じるような、言葉にすれば難解なことになりそうな、自然と人のかかわりがやさしく子供向けに書かれている。
名前というものは不思議な、かけがえのない贈り物だ。人が自分につける名前、世の中に向かって示し、すぐに忘れられてしまう名前、いつまでもずっと残る名前もある。その人の歴史や足跡からきた名前、周りの人たちから贈られて受けとる名前もある。
あたし(朝の少女)の弟が、むかしハングリー(腹ぺこ)という名前だったことはだれも忘れないだろう。けれども今日みんなは前とはちがうあの子の言葉に耳をかたむける。星の子も、自分が大きくなっていて、もう子供みたいにはふるまえないことを知るだろう。名前がほんとうに身についたとき、人は名前どおりの人になる。(略) 「もう、いいのよ」 あたしは小声でいった。 「いって」 弟はやっと離れていった。でもそのまえに、あの子はあたしにだけきこえるような声でいった。これから先、あたしたちがふたりだけでいるときに、いつもあたしをそう呼ぶようになる名前を。あのこは小さくこういったのだ。 「ザ・ワン・フー・スタンズ・ビサイズ(いつもそばにいてくれる人)」
と、こんなに素朴な、そして深い魂の物語が優しく語りかけてきます。 そこへやってくるものがあります。文化に触れた人たち、その将は難しい問題をはらんでいます。 薄い本ですが詩集を読むような言葉から、自然の声が聞こえてきます。
 
 
 
                                                     
                                                     「書き忘れ 回収1」 
 
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