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「100年たったら」 石田睦美(著) あべ弘士(イラスト) アリス館

2021-05-27 | 読書

 

 

どう生きるかなどとと考える前に時々開いてみる絵本だと思いました。

100年は長いと思ってきましたが、身近に100歳になった人や90代の人が増えてきました。
この住宅地が開発されて整地されたころ、秋は下の田んぼの畦に真っ赤に咲くヒガンバナが見え、春はところどころ残っている林で驚くほど大きな声でウグイスが鳴いていました。
時の流れは早く今周りの土地も新しく造成されて、空き地がなくなりそばの山もなくなってしまいました。
広い土地に何ができるのかと思ったら介護ホームでした。

別れが多くなる年になりました。これは大人も読む絵本でした。

一日一日は過ぎてしまって振り返るとあっという間です。
母と親しくしていた近所のおばあちゃんは計算ができなくなりました。訪ねていくといつもいつも口癖で いつの間にか90歳も過ぎたのよ。といっています。本当は99歳でもうすぐ100歳です。


広い草原を駆け回っていたライオンは百獣の王だった時がありました。草原はすっかり寂しくなり、いつかライオンは一人ぼっちになりました。狩る動物もいなくなり草や虫を食べて生き延びていました。一日一日がそうして過ぎていったのです。

そこに小鳥が来ました、ライオンは食べませんでした。小鳥はもう飛ぶ力もなくライオンのたてがみに潜って眠ったり、話したりしていました。そうして一日一日が過ぎていきました。

小鳥は、また会えるよといって遠くに行ってしまいました。

100年が過ぎまた100年が過ぎ、ライオンは貝になり、おばあさんにもなりました。小鳥は貝に打ち寄せる波になり、おばあさんを慰める花になりました。

そして何度目かの100年が過ぎ、ライオンは男の子になり小鳥は女の子に生まれ変わりました。
女の子は転校生でしたが男の子はどこかで会ったように思いました。

男の子にも女の子にも時は過ぎていきますが、二人には100年は長く思えるかもしれません。
幸せだったり不幸だったりしながらも、同じように一日一日が過ぎ、ライオンだったことや小鳥や貝や波だったことは忘れてしまっても、また出会えることもあるでしょう。
どんなことがあっても気づかず、すっかり忘れてまた新しい100年が始まり、みんな同じように、一日が過ぎ、100年が過ぎ、次々に忘れてまた別れたり巡りあったりすることでしょう。

100年後いい出会いをしたいのですが、その時には過去は何もかもすっかり忘れてリセットされていることでしょう。
 
 
 

出版社からのコメント

あべ弘士さんの生命力あふれる絵と、
夏目漱石の「夢十夜」からインスピレーションを受けて石井睦美さんが書きあげた物語。
その文章に触発されたというあべさんが描く、鮮やかな絵。
絵本のダイナミズムと深い余韻を感じる作品です。
 
 

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