鳥の巣頭の世迷い言

読書音楽観劇、ハゲタカ廃人、そしてアラシックライフをエンジョイしている三十路のお気楽会社員・ガバ鳥のblog

ちょっと、そこで蕎麦をイッパイ@松月庵 番町

2016年11月11日 00時56分00秒 | アラシックなロケ地巡り
嵐や翔さんたちのお蔭で行動の枠が広がるなあと思う今日この頃です。
ロケ地めぐりやら、手に取ったものを入手するためやら、お店や施設に足を運ぶ機会が多くなるからです。
さて、そんなこんなの某月某日、私は松月庵 番町に足を運ぶこととなりました。
日テレ収録スタジオ(麹町)近くの蕎麦屋、「嵐にしやがれ」や「志村どうぶつ園」の収録時に嵐のメンバーがいつも?出前、もしくは来店して蕎麦をとっているお店です。
(「嵐にしやがれ」の出前選手権?のコーナーで出てきた、あの蕎麦屋さんですね)



私はそこで、嵐のメンバーが良く食べるという南蛮蕎麦セットを頂きました(店主曰く、夏になると松潤は冷やし中華そばを注文するそうな。)。
因みにワタクシ、偶然を装って相葉くんがよく座るという席に座って食事をしましたが、店主には嵐ファンだとバレバレでして、本人の知らない所で実は体よく誘導されていた…というオチがありました…(お恥ずかしい…。)。

お店には嵐ファンが訪れているようで、沢山のファンのメッセージが飾ってありました。店主によると、相葉さんやSMAPの中居さんもお店には訪れているようで、彼らはそんなファンからのメッセージを見てどういう風に思ったのかな…などと考えてしまいました。
(批判や皮肉でなく、純粋な疑問として。念のため。)

蕎麦は美味しかったです。日テレスタジオ近くには何だかんだと行く機会もあることから、また足を運んでみたいと思いました。





最寄駅:JR市ヶ谷、地下鉄 麹町


嵐オタ的はじまりの店

2016年03月02日 22時38分11秒 | アラシックなロケ地巡り
某月某日、私は都内にある某高級焼肉屋さんを訪れました。
それは私たち嵐オタにとっては忘れ難いお店(*)です。
嵐としてデビュー会見する前にジャニ―さんと嵐とで訪れた焼肉屋さん…と思しき店です(*確信には至らず、よって信じるかどうかは自己責任~。)。
嵐の歩みについて語りながらキュンキュンしながらバクバクと食べまくりました(笑)。
肉は本当においしゅうございましたが値段もそれなりでした。
嵐オタの女性4人でバクバク肉を食べてビールぐびぐび+デザートまでペロリと平らげまして、1人9000円の支払いなり☆









しかし、それにつけても思い出されたのが、Blast in Hawaiiで嵐メンバーが語っていたデビュー当時の思い出話です。


+++

「ぼくら明日、ハワイに行くんです。」って、嬉しそうに言ってたよ。 By 二宮和也



Blast in Hawaiiで、デビューは不安だらけだった思い出しかないと語っていた嵐のメンバーですが、当時を知る第3者から、当時の本人たちが「意外と嬉しそうだった」ことがわかると、何とも安心?するような気分になります。

デビュー会見のハワイに行く直前の食事会に同席しているのは、デビュー直前の10代の少年と、彼らをデビューさせようとしている会社の社長ら上位スタッフたち。

さぞや不安や期待、思惑が入り混じったことだろうなと推し量ることしか部外者の我々にはできませんが。

メンバーたちが当時の食事会のことで印象に残っていることとして語っていることが、「ジャニーさんがタンばっかり焼いていた」ことだったり「もっと丁寧に焼いてほしかった」というのをみると微笑ましいなあとも思いますが、一方で、そういう些細なことに目をむけて緊張をほぐそうとした自衛手段だったりしたのかなあとも思ってシンミリしたりして。

その緊張の思い出を、再度のハワイの地で見事な笑い話にできるほどに彼らも年月を消化していくのですが、その歩みにオタな私は心を震わせずにはいられません。
その歩みにこそファンである私はついていきたいと思ったから。

既出かもしれませんが、嵐は「他人に与えられた道を自分の道にしてきた」グループであると、私は勝手に思っているのですが、これを見て、ああ、ファンでよかったな、かっこいいなあと。

…肉をもぐもぐ食べつつビールをグビグビ飲みつつ、幸せなお腹と寒い財布をさすりつつ思ったのでした。





ということでですね、件のお店...と思われる、三幸園(麻布十番)は決して安くはないお店ですが、また往訪したいなと思うお店でした。
お肉もサービスも大変よろしい!
ランチタイムにはリーズナブルなメニューもあるようなので(丼や定食)、そちらを狙ってまた麻布十番に向かいたいと思います。

ライブ前には腹ごしらえ@一福(仙台)

2015年12月30日 14時44分34秒 | アラシックなロケ地巡り
宮城BlastがDVDになった記念で、今さらながらのぐるめ?レポートを。

幸運にもBlast in Miyagi (2015/09/19-09/23)に参加する機会をえた私ですが、9月23日に仙台市の牛タン屋さんで昼食をとる機会に恵まれました。
嵐にしやがれで翔さんが食事をしていた牛タン屋さん、「一福」で。
翔担の友人の予約にマンマと紛れ込み、ご相伴にあずかることができました。









一福は仙台の繁華街にあるコンパクトなお店で、良心的なお店でした。
当日は嵐ファンであふれ返っており、休みもなく忙しい時間を過ごされていたとは推察されたのですが、本当に良い対応をして頂き…ありがたいことだなと。

さて、そんなこんなで翔さんが食事を頂いた2階の部屋に通してもらい(たまたま)、お店の人に質問をして翔さんが頂いたメニューと同じもの+αを注文いたしました。
<テーブルは違います。翔さんが座ったテーブルは当日は空席(予約を入れない、客を通さない)となっていました。混乱を避けるためでしょうが。

翔さんが頂いたメニューは以下の通り。

・牛タン刺し
・ソーセージ
・牛タンたたき
・味噌漬け牛タン
・ビール





ワレワレ、この後にライブがありましたからね、泣く泣くビールをあきらめましたが、その他のメニューをどれもこれも美味しく頂きましたよ(本当に美味しかったw)。
メニュー全てを頼むには女性1人だと食べきれない可能性もあるので、女性であれば2人~で行くのがお勧めかなとは思いましたが(肉愛好家であるならば大丈夫かもしれんが)…、ここはお勧めなお店(ロケ地)になると思います。

お友達を誘って、何かの折には訪れたいなと思いました。










いやはや、ごちそうさまでした!


お店について)
牛たん 一福ホームページ→

その瞳にうつるもの@ロケ地巡り(カヤバ珈琲@谷中)

2015年11月07日 14時06分28秒 | アラシックなロケ地巡り


10月のある日のこと、ふと見たtwitterのTL中に、印象に残る画像がありました。
レトロな喫茶店のテーブルについている1人の男性の写真です。
茶色のテーブル、鳶色の瞳、窓の向こうの景色。

その瞳の持ち主は、我らが嵐の二宮和也。




+++

画像を見て数日後、職場から離れていないこともあり、その場所に行ってまいりました。

カヤバ珈琲。
ニノが雑誌(MORE)連載・It(一途)で訪れた喫茶店です。







私が行った当日、たまたまですが、ニノが座っていたテーブル席に案内をされました。
同じ方向に座ってみて、頬杖をついてみて、ニノの見た風景を追体験してみました。

茶色の瞳にうつったものと同じ風景。

もちろん、にのが何を知覚したのか、何を思ったかは他人の私には解らないし感じとりようもないのですが。
ただ、何となく行動や思考を追いかけることによって、見えてくる何かがあるかなと思いまして。
(別にニノになりたいわけでもないんですが、ニノの仕事に対する姿勢には尊敬の念を持っておりまして…)






訪れた時間がお昼時だったこともあり、私はニノが頂いたというホットコーヒーにプラスして、名物の卵サンドも頂きました。
パンは食感がふわふわで美味しかったです。

このお店は元々が人気店のようで、常時、お店の外に待っている人がいる具合でしたが、クラシックな雰囲気の喫茶店(カフェ)が好きな人は行くべし!な所でした。
このお店がある谷中という町自体もレトロな雰囲気も相まって(東京芸術大学が近い)、なるほど外国人観光客や年配の方々がお客に多いのも頷けました。
暇を見つけては、また訪れたいものです。





(同じ席に座ってぼんやりと私が見た風景はお冷やという...。)


+++

カヤバ珈琲(谷中)のホームページ→

嵐オタ的宮城めぐり@仙台(番外編)

2015年11月04日 16時30分54秒 | アラシックなロケ地巡り
正確にはロケ地。。。ではないのですが、どうしても訪れようと決めた場所がありましたので、番外編としてご紹介。
仙台市にある河北新報社さんです。
仙台など東北を地盤とする新聞社さん。
震災の時は沢山の人(それこそ東北以外の人たちも)がチェックしたのではないかなあと。

私も震災当時から現在まで、なんとなく記事はチェックを続けてきたのですが(もちろん、blast関連の記事も読みましたし購入しました)、せっかく仙台市に来たことだし...と本社を突撃?してみた訳です。

この新聞社を訪れた理由としては、なんとなく神戸新聞社に似てるから...というのもあったかもしれません。
翔さんが出演したドキュメンタリードラマ、神戸新聞社の7日間が何となく頭の中にあったのかも。

地震、津波、原発事故、復興...。

それを見つめてきた新聞社を見てみたいなと。
勿論、私は通り過ぎるだけの人に過ぎないのですが...。






建物1階フロントやロビーには、震災の当時~今日までの出来事が掲載された記事が掲示されていました。
記事の中での光景が今の光景と重なりました。
私たちがひとめぼれスタジアムに行く為に使った泉中央駅は当時は帰宅難民で溢れていたし、私が温泉を楽しんだ女川駅は当時は波で跡形も無くなかった。

4年たって少し茶色くなった紙からは、関係者の方々の熱意や何かを感じることが出来ました。
なんというか、伝える仕事ということの重大さを改めて感じることが出来た往訪でございました。