鳥の巣頭の世迷い言

読書音楽観劇、ハゲタカ廃人、そしてアラシックライフをエンジョイしている三十路のお気楽会社員・ガバ鳥のblog

ジャクロ(の舞台)のためにイギリスへ@舞台鑑賞編(鑑賞3回目)

2019年03月26日 21時07分54秒 | 舞台・コンサート感想
<ロンドン2日目の続き>




さて。
興奮の昼公演+ステージドアが終わった後に始まった夜公演です。
ついさっきチケットを見せたお兄さんにチケット提示を再度することに気恥ずかしさを感じながら、客席へ突入。
今度は真正面からじっくり観劇。
一番前の席ではないものの、ここもなかなか…。肉眼で推しが見れるって素敵やね…(*)。
(*)最終日はチケット料金を抑えめにいったので、前から四番目くらい(1階席)。ドンマーの一階席はあまり傾斜がついてるような仕様になっていないようなので、前の人の頭でちょっとステージが見えにくい感じだった。ドンマー劇場の設計+私の身長(158cmくらい)の場合、やっぱり前の方が見えやすい…かも。ケチらずに40ポンドの席を買えばよかった…か、思い切って2階席の一番前でもよかったのか?。

真正面から観る舞台もまた良き….などと思いつつ着席。もう慣れたもんで(ほんとか?)、スクリプトをパラパラ読みつつ時間を過ごしました。役者さんたちの英語は程よいスピードで、発音もクリアーで抑揚もあって耳に入ってきやすいのですが(やっぱり役者さんだなあ、と思った)、いくら耳に入っても自分が知らないボキャブラリーを瞬時に理解するのは難しいので。考えてる間に次の台詞が始まってたりして。もっと英語を勉強しておけば良かった(滝涙)。

さてさて。
英語力の貧困さに涙している人間はさておき、そうこうしている内に会場が人で埋まり(超満員ではなかったけど、そんなに空席があるようにも見えなかった)、いよいよ開演。
鑑賞3回目において、印象に残ってるシーンは以下の通り。

<前半 1600年代パート>
・迫るアンジェロ
「You must lay down the treaures of your body/君の宝(処女)を私に差し出しなさい(意訳)」、といいイザベラに迫るアンジェロがエロ代官様でした。えろい。
えろい手つきでイザベラの身体のラインを辿り(後ろから手を伸ばす)、「悪いようにしないから」と言わんばかりに囁く公爵代理の悪どいこと悪どいこと。
「イザベラ逃げてええええ」と心の中で私は声援を送ってましたが一方で、「うおおお、えっろ!えっろ!」と叫んでました。ごめんな、イザベラ…。

・歌と女
イザベラと神父(に化けた公爵)が、アンジェロの元婚約者であるイザベラに会いにいくところ。
歌とともにマリアナが登場する場面でもあるのですが。(結婚持参金が少ないという理由で)アンジェロに捨てられた後も健気にアンジェロを愛する女性…なのですが、ちょっと自傷癖があるっぽいのがちょっと気になるところ。けっこう重い性格なのかしら。湿気すら感じる。
♪Take, O take those lips away(甘い嘘つく唇よ)
マリアナの目つきといい、流れる歌声といい、ただのかわいそうな元婚約者という感じがしない。
一方で、イザベラと公爵がその彼女に頼むのがベッドトリックをしかけること(イザベラの代わりにアンジェロと寝る)なんだから、結構酷なことを頼むというのが…(イザベラも決して清廉潔白ではないことを示す場面でもある)。
舞台上では依頼をしている描写はなかったんだけども、マリアナはあっさりイザベラの願いを受け入れたのかな?どんな気持ちで(自分以外の女と性交渉を持ちたがっている)アンジェロとセックスをすることを承諾したんだろう。ちょっとわからない…。
なお、マリアナを演じた女優さん(ヘレナ・ウィルソン)ですが、後半パートは少年の姿になり、裁判所へ人たちを誘導する役目になってました。キリリとした少年の姿でした。←イザベラと百合っぽい関係の元恋人みたいになるのかと思ってたけど、ちがってた。

・わらう娼婦たち
劇中には幾人もの娼婦たちが元締めと共に登場。けっして華やかというものではないのですが(高級娼婦じゃないからかな?)、どこか擦れていて皮肉屋な感じ。この中に男娼も混じってました(この人が後半部分では、イザベラの婚約者を演じる)。
そろって相手を笑い、そろってお上に逮捕されちゃう面子なのですよね。
色町のセットが舞台の上にあるわけでもないのですが(基本的に、大がかりな舞台装置やセットは出てこない)、彼女たちの周りだけ、ロンドンの色町な感じの雰囲気が出てました。安いベッドの埃っぽさみたいなのを感じてました、はい。


<後半 現代パート>
・公爵の性癖の発露?
ごく最初の場面で、公爵はバスローブっぽい姿に着替えています。着替えを手伝っていたのは、少年っぽい若い青年。
鑑賞1回目の時には気づかなかったんですが、これってあれだよね、公爵は少年と寝たんじゃないだろうか…と思わせる場面でございます。
別にいやらしい感じはあんまり感じなかったのですが(スポーツ後の一汗って感じで)、少年とのやりとりを見る限り、肉体関係があきらかにあった二人のやりとりじゃないかなあと思わせる動作がけっこうあって。こう、着替えさせる感じの所とかですね…。ニュアンス的な。

・硬直する青年
アンジェロがイザベラに迫られる場面。前半パートとは逆の立場。
イザベラに喰われんとする小動物みたいに硬直するアンジェロ。魔女の宅急便(ジブリの映画版)に出てくるジジ(黒い猫)が余所の猫に硬直する場面があるじゃないですか、あんな感じに見えました。
かわいかった….(←感想ボキャブラリーが無いやつ)。

・イザベラの嬌声
裁判で抗弁するイザベラに対し、アンジェロ側はとっておきのものを出します。
ベッドトリックにひっかかった(社会的強者の)イザベラの、公衆の場においてセックス中の声(iphone?に録音していた)をばく露するのです。←アンジェロの代わりに、元婚約者(男性)がイザベラとベッドイン。
会場中にひびきわたるイザベラの嬌声を聞くととてもいたたまれない気分に。ちなみに、むっちゃアグレッシブな女性の嬌声でした…。
もの凄いプライベートなものだし、もの凄い恥辱と思うのだけど、前半パートにおいてイザベラはこんな恥辱を受けてたかなあ、という疑問も。前半と後半は立場が逆転(イザベラ;見習いの修道女→キャリアウーマン、アンジェロ;公爵代理→セラピーを受けてる青年)しているけど、ここらへんは綺麗な対照にはなってないよなあと思うところ。
隣近所の観客の反応もバラバラだった感じでした。顔をしかめる人、無反応な人、笑っている人、様々。
この時のアンジェロはどんな顔だったかなあ。すくなくともドヤ顔じゃなかったとは思うけど。


<総じて>
アンジェロは素敵でした(語彙力無)
公爵代理も力なき青年も、どっちも魅力的なのだよ。もうこれはジャクロの魔力なんだよ、きっとそうに違いない。


さて。
夜公演が終わったら、ひとまずトイレへ。相変わらず流れの悪いトイレでしたが(同じく待ってたおばちゃんが、Fu**ing not flushed toilet!とか言ってた記憶が)。
ステージドアでファンガールと撮影したりサインをしてるジャクロがいましたが、私はもう既にサインや撮影の恩恵にあずかってましたので、欲張りをしたいのをこらえて、遠くからパチッと最後の撮影してホテルへ移動。
三回目の舞台鑑賞にして最後の鑑賞を終えたのでした。

いやはや、本当に楽しかった。
慣れない土地、母国語以外の芝居、シェークスピア作品ほとんど知らない等、不安な所は沢山ありましたが、総じて楽しいことばかりでした。
ちゃんと無事にお芝居観れたし。へんな観客もいなかったしで。きっと、良い箱なんでしょうね。
こんな劇場がたくさんあるロンドンがうらやましいなあと思いました(東京にだって沢山劇場があるのは知ってるんですけどもね)。
ドンマー劇場の芸術監督ジョージ・ルーク監督は、ジャクロも出演する映画・Mary Queen of Scotsの監督でもありますが、俄然、観に行きたい気持ちが高まりました(女王の人生をどう彼女が切り取って我々に見せるのかな?っというね。)。

そんなこんなで満足した私は、昨日と同じようにホテル近くまでバスに乗って移動し、ソソクサとホテルに帰ったのでした。
晩御飯を食べ損ねたのはご愛嬌….(晩御飯をスーパーで買っておけば良かったかも)。

ということで、ながーく時間がかかった舞台鑑賞日記もこれにて終りです。
その他の旅日記も併せて、ひとまずお疲れ様でした!


*蛇足
休憩時間に劇場内のバーカウンターで軽くアルコールを飲もうと決意していた私ですが(ある意味、ぼったくりのない安全なバーだし)、微妙に眠みの気配と頭痛を感じた私は休憩中にしばらく目をつむるなどして過ごしました。アイスクリーム…食べたかった….(食い意地爆発してる)。
個人的な感想だけどね、眠眠打破は効かなかったでござる。昼公演と夜公演の連続鑑賞ってのは、意外と体力を使うんですねえ…。




Ref)
1. ウィリアム・シェークスピア(2016年)尺には尺を(シェークスピア全集28)(松岡和子 翻訳)ちくま文庫
2. William Shakespeare (2015年)Measure for Measure (PENGUIN CLASSICS)
3. William Shakespeare/Josie Rourke (2018年) Measure for Measure (methuen/drama) ←今回の舞台スクリプト

NTL マクベスの鑑賞記録

2019年03月13日 21時02分48秒 | 舞台・コンサート感想
さる2月21日、NTL(National theater live)「マクベス」を観てきました。
NTLはいわゆる映画館で観るお芝居なんですが(ゲキ×シネ的な)、都内勤務都内在住の利点を最大限に生かし、仕事終わりにピョピョイと日比谷TOHOへ足を伸ばして観てまいりました。

マクベスはご存じの通り、シェイクスピアが原作のお芝居になるのですが、今回のお芝居では1600年代のコスチュームではなく、荒廃した近未来的な(北斗の拳とかマッドマックスみたいな空気)ものでした。舞台装置も同様です。とはいえ、舞台がスコットランドであることは間違いないのですが。
ベン・ウィショーさんが出演していた「ジュリアス・シーザー」もそうですが、むしろ1600年代のコスチューム+セットで芝居をする方がもう珍しくなってるのかな?

そんな世紀末的な世界で、ロリー・キニア演じるマクベスが登場し、いきなりの戦闘シーンへ。誰かと斬り合い、勝利して首を取るという勇ましいマクベス将軍。
そのマクベスが「マクベスは王になる」という魔女の予言と妻の扇動により主君であるダンカン王を殺害し、自身が王となるのですが。
魔女の予言も成就し、めでたしめでたし…とはならない。
猜疑心にかられたマクベスは、同じく魔女に「子孫が王となる」と予言された僚友のバンクォーを殺害し、その後も次々と有力者やその家族を手にかけていく…という悲劇。

マクベスが疑心暗鬼になって亡霊を見て狼狽える様、あるいは、マクベスの妻が良心の呵責にさいなまれて城内をさまよい歩く様(夢遊病のようになっている)に同情しながらも、「なんだよ、気張れよ!イングランドを見ろ!」と勝手に憤慨もしたり。
魔女の予言に縋り、また魔女に予言を聞きにいったりして「女から生まれた者にはマクベスを倒せない」という新たな予言を得て安心をしてみたりする姿には涙がさそわれるというか。
敵に取り囲まれたマクベスは城から打って出ますが、遂にはマクダフに打ち取られる訳です。
「女から生まれた者にはマクベスは倒せない=不死身だ」と彼が思っていた予言が打ち砕かれてショックを受けている様もまた良かった。
←彼の予言に対する解釈が間違っていたというのが適切?マクベスを討ち取ったのは帝王切開によって生まれたマクダフ。決して不死身ということではなかった。

そしてまあ、キニアさん演じるマクベスの死体がまた良くて。遂には討ち取られたり!という感じなんですが、妙に哀愁が漂ってるんですよね。「ざまあみろ!」という感情よりも、「ああ、討たれてしまったのか」という感じで。

台詞もいちいちカッコ良かったな。マクベスの「人生はしょせん歩く影、憐れな役者..」というセリフなんて、手帳に思わずメモをしておきたいくらい。
今回はNTLのマクベスを観ましたが、他の人が演じたり演出したマクベスも観てみたいなと思いました。
やっぱ凄いねシェイクスピアということで。

そういえば、ふと思い出していたのですが。
マクベスは実在のスコットランド王マクベスをモデルに作られたんですねえ。
戯曲では魔女の予言と野心家の妻の唆しによってスコットランド王を殺し、自分が王になったマクベスですが、後に友人のバンクォーを殺害してます。そして実在のバンクォーも、マクベスに殺害されています。バンクォーの息子もまた殺害されるのですが、孫ウォルターは後にスコットランド王室の娘と結婚し、その息子がスコットランド王ロバート2世となって、これがステュアート朝の始まりとなわけで。
戯曲のマクベスはバンクォーの亡霊と8人の王の幻を見るが、実際にステュアート朝は8人の王を輩出。
イングランド女王エリザベス一世と争うメアリー女王(メアリー・ステュアート)や、エリザベス一世の後に英国王としても即位したスコットランド王ジェームズ六世(スコットランド王としては6世、イングランド王としては1世)、ステュアート朝最後の君主となったアン女王もここから。
3月公開映画の「ふたりの女王」や、今公開されている「女王陛下のお気に入り」は、このステュアート王朝のお話であり、ものすごく歴史や文化の繫がりを感じるなあ、と1人で感動をしておりました。
そういえば、「女王陛下のお気に入り」に登場するサラ(マールバラ公爵夫人)、ウィンストン・チャーチルのご先祖だったんですね。チャーチルが生まれたブレナム宮殿はアン女王から下賜されたもの。しかも、分家のスペンサー伯爵は後にダイアナ妃を輩出して現在へと続いている。

歴史は過去から今へ、縦横斜めでつながってるんやなあ、と妙に感動した次第。