鳥の巣頭の世迷い言

読書音楽観劇、ハゲタカ廃人、そしてアラシックライフをエンジョイしている三十路のお気楽会社員・ガバ鳥のblog

科学的視点について

2008年08月25日 00時28分48秒 | 日常

ハゲタカ(NHKさん、再放送をプリーズ!!)を見ていると、イロイロな日本の縮図が見えてくるように思える。
経済のことばかりでなく、もっとイロイロな。
例えばそれは、日本人の金に対する道徳観だったり。
<私見であるが、日本人はお金自体を結構、卑しいもののように感じているような印象をうける。勿論それは、日本人が無欲だから、ではない。詳しくは私も知識不足故に書けないが、もっと他の理由からだろうことは言える。例えば、銀行業は今でこそマトモな職業に思われているが、戦前は卑しい職業;表玄関から入れない だったらしいし。

そして報道に対する姿勢だったり。
今回はそれについてつらつらと。


「お金をもうけて何が悪いのですか?」

問いかけて発言したのは、ハゲタカファンドたる鷲津だったが、それをセンセーショナルに「宣伝」したのは三島由香を始めとするTV局だったり紙面だったり。
しかしてそれは鷲津の意味する所とは本質的にズレていたようにも思える。鷲津はけっしてお金を蔑んではいなかったし、そして過大評価もしていなかった。

所謂「ライ*ドア事件」の時もそうだったが、たいていのマスコミはライブドアの堀*被告を天高くまで持ち上げて(時代の寵児だってさ)、そして地の底までたたき落とした(誰が彼をヒーローとして取り上げてる?)。そして反省する、しているように見せている。

「マスコミがセンセーショナル取り上げたから・・・」
「我々も反省しなければなりませんね。」

同じ報道機関(マスコミ)でありながら、そして同じように情報を流しながらも、「マスコミが・・・」といって反省してそしてまた同じことを繰り返す。
その根底にあるのは、「非科学的」な情報整理ではないかと私は思う。

つまり、論点が通ってない。科学的に情報を分析していないのではないか、と。

非科学的な情報整理は、一見して庶民的な視点から情報を切り込んでいるように見えてしまう。
「我々の味方」という視点は、視聴者にとって甘美なものであり、それにより「グウンと数字が上がる;視聴率が上る」。

しかしてそれは、情報の質を落とすことにも成りかねず、報道機関をただの近所の井戸端トークにしかしていないことになると思う。
<もちろん、全てがそうではないことを明記しておく。

そしてヒステリックな報道を起こすことになるのではないかと思う。

今目の前でおこっている福島県の「大野病院」の産科の裁判についての報道にも、それがあると私は思っている。
私は医歯薬系のscientistの端くれである。<現在、doctor courseの学生であるが・・・。
とこれを書くと、身内を庇っているのではないか、などという姿勢に捉えられるのではないかと思う。

しかし内部事情を聞いて、学会のレポートを読み、臨床報告データを見たりすると、どうしても現状の報道とはイコールには見えないのである。

医療において、「患者の死は医者の敗北」と言われるほど我が国の医療水準は高い。幸福なことに、そしてそれが当たり前になりつつある。
日本人が公私ともに、お産は100%安全と思っているようだが(でなければ、どうして掛かり付けの産科医を持たない女性が多いのだ?どうして医療費補助が国や自治体から明確な形で降りていないのだ?)、勿論現実はそうではない。

どうしようもない限界領域(その時点における)、というのがあって。
そこに検察/警察が介入することが、どんなに医療サービス提供者にとって恐ろしいことか。
専門家による第三者調査機関ではない、しかして国家権力を持っているものに「罪」を追求されることになる、その恐ろしさは、産科医の減少にさらに拍車をかけることにもなった。

しかし所謂大手の報道機関の情報を見ると、そういったことについて冷静に科学的に分析しているものは少ないように思える。



科学的な視点と解析、というのはどの分野においても必要なものだと思った次第。