鳥の巣頭の世迷い言

読書音楽観劇、ハゲタカ廃人、そしてアラシックライフをエンジョイしている三十路のお気楽会社員・ガバ鳥のblog

ジャクロ(の舞台)のためにイギリスへ@舞台鑑賞編(鑑賞3回目)

2019年03月26日 21時07分54秒 | 舞台・コンサート感想
<ロンドン2日目の続き>




さて。
興奮の昼公演+ステージドアが終わった後に始まった夜公演です。
ついさっきチケットを見せたお兄さんにチケット提示を再度することに気恥ずかしさを感じながら、客席へ突入。
今度は真正面からじっくり観劇。
一番前の席ではないものの、ここもなかなか…。肉眼で推しが見れるって素敵やね…(*)。
(*)最終日はチケット料金を抑えめにいったので、前から四番目くらい(1階席)。ドンマーの一階席はあまり傾斜がついてるような仕様になっていないようなので、前の人の頭でちょっとステージが見えにくい感じだった。ドンマー劇場の設計+私の身長(158cmくらい)の場合、やっぱり前の方が見えやすい…かも。ケチらずに40ポンドの席を買えばよかった…か、思い切って2階席の一番前でもよかったのか?。

真正面から観る舞台もまた良き….などと思いつつ着席。もう慣れたもんで(ほんとか?)、スクリプトをパラパラ読みつつ時間を過ごしました。役者さんたちの英語は程よいスピードで、発音もクリアーで抑揚もあって耳に入ってきやすいのですが(やっぱり役者さんだなあ、と思った)、いくら耳に入っても自分が知らないボキャブラリーを瞬時に理解するのは難しいので。考えてる間に次の台詞が始まってたりして。もっと英語を勉強しておけば良かった(滝涙)。

さてさて。
英語力の貧困さに涙している人間はさておき、そうこうしている内に会場が人で埋まり(超満員ではなかったけど、そんなに空席があるようにも見えなかった)、いよいよ開演。
鑑賞3回目において、印象に残ってるシーンは以下の通り。

<前半 1600年代パート>
・迫るアンジェロ
「You must lay down the treaures of your body/君の宝(処女)を私に差し出しなさい(意訳)」、といいイザベラに迫るアンジェロがエロ代官様でした。えろい。
えろい手つきでイザベラの身体のラインを辿り(後ろから手を伸ばす)、「悪いようにしないから」と言わんばかりに囁く公爵代理の悪どいこと悪どいこと。
「イザベラ逃げてええええ」と心の中で私は声援を送ってましたが一方で、「うおおお、えっろ!えっろ!」と叫んでました。ごめんな、イザベラ…。

・歌と女
イザベラと神父(に化けた公爵)が、アンジェロの元婚約者であるイザベラに会いにいくところ。
歌とともにマリアナが登場する場面でもあるのですが。(結婚持参金が少ないという理由で)アンジェロに捨てられた後も健気にアンジェロを愛する女性…なのですが、ちょっと自傷癖があるっぽいのがちょっと気になるところ。けっこう重い性格なのかしら。湿気すら感じる。
♪Take, O take those lips away(甘い嘘つく唇よ)
マリアナの目つきといい、流れる歌声といい、ただのかわいそうな元婚約者という感じがしない。
一方で、イザベラと公爵がその彼女に頼むのがベッドトリックをしかけること(イザベラの代わりにアンジェロと寝る)なんだから、結構酷なことを頼むというのが…(イザベラも決して清廉潔白ではないことを示す場面でもある)。
舞台上では依頼をしている描写はなかったんだけども、マリアナはあっさりイザベラの願いを受け入れたのかな?どんな気持ちで(自分以外の女と性交渉を持ちたがっている)アンジェロとセックスをすることを承諾したんだろう。ちょっとわからない…。
なお、マリアナを演じた女優さん(ヘレナ・ウィルソン)ですが、後半パートは少年の姿になり、裁判所へ人たちを誘導する役目になってました。キリリとした少年の姿でした。←イザベラと百合っぽい関係の元恋人みたいになるのかと思ってたけど、ちがってた。

・わらう娼婦たち
劇中には幾人もの娼婦たちが元締めと共に登場。けっして華やかというものではないのですが(高級娼婦じゃないからかな?)、どこか擦れていて皮肉屋な感じ。この中に男娼も混じってました(この人が後半部分では、イザベラの婚約者を演じる)。
そろって相手を笑い、そろってお上に逮捕されちゃう面子なのですよね。
色町のセットが舞台の上にあるわけでもないのですが(基本的に、大がかりな舞台装置やセットは出てこない)、彼女たちの周りだけ、ロンドンの色町な感じの雰囲気が出てました。安いベッドの埃っぽさみたいなのを感じてました、はい。


<後半 現代パート>
・公爵の性癖の発露?
ごく最初の場面で、公爵はバスローブっぽい姿に着替えています。着替えを手伝っていたのは、少年っぽい若い青年。
鑑賞1回目の時には気づかなかったんですが、これってあれだよね、公爵は少年と寝たんじゃないだろうか…と思わせる場面でございます。
別にいやらしい感じはあんまり感じなかったのですが(スポーツ後の一汗って感じで)、少年とのやりとりを見る限り、肉体関係があきらかにあった二人のやりとりじゃないかなあと思わせる動作がけっこうあって。こう、着替えさせる感じの所とかですね…。ニュアンス的な。

・硬直する青年
アンジェロがイザベラに迫られる場面。前半パートとは逆の立場。
イザベラに喰われんとする小動物みたいに硬直するアンジェロ。魔女の宅急便(ジブリの映画版)に出てくるジジ(黒い猫)が余所の猫に硬直する場面があるじゃないですか、あんな感じに見えました。
かわいかった….(←感想ボキャブラリーが無いやつ)。

・イザベラの嬌声
裁判で抗弁するイザベラに対し、アンジェロ側はとっておきのものを出します。
ベッドトリックにひっかかった(社会的強者の)イザベラの、公衆の場においてセックス中の声(iphone?に録音していた)をばく露するのです。←アンジェロの代わりに、元婚約者(男性)がイザベラとベッドイン。
会場中にひびきわたるイザベラの嬌声を聞くととてもいたたまれない気分に。ちなみに、むっちゃアグレッシブな女性の嬌声でした…。
もの凄いプライベートなものだし、もの凄い恥辱と思うのだけど、前半パートにおいてイザベラはこんな恥辱を受けてたかなあ、という疑問も。前半と後半は立場が逆転(イザベラ;見習いの修道女→キャリアウーマン、アンジェロ;公爵代理→セラピーを受けてる青年)しているけど、ここらへんは綺麗な対照にはなってないよなあと思うところ。
隣近所の観客の反応もバラバラだった感じでした。顔をしかめる人、無反応な人、笑っている人、様々。
この時のアンジェロはどんな顔だったかなあ。すくなくともドヤ顔じゃなかったとは思うけど。


<総じて>
アンジェロは素敵でした(語彙力無)
公爵代理も力なき青年も、どっちも魅力的なのだよ。もうこれはジャクロの魔力なんだよ、きっとそうに違いない。


さて。
夜公演が終わったら、ひとまずトイレへ。相変わらず流れの悪いトイレでしたが(同じく待ってたおばちゃんが、Fu**ing not flushed toilet!とか言ってた記憶が)。
ステージドアでファンガールと撮影したりサインをしてるジャクロがいましたが、私はもう既にサインや撮影の恩恵にあずかってましたので、欲張りをしたいのをこらえて、遠くからパチッと最後の撮影してホテルへ移動。
三回目の舞台鑑賞にして最後の鑑賞を終えたのでした。

いやはや、本当に楽しかった。
慣れない土地、母国語以外の芝居、シェークスピア作品ほとんど知らない等、不安な所は沢山ありましたが、総じて楽しいことばかりでした。
ちゃんと無事にお芝居観れたし。へんな観客もいなかったしで。きっと、良い箱なんでしょうね。
こんな劇場がたくさんあるロンドンがうらやましいなあと思いました(東京にだって沢山劇場があるのは知ってるんですけどもね)。
ドンマー劇場の芸術監督ジョージ・ルーク監督は、ジャクロも出演する映画・Mary Queen of Scotsの監督でもありますが、俄然、観に行きたい気持ちが高まりました(女王の人生をどう彼女が切り取って我々に見せるのかな?っというね。)。

そんなこんなで満足した私は、昨日と同じようにホテル近くまでバスに乗って移動し、ソソクサとホテルに帰ったのでした。
晩御飯を食べ損ねたのはご愛嬌….(晩御飯をスーパーで買っておけば良かったかも)。

ということで、ながーく時間がかかった舞台鑑賞日記もこれにて終りです。
その他の旅日記も併せて、ひとまずお疲れ様でした!


*蛇足
休憩時間に劇場内のバーカウンターで軽くアルコールを飲もうと決意していた私ですが(ある意味、ぼったくりのない安全なバーだし)、微妙に眠みの気配と頭痛を感じた私は休憩中にしばらく目をつむるなどして過ごしました。アイスクリーム…食べたかった….(食い意地爆発してる)。
個人的な感想だけどね、眠眠打破は効かなかったでござる。昼公演と夜公演の連続鑑賞ってのは、意外と体力を使うんですねえ…。




Ref)
1. ウィリアム・シェークスピア(2016年)尺には尺を(シェークスピア全集28)(松岡和子 翻訳)ちくま文庫
2. William Shakespeare (2015年)Measure for Measure (PENGUIN CLASSICS)
3. William Shakespeare/Josie Rourke (2018年) Measure for Measure (methuen/drama) ←今回の舞台スクリプト

NTL マクベスの鑑賞記録

2019年03月13日 21時02分48秒 | 舞台・コンサート感想
さる2月21日、NTL(National theater live)「マクベス」を観てきました。
NTLはいわゆる映画館で観るお芝居なんですが(ゲキ×シネ的な)、都内勤務都内在住の利点を最大限に生かし、仕事終わりにピョピョイと日比谷TOHOへ足を伸ばして観てまいりました。

マクベスはご存じの通り、シェイクスピアが原作のお芝居になるのですが、今回のお芝居では1600年代のコスチュームではなく、荒廃した近未来的な(北斗の拳とかマッドマックスみたいな空気)ものでした。舞台装置も同様です。とはいえ、舞台がスコットランドであることは間違いないのですが。
ベン・ウィショーさんが出演していた「ジュリアス・シーザー」もそうですが、むしろ1600年代のコスチューム+セットで芝居をする方がもう珍しくなってるのかな?

そんな世紀末的な世界で、ロリー・キニア演じるマクベスが登場し、いきなりの戦闘シーンへ。誰かと斬り合い、勝利して首を取るという勇ましいマクベス将軍。
そのマクベスが「マクベスは王になる」という魔女の予言と妻の扇動により主君であるダンカン王を殺害し、自身が王となるのですが。
魔女の予言も成就し、めでたしめでたし…とはならない。
猜疑心にかられたマクベスは、同じく魔女に「子孫が王となる」と予言された僚友のバンクォーを殺害し、その後も次々と有力者やその家族を手にかけていく…という悲劇。

マクベスが疑心暗鬼になって亡霊を見て狼狽える様、あるいは、マクベスの妻が良心の呵責にさいなまれて城内をさまよい歩く様(夢遊病のようになっている)に同情しながらも、「なんだよ、気張れよ!イングランドを見ろ!」と勝手に憤慨もしたり。
魔女の予言に縋り、また魔女に予言を聞きにいったりして「女から生まれた者にはマクベスを倒せない」という新たな予言を得て安心をしてみたりする姿には涙がさそわれるというか。
敵に取り囲まれたマクベスは城から打って出ますが、遂にはマクダフに打ち取られる訳です。
「女から生まれた者にはマクベスは倒せない=不死身だ」と彼が思っていた予言が打ち砕かれてショックを受けている様もまた良かった。
←彼の予言に対する解釈が間違っていたというのが適切?マクベスを討ち取ったのは帝王切開によって生まれたマクダフ。決して不死身ということではなかった。

そしてまあ、キニアさん演じるマクベスの死体がまた良くて。遂には討ち取られたり!という感じなんですが、妙に哀愁が漂ってるんですよね。「ざまあみろ!」という感情よりも、「ああ、討たれてしまったのか」という感じで。

台詞もいちいちカッコ良かったな。マクベスの「人生はしょせん歩く影、憐れな役者..」というセリフなんて、手帳に思わずメモをしておきたいくらい。
今回はNTLのマクベスを観ましたが、他の人が演じたり演出したマクベスも観てみたいなと思いました。
やっぱ凄いねシェイクスピアということで。

そういえば、ふと思い出していたのですが。
マクベスは実在のスコットランド王マクベスをモデルに作られたんですねえ。
戯曲では魔女の予言と野心家の妻の唆しによってスコットランド王を殺し、自分が王になったマクベスですが、後に友人のバンクォーを殺害してます。そして実在のバンクォーも、マクベスに殺害されています。バンクォーの息子もまた殺害されるのですが、孫ウォルターは後にスコットランド王室の娘と結婚し、その息子がスコットランド王ロバート2世となって、これがステュアート朝の始まりとなわけで。
戯曲のマクベスはバンクォーの亡霊と8人の王の幻を見るが、実際にステュアート朝は8人の王を輩出。
イングランド女王エリザベス一世と争うメアリー女王(メアリー・ステュアート)や、エリザベス一世の後に英国王としても即位したスコットランド王ジェームズ六世(スコットランド王としては6世、イングランド王としては1世)、ステュアート朝最後の君主となったアン女王もここから。
3月公開映画の「ふたりの女王」や、今公開されている「女王陛下のお気に入り」は、このステュアート王朝のお話であり、ものすごく歴史や文化の繫がりを感じるなあ、と1人で感動をしておりました。
そういえば、「女王陛下のお気に入り」に登場するサラ(マールバラ公爵夫人)、ウィンストン・チャーチルのご先祖だったんですね。チャーチルが生まれたブレナム宮殿はアン女王から下賜されたもの。しかも、分家のスペンサー伯爵は後にダイアナ妃を輩出して現在へと続いている。

歴史は過去から今へ、縦横斜めでつながってるんやなあ、と妙に感動した次第。

ジャクロ(の舞台)のためにイギリスへ@舞台鑑賞編(鑑賞2回目)

2019年02月18日 20時49分01秒 | 舞台・コンサート感想
<ロンドン2日目>

大興奮の夜があけた次の日の朝、私はホテルの部屋のデスクでウンウンと頭をひねっておりました。
言わずともしれたことですが、泥縄的準備のためでございます。
この日は昼公演と夜公演が控えている、しかもこれが私にとって最後の観劇の機会となる..ということもあり、なるべく下知識+α(耳を英語に慣れさせる)を頭に叩き込んでおきたかったのです。
この字面だけ見るとなんと健気で真面目なファンだ..などと我ながら思うのですが、第1の目的は観劇中に寝ないためなので、努力のクオリティーとしては大したものじゃないという... orz
2時間ほどウゴウゴ勉強した後は朝ご飯をモリモリ食べ、Sherlockの撮影地にもなったらしいラッセルスクウェアの公園を通り抜け、最寄り駅へ。


最寄り駅までの光景

最寄り駅からは地下鉄に乗ってロンドンブリッジ近くにあるHMSベルファスト号へ(*)。ここで内部見学をしたり写真をバッシバッシと撮った後は2回目の舞台鑑賞をするべくドンマー劇場へ移動です。
*HMSベルファスト号の見学については別記事(続・旅ケルクの記録2(ロンドン編2)@ダンケルク ロケ地・ゆかりの地を巡る旅)を参照のこと。

ここで私、ちょっと会場に来るのが早くて(開場2時間以上前に到着してしまった(汗))、劇場近くのお店で時間をつぶそうとウロチョロしてました。会場入りするジャクロに遭遇しないかなあと邪な思いをここでも抱いておりましたが、やっぱりジャクロに会うことはありませんでした。ちなみに、この時に会場近くでたまたま立ち話をした英国人のオバちゃん(たぶん舞台鑑賞ベテランのオタ;以降、心の中で舞台先輩の名前で呼ぶ)から、「彼は午前中の早い時間に会場入りしたわよ」との情報が。ジャクロの朝は早いのでござる。
まあ、
ジャクロに会うことは出来ませんでしたが、舞台先輩と喋っている最中に、舞台に出演していた俳優さんたち(マリアナを演じた女優さんとかイロイロ)に次々と遭遇することが出来たので、やっぱりラッキーだったかも。
舞台先輩がサインをリクし始めたお陰で、その尻馬に乗って、幾人かの俳優さんたちのサインを頂くことが出来ました(舞台先輩、ありがとうございます。もうロンドンに足を向けて寝ない。)。
「今日の舞台を観るのを楽しみにしています。」とジャクロ以外の人たちにも伝えることができたのは良かった。ジャクロに限らず、舞台に出演していた俳優さんたちはみなさん素晴らしい人たちだったから。もちろん、劇場のスタッフの人たちも。

一通りサインをもらった後もなお時間が余ったので、劇場の周りをぐるぐる回って劇場の周りのコーヒー屋さん(PRET A MANGER)やお弁当屋さん(itsu;お寿司などもおいてる)を覗いて珈琲を買っていたり。珈琲もお寿司も美味しゅうございました。
ちなみに後日、他の観客のツイートにて、ジャクロがこれらのお店でお昼ご飯?を買っていた事実が判明し、またしても遭遇?を逃していたかもしれないことが判明して悶絶したというオマケが。自分でご飯も用意するんですね、ジャクロ…。←ジャクロが買っていた日付が私が行った日付と被っていたかは不明です。
そうして時間を過ごした後は、劇場内へ。2回目なので、もはや馴染の客のように?(うそうそ、また迷子になってた)、劇場の中をウロチョロ。劇場内にあるバー、2階席などなどを歩き回った後、座席に着席。今度は舞台上手側の1階席です(前回は1階下手側)。
今度はどんな風景が見れるかな…と思いながら観劇しましたが、観劇から数か月たっても印象に残ってるシーンをいくつか。
<劇のあらすじ/概要については前日の日記(ジャクロ(の舞台)のためにイギリスへ@舞台鑑賞編(鑑賞1回目))をご参照まで。


<前半/1600年代パート>
・ルーチオの小市民的なあれこれ
ルーチオ(イザベルの兄であるクローディオの顔見知り)が婚前性交渉によって恋人ジュリエットを妊娠させて投獄されたクローディオに、イザベルに助命嘆願を公爵にしてくれるように頼まれた際の表情が、また良くて。
けっして義侠心だけでクローディオを助けるわけでもない、自らの思惑(自分にとっても都合が悪いから?、あるいはアンジェロに一矢報いてみたいから?)もあったルーチオの表情が。
ルーチオは、劇中では、いわゆる小市民の愚痴や、(やや)ゲスい部分の感情をしゃべる役割りを備えていたのかな?狂言回しのような。
後に、イザベルに対して助言?(アンジェロに助命嘆願をしにいくならこうするのよ…的な)やコーチング(イザベルが公爵に助命嘆願をしてた時、後ろで「よし、いいぞ!」とヤイノヤイノと応援してた)をしていた時とかにも、それを顕著に感じました。しらんけど。


<後半/現代パート>
・アンジェロのお着替え
現代パートに登場した最初の時点で、ジャクロは細身の黒のジーンズをはいておりました。それを脱いで後にだぶっとしたスウェットのズポン(楽なやつ)に着替えております。このときに見えた太ももに「ふぁっ」となりました…(すまん)。鑑賞2回目の時の席の位置が、ちょうどドンピシャだったせいで、よく見えました。尻が。あと、太もものラインが(以下自粛)。

・イライラなアンジェロ
投獄されてしまった兄弟分(クローディオ)を助けなければ、でもなんだか懇願先の女性(イザベラ)は自分に迫ってくるし、なんだかちょっと…で、ストレス過多でイライラしたアンジェロがついにそれに耐えかね、タバコをくわえてスパーっと煙を吐き出すところ。
お、アンジェロいらついてるな、さっきから…と思っていたら、おもむろに靴下の中から、(隠していた)1本のむき出しのタバコを抜き取り、煙をスパーっとした表情。イザベラや公爵から向けられてくる好色なアプローチをはねのけることもできず(べったべったと体を触られてる)、イライラとストレスを抱える青年の表情。傷つきやすい力なき青年の姿が伝わり、思わず手のひらを握ってしまいます。
演技をするというのは、俳優の中にひそむ様々な人物の欠片(自身の内からお出まし願うもの…というようなことを誰か(日本の芸能人の誰か)が言っていたのですが、ジャクロの中にもあんな繊細な弱弱しい青年としての欠片がどこかにあるのかな…?と思いながらガン見してました。

・迫られるアンジェロと笑う観客
修道士(に扮する公爵)に(クローディオを助けるための)様々なアドバイスを受け、諭されるアンジェロだが、修道士に執拗なボディタッチ+キスを受ける。
この時の観客(特に地元?の人たち)の反応がちょっと気になって。笑ってたんですよね。ここがね、私が空気を読めてないだけなのかもしれないけど、あそこに笑う要素、どこにあったのかなあ?と不思議で。
イギリス人的にはメジャーな反応なのか?演出側は狙ってたのか?それとも私だけの感情なのか?男性(アンジェロ)が男性(公爵)に迫られてる場面を観客(観てる側)が笑うってのが、よくわからない…。良い悪いとかのジャッジいうより、ただ不思議に思う。


・イザベラの独白(本作ラスト、シェークスピア台本の最後にある公爵の求婚の台詞の後にでてくる本作オリジナル演出の部分)
ボス(公爵)はアンジェロに求婚し、手籠めにし損ねる。その後、舞台は暗転した後、暗闇の中で1人立つボスの背後に修道女姿のイザベルが現れる。イザベルの静かな独白と共に、舞台は暗くなり、終幕…。
となるのですが、この時のイザベルの静かな表情と独白にゾワワワとしました。公爵(加害者)を断罪しているかのように、あるいは、誰かに訴えているかのように見えるんですよね(私には)。
効果音も何もなく、暗い空気の中、静かに独白するイザベルから何を観客は受け取ったのか?
←この時のイザベルの台詞、どっかで聞いた覚えがあるので劇中の誰か(アンジェロだったかな)が言ったやつだと思うんですが、ちょっと記憶が行方不明。

カーテンコールの後は、劇場の外(劇場の玄関前あたり)にてジャクロがでてくるのを様々な国籍のローデンレディースに交じってボンヤリ待機。前日に渡し損ねた手紙+αを渡したかったし、あわよくばツーショットを撮りたかったという思惑で。

ということで、ぼんやり待つこと数分でジャクロが登場。
色めき立つ我々の間をひょいひょいと動き回り、サインやツーショットなどのサービスをバッシバッシとしていきます。前日に引き続き、あっちこっち飛び石状態なファンの間を長い脚でぴょんぴょん動いてる感じです(キチンと並んでるファンの列があってそれを順番にスライドして移動…という感じではない)。
そんな中、ワタクシ、なんとか勇気をだしてツーショと手紙+αを渡すことに成功しました(ゼイゼイ)。写真の中の顔が嬉しさで崩れかけてましたが、まあ、これも良い思い出です…。遺影はこれにしよう。


・ツーショを頼む不審な日本人
ワタシ「Mr. Lowden, Can I take a picture with you?」
ジャクロ「Sure!」
(私のiphoneをジャクロに渡して撮ってもらう←自撮りしたことないから)
ワタシ「ひええええええ」(思いのほか距離が近いジャクロに戦く←肩をよせて写真をとってくれました…)

・ツーショの後にお土産を手渡す不審な日本人
ワタシ「あああの、、これですが、This is a photo book related to Japanese scenery.」
(がっさごっそと音をたてながら、手紙と、日本の風景写真集を渡す)
ワタシ「I hope you can come to Japan.」
ジャクロ「Of course! Thank you for your kindness.」
ワタシ「ああああ。 I’m looking forward to your next work!」
(ジャクロ、遠ざかりつつ手をふって頷く)
ワタシ「My life can be summed up by your acting…」
(この時点でジャクロはだいぶん遠くに離れたからたぶん聞いてない←間抜け)

という訳で、無事ジャクロとのツーショをとる+手紙と写真集を手渡した私は、体が崩れ落ちそうになりながら、その場を離れたのでございました。
Veni, vidi, vici! (I came, I saw, I conquered!)
体がこんにゃくのようにフニャフニャになった私は適当な店でコーヒー休憩をして頭を落ち着かせたのでした。ゼイゼイ

そして数時間後。
またドンマー劇場に舞い戻りました。ええ、夜公演のために。
ということで、次はMeasure for Measure(尺には尺を)の観劇3回目にして最後の観劇になります。
I shall return (2).



Ref)
1. ウィリアム・シェークスピア(2016年)尺には尺を(シェークスピア全集28)(松岡和子 翻訳)ちくま文庫
2. William Shakespeare (2015年)Measure for Measure (PENGUIN CLASSICS)
3. William Shakespeare/Josie Rourke (2018年) Measure for Measure (methuen/drama) ←今回の舞台スクリプト

ジャクロ(の舞台)のためにイギリスへ@舞台鑑賞編(鑑賞1回目)

2019年01月13日 23時28分46秒 | 舞台・コンサート感想
<到着初日>
南回りで20時間以上かけてロンドンに着いた私ですが、ホテルについて早々、荷物をろく解きもせず原作オリジナル(英語版)と日本語版を交互に読み比べながらのイメージトレーニングをしておりました。言わずとしれたことですが、泥縄的な準備のためでございます(詳しくは記事:ジャクロ(の舞台)のためにイギリスへ@泥縄準備編)。この準備をホテルの部屋で1-2時間ほどした後に、劇場方面へなんとなくの移動です。因みに劇場へ行く道すがら大英博物館のモアイ像の乳首にコーフンしたのは別記事にて(続・旅ケルクの記録1(ロンドン編1)@ダンケルク ロケ地・ゆかりの地を巡る旅)。

それにしても、英語ダメダメ、シェークスピアについての知識Nothing。ついでに聖書についての知識もNothing。そんな人間がジャクロの舞台を観たいという動機でうっかり本場?のイギリスに渡ったもんだから、さあ大変ってもんです(The どろなわ~)。
タイトルである「Measure for Measure; 尺には尺を」という言葉自体も、マタイによる福音書第7章「あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかり(measure)で、自分にも量り与えられるであろう(be measured)。」に由来するのも知らなくて。シェークスピアの著作の中にはキリスト教の寓話が随所に使用されていることぐらいは知っていましたが、具体的にどんな何があるのかまでは知らない状態でした。すでにタイトルを理解するところからから躓いてた!

<マタイによる福音書第7章 Do Not Judge Others/人をさばくな>
“For in the same way you judge others, you will be judged, and with the measure you use, it will be measured to you.”
あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。
URL)Word Project https://www.wordproject.org/bibles/jp/40/7.htm
Matthew / マタイによる福音書 -7 : 聖書日本語 - 新約聖書
日本語で聖書章 - 新約聖書 - Matthew, chapter 7 of the Japanese Bible
www.wordproject.org

まあ、こういう状態の人間が鑑賞した舞台の感想なので、物足りなさ/誤解については目をつむってくださいませ、という言い訳です。

(閑話休題)

不安だらけのままの私でしたが、博物館等うろちょろ寄り道した後は、いよいよ劇場へ移動。近づくにつれて不安がコーフンに入れ替わるのを感じてましたよ(どきどき)。どこかの通りでバッタリジャクロに会ったりしないかなあとか邪な希望もありましたが。←ツイッターで劇場入りするジャクロの目情が流れてきてたから、つい。
まあ、抱いた思いが邪なせいか、遭遇することはありませんでした。そういうもんだよ、世の中は。


開演1時間前についてしまった会場

2本のみじかい脚をせっせと動かして十数分でDonmar Werehouse theater(ドンマー・ウェアハウス劇場)へ到着。どきどきしながら足を踏み入れた私、まず、その劇場の小ささにまず驚いておりました。←ジャニオタな私がよく見に行くライブは東京ドームや今は亡き国立競技場等だったから(動員数が3万人から7万人/1回)、いまいちサイズが掴めない。
ドンマー・ウェアハウス劇場はロンドンのオシャレなところであるカムテン・タウンやコベント・ガーデンのほど近くにある座席数251の小さな劇場なのですが、感覚的には大学の大きな講義室くらいのサイズ…という印象でした。



劇場のサイズにひとしきり驚いたのちは、受付のお姉さんからプログラムや脚本、ポスターを買ったりトイレに行ったりバーの場所を確認したり入り口の写真を撮ったり。他の人たちも、めいめいで好きなことをしてました。珈琲やビールを飲んだり、お喋りをしたり、プログラムを見たり。


入り口に貼ってあったボード。Measure for Measureの場面+登場人物が撮影されている。

体調不良な私はトイレ(流れがいまいち悪いトイレだった)に行ったのちに着席。もうね、座席数251の小さな劇場なせいなのか、座席とステージの距離が近い!ほんとに近い。オペラグラスいらなかったくらい。


舞台の適当なメモ書き
(注意)図中の数字:①…1回目の鑑賞、②…2回目の鑑賞、③…3回目の私の鑑賞位置←舞台鑑賞3回したから。1回目は舞台下手側のすぐ側(1番前)、2回目は上手側のすぐ側(1番前)、3回目は舞台正面3列目(いろんなアングルで観れる幸せ…ヘッヘッヘ)。


適当なメモ書き2(距離が近い近いの図)
一番前の座席の人の中には舞台ステージの上にジュースやアイスを置いたりしてた人もいたけども、近しい距離のせいなのかなあ?これについては、さすがにスタッフさんにどかすように注意されてたけども)。←体調不良だったので(休憩時間中に)販売されてたカップアイスを食べられらなかった(涙)


適当なメモ書き3(距離が近い近いの図)
通路が狭かったから移動するのにステージに一瞬乗って移動する場面も。ステージが低い+客席からあまりにも近いからできた芸当か?


舞台セットはシンプルすぎるぐらい、シンプルなものでした。ほぼ、何もない。ずーっと後ろにあるのはベンチくらい。あとは照明と音楽、小道具としての椅子などが場面によって(俳優自身によって)持ち込まれる/持ち出されるくらいか。あと、いわゆる緞帳はありません。オープンしっぱなし。

舞台の開幕は、少しばかりの明かりのある、ほの暗い舞台中央に、公爵、青年貴族アンジェロ卿などが花道を入ってステージにあがって始まる会話から。ここで登場してきたアンジェロ卿を見て、「ジャクロ演技うまいな?!」などとあらためて感じました(今さら感)。本当に、ここに、青年貴族がいるわ、これ…というか。
ジャクロは時代がかった衣装(1600年代のシェークスピアが生きている時代のもの)を着ていて、初見は、「ああああ、キュロットから伸びてる足が長いー、かっちりとした服に身を包んだ禁欲的なジャクロだああああ!」などと思うのですが(ごめん)、ジャクロのアンジェロ卿としての第一声を聞いた瞬間に、「あ、違うわ。この人はアンジェロ卿だ」とハッさせられるというか。彼の本当に細かな表情、指の動き、背筋、歩幅、足音などが、「(社会的強者である)アンジェロ卿」だったというか。ジャクロことジャック・ロウデンが、24歳の時にローレンス・オリヴィエ賞(イギリス最大の演劇賞)を受賞していたことは知ってはいたんですが、それにしてもさ…という。←「幽霊」(原作:イプセン)での演技に対して助演男優賞を受賞。今でもオンラインで劇は視聴できる。

その他の俳優さんも言わずもがな。公爵演じるニコラス・バーンズさん、書記を演じるアダム・マクラマナさんは、かなりスキでした。英国人のご婦人たちも公爵演じるニコラスさんについて、かなりお気に入りのようでした(トイレ休憩などで耳ダンボしてた結果;えくせれーんと!)。
なお、この舞台ですが、前半と後半でアンジェロとイザベラの立場が入れ替わります。前半は、シェイクスピアの原作通り、1600年代が舞台のお話。俳優たちは時代劇衣装に身を包みます。ジャクロは権力のある公爵代理たるアンジェロ卿(Lord Angelo)、イザベラは力なき修道女見習い。後半になると立場逆転。アンジェロは力なき青年となり、イザベラは権力志向のキャリアウーマンに。もともとの原作がスキッとしたあらすじではないため、これについては様々な論文出されるほど。ましてや、Me too運動が起こっているなかで、この演目を演じる…となれば、演出/演者の解釈はどうなるのか?というのは気になるところ。

あらすじとしては、以下の通り(少しネタバレあり)。

<前半のあらすじ>
薄暗いステージの上に貴族やその従者たちが花道を通って集まるところから舞台が始まる。
公爵が旅にでる、ということで青年貴族アンジェロ卿(Powerful)を代理に指名される。アンジェロは役目を引き受ける。一方、公爵は旅に出る…とみせかけ、秘密裏に修道士に身をやつして国に留まることに。その事実を知らないまま、公爵代理となったアンジェロは厳格に法を執行し、婚前妊娠をさせたクローディオに死刑を宣告する。修道女のイザベラは兄であるクローディオの命を助けるため、アンジェロに助命を懇願する。このイザベラに、アンジェロは懸想する。アンジェロは、死刑を宣告された兄を助けたければ、その身を寄越せとイザベラに迫る。困り果てた彼女に近づいた修道士(に身をやつした公爵)は、イザベラに策を授け、アンジェロの元婚約者マリアナにベッド・トリックを仕掛けさせる。この結果、マリアナはイザベラの代わりにアンジェロと寝ることとなる。しかし、ベッド・トリックは成功したものの、アンジェロはイザベラとの約束を破りクローディオの死刑を執行してしまう(しかし、公爵扮する修道士がトリックを仕掛けてクローディオは死刑を免れる)。イザベラは裁判の場で、アンジェロを糾弾し、正義を訴える。Justice, Justice, Justice!
帰還して正体を現した公爵は、マリアナとアンジェロを結婚させた後に、アンジェロに死刑を求刑する。「クローディオにはアンジェロを…(中略)…尺には尺を」。しかしアンジェロは、マリアナとイザベラの懇願や、そもそもクローディオは死んでいないということもあり、助命され御咎めなしとなる。大団円に見えた終り、公爵はイザベラに求婚をする。イザベラの嫌悪の絶叫の後、舞台は暗転。

<暗闇の後、ドンガンドンガンとした賑やかな音楽が鳴り、俳優たちがステージの上に流れ込む。俳優たち?によるステージ上の人物たち(公爵、イザベラなど)の衣装はや替え。>

音楽が消えて舞台照明がともったステージに、スーツを着た男女が中央に現れる。スーツを着た公爵、スーツを着たイザベラ。ボスがオフィスを留守にするというので、イザベラに代行を頼んでいる。このイザベラは男性社会でのし上がっているキャリアウーマン。体のラインがでるようなキッツイ青いスーツに身を包んでいる。アンジェロとイザベラの立場が逆転していることを示唆しつつ、前半が終了。休憩に入る。

<後半のあらすじ>
ジャクロ演じるアンジェロが椅子とともに登場。他の俳優さんも椅子をもってステージに。なにやら、何らかのセラピー?の模様。ジャクロの衣装はピンクのくたっとした感じのTシャツにジーパン、手首にはゴムバンド。精神が乱れたとき(ストレスを感じたとき?)にゴムをパチンパチンを弾くような、そんな内向的な力なき青年(禁煙中。しかしストレスを感じると吸う)。クローディオが投獄されたとの知らせを受け、アンジェロはイザベラに懇願する。イザベラはアンジェロに心を奪われ、刑を宣告されたクローディオの減刑と引き換えにその身を自分に寄越せと迫る。困り果てた彼の元に、(今風の恰好の)修道士(に扮したボス)がやってくる。彼はイザベラの元恋人(男性)にベッド・トリックを仕掛けさせる。この結果、イザベラは元恋人と寝る。アンジェロは裁判の場でイザベラを糾弾し、正義を訴える。Justice! Justice! Justice, Justice, Justice!!
帰還して正体を現した上役は、イザベラに対して言う「尺には尺を」。大団円に見えたかに見えた終り、公爵はアンジェロに愛を迫る。舞台が暗転した後、暗闇の中でボスの背後に修道女姿のイザベルが現れる。イザベルの静かな独白と共に、舞台は暗くなり、終幕。

ストーリーに関して最初に思ったのは。
前半・後半でアンジェロとイザベラの立場は逆転するものの、共通しているのは「義人なし、一人だになし」ということ。男も女もなく、ただ置かれた立場により人は変節する。図らずも、公爵が劇中で「Hence,shall we see if power change purpose, what our seemers be.(仮に権力が人を変えるとするならば、権力を持った偽善者がどうなるか、見ようというのだ。)」と述べたように。また、前半はオリジナルに忠実に行われ…と記載はしましたが、公爵の求婚にイザベラが絶叫する..というのはシェイクスピア原作には記載がされておりません。求婚した後、イザベルがどんなリアクションをするのか、したのか、という記載がないまま。あとをどうするのか、は演出家/演者に委ねられるところだったのでありましょう。
芝居の公開が始まった初期の頃はイザベラは絶叫してなかった、というレポもあったようなので、何かしらのトライ&エラーがあって、公爵のプロポーズを明確に拒否する形になったのかなあ?と推察。

さて、俳優さんたちの動きで、この日の鑑賞で特に私の印象に残っているのは、侯爵代理アンジェロ卿がシスター見習いのイザベラに恋に落ちたであろう瞬間の動きと、その後の独白ですした。ジャクロの動きがとにかく細かいんです。イザベルの言動に気圧されて少しそれる背中、ハッとする息遣い、唇の細かい震え、目があちこちにウロウロする動き。幸いにして、私は延長線上に座っていたので、これをじっくりと見ることができたんですが、とにかくそれが、静かにすごかった。

イザベラ「お優しいアンジェロ卿…(以下略)」(公爵につかつかと歩いて行き、膝を折ることなく立ったまま彼と向き合い、兄の釈放を言葉をもって懇願する)
アンジェロ(イザベラが言葉を繰り出す間、目の位置があちこち動く。背中がややそれており、イザベラに気圧された様子)
イザベラ(スラスラと言葉を話し、公爵に懇願する。背筋はピンとしてる。翻訳者の松岡和子さんによると、イザベラは非常に弁の立つ女性で、この時代にあっては外れている、極めて現代的な女性とのこと。)
アンジェロ(イザベラに焦点が定まる)
<喋り終わったイザベラが退出する。>
アンジェロ「What’s this? What’s this? Is this her fault or mine? The tempter or the temped, who sins most?/これは何だ、何なのだ?これは彼女の罪か、私の罪か。誘惑する者とされる者、いったいどちらが罪深いのか?」(舞台中央に一人残されたアンジェロの独白)

そういえば。
ここの、アンジェロの独白(これは何だ?...)の場面で複数の観客(多分地元の人たち)から「ブッ(笑)」が起こったんだけど、これは自他共に堅物と思われる彼が恋に落ちて戸惑っている姿が滑稽に思えたからかな?帰国してから知り合いのイギリス人(日本在住)に訳を聞いてみたんですが、正確な答えは得ることはできなかった。「大して面白いセリフでもないし、特別な文法的なテクニックを使っているわけでもない」(英国人の知人曰く)のようなので、自他ともに認める堅物なアンジェロが恋に落ちて戸惑ってる姿が滑稽に見えたのかな?何と言っても、アンジェロは他人に対して厳格に法を執行してるくせに中身はとんだ俗物だったわけだし...という推測をしているんだけど、本当のところはどうなんだろう?(他人を裁いたように自分を裁けない、律することができない。)

あと、後半に入ってからの神経質なアンジェロの動きも印象的なものの一つでした。
アンジェロの行動の一つ一つが、内向きな彼の性質を表してたなあと。手首のゴムバンドを弾いたり、イライラとして髪を乱したり、靴下の中に隠し入れていたタバコを吸ったり。迫ってきた修道士(を装っていた公爵)をあからさまに払いのけることができずにいたり。鳴らす靴音も、神経質な青年そのものの動きでした。これを味わえたので、舞台鑑賞の醍醐味を十二分に味わえた感じがしましたよ、本当に。


あ、ヘイリーさん演じるイザベルもまたカッコよかった。私が好きなシーンは、前半、アンジェロの卑怯さを非難するところ+嘲笑するところです。最高権力者に近しいところにいる貴族に対して、それいう?!しかも、懇願する立場で!くらいの勢いで笑うところです。ある意味、計算できずに言葉を並べ立てるイザベルの本質?めいたところをついてたんじゃあ...と思ったり。
アンジェロ「Believe me, on mine honor, My words express my purpose./信じて欲しい、名誉にかけて言う。私の本心だ。」
イザベル「Ha! little honour to be much believed, and most pernicious purpose! Seeming, Seeming!/はっ!名誉心のない人の言葉を信じろと言うのです?!なんと邪悪な本心だこと!見せかけ、見せかけです!」
ここにある、Seeming!の言い方がまた良くて。私は「Measure for measure」の予習のためにオーディオCDを買って聴いてたんですが、この時の女優さんの言葉遣いとはまたちがってたのも興味深くて。冷静さを保とうとしてるんですよね、ヘイリーさんのイザベルは。唾を飛ばしてSeeming!という感じじゃない。演じる俳優さんによってキャラクターに吹き込まれる命の形は違うんだなあとしみじみ思いました。これは何度も何度も上演をくりかえされてきた名作、古典の強みなんでしょうが。

劇が終わったら、流れの悪いトイレにまた行って、劇場の玄関へ。ドンマー劇場は小さいので、そこがもうステージドアになっていたんですよね。十数名のファンガールに混じってジャクロにサインをリクし、無事にもらうことができました。

私「あの...Mr. Lowden, May I have your autograph?」
ジャクロ「Of course!」
私「Thank you!」

サインに続けてツーショット写真も頼みたかったのですが、サインをもらったと思ったら別の(次の)ファンガールの人がジャクロのサイン/写真をリクしようとしてたり、ジャクロが高速移動してたりで(あっちこっちファンから声がかかる度に長い足でひょいひょい移動する)、ちょっと無理でした。
とはいっても、コリンズの中の人、アンジェロの中の人であるジャクロをこの目で見ることができて芝居が観れてサインをもらえた、と言う事実に昇天する気分のままホテルに帰ったのでした。ちなみに、この時に、RAF museumの熊(2018+2019)のぬいぐるみを持った日本人女性の人たちをチラリとお見かけしたのですが、彼女たちとはHMSベルファスト号の売店で次の日にまた会うことになると言う余談が(この時の記事;続・旅ケルクの記録2(ロンドン編2)@ダンケルク ロケ地・ゆかりの地を巡る旅)。

なお、深夜23時すぎにホテルにもどった私ですが、日本から持ってきた手紙+アルファをわたし損ねたことに気づき、次の日の再戦+もっと舞台を理解するぞと誓いながら就寝したのでした。
I shall return.


→次の日(第2回鑑賞、第3回鑑賞)へ続く


Ref)
1. ウィリアム・シェークスピア(2016年)尺には尺を(シェークスピア全集28)(松岡和子 翻訳)ちくま文庫
2. William Shakespeare (2015年)Measure for Measure (PENGUIN CLASSICS)
3. William Shakespeare/Josie Rourke (2018年) Measure for Measure (methuen/drama) ←今回の舞台スクリプト

ジャクロ(の舞台)のためにイギリスへ@泥縄準備編

2019年01月03日 16時11分47秒 | 舞台・コンサート感想
5月にオタオタしながら予約をした舞台「Measure for measure(尺には尺を)」を観劇しにロンドンへ行った記録をつらつらと書きたいと思います。

チケットをヒーコラしながら予約した時の記録はこちらの記事を参照のこと(ジャクロ(の舞台)のためにイギリスへ@チケット予約編)。
舞台の感想以外の旅の記録についてはこちらの記事を参照のこと(続・旅ケルクの記録1(ロンドン編1)@ダンケルク ロケ地・ゆかりの地を巡る旅)。


チケットをとったとき、英語ダメダメ、シェークスピア舞台についての知識Nothingな私、舞台を理解をする為にまずは準備をしようと思いたちました(佐々木蔵之介が主演した「リチャード三世」は観たことある。日本語だったけど。)。
これは、より深く理解する為...というよりも、Measure for Measureを寝ずに鑑賞するにはどうすればいいのか、という低い志の為です。
時差ボケ、疲れ、知らない言語が3時間となれば、絶対に集中力が切れて寝る...私はそういう人間だ...たとえ推しが出ている舞台であろうとも。
情熱だけじゃ集中力は3時間も続かない、だって私だし。←私は歌舞伎や能楽も好きですが、体調が悪いとすぐ眠くなる+言葉が聞いてすぐに理解できないため、初見に寝てしまったことがあるのだ!!(堂々と告白)

ということで、まずはシェイクスピアのオリジナル、日本語翻訳版を紀伊*屋さんで購入(こういう時、大きな本屋が近くにあることのありがたさを感じる...)。
そして、耳に慣れてもらうため、ア*ゾンUS経由でオーディオCDも購入。
オリジナルを読みつつオーディオを流し、日本語版を読めばバッチリ....のはずでした。
ちゃんとやってれば。
ええと、もう御察しの通りなんですが、例によって多忙という名の言い訳?のでせいで、あまり目を通すことが出来ませんでした、なんてこったい(7月にダンケルクのロケ地巡りをする為の準備をしていたり、8-10月は旅行記録を整理してたせいもある)。

ということで、部分部分、これだけはジャクロの声でしっかり聞きたい、これだけは自分で観て理解しておきたい、というシーンをいくつかピックアップして、頭に入れて観劇に臨むことに。
ああ、本当に泥縄。そして恨むぞ、自分の英語難民ぶりに。
←行きの飛行機の中や、ホテルのベッドの中まで、ギリギリまでこの準備をすることに。ヒーコラ。


「翼よ、あれがテムズ川だ」とか言ってる場合ではなかったロンドン到着日(お昼12時くらいにロンドンに到着)

ということで、私が特に観ておきたい、ジャクロの声で聞きたい、(ジャクロ以外の)俳優さんの演技を観たい、と思っていたシーンは以下の通り。

<あらすじ>
遠方に旅にでる公爵の代理に任命された青年貴族のアンジェロ卿は、風紀を取り締まるために法律を厳格に適用し、結婚前に恋人の女性を妊娠させた若者(クローディオ)に対して死刑の宣告をする。クローディオの知人から知らせを受けた、(クローディオの)妹で修道女見習いのイザベラは、兄の助命嘆願のためアンジェロの元に訪れる。しかしイザベラに心奪われたアンジェロはイザベラに兄を助けたければ自分に身を委ねよと言う。困り果てたイザベラの元に修道士が訪れるが...。

1. 公爵がアンジェロに対する評価を口にする場面
「今はただこう言っておく、アンジェロ卿は潔癖で、中傷に対する防御が固く、熱い血が通っているとは思えず、意志よりパンを好むとも思えない。そこで、仮に権力が人を変えるとすれば、権力を持った偽善者がどうなるか、見ようというのだ。/Lord Angelo is precise, stands at guard with envy, scarce confesses. That his blood flow, or that his appetite Is more to bread than stone. Hence shall we see, if power change purpose, what our seemers be.」
正直、この場面からすでに公爵閣下から出てくるクセ者感...。公爵はアンジェロに対して、こんな風に思ってたんだね、ふーん...というか。

2. シスター見習いイザベラに恋に落ち、戸惑う公爵代理アンジェロ卿の独白
「これは何だ、何なのだ?あの女のせいか、私のせいか?誘惑する者とされる者、いったいどちらが罪深いのか?嗚呼。/What’s this? What’s this? Is this her fault or mine? The tempter or the temped, who sins most? Ha?」
←この時のジャクロの目の動きや体の動きが観たい

3. 兄を助けたければその身を私に預けろ(抱かせろ)と迫るアンジェロ
「あなたの宝(=処女)を差し出すか、さもなくば、あなたの兄が苦しむしかない。あなたはどうする?/You must lay down the treasures of your body. To this supposed, or else to let him suffer, what would you do?」
←ゲスいお奉行さまみたいなことを言うジャクロを観たい(ゲッヘッヘ)

4. 不条理な取引要求をするアンジェロを弾劾する、世間に訴えるというイザベラに対してアンジェロが言い放つ言葉
「誰があなたを信じるものか、イザベラ!汚点1つない私の名声、私の厳正な生活、お前に対する私の反論、国家における私の地位、これらのおかげでそんな非難は突き崩される。お前は自分の言葉を喉に詰まらせ、悪臭を放つ。/Who believe theee, Isabel? My unsoiled name, th'austerensess of my life, My vouch against you, and my place i'ht'state, Will so your accusation over weith That you shall stifle in your own report And smell calumny. 」
「あなたの真実は私の虚実に勝てはしない。/my false o'erweights your true.」
←ゲスいお奉行さまみたいなことを言うジャクロを観たい2(自分の欲望に忠実な人)

5. 戻ってきた公爵がアンジェロに罪状を告げる場面
「クローディオにはアンジェロを、死には死を。早急には早急を。猶予には猶予を。類には類を。尺には尺をもって報いるのだ。/An Angelo for Claudio, death for death! Haste still pays haste, and leisure answeres leisure, like doth until like, and Measure still for Measure.」
←一見、胸がすくような大岡さばきみたいなことをしてる公爵閣下を観たい。この時のジャクロの表情/反応が観たい(自分の欲望に忠実な人2)

6. 大円団?の最後、公爵がイザベラへ行う(ワッツハプンな)提案
「愛しいイザベラ、私はあなたの幸福へ繋がる申し込みをしたい。耳を傾けてくれるなら、私のものはあなたのもの。あなたのものは私のものだ。/Dear Iavel, I have a motion much imports your good, Whereto if you'll a willing ear incline, What's mine is yours, and what is yours is mine.」
←いや待て公爵、あんたが一番ゲスなんじゃあ....で終わる最後のセリフ。正直、この時の周りの俳優の表情や動作、観客の反応が観たい(Me too運動の影響を多少なりとも受けている時期でもあったし)。


主にこれらのポイントにフォーカスするように準備だけをして、いざ、本番へ(もう開き直ったとも言う)。





(泥縄タイム@ロンドンの某ホテル;ジャクロの舞台の観劇日の朝)


Ref)
1. ウィリアム・シェークスピア(2016年)尺には尺を(シェークスピア全集28)(松岡和子 翻訳)ちくま文庫
2. William Shakespeare (2015年)Measure for Measure (PENGUIN CLASSICS)