<到着初日>
南回りで20時間以上かけてロンドンに着いた私ですが、ホテルについて早々、荷物をろく解きもせず原作オリジナル(英語版)と日本語版を交互に読み比べながらのイメージトレーニングをしておりました。言わずとしれたことですが、泥縄的な準備のためでございます(詳しくは記事:ジャクロ(の舞台)のためにイギリスへ@泥縄準備編)。この準備をホテルの部屋で1-2時間ほどした後に、劇場方面へなんとなくの移動です。因みに劇場へ行く道すがら大英博物館のモアイ像の乳首にコーフンしたのは別記事にて(続・旅ケルクの記録1(ロンドン編1)@ダンケルク ロケ地・ゆかりの地を巡る旅)。
それにしても、英語ダメダメ、シェークスピアについての知識Nothing。ついでに聖書についての知識もNothing。そんな人間がジャクロの舞台を観たいという動機でうっかり本場?のイギリスに渡ったもんだから、さあ大変ってもんです(The どろなわ~)。
タイトルである「Measure for Measure; 尺には尺を」という言葉自体も、マタイによる福音書第7章「あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかり(measure)で、自分にも量り与えられるであろう(be measured)。」に由来するのも知らなくて。シェークスピアの著作の中にはキリスト教の寓話が随所に使用されていることぐらいは知っていましたが、具体的にどんな何があるのかまでは知らない状態でした。すでにタイトルを理解するところからから躓いてた!
<マタイによる福音書第7章 Do Not Judge Others/人をさばくな>
“For in the same way you judge others, you will be judged, and with the measure you use, it will be measured to you.”
あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。
URL)Word Project https://www.wordproject.org/bibles/jp/40/7.htm
Matthew / マタイによる福音書 -7 : 聖書日本語 - 新約聖書
日本語で聖書章 - 新約聖書 - Matthew, chapter 7 of the Japanese Bible
www.wordproject.org
まあ、こういう状態の人間が鑑賞した舞台の感想なので、物足りなさ/誤解については目をつむってくださいませ、という言い訳です。
(閑話休題)
不安だらけのままの私でしたが、博物館等うろちょろ寄り道した後は、いよいよ劇場へ移動。近づくにつれて不安がコーフンに入れ替わるのを感じてましたよ(どきどき)。どこかの通りでバッタリジャクロに会ったりしないかなあとか邪な希望もありましたが。←ツイッターで劇場入りするジャクロの目情が流れてきてたから、つい。
まあ、抱いた思いが邪なせいか、遭遇することはありませんでした。そういうもんだよ、世の中は。
開演1時間前についてしまった会場
2本のみじかい脚をせっせと動かして十数分でDonmar Werehouse theater(ドンマー・ウェアハウス劇場)へ到着。どきどきしながら足を踏み入れた私、まず、その劇場の小ささにまず驚いておりました。←ジャニオタな私がよく見に行くライブは東京ドームや今は亡き国立競技場等だったから(動員数が3万人から7万人/1回)、いまいちサイズが掴めない。
ドンマー・ウェアハウス劇場はロンドンのオシャレなところであるカムテン・タウンやコベント・ガーデンのほど近くにある座席数251の小さな劇場なのですが、感覚的には大学の大きな講義室くらいのサイズ…という印象でした。
劇場のサイズにひとしきり驚いたのちは、受付のお姉さんからプログラムや脚本、ポスターを買ったりトイレに行ったりバーの場所を確認したり入り口の写真を撮ったり。他の人たちも、めいめいで好きなことをしてました。珈琲やビールを飲んだり、お喋りをしたり、プログラムを見たり。
入り口に貼ってあったボード。Measure for Measureの場面+登場人物が撮影されている。
体調不良な私はトイレ(流れがいまいち悪いトイレだった)に行ったのちに着席。もうね、座席数251の小さな劇場なせいなのか、座席とステージの距離が近い!ほんとに近い。オペラグラスいらなかったくらい。
舞台の適当なメモ書き
(注意)図中の数字:①…1回目の鑑賞、②…2回目の鑑賞、③…3回目の私の鑑賞位置←舞台鑑賞3回したから。1回目は舞台下手側のすぐ側(1番前)、2回目は上手側のすぐ側(1番前)、3回目は舞台正面3列目(いろんなアングルで観れる幸せ…ヘッヘッヘ)。
適当なメモ書き2(距離が近い近いの図)
一番前の座席の人の中には舞台ステージの上にジュースやアイスを置いたりしてた人もいたけども、近しい距離のせいなのかなあ?これについては、さすがにスタッフさんにどかすように注意されてたけども)。←体調不良だったので(休憩時間中に)販売されてたカップアイスを食べられらなかった(涙)
適当なメモ書き3(距離が近い近いの図)
通路が狭かったから移動するのにステージに一瞬乗って移動する場面も。ステージが低い+客席からあまりにも近いからできた芸当か?
舞台セットはシンプルすぎるぐらい、シンプルなものでした。ほぼ、何もない。ずーっと後ろにあるのはベンチくらい。あとは照明と音楽、小道具としての椅子などが場面によって(俳優自身によって)持ち込まれる/持ち出されるくらいか。あと、いわゆる緞帳はありません。オープンしっぱなし。
舞台の開幕は、少しばかりの明かりのある、ほの暗い舞台中央に、公爵、青年貴族アンジェロ卿などが花道を入ってステージにあがって始まる会話から。ここで登場してきたアンジェロ卿を見て、「ジャクロ演技うまいな?!」などとあらためて感じました(今さら感)。本当に、ここに、青年貴族がいるわ、これ…というか。
ジャクロは時代がかった衣装(1600年代のシェークスピアが生きている時代のもの)を着ていて、初見は、「ああああ、キュロットから伸びてる足が長いー、かっちりとした服に身を包んだ禁欲的なジャクロだああああ!」などと思うのですが(ごめん)、ジャクロのアンジェロ卿としての第一声を聞いた瞬間に、「あ、違うわ。この人はアンジェロ卿だ」とハッさせられるというか。彼の本当に細かな表情、指の動き、背筋、歩幅、足音などが、「(社会的強者である)アンジェロ卿」だったというか。ジャクロことジャック・ロウデンが、24歳の時にローレンス・オリヴィエ賞(イギリス最大の演劇賞)を受賞していたことは知ってはいたんですが、それにしてもさ…という。←「幽霊」(原作:イプセン)での演技に対して助演男優賞を受賞。今でもオンラインで劇は視聴できる。
その他の俳優さんも言わずもがな。公爵演じるニコラス・バーンズさん、書記を演じるアダム・マクラマナさんは、かなりスキでした。英国人のご婦人たちも公爵演じるニコラスさんについて、かなりお気に入りのようでした(トイレ休憩などで耳ダンボしてた結果;えくせれーんと!)。
なお、この舞台ですが、前半と後半でアンジェロとイザベラの立場が入れ替わります。前半は、シェイクスピアの原作通り、1600年代が舞台のお話。俳優たちは時代劇衣装に身を包みます。ジャクロは権力のある公爵代理たるアンジェロ卿(Lord Angelo)、イザベラは力なき修道女見習い。後半になると立場逆転。アンジェロは力なき青年となり、イザベラは権力志向のキャリアウーマンに。もともとの原作がスキッとしたあらすじではないため、これについては様々な論文出されるほど。ましてや、Me too運動が起こっているなかで、この演目を演じる…となれば、演出/演者の解釈はどうなるのか?というのは気になるところ。
あらすじとしては、以下の通り(少しネタバレあり)。
<前半のあらすじ>
薄暗いステージの上に貴族やその従者たちが花道を通って集まるところから舞台が始まる。
公爵が旅にでる、ということで青年貴族アンジェロ卿(Powerful)を代理に指名される。アンジェロは役目を引き受ける。一方、公爵は旅に出る…とみせかけ、秘密裏に修道士に身をやつして国に留まることに。その事実を知らないまま、公爵代理となったアンジェロは厳格に法を執行し、婚前妊娠をさせたクローディオに死刑を宣告する。修道女のイザベラは兄であるクローディオの命を助けるため、アンジェロに助命を懇願する。このイザベラに、アンジェロは懸想する。アンジェロは、死刑を宣告された兄を助けたければ、その身を寄越せとイザベラに迫る。困り果てた彼女に近づいた修道士(に身をやつした公爵)は、イザベラに策を授け、アンジェロの元婚約者マリアナにベッド・トリックを仕掛けさせる。この結果、マリアナはイザベラの代わりにアンジェロと寝ることとなる。しかし、ベッド・トリックは成功したものの、アンジェロはイザベラとの約束を破りクローディオの死刑を執行してしまう(しかし、公爵扮する修道士がトリックを仕掛けてクローディオは死刑を免れる)。イザベラは裁判の場で、アンジェロを糾弾し、正義を訴える。Justice, Justice, Justice!
帰還して正体を現した公爵は、マリアナとアンジェロを結婚させた後に、アンジェロに死刑を求刑する。「クローディオにはアンジェロを…(中略)…尺には尺を」。しかしアンジェロは、マリアナとイザベラの懇願や、そもそもクローディオは死んでいないということもあり、助命され御咎めなしとなる。大団円に見えた終り、公爵はイザベラに求婚をする。イザベラの嫌悪の絶叫の後、舞台は暗転。
<暗闇の後、ドンガンドンガンとした賑やかな音楽が鳴り、俳優たちがステージの上に流れ込む。俳優たち?によるステージ上の人物たち(公爵、イザベラなど)の衣装はや替え。>
音楽が消えて舞台照明がともったステージに、スーツを着た男女が中央に現れる。スーツを着た公爵、スーツを着たイザベラ。ボスがオフィスを留守にするというので、イザベラに代行を頼んでいる。このイザベラは男性社会でのし上がっているキャリアウーマン。体のラインがでるようなキッツイ青いスーツに身を包んでいる。アンジェロとイザベラの立場が逆転していることを示唆しつつ、前半が終了。休憩に入る。
<後半のあらすじ>
ジャクロ演じるアンジェロが椅子とともに登場。他の俳優さんも椅子をもってステージに。なにやら、何らかのセラピー?の模様。ジャクロの衣装はピンクのくたっとした感じのTシャツにジーパン、手首にはゴムバンド。精神が乱れたとき(ストレスを感じたとき?)にゴムをパチンパチンを弾くような、そんな内向的な力なき青年(禁煙中。しかしストレスを感じると吸う)。クローディオが投獄されたとの知らせを受け、アンジェロはイザベラに懇願する。イザベラはアンジェロに心を奪われ、刑を宣告されたクローディオの減刑と引き換えにその身を自分に寄越せと迫る。困り果てた彼の元に、(今風の恰好の)修道士(に扮したボス)がやってくる。彼はイザベラの元恋人(男性)にベッド・トリックを仕掛けさせる。この結果、イザベラは元恋人と寝る。アンジェロは裁判の場でイザベラを糾弾し、正義を訴える。Justice! Justice! Justice, Justice, Justice!!
帰還して正体を現した上役は、イザベラに対して言う「尺には尺を」。大団円に見えたかに見えた終り、公爵はアンジェロに愛を迫る。舞台が暗転した後、暗闇の中でボスの背後に修道女姿のイザベルが現れる。イザベルの静かな独白と共に、舞台は暗くなり、終幕。
ストーリーに関して最初に思ったのは。
前半・後半でアンジェロとイザベラの立場は逆転するものの、共通しているのは「義人なし、一人だになし」ということ。男も女もなく、ただ置かれた立場により人は変節する。図らずも、公爵が劇中で「Hence,shall we see if power change purpose, what our seemers be.(仮に権力が人を変えるとするならば、権力を持った偽善者がどうなるか、見ようというのだ。)」と述べたように。また、前半はオリジナルに忠実に行われ…と記載はしましたが、公爵の求婚にイザベラが絶叫する..というのはシェイクスピア原作には記載がされておりません。求婚した後、イザベルがどんなリアクションをするのか、したのか、という記載がないまま。あとをどうするのか、は演出家/演者に委ねられるところだったのでありましょう。
芝居の公開が始まった初期の頃はイザベラは絶叫してなかった、というレポもあったようなので、何かしらのトライ&エラーがあって、公爵のプロポーズを明確に拒否する形になったのかなあ?と推察。
さて、俳優さんたちの動きで、この日の鑑賞で特に私の印象に残っているのは、侯爵代理アンジェロ卿がシスター見習いのイザベラに恋に落ちたであろう瞬間の動きと、その後の独白ですした。ジャクロの動きがとにかく細かいんです。イザベルの言動に気圧されて少しそれる背中、ハッとする息遣い、唇の細かい震え、目があちこちにウロウロする動き。幸いにして、私は延長線上に座っていたので、これをじっくりと見ることができたんですが、とにかくそれが、静かにすごかった。
イザベラ「お優しいアンジェロ卿…(以下略)」(公爵につかつかと歩いて行き、膝を折ることなく立ったまま彼と向き合い、兄の釈放を言葉をもって懇願する)
アンジェロ(イザベラが言葉を繰り出す間、目の位置があちこち動く。背中がややそれており、イザベラに気圧された様子)
イザベラ(スラスラと言葉を話し、公爵に懇願する。背筋はピンとしてる。翻訳者の松岡和子さんによると、イザベラは非常に弁の立つ女性で、この時代にあっては外れている、極めて現代的な女性とのこと。)
アンジェロ(イザベラに焦点が定まる)
<喋り終わったイザベラが退出する。>
アンジェロ「What’s this? What’s this? Is this her fault or mine? The tempter or the temped, who sins most?/これは何だ、何なのだ?これは彼女の罪か、私の罪か。誘惑する者とされる者、いったいどちらが罪深いのか?」(舞台中央に一人残されたアンジェロの独白)
そういえば。
ここの、アンジェロの独白(これは何だ?...)の場面で複数の観客(多分地元の人たち)から「ブッ(笑)」が起こったんだけど、これは自他共に堅物と思われる彼が恋に落ちて戸惑っている姿が滑稽に思えたからかな?帰国してから知り合いのイギリス人(日本在住)に訳を聞いてみたんですが、正確な答えは得ることはできなかった。「大して面白いセリフでもないし、特別な文法的なテクニックを使っているわけでもない」(英国人の知人曰く)のようなので、自他ともに認める堅物なアンジェロが恋に落ちて戸惑ってる姿が滑稽に見えたのかな?何と言っても、アンジェロは他人に対して厳格に法を執行してるくせに中身はとんだ俗物だったわけだし...という推測をしているんだけど、本当のところはどうなんだろう?(他人を裁いたように自分を裁けない、律することができない。)
あと、後半に入ってからの神経質なアンジェロの動きも印象的なものの一つでした。
アンジェロの行動の一つ一つが、内向きな彼の性質を表してたなあと。手首のゴムバンドを弾いたり、イライラとして髪を乱したり、靴下の中に隠し入れていたタバコを吸ったり。迫ってきた修道士(を装っていた公爵)をあからさまに払いのけることができずにいたり。鳴らす靴音も、神経質な青年そのものの動きでした。これを味わえたので、舞台鑑賞の醍醐味を十二分に味わえた感じがしましたよ、本当に。
あ、ヘイリーさん演じるイザベルもまたカッコよかった。私が好きなシーンは、前半、アンジェロの卑怯さを非難するところ+嘲笑するところです。最高権力者に近しいところにいる貴族に対して、それいう?!しかも、懇願する立場で!くらいの勢いで笑うところです。ある意味、計算できずに言葉を並べ立てるイザベルの本質?めいたところをついてたんじゃあ...と思ったり。
アンジェロ「Believe me, on mine honor, My words express my purpose./信じて欲しい、名誉にかけて言う。私の本心だ。」
イザベル「Ha! little honour to be much believed, and most pernicious purpose! Seeming, Seeming!/はっ!名誉心のない人の言葉を信じろと言うのです?!なんと邪悪な本心だこと!見せかけ、見せかけです!」
ここにある、Seeming!の言い方がまた良くて。私は「Measure for measure」の予習のためにオーディオCDを買って聴いてたんですが、この時の女優さんの言葉遣いとはまたちがってたのも興味深くて。冷静さを保とうとしてるんですよね、ヘイリーさんのイザベルは。唾を飛ばしてSeeming!という感じじゃない。演じる俳優さんによってキャラクターに吹き込まれる命の形は違うんだなあとしみじみ思いました。これは何度も何度も上演をくりかえされてきた名作、古典の強みなんでしょうが。
劇が終わったら、流れの悪いトイレにまた行って、劇場の玄関へ。ドンマー劇場は小さいので、そこがもうステージドアになっていたんですよね。十数名のファンガールに混じってジャクロにサインをリクし、無事にもらうことができました。
私「あの...Mr. Lowden, May I have your autograph?」
ジャクロ「Of course!」
私「Thank you!」
サインに続けてツーショット写真も頼みたかったのですが、サインをもらったと思ったら別の(次の)ファンガールの人がジャクロのサイン/写真をリクしようとしてたり、ジャクロが高速移動してたりで(あっちこっちファンから声がかかる度に長い足でひょいひょい移動する)、ちょっと無理でした。
とはいっても、コリンズの中の人、アンジェロの中の人であるジャクロをこの目で見ることができて芝居が観れてサインをもらえた、と言う事実に昇天する気分のままホテルに帰ったのでした。ちなみに、この時に、RAF museumの熊(2018+2019)のぬいぐるみを持った日本人女性の人たちをチラリとお見かけしたのですが、彼女たちとはHMSベルファスト号の売店で次の日にまた会うことになると言う余談が(この時の記事;続・旅ケルクの記録2(ロンドン編2)@ダンケルク ロケ地・ゆかりの地を巡る旅)。
なお、深夜23時すぎにホテルにもどった私ですが、日本から持ってきた手紙+アルファをわたし損ねたことに気づき、次の日の再戦+もっと舞台を理解するぞと誓いながら就寝したのでした。
I shall return.
→次の日(第2回鑑賞、第3回鑑賞)へ続く
Ref)
1. ウィリアム・シェークスピア(2016年)尺には尺を(シェークスピア全集28)(松岡和子 翻訳)ちくま文庫
2. William Shakespeare (2015年)Measure for Measure (PENGUIN CLASSICS)
3. William Shakespeare/Josie Rourke (2018年) Measure for Measure (methuen/drama) ←今回の舞台スクリプト
南回りで20時間以上かけてロンドンに着いた私ですが、ホテルについて早々、荷物をろく解きもせず原作オリジナル(英語版)と日本語版を交互に読み比べながらのイメージトレーニングをしておりました。言わずとしれたことですが、泥縄的な準備のためでございます(詳しくは記事:ジャクロ(の舞台)のためにイギリスへ@泥縄準備編)。この準備をホテルの部屋で1-2時間ほどした後に、劇場方面へなんとなくの移動です。因みに劇場へ行く道すがら大英博物館のモアイ像の乳首にコーフンしたのは別記事にて(続・旅ケルクの記録1(ロンドン編1)@ダンケルク ロケ地・ゆかりの地を巡る旅)。
それにしても、英語ダメダメ、シェークスピアについての知識Nothing。ついでに聖書についての知識もNothing。そんな人間がジャクロの舞台を観たいという動機でうっかり本場?のイギリスに渡ったもんだから、さあ大変ってもんです(The どろなわ~)。
タイトルである「Measure for Measure; 尺には尺を」という言葉自体も、マタイによる福音書第7章「あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかり(measure)で、自分にも量り与えられるであろう(be measured)。」に由来するのも知らなくて。シェークスピアの著作の中にはキリスト教の寓話が随所に使用されていることぐらいは知っていましたが、具体的にどんな何があるのかまでは知らない状態でした。すでにタイトルを理解するところからから躓いてた!
<マタイによる福音書第7章 Do Not Judge Others/人をさばくな>
“For in the same way you judge others, you will be judged, and with the measure you use, it will be measured to you.”
あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう。
URL)Word Project https://www.wordproject.org/bibles/jp/40/7.htm
Matthew / マタイによる福音書 -7 : 聖書日本語 - 新約聖書
日本語で聖書章 - 新約聖書 - Matthew, chapter 7 of the Japanese Bible
www.wordproject.org
まあ、こういう状態の人間が鑑賞した舞台の感想なので、物足りなさ/誤解については目をつむってくださいませ、という言い訳です。
(閑話休題)
不安だらけのままの私でしたが、博物館等うろちょろ寄り道した後は、いよいよ劇場へ移動。近づくにつれて不安がコーフンに入れ替わるのを感じてましたよ(どきどき)。どこかの通りでバッタリジャクロに会ったりしないかなあとか邪な希望もありましたが。←ツイッターで劇場入りするジャクロの目情が流れてきてたから、つい。
まあ、抱いた思いが邪なせいか、遭遇することはありませんでした。そういうもんだよ、世の中は。
開演1時間前についてしまった会場
2本のみじかい脚をせっせと動かして十数分でDonmar Werehouse theater(ドンマー・ウェアハウス劇場)へ到着。どきどきしながら足を踏み入れた私、まず、その劇場の小ささにまず驚いておりました。←ジャニオタな私がよく見に行くライブは東京ドームや今は亡き国立競技場等だったから(動員数が3万人から7万人/1回)、いまいちサイズが掴めない。
ドンマー・ウェアハウス劇場はロンドンのオシャレなところであるカムテン・タウンやコベント・ガーデンのほど近くにある座席数251の小さな劇場なのですが、感覚的には大学の大きな講義室くらいのサイズ…という印象でした。
劇場のサイズにひとしきり驚いたのちは、受付のお姉さんからプログラムや脚本、ポスターを買ったりトイレに行ったりバーの場所を確認したり入り口の写真を撮ったり。他の人たちも、めいめいで好きなことをしてました。珈琲やビールを飲んだり、お喋りをしたり、プログラムを見たり。
入り口に貼ってあったボード。Measure for Measureの場面+登場人物が撮影されている。
体調不良な私はトイレ(流れがいまいち悪いトイレだった)に行ったのちに着席。もうね、座席数251の小さな劇場なせいなのか、座席とステージの距離が近い!ほんとに近い。オペラグラスいらなかったくらい。
舞台の適当なメモ書き
(注意)図中の数字:①…1回目の鑑賞、②…2回目の鑑賞、③…3回目の私の鑑賞位置←舞台鑑賞3回したから。1回目は舞台下手側のすぐ側(1番前)、2回目は上手側のすぐ側(1番前)、3回目は舞台正面3列目(いろんなアングルで観れる幸せ…ヘッヘッヘ)。
適当なメモ書き2(距離が近い近いの図)
一番前の座席の人の中には舞台ステージの上にジュースやアイスを置いたりしてた人もいたけども、近しい距離のせいなのかなあ?これについては、さすがにスタッフさんにどかすように注意されてたけども)。←体調不良だったので(休憩時間中に)販売されてたカップアイスを食べられらなかった(涙)
適当なメモ書き3(距離が近い近いの図)
通路が狭かったから移動するのにステージに一瞬乗って移動する場面も。ステージが低い+客席からあまりにも近いからできた芸当か?
舞台セットはシンプルすぎるぐらい、シンプルなものでした。ほぼ、何もない。ずーっと後ろにあるのはベンチくらい。あとは照明と音楽、小道具としての椅子などが場面によって(俳優自身によって)持ち込まれる/持ち出されるくらいか。あと、いわゆる緞帳はありません。オープンしっぱなし。
舞台の開幕は、少しばかりの明かりのある、ほの暗い舞台中央に、公爵、青年貴族アンジェロ卿などが花道を入ってステージにあがって始まる会話から。ここで登場してきたアンジェロ卿を見て、「ジャクロ演技うまいな?!」などとあらためて感じました(今さら感)。本当に、ここに、青年貴族がいるわ、これ…というか。
ジャクロは時代がかった衣装(1600年代のシェークスピアが生きている時代のもの)を着ていて、初見は、「ああああ、キュロットから伸びてる足が長いー、かっちりとした服に身を包んだ禁欲的なジャクロだああああ!」などと思うのですが(ごめん)、ジャクロのアンジェロ卿としての第一声を聞いた瞬間に、「あ、違うわ。この人はアンジェロ卿だ」とハッさせられるというか。彼の本当に細かな表情、指の動き、背筋、歩幅、足音などが、「(社会的強者である)アンジェロ卿」だったというか。ジャクロことジャック・ロウデンが、24歳の時にローレンス・オリヴィエ賞(イギリス最大の演劇賞)を受賞していたことは知ってはいたんですが、それにしてもさ…という。←「幽霊」(原作:イプセン)での演技に対して助演男優賞を受賞。今でもオンラインで劇は視聴できる。
その他の俳優さんも言わずもがな。公爵演じるニコラス・バーンズさん、書記を演じるアダム・マクラマナさんは、かなりスキでした。英国人のご婦人たちも公爵演じるニコラスさんについて、かなりお気に入りのようでした(トイレ休憩などで耳ダンボしてた結果;えくせれーんと!)。
なお、この舞台ですが、前半と後半でアンジェロとイザベラの立場が入れ替わります。前半は、シェイクスピアの原作通り、1600年代が舞台のお話。俳優たちは時代劇衣装に身を包みます。ジャクロは権力のある公爵代理たるアンジェロ卿(Lord Angelo)、イザベラは力なき修道女見習い。後半になると立場逆転。アンジェロは力なき青年となり、イザベラは権力志向のキャリアウーマンに。もともとの原作がスキッとしたあらすじではないため、これについては様々な論文出されるほど。ましてや、Me too運動が起こっているなかで、この演目を演じる…となれば、演出/演者の解釈はどうなるのか?というのは気になるところ。
あらすじとしては、以下の通り(少しネタバレあり)。
<前半のあらすじ>
薄暗いステージの上に貴族やその従者たちが花道を通って集まるところから舞台が始まる。
公爵が旅にでる、ということで青年貴族アンジェロ卿(Powerful)を代理に指名される。アンジェロは役目を引き受ける。一方、公爵は旅に出る…とみせかけ、秘密裏に修道士に身をやつして国に留まることに。その事実を知らないまま、公爵代理となったアンジェロは厳格に法を執行し、婚前妊娠をさせたクローディオに死刑を宣告する。修道女のイザベラは兄であるクローディオの命を助けるため、アンジェロに助命を懇願する。このイザベラに、アンジェロは懸想する。アンジェロは、死刑を宣告された兄を助けたければ、その身を寄越せとイザベラに迫る。困り果てた彼女に近づいた修道士(に身をやつした公爵)は、イザベラに策を授け、アンジェロの元婚約者マリアナにベッド・トリックを仕掛けさせる。この結果、マリアナはイザベラの代わりにアンジェロと寝ることとなる。しかし、ベッド・トリックは成功したものの、アンジェロはイザベラとの約束を破りクローディオの死刑を執行してしまう(しかし、公爵扮する修道士がトリックを仕掛けてクローディオは死刑を免れる)。イザベラは裁判の場で、アンジェロを糾弾し、正義を訴える。Justice, Justice, Justice!
帰還して正体を現した公爵は、マリアナとアンジェロを結婚させた後に、アンジェロに死刑を求刑する。「クローディオにはアンジェロを…(中略)…尺には尺を」。しかしアンジェロは、マリアナとイザベラの懇願や、そもそもクローディオは死んでいないということもあり、助命され御咎めなしとなる。大団円に見えた終り、公爵はイザベラに求婚をする。イザベラの嫌悪の絶叫の後、舞台は暗転。
<暗闇の後、ドンガンドンガンとした賑やかな音楽が鳴り、俳優たちがステージの上に流れ込む。俳優たち?によるステージ上の人物たち(公爵、イザベラなど)の衣装はや替え。>
音楽が消えて舞台照明がともったステージに、スーツを着た男女が中央に現れる。スーツを着た公爵、スーツを着たイザベラ。ボスがオフィスを留守にするというので、イザベラに代行を頼んでいる。このイザベラは男性社会でのし上がっているキャリアウーマン。体のラインがでるようなキッツイ青いスーツに身を包んでいる。アンジェロとイザベラの立場が逆転していることを示唆しつつ、前半が終了。休憩に入る。
<後半のあらすじ>
ジャクロ演じるアンジェロが椅子とともに登場。他の俳優さんも椅子をもってステージに。なにやら、何らかのセラピー?の模様。ジャクロの衣装はピンクのくたっとした感じのTシャツにジーパン、手首にはゴムバンド。精神が乱れたとき(ストレスを感じたとき?)にゴムをパチンパチンを弾くような、そんな内向的な力なき青年(禁煙中。しかしストレスを感じると吸う)。クローディオが投獄されたとの知らせを受け、アンジェロはイザベラに懇願する。イザベラはアンジェロに心を奪われ、刑を宣告されたクローディオの減刑と引き換えにその身を自分に寄越せと迫る。困り果てた彼の元に、(今風の恰好の)修道士(に扮したボス)がやってくる。彼はイザベラの元恋人(男性)にベッド・トリックを仕掛けさせる。この結果、イザベラは元恋人と寝る。アンジェロは裁判の場でイザベラを糾弾し、正義を訴える。Justice! Justice! Justice, Justice, Justice!!
帰還して正体を現した上役は、イザベラに対して言う「尺には尺を」。大団円に見えたかに見えた終り、公爵はアンジェロに愛を迫る。舞台が暗転した後、暗闇の中でボスの背後に修道女姿のイザベルが現れる。イザベルの静かな独白と共に、舞台は暗くなり、終幕。
ストーリーに関して最初に思ったのは。
前半・後半でアンジェロとイザベラの立場は逆転するものの、共通しているのは「義人なし、一人だになし」ということ。男も女もなく、ただ置かれた立場により人は変節する。図らずも、公爵が劇中で「Hence,shall we see if power change purpose, what our seemers be.(仮に権力が人を変えるとするならば、権力を持った偽善者がどうなるか、見ようというのだ。)」と述べたように。また、前半はオリジナルに忠実に行われ…と記載はしましたが、公爵の求婚にイザベラが絶叫する..というのはシェイクスピア原作には記載がされておりません。求婚した後、イザベルがどんなリアクションをするのか、したのか、という記載がないまま。あとをどうするのか、は演出家/演者に委ねられるところだったのでありましょう。
芝居の公開が始まった初期の頃はイザベラは絶叫してなかった、というレポもあったようなので、何かしらのトライ&エラーがあって、公爵のプロポーズを明確に拒否する形になったのかなあ?と推察。
さて、俳優さんたちの動きで、この日の鑑賞で特に私の印象に残っているのは、侯爵代理アンジェロ卿がシスター見習いのイザベラに恋に落ちたであろう瞬間の動きと、その後の独白ですした。ジャクロの動きがとにかく細かいんです。イザベルの言動に気圧されて少しそれる背中、ハッとする息遣い、唇の細かい震え、目があちこちにウロウロする動き。幸いにして、私は延長線上に座っていたので、これをじっくりと見ることができたんですが、とにかくそれが、静かにすごかった。
イザベラ「お優しいアンジェロ卿…(以下略)」(公爵につかつかと歩いて行き、膝を折ることなく立ったまま彼と向き合い、兄の釈放を言葉をもって懇願する)
アンジェロ(イザベラが言葉を繰り出す間、目の位置があちこち動く。背中がややそれており、イザベラに気圧された様子)
イザベラ(スラスラと言葉を話し、公爵に懇願する。背筋はピンとしてる。翻訳者の松岡和子さんによると、イザベラは非常に弁の立つ女性で、この時代にあっては外れている、極めて現代的な女性とのこと。)
アンジェロ(イザベラに焦点が定まる)
<喋り終わったイザベラが退出する。>
アンジェロ「What’s this? What’s this? Is this her fault or mine? The tempter or the temped, who sins most?/これは何だ、何なのだ?これは彼女の罪か、私の罪か。誘惑する者とされる者、いったいどちらが罪深いのか?」(舞台中央に一人残されたアンジェロの独白)
そういえば。
ここの、アンジェロの独白(これは何だ?...)の場面で複数の観客(多分地元の人たち)から「ブッ(笑)」が起こったんだけど、これは自他共に堅物と思われる彼が恋に落ちて戸惑っている姿が滑稽に思えたからかな?帰国してから知り合いのイギリス人(日本在住)に訳を聞いてみたんですが、正確な答えは得ることはできなかった。「大して面白いセリフでもないし、特別な文法的なテクニックを使っているわけでもない」(英国人の知人曰く)のようなので、自他ともに認める堅物なアンジェロが恋に落ちて戸惑ってる姿が滑稽に見えたのかな?何と言っても、アンジェロは他人に対して厳格に法を執行してるくせに中身はとんだ俗物だったわけだし...という推測をしているんだけど、本当のところはどうなんだろう?(他人を裁いたように自分を裁けない、律することができない。)
あと、後半に入ってからの神経質なアンジェロの動きも印象的なものの一つでした。
アンジェロの行動の一つ一つが、内向きな彼の性質を表してたなあと。手首のゴムバンドを弾いたり、イライラとして髪を乱したり、靴下の中に隠し入れていたタバコを吸ったり。迫ってきた修道士(を装っていた公爵)をあからさまに払いのけることができずにいたり。鳴らす靴音も、神経質な青年そのものの動きでした。これを味わえたので、舞台鑑賞の醍醐味を十二分に味わえた感じがしましたよ、本当に。
あ、ヘイリーさん演じるイザベルもまたカッコよかった。私が好きなシーンは、前半、アンジェロの卑怯さを非難するところ+嘲笑するところです。最高権力者に近しいところにいる貴族に対して、それいう?!しかも、懇願する立場で!くらいの勢いで笑うところです。ある意味、計算できずに言葉を並べ立てるイザベルの本質?めいたところをついてたんじゃあ...と思ったり。
アンジェロ「Believe me, on mine honor, My words express my purpose./信じて欲しい、名誉にかけて言う。私の本心だ。」
イザベル「Ha! little honour to be much believed, and most pernicious purpose! Seeming, Seeming!/はっ!名誉心のない人の言葉を信じろと言うのです?!なんと邪悪な本心だこと!見せかけ、見せかけです!」
ここにある、Seeming!の言い方がまた良くて。私は「Measure for measure」の予習のためにオーディオCDを買って聴いてたんですが、この時の女優さんの言葉遣いとはまたちがってたのも興味深くて。冷静さを保とうとしてるんですよね、ヘイリーさんのイザベルは。唾を飛ばしてSeeming!という感じじゃない。演じる俳優さんによってキャラクターに吹き込まれる命の形は違うんだなあとしみじみ思いました。これは何度も何度も上演をくりかえされてきた名作、古典の強みなんでしょうが。
劇が終わったら、流れの悪いトイレにまた行って、劇場の玄関へ。ドンマー劇場は小さいので、そこがもうステージドアになっていたんですよね。十数名のファンガールに混じってジャクロにサインをリクし、無事にもらうことができました。
私「あの...Mr. Lowden, May I have your autograph?」
ジャクロ「Of course!」
私「Thank you!」
サインに続けてツーショット写真も頼みたかったのですが、サインをもらったと思ったら別の(次の)ファンガールの人がジャクロのサイン/写真をリクしようとしてたり、ジャクロが高速移動してたりで(あっちこっちファンから声がかかる度に長い足でひょいひょい移動する)、ちょっと無理でした。
とはいっても、コリンズの中の人、アンジェロの中の人であるジャクロをこの目で見ることができて芝居が観れてサインをもらえた、と言う事実に昇天する気分のままホテルに帰ったのでした。ちなみに、この時に、RAF museumの熊(2018+2019)のぬいぐるみを持った日本人女性の人たちをチラリとお見かけしたのですが、彼女たちとはHMSベルファスト号の売店で次の日にまた会うことになると言う余談が(この時の記事;続・旅ケルクの記録2(ロンドン編2)@ダンケルク ロケ地・ゆかりの地を巡る旅)。
なお、深夜23時すぎにホテルにもどった私ですが、日本から持ってきた手紙+アルファをわたし損ねたことに気づき、次の日の再戦+もっと舞台を理解するぞと誓いながら就寝したのでした。
I shall return.
→次の日(第2回鑑賞、第3回鑑賞)へ続く
Ref)
1. ウィリアム・シェークスピア(2016年)尺には尺を(シェークスピア全集28)(松岡和子 翻訳)ちくま文庫
2. William Shakespeare (2015年)Measure for Measure (PENGUIN CLASSICS)
3. William Shakespeare/Josie Rourke (2018年) Measure for Measure (methuen/drama) ←今回の舞台スクリプト