鳥の巣頭の世迷い言

読書音楽観劇、ハゲタカ廃人、そしてアラシックライフをエンジョイしている三十路のお気楽会社員・ガバ鳥のblog

嵐のワクワク学校2017年

2017年05月20日 08時10分38秒 | アラシック
あっという間に1年がたったなあとBBAらしく感じる恒例のお知らせ。
ということで、今年もやってきました、嵐のワクワク学校。
いずれは終わるもの、いずれは後輩たちが受け継ぎそう...と思いつつ、1回1回を楽しみたいところ。
(東日本大震災の支援のためのチャリティーグッズを売ってたのが懐かしいとさえ)

今年はセクゾンが助手?の立場で入ってくるけども、どうなることやら。
いつも思いますが、競争倍率がたかそうです。入れる気がしない。

嵐のワクワク学校2017~毎日がもっと輝くみんなの保健体育~

(以下、ぴあのサイトより抜粋)

今年で7回目となるワクワク学校。「日々是気付」というテーマのもと、毎日がもっとワクワクするきっかけを参加者の皆さんに伝えてきました。そのベースとなるのは、日常の中でとても大切なことを教える授業です。これまで情報を伝え、感性を磨き、心を豊かにする授業を続けてきましたが、たくさんの情報が飛び交う今だからこそ、今回はその根幹となる場所=つまり自分の体のことを掘り下げてみようと思いました。小学生、中学生の頃は少し恥ずかしかったイメージのある保健体育ですが、今改めて教科書を開くと、とても大切なことが書かれていたことに驚きます。今回は理屈ではなく、体で感じる授業が満載です。参加者の皆さんが、今年のワクワク学校をきっかけに自分の体のことをもっと好きになってくれることを願っています。

<5つの授業テーマ>
相葉先生「運動(スポーツ)を好きになろう!」
松本先生「緊張を味方にしよう!」
二宮先生「人間の基本は、毎日の“うん活”にあり」
大野先生「人はなぜ泣く?涙の効果」
櫻井先生「男らしさ、女らしさを考えよう!」

大阪
6月17日、18日

東京
7月8日、7月9日

意思を纏う人

2015年10月16日 22時15分01秒 | アラシック
9月のArashi Blast in Miyagi中でのとある夜(3日目の深夜)にて慣行された、ロケの様子が10月15日のあぶない夜会で放送された(2015年10月15日 あぶない夜会)。
翔さんが泊まっているホテル(仙台にある某ホテルのスイート)でのことだ。

その際に、翔さんの私服の一部が公開された。

数年前に大野さんからもらった部屋着(ラルフローレン)、相葉さんにもらった下着パンツ(ポールスミス)、事務所にもらった部屋着(ドルガバ;デジコンDVDにも映っていたやつ)などなど色々映っていたけども、翔さんが実際に着ていたとあるTシャツに、自分としては一番心が動いたと思う。

それは、流れてきたツイートによってだ。
(©(chii)さん、ID: ‏flighttonorth )









翔さんが着ていたTシャツのブランドが社会貢献を目的としたアパレルブランド、Cloudyのものだというツイートである。
遠くアフリカの地で現地の人が縫製したポケットを日本へもちこみTシャツに仕上げて売り込む、現地に雇用を産み貧困を減らすための取り組みをしている会社のTシャツであるとのこと。


このTシャツの件で思い出したのは、春具さんのエッセイだった(記事の掲載当時、ハーグにある化学兵器禁止機関/OPCW所属だった。現在は退職されている。)。
このエッセイは作家・村上龍さんが主催しているメールマガジン(JMM)で連載されていたコーナーの一つだった。

エッセイの中で言及されていたのは、「国際会議の場において、衣装も政治的・外交的なステートメントとなる」「民族衣装は強力なパワースーツである。」ということだった。
例として、アフリカの外交官らの民族衣装や、ガンジーのインド民族衣装が挙げられていた。

口に出してアピールをすることも大事だが、衣装を通して視覚的に意思や誇りをアピールをすると、時として強力なステートメントを生むという訳だ。


翔さんがどんな意思でもってあのTシャツを着たのかは我々の想像の域を出ないのだろうけれど(ただのKOの先輩後輩の縁かもしれないし←Cloudyの代表は、慶応大学経済学部出身の方である。)、人気アイドルが私服として社会貢献を目的としたアパレルブランドの服を主要キー局の全国TV放送で着るというのは、それが放つステートメントとしては強力なものがあるよなと感じた。
しかも彼は、わずかに見える部分から私物や私服がすぐに特定され、たちどころにその商品がファンにより売り切れになってしまうという、強力な広告塔ともなる人気アイドルなのである。

なんというか本当に、彼は意図をその身に纏うアイドルなのであると感じた。
彼は自分の及ぼす影響や、見せ方を解っている。


彼は口に出して何も言わなかった。
ただTシャツを着ていただけだった。
見せびらかすようなアピールも何もしなかったし、なんなら上にはカーディガンを羽織っていた。
相葉さんからの贈り物(愛の産物)である迷彩トレーナーに着替えることになったし、そのTシャツがTV放送されていた時間はわずかなものだった。


気付いても良い、気付かなくても良い。
解る人には解るし、伝わる人には伝わる。
割合は少ないかもしれない。
しかし母数が多い分、絶対数としては大きな数になるかもしれない。
もしかして、関心を持つ人も新たに現れるかもしれない。

そんなことを考えながら着ていたのかな?と、なんとなく考えてりもした。
上記の内容は完全に私の推測の域を出ないが、誇らしいし、かっこいいよなと思う。

いいのよ、ぜんぜん、世間がダサいといおうとも。
生き方自体がロックでカッコいいんだもんね!


「翔くんはねえ、本当にかっこいいんだから!」by 生田斗真


我らのご贔屓、溺愛してこーぜい!


☆春具さんが書いた民族衣装についてのエッセイは以下のサイトでも類似のものを読むことができる⇒

☆Tシャツのブランド元・CLOUDYのオフィシャルHP⇒


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【追記】

上記のCloudyの活動については、もちろん、りっぱだねー!と手放しで賞賛して、そこで終わりになるわけではない。

周知のようにアフリカの貧困問題は根深いものだ。
植民地支配、宗教、民族、難民、ジェンダーの対立/差別などが絡まり合い、地獄の闇鍋のごとくになっている。
かつて国連難民高等弁務官だった緒方貞子さんは、『難民問題は政治が解決しない限り解決しない、政治対立が軍事対立になっていくという状況が止まらない限り難民はなくならない』と言った通り、彼らが何故貧しいのか、その根本には政治的に解決されていない問題が存在し、これを解決しない限り、いくら支援し続けてもそれは産生され続ける。

それでは、Cloudyのやっていること、あるいはその他多くのNGOやNPO団体などの支援は無駄か?という問いには、やはりNoだと応えたい。緒方貞子さんが『今解決しないと思われていることでも、永遠に解決しないわけではありません。時間はかかるけれど、努力を続けることで解決することもあるのです。』と言っているように。

翔さんが、これらの問題に気づいていない訳ではないだろう。まがりになりも、彼はニュースキャスターとして10年以上、日テレの報道局に足を運んでいるのだから。
それでは、彼は何をしているのか?というものになるが。
私は、彼は彼の立場と影響力を利用して、ささやかに強かにこれらリマインドをしているんじゃないかな?と思っている。世間の無関心、あるいは忘却こそが一番怖いものだから。そして勿論だが、政治的な解決には世論の高まりが重要だから(民主主義国家だし)。
だから彼は、Tシャツを着続けてるんだと思う(もちろん、後輩を応援したい、ってのもあるだろうけども)。

ま、ファンの贔屓目のある予測(あるいは期待?)に過ぎないのかもですが。


<『特別インタビュー 元国連難民高等弁務官・緒方貞子さん』(国連UNHCR協会ホームページ:)より一部抜粋>
一方で、良質な情報を発信し続けることは大切です。例えば、民間から寄付を募る過程で情報を発信する側も、受け取る側も勉強します。情報を広めるということが、結局人を動かし、政府を動かす。それは大切なことだと思います。民間のファンドレイジング(資金調達)の意義はお金だけではないのです。お金をいただく代わりに、良質な情報をきちんと広めることはぜひ積極的にしていただきたいと思います。
例えばこれまでの成功例をもっと話していかなければなりません。かつて絶対解決しないだろうと思われた東西ドイツの分裂。しかし1989年にベルリンの壁が壊され、1990年にドイツは統一されました。ですから今解決しないと思われていることでも、永遠に解決しないわけではありません。時間はかかるけれど、努力を続けることで解決することもあるのです。成功例をきちんと伝えて解決に向かうような流れにつなげることが大切です。

URL)https://www.japanforunhcr.org/archives/3833/ (参照2018-12-25)

もはや勢い

2015年05月17日 19時16分05秒 | アラシック
嵐・大野智 上海で海外初の作品展 個展は7年ぶり2度目

嵐のリーダー・大野智(34)が、初の海外での作品展となる「FREESTYLE in Shanghai 2015 楽在其中」を7月に中国・上海で開くことが11日、分かった。2008年以来7年ぶり2度目となる個展は、上海馳翰(ジョハン)美術館(7月9~29日)と東京・表参道スペースオー(7月24日~8月23日)で開催。作品集第2弾「FREESTYLE2」を7月24日に発売することも決定した。
大野は「7年ぶりの懐かしい感じもするし、全く新しい気もする。すごく不思議な気持ちでいっぱい。海外の方に見てもらえるなんて考えてもいなかった。上海の方々が自分の作品を見て、何を思うんだろう?とても興味があります」と、反応を楽しみにしている。
 東京では08年以降の新作となるフィギュア15点、絵画など15点を展示する。初の油絵は2メートル四方の大作でメーンの一つ。再び創作に励むきっかけとなった思い入れのある一作をお披露目する。
(デイリースポーツ 5月12日(火)5時0分配信 より一部抜粋)⇒

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大野智さんが個展・Free style IIを東京(表参道)で開催すると聞いて、思わず「おえええええええ?!」となり、選りすぐりの旧作の展示を上海で開催すると聞いて、またしても「おいええええええ?!」と夜中に叫んだ私です。
夜中に聞いて半信半疑、翌朝の朝刊を見て改めて驚愕したのでした。
ちょっと前まで、「スケジュールがゆっくりしてていいね。このスキにHDDの整理を!」などと思っていたのに。
ありがたいやらなにやら。

今回の知らせをうけて改めて作品集・Free styleを開いてみたのですが、大野サンのほとばしる才気とメッセージ(めいたもの)を感じました。
これが7年前。
2015年の今は、どんな風になっているのか?どんなことを語ってくれるのか?
それが凄く楽しみです。
今まで蓄積してきたものもあるだろうし、変わったところもあるだろうし、変わらないものもあるだろうし。

頑張って良い子にしてるのでナントか表参道のチケットを手に入れることが出来たらなあと思います。
私は幸い、東京住まいなので平日の午前とかでも良いし、なんとかいけないこともないかなあ~?と思っています。

そして、ですね。
予約をしちゃいました。
Shanghai行きのフライトとホテルを。
勢いで。

我ながらバカか?!とも思ったのですが、何故かポチッと仮予約をしてしまいました。
展示会のチケットの確約もないままに。
まあ、行けばあるんじゃない?と思ってるもんですから。。。(だって中国だもん)

7年前の個展開催の時、私は嵐オタじゃなかったし、大野智を知りませんでした。
あの時もし、行ったとしたら。
その時にかかった旅費やホテル代などの金額は、だいたい今回支払おうとしている上海行きのお金と殆ど変わらないものだったはず。
それを思うと、我慢が出来なかったのです。

我ながらバカだなあとも思ったのですが(2回目)、えいや!とばかりに某旅行会社へ向い、あっさり仮契約しちゃいました。
もの凄い弾丸ツアーにはなるけれど、Free styleを、大野サンの内面(けっこう、あの人はオシャベリなんじゃないかと思う。作品は雄弁だ。)をしっかり見てきたいなと思います。


しかし、5月は大変なお知らせ続きですねえ。
5/1は宮城ブラスト開催の知らせ(朝っぱらからホテルの予約にひいひいひい)、
5/9に「わくわく学校」の開催の知らせ(夜中にぎゃあああああと叫びながら脊髄反射でホテルを予約)、
5/12には大野サンの個展(楽在其中、およびFree Style II)の開催の知らせと(フライト・ホテルをぽちっとな)、
ガバ鳥的脳みそでは、盛りだくさん過ぎて訳が分からなくなっている状態です。

ツイッターで時々拝見するのですが、
スケジューリングや判断の早さ、情報収集能力がぴか一な優秀な嵐オタの方々を見ると、本当に尊敬しますよ、ええ。
<若干、脱落気味。なんかを忘れてそうで恐い。。。


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タイトル「楽在其中」は「FREESTYLE」の意訳で、「楽しいことを中国へ伝える」という思いが込められている。
 大野は「上海の方々が自分の作品を見て、何を思うんだろう、どんな反応をしてくれるのか、とても興味があります」と期待。7年ぶりに新作を紹介する東京での個展は「前回より“今の自分”が表れていると思っています。あれから7年たって大野智がどんな風に変わったのか? もしも興味があるようだったら、ご覧ください!」とPRしている。
(東京中日スポーツ/2015年5月12日:芸術家 大野智 海外進出 7月上海で2度目個展 より一部抜粋)

(デイリースポーツ 5月12日(火)5時0分配信 より一部抜粋)⇒

ARASHI BLAST in MIYAGIに思うこと。

2015年05月01日 13時26分39秒 | アラシック
ARASHI BLAST in MIYAGIの開催(2015年9月19日~23日)
公演は「Arashi Blast in MIYAGI」と題して9月19日、20日、22日、23日に行われる。櫻井は「フェスのような雰囲気にしたい」と説明。会場は東京ディズニーランドとシーを合わせた面積とほぼ同じ広さの公園内にあり、当日はスタジアム周辺の敷地やアリーナにも東北各地のグルメや文化、産業、歴史などを楽しめる場を設ける予定。地場産業と協力したグッズ製作も企画している。
(スポニチの記事(2015年5月1日 05:35)より一部を抜粋)
スポニチ記事URL)
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/05/01/kiji/K20150501010270240.html


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この話を聞いたとき、最初に思ったのは「ようやくか来たか!」というものだった。
「ようやく来たか!」というのは、ようやく宮城で嵐がライブを開催してくれるのか!ということだった。

つまりこれは、宮城がホストとなること。もてなす側になること。ライブに「招待される」側ではないこと、だ。

周知の通り、宮城を含む東北地方は3月11日に東日本大震災により大きな被害を受けて以来、被災した方々は多くの場合は「される」側であった。
嵐オタ周辺でいうと、東北各県の方々をライブに招待しての「音楽のちから」は記憶に新しい。

でも、それだけだと「なんか物足りない」なと思っていた。
慰問としてのライブじゃなくて、被災した県(市だけじゃ波及効果が少なすぎる、もったいない)がホストする嵐ライブが実現されないかなと思っていたからだ。

気仙沼で落語会(気仙沼さんま寄席)をひらく時に、主催者の一人である糸井重里(ほぼ日刊イトイ新聞)さんが「気仙沼にわざわざ行きたくなる落語会を開いて(目黒のさんま祭りに要する)費用を稼ぎましょう慰問としての落語会ではなく、気仙沼の人がしっかり稼ぐイベントにしましょう。ほぼ日に、そのお手伝いをさせてください」と言ったけど、そういったものを嵐がいつしてくれるんだろうと私は勝手に待っていた。

現に、ももくろやAKBなど、多くのアイドルやアーティストが宮城でライブを開催している。
それは確かに地元のファンのためでもあるだろうけども、追っかけファン(オタ)たちによってもたらされる経済効果も併せて狙ったものだとも思っている。
それをいつしてくれるかなと。

もちろん、嵐がももくろやAKB等よりも被災地に関心がない、とか行動が遅いとか、決してなかったと思う。
むしろ、嵐が本気で大きな花火を打ち上げるに相応しい時期、場所、ヒト(いわゆる環境)が整っているのを待っていたんじゃないかと思っている。
それがついに1月に宮城県知事の招きを受けるという形でやって来た、やっと来たんだなと。
(つまりは公式に準備万端アピールだよね)

それは嬉しいことではないか、誇らしいことではないか、と思う。

例によってチケット倍率は厳しいだろうし(収容人数5万×4日;合計20万人じゃ少ないよおおお)、変なダフ屋は出てきそうだし、仙台のホテルは取れないし、ないない尽くしの冷や冷やもんでもあるけれど、それでも。
ここはひとつ、大きな祭りを盛り上げて楽しむべく応援をしていきたいなと思う。

いっちょ大きな花火をあげよう。



ほぼ日刊イトイ新聞 気仙沼さんま寄席 の記事より抜粋
糸井重里「もちろん、慰問も大事だったと思うんです。でも、気仙沼に通って、みんなと話すうちに、この方々はもう「慰問を受ける立場」ではなくなったと感じたんです。「気仙沼のみなさん、落語を聞いて楽しんで!」ではなくて、どこからでも気仙沼に来てもらうために、知恵と労力を使う時期になったんだと‥‥。 稼ぎ手として、スタッフとして、この落語会では主催者側のスタッフとしてお世話する側で活躍してください! と。」
URL)http://www.1101.com/shinosuke2012/interview/index.html


H!B!D!翔さん!

2015年01月25日 21時33分21秒 | アラシック
1月25日は翔さんの誕生日!
祝、33才!ということで。
このごろ、ブログの記事を更新することがない私も翔胆らしいことを。

生田斗真くんが夜会に出演した時のこと。
沢山のJr(いわゆる、黄金期といわれた時代のJr)から5人が集まって嵐が結成された時のことを話してくれていました。
今までテレビに出れる部活の延長だと思っていた、皆で横一列で楽しんでいた時間だったのに、嵐がデビューしたことにより急に上下を感じて溝を感じてしまったと。

嵐の記念すべきファーストライブで嵐5人のバックで踊ることに戸惑っていた斗真。
嵐のデビュー曲のARASHIのPVを撮る際も腐っていた斗真。
だけど、そんな斗真は翔さんから言われた言葉で救われたとのコメントを出しておりましたね。

「全てのジャニーズJrにありがとう」@ファーストライブ
「斗真、本当にありがとうね」@PV撮影時

これに救われたと。
これを聞いた時、翔さんのファンで良かった!と思いましたね。

私はジャニーズJrの黄金期を知りません。
ジャニーズJrだけで番組を持つ事が出来たり、レギュラーをすることが出来たりしてた時代を知る事がない私は、嵐がデビューするこによってもたらされた、内外の「なんで?あの5人が?」という空気を知る事が出来ません。

当時を知る方のブログには、『ジャニーズジュニア黄金期と言われて、ジュニア全体があり得ないほどの大人気で、本当にたくさんの人気ジュニアたちがいた中で、なんでお前ら5人なんだって空気があって』『嵐は決して歓迎をされていたグループではなかった』『学業を優先していた翔さんがデビューするのか?知名度がない(京都にいたから)智がデビューするのか?ありえない!』とあり、翔さんたち(嵐のメンバー)は、イロイロなものをデビュー当時から背負っていたんだなと伺いしることが出来ます。

学業優先で大学に入るときにはJrを辞めようと決めていた慶応ボーイの少年は、何故かアイドルとしてデビューし、そして脱退する事無く続けている。

この理由は、嵐がハワイ特別番組で言っていたように、「俺らよりもっとデビューしたい奴らはいた」「だけど俺たちがデビューしてしまった」ことへ対するもの(責任をとるとか、ケツをとるとか、そういう表現では足りないなにか)と思うのですが、その姿を見るとぐっと込み上げてくるものがあります。

翔さんの進んできた道は、「与えられた道を自分のものに変えてきた道である」と勝手に思っているのですが、きっと、人一倍、二倍、三倍も「他人の可能性や期待も背負ってきた道」でもあるんだろうなあとボンヤリ思いました。



「全てのジャニーズJrにありがとう」、これで(嵐に向っていた悪意にも似た戸惑いの)流れが全てが変わったのよ!だから翔くんは誇りなのよ。
熱く語っていた古株のファンのお姉さんの言葉がじんわりと暖かくしていく寒い1月25日なのでした。



33才、誕生日おめでとうございます。
これからもイロイロなものを背負いつつ道なき道を進んでいくんだろうな。好奇心で目をキラキラさせてさ。
その姿を追い掛けつつ、私も仕事に向いたいと思います。
昨日も今日もこれからも、よろしくどうぞ。