鳥の巣頭の世迷い言

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旅ケルクの記録13(ロンドン編4)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年08月27日 21時45分04秒 | ダンケルク
<旅行6日目>

ウェイマス・スワネージの一日旅行の翌朝、いつもより遅く起床した私は、首相官邸や外務省の近くにある建物に入るための行列に並んでおりました。目的の施設は、入るまで3時間かかると言われた人気スポット、戦時執務室・チャーチル博物館です。
正直、入口までの長い列を見た瞬間、予約してくれば良かったと軽く後悔しました…orz(3時間待ちとか、どこのジャニーズのグッズ列なんだよなんて)
旅行前にon line予約をしようとも思ってはいたのですが、いつ見てもチケットはSold outになってなかったし、すぐに入れるだろうと踏んでいたんです。
とんだ勘違いでした。
1個人の1回経験からのコメントで恐縮ですが、これから博物館を訪れる人でこんなにも待ちたくない人は、朝早くに並ぶか、事前にオンライン チケットを買った方が良いかと…(開館30分前とかダメ、絶対に)。

さて、列に1人で待ってる私ができることと言えば、目に移る景色の写真をとったりすることなんですが、その景色がおもいきりRAFちっく?(というより、まさにRAF)なものでした。
今年でちょうど創立100周年になるイギリス空軍(RAF)ですが、その記念式典があるとのことで(この日の次の週にパレードがあった)、道にはイギリスの国旗とRAFの旗が並んではためいていました。

‘Where is the bloody air force?!’などと劇中でも現実でも言われていたRAFですが、首相官邸の前の通りにずらりと旗が並んでいるのを見ると、本当に報われた感がでてきます。(日本ではどうなんだろう?)


中央官庁が並ぶ通りにはためくユニオンジャックとRAF

ということで、オタクが心を無にして待つこと3時間。案内のおじさんが「予約がないと入るまでに最低3時間かかるよ!」と言った通りの時間分待った後に、入口に辿りつきました(へろへろ)。




3時間まった末に見えてきた入り口

戦時執務室・チャーチル博物館は、もともとは大蔵省であった建物の中にWW II中に設置された執務室になります(War room)。もとは旧大蔵省の建物と聞くと、なんとなく壁が分厚つそうなイメージが。日本でも、空襲があった市街地の写真を見る機会がありますが、その中で残ってる建物は大抵は分厚いコンクリ造りの○○銀行だったりしますもんね。大蔵省も銀行と同じつくりにしてるのかは知らんけど。
中央官庁がひしめく街中、大蔵省の隣に観光客に人気の博物館があるのも変な感じですが、イギリスだからなのか日本にそういう施設がないだけなのか。
まあ、いずれにせよ、長い列を突破した私は、その中央官庁の真っただ中にある博物館にヘロヘロになりつつ突入しました。もうね、へろへろでしたが待った分、風をきって歩きましたよ(ずんずん)。
しかし、ずんずん歩いていこうとした矢先、天井からぶら下がってた爆弾にいきなり遭遇して面食らう羽目になったのですが。なんでも、ロンドン空襲に関する展示だそう。なんでそんなものを展示するんだ、と思いましたが、ここはwar room(戦時執務室)なんだし当たり前といえば当たり前だった。

ちなみに、ここで私、爆弾とツーショットをとりました。自分からではありません。とあるイギリス人女性に、爆弾と一緒の私の写真を撮らせてくれと頼まれたからです。爆弾の大きさを比較するためとかで。
私があなたと爆弾の写真を撮るよ、と言いましたが、それはヤダと言われました。私だってヤダよ。結局は根負けして爆弾とのツーショットを撮りましたが、疲れ切った私のアホ面がFace bookとかにポストされてないことを祈ってます(恥ずかしい…)。


入り口すぐのところの天井にぶら下がってた爆弾。この爆弾とツーショットを取る羽目になった(恥)。

心のMP(マジックポイント)をツーショット撮影で使いつくした後は、うれしたのしの見学コースの始まりです。
まずは、閣議室(Cabinet room)から。映画Darkest hourで、チャーチル、アトリー、イーデン、ハリファックス、ダウディング等が協議をした場所だったか。鼻息あらくバシバシ撮影です。


Cabinet room。この当時の最高級の人材がそろってたんだろうなあなどと妄想した部屋←自分があたま悪いから、これ以上の想像ができない。

これ以降は、映画Darkest hourのシーンを頭に思い浮かべながら撮影です。
ダンケルクでトミーやアレックス、ボルトン中佐やウィナント大佐、フォーティス隊(ファリア、コリンズ)たちが足掻いたりなんだりすることとなったダイナモ作戦にいたるまで、あるいはそれ以後の政治的決定がここでなされる訳で。彼らはあんなにも現場で足掻いていましたが、ダンケルクから遠く離れたロンドンで、こんな風にあっさりと多くの人の運命は決まってしまうのかあと思ったくらいです。紙切れ一枚、あるいはそれすらなく決まる運命的な。カレーの部隊はこうして「見捨てられた」のか…とか。


ガードマン+ドア+緊急用ウォータースプレー。悪いことはしてなくても制服姿のものにはビビる。←小心者


Darkest hour劇中でチャーチルがルーズベルト大統領にアメリカ(New world)の参戦を頼んでいた電話。武器貸与などはしていたが、参戦についてはイギリスからの要請もフランスからの要請も断り続けた米国が第二次世界大戦に参戦をするのは、1941年12月パールハーバー(太平洋戦争)から。←ダンケルク撤退戦において、ほとんどの武器を失ったイギリス軍(フランスに置いてきた)は、不足した武器をアメリカがらの貸与で補った。








地図(ダンケルクやカレーが見える)とピン(地図上で部隊等の配置を表すためのもの)。館内にはMap roomという部屋があるくらい、重要なものとして位置づけられていたと思われる。

地図を見ながら、映画Darkest hourで、カレーのイギリス軍に増援を送らないことを決めたチャーチルが、タイピストの女性(彼女の兄はカレーにいた)に地図を見せていたシーンを思い出してました。あまりにも多くの人たちの運命が、ピン1つに省略化され、あるいは数値化されて、運命が決定されていくあっけなさ。
イギリス軍をあらわすピンが地名にぷすぷすと刺さっていたが、そこには何万人もの兵士たちがいて、奮闘していたことを、映画を通して、あるいは、墜落した飛行機や沈没した船、戦死した兵士の遺物を通して、私たちは知っているわけですが、おもわず、ぐっと来てしまいます。


ドーバー城のWW II地下トンネルにも同じのが。各地点、各項目ごとに情報をずらずらと並べていくためのもの


チャーチルのタイピストの使用してたタイプ。Darkest hourにも登場。躁うつ病だったというチャーチルのタイピストを務めるのは並大抵のことではなかった模様。複数の女性たちが従事していたが、彼女たちは当時の国の最高機密情報を取り扱うこととなる。博物館では、そんな彼女たちのインタビューVTRを見ることが可能。


当時のキッチン。スペースの問題とはいえ狭い。


チャーチル夫人の寝室。戦時中とはいえ、華やか。自分が無知なだけなんだろうが、首相夫人の部屋も設置されてることに驚いた。


チャーチルの寝室。地図がここにもある。ちゃんと眠れたのだろうか。Darkest hourでは、当時の英国国王ジョージ6世と語り合う場面に登場した部屋はここ...のかな?(記憶が曖昧。後日にでるブルーレイで要確認)。

War roomの脇には、チャーチル博物館が付設されており、様々な彼の演説を聞くことが出来ます。BBCを通じて全国放送されていることもあり、音源が今でも聴けるようになっています(けっこう不思議な感じが)。
ダンケルク劇中でトミーが読み上げた「We shall fight on the beaches.」もありました。実際に聞いてみると、想像よりもずっと、語尾は荒々しくもなく劇場的な感じでもなく、静かな平坦な感じでした。日本の政治家の演説、けっこう五月蠅いんだなあと思うくらいで。イギリスの政治家のスピーチには、ふんだんにギリシャ哲学やシェークスピア等の知識がちりばめられていると言いますが、そうなる理由が解るというか(こんな感じにフラットにたんたんと話すなら、たしかに必要になってくるよね…ごまかせない)。


ダウニング10番街、いわゆる首相官邸のドア(チャーチルの頃のもの)。思ったよりも小さい。

War roomの近くには、さすがに中央官庁街ということもあってか、たくさんの役所がひしめいてました。といっても、流石は沈まぬ太陽の帝国をつくった国の中央官庁、いちいち歴史+迫力を感じる建造物です。


外務省の門
(日本の役所は慎ましいですよね。あんまり豪華だと国民の怒りをかう..というのは解るんですが、伝統工芸を守りたい文化庁(いまの文科省)だけでも、そういう人たちに断続的に仕事を与えるような建物・仕様にした方がよかったんじゃあ..とか思います。当の昔にそうしてるわ!とか言われそうだけど。)

さて、大英帝国の威信にひれふしそうになった極東の田舎者の私は、ロンドンのランベス地区にある帝国戦争博物館に向かいました。スピットファイアとリトルシップに会いに行きます。

(ロンドン編5へ続く)

Ref)
1. ジョシュア・レヴィーン(2017年)『ダンケルク』(武藤陽生 翻訳)ハーパーコリンズ・ジャパン社
2. A.J.バーカー(1980年)『ダンケルクの奇跡 イギリスの大撤退作戦』(小城正 翻訳)、HAYAKAWA nonfiction
3. 地球の歩き方 ロンドン2017-2018(2017年)ダイヤモンド・ビッグ社
4. war room公式HP<https://www.iwm.org.uk/visits/churchill-war-rooms> (2018-04-23参照)
5. ジョン・コヴィル(1985年オリジナル初版、1990年日本語版初版)ダウニング街日記(都築忠七、見市雅俊、光永雅明 翻訳)、平凡社
6. ウィンストン・チャーチル(2001年)『第二次世界大戦』第1巻(佐藤亮一 翻訳)河出書房新社
7. ウィンストン・チャーチル(2001年)『第二次世界大戦』第2巻(佐藤亮一 翻訳)河出書房新社
8. Winston S. Churchill (1985) The second world war (volume II: Their finest hour), Penguin books
9. New York Times (ダグラス・ブランクリー編集)、ニューヨークタイムズが見た第二次世界大戦(2005年)原書房
10. 岩堂憲人(昭和57年)「機関銃・機関砲<近代戦の主力兵器総鑑>」サンケイ出版

旅ケルクの記録12(ドーセット スワネージ編)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年08月26日 23時13分04秒 | ダンケルク
<旅行5日目つづき>


さて、ウェイマスの街をウロウロして遅いランチボックス(餃子みたいな形の固い皮のパイ:コーニッシュパスティ)を手に入れた私は、スワネージ行きのバスに乗るべく、ビーチのすぐ側にあるバス停(Kings stature: Stop K5)で待機しておりました。
「さむい、あめ、バス、まだか」
寒さと雨とで気分がジメジメ落ち込む+バスが遅れている(後でDelay 20分くらいと判明)..ということもあり、私だけでなく、他の乗客予定の人たちも口数少なく、津軽海峡冬景色の歌詞みたいな感じで待機。<♪北へ帰る人たちはみんな無口で~
風もつよくなってきて、いよいよカフェに避難しようか…などとバス停で隣り合わせになった某イギリス人夫婦と話し始めた矢先、ようやくバスがやってきました。サマーバケーションシーズン限定のバス路線なだけあって、目に鮮やかなブルーの色のバスです。雨雲の灰色の中、青いビビッドの色が生えてまぶしいくらいです(滝涙)。


ガタガタ震えながら待機したバス停


青い色がまぶしいバス

バスに入って温かい座席に一安心。
バスの終点であるスワネージに向かうべく、ウェイマスのビーチを出発して、さっきまで遠くに見ていたホワイトクリフの上の道路を走ってスワネージに向かいます。




ホワイトクリフへだんだん近づいて行く




ホワイトクリフの上の道を走る

ホワイトクリフの上の道路は放牧地になっており、羊や牛がウロウロのんびりしてました。その中を観光客や地元の人たちをピックアップしながら、バスは走って行きます。ちなみに、バスの中には、すこしだけ家畜どくとくの臭いが漂っておりました。←端的に言うとウ*コの臭い




スワネージ駅に向かう途中で見かけた城(Corfe castle)

途中、あまりにもお腹がすいてしまったので、ウェイマスで購入したコーニッシュパスティをパクつくことに。
写真では分りにくいかもしれませんが、けっこう大きい(手のひらにどすんと乗るサイズ)。中にはジャガイモと肉とがぎっしり詰まっていて(1個5ポンド弱ぐらい)、これ1個で本当にお腹がイッパイになります。付け合せは必要ないくらい。


パスティと大きさ比較のためのファリア熊

さて、パスティをぱくぱく食べながら+牛の臭いに苦笑いしながら、バスが走ること2時間弱、スワネージ駅に到着。
ここは、ダンケルクから帰国したトミーやアレックスたちが列車に乗っていったシーンの撮影地になります。Daily echo新聞によると、2016年7月25日から26日に、スワネージ駅からCorfe castleまでの線路を止めて映画の撮影を行ったとか。
<TODAY MONDAY 25TH JULY. Partial Closure of railway for filming. No services between Swanage and Corfe Castle.(2016/7/25付 Swanage railway公式ツイッターアカウント(@swanRailway)のツイートより抜粋)



トミーやアレックスの中の人が見たかもしれないスワネージの街並み


スワネージ駅。駅舎からしてレトロ。




プラットホーム。日本の改札っぽいところはなく、駅で購入した切符を車内でスタッフさんに切符を見せるスタイル。


どこかで見た景色。たくさんの兵士たちの後ろ姿が見えるよう。石炭をたく列車が走るせいか、地面の色が黒い。

スワネージ鉄道は駅舎からしてレトロだったのですが、その他のもの全てがレトロでした。小道具からしてレトロだし、スタッフの人たちもお年を召した方が多かったイメージが(おじいちゃんばっかり)。
スワネージ鉄道を走っているのはディーゼルエンジンタイプとスチームエンジンタイプの2種類ですが、もちろん、私はスチームエンジンタイプの列車に乗り込みます。スチームタイプの機関車というと、ずいぶん昔の産物のようにも感じますが(江戸末期とか明治とか)、うちの母(現在の年齢は還暦くらい)が小学生の時分に通学のために乗っていたというくらいなので、こちらが思うよりも最近まで現役だったのかも。



レトロ感漂う小道具?のトランクの山


スタッフの方々



石炭を満載した機関車(LSWR 4-4-0 T9 Class No.30120)。ここには映っていないが、
撮り鉄があちらこちらに。
写真を撮り終えたら、いざ、乗車です。



列車に乗り込んだ私は、トミーとアレックスのように、隅っこの座席に腰をおちつけてみました。重油まみれの彼らが座って椅子は汚れなかったのだろうか。寒くはなかったのだろうか。
そんなことを思いつつ、Corfe castleまで機関車にがったんごっとん揺られて行きます。










アレックスとトミーの、年若い疲労した青年たちが座っている姿を想像しながら。椅子は意外とフカフカだった。




トミーとアレックスたちが列車から見た景色

Corfe Castleまでの移動中(20分くらい?)、もくもくと煙が窓から侵入してくるのに慌てふためいたり(1人でぎゃあぎゃあ騒ぎつつ自分の周りの席の窓を閉めまくった)、車内切符の確認の際に切符をあさっての方向に飛ばしてしまったりしながら、Corfe castle駅に到着しました。ここに来るまでの風景も含め、すべてレトロな雰囲気。



Corfe castle駅のプラットホーム


非常用バケツ


プラットホームをつなぐ橋の上から撮影

列車を降りたら、遠くから見えていたCorfe Castleへ5~10分程度歩いて移動です。もとはウィリアム征服王により建てられた石造りの城ですが、廃墟となった今はナショナルトラストの管理下にあります。殉教王エドワード(975年に即位。978年15-16歳でCorfe castleにて暗殺されたとの伝説が)にゆかりの城でもあり、近くにはエドワード所縁の教会もあります。
この城が今のような廃墟となったのは1600年代の議会の命令によるものですが、この崩れっぷりは素晴らしく、廃墟スキーは是非とも立ち寄っていただきたいところ(あと、線路を走ってくる機関車を撮影するスポットでもあるので、撮り鉄さんもいらっしゃった)。
入場料を払い、「イーングランド万歳!イングランド国王万歳!」と言ってたかもしれない領民の気持ちになって、いざ入場です。




廃墟なのに美しい城。とても絵的。兵どもの夢の跡ならぬ、王たちの夢の跡的な。

城は小高い丘の上にあるため、そこからの景色はナカナカよろしかったです。ちょうど晴れてきたというのもあって、とても色が鮮やかに見えました(なんで私がウェイマスにいるときは雨+曇りで…以下略)。








殿さまになった気分で城の上から撮影

それにしても、見渡す限りの緑の絨毯+青いバックです。美しさに涙が出そう。<♩グリーングリーン
史実では、ダンケルクから帰還したイギリス兵士たちは、部隊が再編されるまでは比較的のんびりとした時間を過ごします。イギリス兵と一緒に救出されたフランス兵も部隊再編がされるまで数週間くらい英国で戦わない日々を過ごしたようで、彼らも(戦場である)フランスに戻されるまで、つかの間の休息をこんな美しい緑色と青色の風景のもとで味わうことはできたのでしょうか。

実際のところ、劇中でトミーが電車の中で淡々と読み上げていたチャーチルの演説(We shall fight on the beaches; 6月4日夕方 @庶民院)の「我々は決して降伏しない/We shall never surrender.」にあるように、イギリス政府はこの時点ですでに徹底抗戦の方針をとっており、つまりは兵士たちの戦いはまだ続いていき、多くの死者が出るわけですが。
ダンケルクの戦いから5年たった1945年に終戦することを考えると、むしろ、ダンケルクの戦いは序章にすぎず、トミーもアレックスもまた、マルタやアフリカ、あるいはドイツやフランスなどの戦場に駆り出されていくのだろうと思うと、穏やかな緑の景色の中でひとり、スンと感傷にひたってしまうのです(守りたい、その命。英雄にならなくてもいい、元気でいてくれー)。

さて、そんな感傷をひとしきりした後は、スワネージ駅に戻り(売店でお土産を買ったりしてた)、こんどはロンドンに戻る電車にのるべくボーンマス駅に行くバス(Purbeck breezer bus 50番線)に乗車。海沿いを走る観光地を走るバスらしく、屋根なしの2階建てオープンバスでした。見晴が良かったです。
スワネージ駅からシェルベイ(化石がよく出るジュラシックコーストにあるベイエリア。新婚さん+恋人たち向けにプロモーションがでてるリゾート地でもある)を経由して、ボーンマス駅まではだいたい1時間程度の道のりです。


シェルベイ。見るからにリア充な感じのひとたちで溢れてる(偏見)


シェルベイから見えるホワイトクリフ

それにしても、イングランド南東部のドーバーで見ていたホワイトクリフを、イングランド南西部のウェイマス/スワネージでもまた見ると、石灰岩の海岸(ジュラシックコースト)の長さを思い知ります。ずっと途切れることなく続いてるんですよね、当たり前なんですけど。
トミーやアレックス、コリンズを乗せたムーンストーン号は、ダンケルクからウェイマスに帰る時にはジュラシックコースト沿いに帰ったはずなので、ボートの進行方向の右側にあった白い崖を、フランスの海岸を出発してからずっと彼らは見ていたことになるんだなあ。

トミー:Is it Dover?(ドーバー?)
ピーター:No. That’s Dorset.(いいえ、ドーセットです)
というトミーとピーターの会話があった地点は、有名な絶景地であるセブンシスターズあたりの海岸にも見えたのですが、これについては有識者による特定を待ちたい所。←次にウェイマスに行くときは2泊3日くらいしたいし、ジュラシックコーストのクルーズ船にも乗りたい…。

シェルベイからボーンマス方面に行くには海を渡る必要がありますが、乗ってたバスは、乗客を乗せたままフェリーに乗って、どんどこ海を渡ります(10分もいくかいかないか)。あいにく、バスが駐車したスペースから外の景色は見えないため、フェリーの中では何もできなかったのが残念。


ガンダムみたいな配色のフェリー

フェリーから降りたバスは、プールやボーンマスといった都市の中を走ってボーンマス駅まで向かいます。さっきまで見ていたスワネージの景色とは、また異なる風景です。


ボーンマスの街。旧い建物と新しい建物がうまく混在している感じ

ボーンマス駅に到着した私は、ようやく温かいコーヒーを飲み一息をつくことができました(濡れた体でオープンバスに1時間も乗車すると、やっぱり体は冷える)。


売店で買った珈琲

駅中の売店であれこれ買ってお腹を満たすと、ボーンマスからロンドン ウォータルーまで2時間ほど電車に揺られてロンドンの宿泊先に帰りました。
この時点でだいたい22時くらい。それにしても忙しいスケジュールになってしまい、いろいろと味わうことが出来なかったのが残念なところ。ロンドンから日帰り旅行をすることは出来るが、できれば1泊か2泊くらいした方がウェイマスやスワネージを楽しむことが出来るな...と反省しつつ、ベッドに横になりました。(ばたんぎゅー)。ピーターとジョージたちがドーソンさんに見守れながら船の上で遊んでいる夢をみることを期待しながら明日に備えます。


(ロンドン編に続く)


旅行5日目の移動)
Victoria Stn→St Thomas' Hospital County Hall(バス25分程度)
ロンドン ウォータルー駅→ウェイマス駅(South Western railway:3時間程度)
ウェイマス kings stature→スワネージ バスターミナル(Purbeck Breezerバス30番線:1時間45分程度)
スワネージ駅⇔Corfe Castle駅(スワネージ鉄道:片道20分程度)
スワネージ駅→ボーンマス駅(Purbeck Breezerバス50番線:1時間程度)
ボーンマス駅→ロンドン ウォータルー駅(South Western railway:2時間程度)
*Purbeck Breezerバスは1日フリー切符が便利:Day rider ticket; Zone ABC (8.8ポンド)←車中で運転手から購入できる

iphoneに入ってるアプリで算出された旅行中のウォーキング+ランニングの距離のメモ)
5日目:21.9 km(ウェイマス,スワネージ)



Ref)
1. ジョシュア・レヴィーン(2017年)『ダンケルク』(武藤陽生 翻訳)ハーパーコリンズ・ジャパン社
2. A.J.バーカー(1980年)『ダンケルクの奇跡 イギリスの大撤退作戦』(小城正 翻訳)、HAYAKAWA nonfiction
3. 地球の歩き方 イギリス2017-2018(2017年)ダイヤモンド・ビッグ社
4. ドーセット観光協会 (Visit Dorset)、「Dunkirk Filming Locations」<https://www.visit-dorset.com/ideas-and-inspiration/film-and-tv/dunkirk-filming-locations>(参照2018-04-24)
5. Dorset ECHO (2017年5月8日付), “WATCH: Weymouth shines in the new Dunkirk movie trailer” < http://www.dorsetecho.co.uk/news/15271511.WATCH__Weymouth_shines_in_the_new_Dunkirk_movie_trailer/ > (参照2018-04-24)
6. Dorset ECHO (2017年5月9日付), “Weymouth shines in Christopher Nolan’s new Dunkirk trailer-but there’s something not very 40s in the background!” (参照2018-04-24)
7. Dorset ECHO(2017年12月8日付)“Dunkirk, starring Harry Styles, and with scenes filmed at Weymouth harbour comes to DVD” <http://www.dorsetecho.co.uk/leisure/stage/15707757.dunkirk-starring-harry-styles-and-with-scenes-filmed-at-weymouth-harbour-comes-to-dvd/>
8. Dorset ECHO Picture Galleries “Dunkirk Movie” <http://www.dorsetecho.co.uk/news/picture_galleries/dunkirk/25/>
Katie Williams, THE PRESS (2017年7月20日付) “IN THE SPOTLIGHT: Time for Weymouth to shine in Dunkirk as town's wartime history is remembered” < http://www.yorkpress.co.uk/news/15421688.IN_THE_SPOTLIGHT__Time_for_Weymouth_to_shine_in_Dunkirk_as_town_s_wartime_history_is_remembered/?ref=nuo>
9. Haru (2017年)『On my way』個人同人誌
10. VOF (2018年)『Traveler』個人同人誌
11. MoreBus公式HP <http://www.morebus.co.uk/> (参照2018-04-14)
12. Purbeck Breezer Bus公式HP<http://purbeckbreezer.co.uk/> (参照2018-04-14)
13. Daily Echo (2016/7/26) PICTURES AND VIDEO: Harry Styles films scenes for Dunkirk at Swanage Railway <http://www.bournemouthecho.co.uk/news/14633473.PICTURES_AND_VIDEO__Harry_Styles_films_scenes_for_Dunkirk_at_Swanage_Railway/> (2018-04-24参照)
14. Swanage railway公式HP <https://www.swanagerailway.co.uk/> (参照2018-05-03)
15. Swanage railway公式twitter <@swanRailway> (参照2018-05-03)
16. Wikipedia「Corfe castle」<https://en.wikipedia.org/wiki/Corfe_Castle>(参照2018-08-22)

旅ケルクの記録11(ドーセット ウェイマス編)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年08月19日 22時54分19秒 | ダンケルク
<旅行5日目>

ロンドン市内観光をした翌日、私は朝4時に起床をして薄暗いロンドン市街を爆走しておりました。朝5時30分に出発するドーセットのウェイマス行の電車(South Western railway)に間に合うよう、始発駅であるロンドン ウォータルー駅をへ行くバスに乗るためです。
地下鉄は始発をつかったとしてもウォータルー駅への到着が5時30分を過ぎるということで、それよりも前から運転を開始するバスに乗って行った訳です。1人で薄暗い人通りのないロンドン市街を徒歩で移動…ということもあり、ホテルから所定のバス停までノンストップで爆走いたしました。
で、乗車したバスが目的とは逆方向のバスだったというオチが(白目)。2つほどバス停を通り過ぎたところで気付いて、あわてて本来乗るべき場所に戻り、そして無事に乗車してウォータルー駅に辿りつくという、トラブル満載の予感しかないスタートをきりました。幸先よくない。


フランスへ向かう機内映画でみたような気もするロンドンアイ(どの映画だったかは忘れてしまって不明。007かピーターラビットか。)。ウォータルー駅へ向かう途中で撮影。

さて、ウォータルー駅に到着しました私は、(フランスのシステムと同様に)電光掲示板に当該の電車の乗り場が掲示されるまで、ひろい駅構内で待つことに(とにかく広い)。5時に到着してしまったので、お店もひらいてないし駅員さんも見当たらないし寝る訳にもいかないし。ということで、心を無にして待つことに(素数を数えたりはしない)。


眠気と戦いながら掲示板を眺めるの巻

心を無にして待つこと〇〇分、プラットフォーム番号が掲示されたのでブリットレイルパス(ロンドン)を特権のように振りかざしながら、ほとんど駅員さんがいないプラットフォームへ突入です。
一回バリデートされると、3日間、何回でも使える便利な切符(ブリットレイルパス)に感動しながらプラットホームに滑り込み、いざ出発。
例によって、またまた列車のドアの開け方がわからず(やってみたけど開かなかった。ぶきっちょ…)、たまたま空いてたドアから入り、腰を落ち着けて、ようやく一息。終点のウェイマスまで3時間くらいの旅程を楽しむことに。




South Western Railwayの電車。先日乗車したSouth Eastern Railway(ドーバー→ロンドン)とはまた異なるカラーリングと様相。

とはいえ、電車に乗って一息つきましたが、油断はできません。ウォータルー駅の一駅先にはWoking駅があるので、電車の中から撮影せねばならないので。
Working駅は、劇中でアレックスたちダンケルクからの帰還兵が歓迎をうけた駅になります。
アレックスに尋ねられた新聞売りの子供が最寄駅を元気よく「Working!」と答えた駅の名前であり、アレックスが新聞記者?らしき初老の男性からビールをうけとった駅でもあります。

駅舎自体は電車の中から見た限り、プラットホームはこじんまりとしてました。都内のJR駅でいうと、原宿より大きいくらいかなあと(たぶん)。
ということで、Working駅につく前からカメラをかまえ、ばっしばっしと撮影です。←ぶれまくってる







こじんまりとしたWorking駅

アレックスとトミーが眺めていた光景を妄想している私が撮影している間に、Working駅を出発した電車はBasingstokeを通り過ぎ、やがてwifiの電波もあんまり立たなくなった放牧地(牧草とウシと羊がいる地帯)に突入。ロンドンとはずいぶんと様相が違い、人家もまばらな風景です。曇り空を気にしつつ、どんどんイングランドの南西部(ドーセット)へ向かいます。先日までいたドーバー(ケント)とは完璧に空気の色が違う感じです。






世界の車窓から的な。途中でウシや羊もいました(撮影したがブレて何が何やら)

そんなこんなで3時間の電車の旅が終わり、ウェイマスに到着。
改札がない駅をノーチェックで通過です。ゆるい。
そういえば、ウェイマスにつくまでの間、1回だけ乗務員さん(ワゴン販売みたいなの)に会いましたが、それ以外は会う機会がなく、イギリスの電車はおおらかだなあと思いました…。
<後に、あんまり駅員が出勤自体をしていなかったことをアナウンスで知る。ワールドカップのせいかしら…と思ったけど、全員が全員、それで休むわけでもないだろうし、不思議。

(閑話休題)

さて、ウェイマスに着いたとたんに「さっむっ!!」となった私、ウィンドブレーカー含む手持ちの上着全て+スカーフの類を全て着るはめになりました。
というのも、ウェイマスの天気は小雨、気温は16度〜18度。前日までのロンドンの気温は25〜27℃+ぎらぎら晴天つづきだったため、体の調子が一気に狂ってしまいまして(あまりにも寒くてポンポンペインになり、頻繁にトイレの住民になってしまい、スワネージ行きのバスを予定より1本遅らせる羽目になるのですが、それは後程)。
夏のリゾート地じゃなかったのか、ウェイマス。こんなに寒くてどうするんだ、みんな厚めジャンパー着てるじゃん!。それよりYa*ooよ、お前の天気予報を信じてここにやってきたのにこんなんじゃ青い空とホワイトクリフの写真がとれなくね?!このfuc(以下自粛)などと、ぶつぶつ文句を言いながらも、ひとまずウェイマス駅から歩いてすぐ近くのビーチに出ていき、ウェイマスの東側の地形を観察+撮影です。


標識に従って、海岸まで歩く...と言いたいが、駅からすぐ見えるところにビーチがあった


途中の街並み




ウェイマスの海


ビーチから眺めた街並み


プライオリーから見た街並み

ドーソン兄弟やジョージが、ここを通ったのかもしれない、ここで遊んだのかもしれない、ここを見てきたのかもしれない。彼らが通り抜けてきた風景を、私も今、観ているんだなあと胸がいっぱいになります。
あいにくの曇り模様のため、ホワイトクリフと空のコントラストが薄いのが非常に残念無念の極みなのですが、トミーやアレックス、コリンズもムーンストーン号から見たドーセットのホワイトクリフを見ると、涙も滝のように流れるというものです。
<ビーチから撮影したホワイトクリフ、曇り空だったから白+白で区別がしずらくて。青と白のコントラストが欲しかった、しくしく。



トミー‘Is it Dover?’(ドーバー?) 
ピーター‘No, that's Dorset.’(いいえ、ドーセットです。)
トミー'But it's home' (でも故郷だ)

正直、外国人旅行者の私には、ドーバーで見たホワイトクリフと、ウェイマスで見たホワイトクリフは同じように見えてしまうのだけど、ウェイマスが地元のピーターにとっては、きっと違うものなのでしょう。いつも見ているものだから。
丁度私が、移動する新幹線の車窓から見える山のラインが少しずつ見慣れたラインに変わっていくことで、地元に帰っていることを実感するように。
ピーターが地元を誇りに思っている…のかまでは劇中から明確には読み取れませんが、少なくとも地元にうんざりしてるようには見えませんでしたし、きっと地元が好きなのではないでしょうか?

さて、街中を散策しながら、まずは劇中でウェイマス ヘラルド社となったHarbour masterのある通り(ウェイマス カスタムキー13)を目指して、旧い建物が立ち並ぶ商店街のような通りを歩いていきます。
(ここの道沿いにあった教会の近くのお土産屋さんで、Dorset teaというお茶をゲット。美味しかった!)

狭い道を走り抜けるトラックや乗用車にびびりつつ道路を渡って行きましたが、その途中に、ジョージがムーンストーン号を目指して駆け下りていった階段と船着き場がありました。関係者以外は立ち入れないので、すこし体を乗り出しつつ撮影です。


Mr. Dowson!というジョージの声が聞こえてくるような景色。

劇中にはジョージの家族について具体的な言及はありませんでしたが、ジョージと共通点が多いとレヴィーン(映画ダンケルクの歴史考証担当)に指摘されているジョー・リード(ダイナモ作戦に参加したニュー・ブリタニカ号の乗務員;15歳)の父親の言葉を思い出して、スンとしてしまいます。
『息子は勇敢だった。でも私の祖父、父、それから私自身もイギリス海峡を横断して生還した。息子にも、自分の命を大切にして欲しかった』

船着き場のすぐ側には、ジョージの記事を載せた新聞社「ウェイマス ヘラルド社」(Harbour master;ウェイマス カスタムハウスキー13)があります。
劇中では、ピーターはごく自然に新聞社の建物に入り、新聞社の人(記者?)にジョージの記事に添付する用の写真を見せてましたけど、ピーターはここの新聞社の人たちと顔なじみだったのかしら。それともアポイントメントをとっていたのか?あと、むかしからドーソン家ではウェイマス ヘラルド新聞を購読してたのかな?
建物を眺めていたら、ジョージのモデルの一人とされる、18歳のハロルド・ポーター(ダイナモ作戦に参加したレナウン号の乗務員。機雷により乗務員全員死亡)が1940年6月7日付のデイリー・ミラーに掲載された内容を思い出して、撮影しながら「うおおおお」と声を出してしまいましたが。←不審者
「ダンケルクの英雄の一人に数えられる18歳の少年は、学校では落ちこぼれだった。病気がちで、勉強でもスポーツでも賞をとったことはない。しかしある日、彼は父親に言った。『学校でいいところを何も見せられなくてごめんね。でもいつか、名誉者名簿に僕の名前が載る日がくるから。』」
そういえば新聞報道といえば、1940年6月当時、イギリス政府は反戦新聞を禁止(緊急国防に関する法律に拠る)していますが(1940年5月31日付東京朝日新聞より)、ウェイマス ヘラルド社さんはどうしてたんだろうか。








劇中のウェイマス ヘラルド社。青い扉をピーターがあけてる様子が見えるよう(雨に濡れながらの撮影になりました、しくしく)





対岸に渡ってウェイマス ヘラルド社を撮影。カラフル。




対岸の建物のカラフルさも含め、非日常の空間のよう。ジュラシックコースト(化石海岸)をめぐるクルーズをする船がたくさん係留されている。

ウェイマスは様々なパステルカラーの建物がたくさん並んでいて、まるでアートの中に自分が入ったかのようでした。藤城清治さんの影絵の作品にでてそうな感じで。温かい暖色系の色合いにあふれている。←ピーターやジョージという名前の小人がでてきそう
(劇中で)異国の地で泥まみれ+重油塗れになった兵士たちがムーンストーン号からホワイトクリフとこれらの街並みを見たら、あまりの違いに泣きたくなるんじゃないかなあと思いました。今まで茶色/緑色の迷彩の軍服や青色の軍服、茶色の砂に黒色の重油を目にしていたのに、白い崖、オレンジ色の夕日、淡いピンク色や水色の建物を目にすることになるから。

さて、寒さに震えつつあった私は、ウェイマスにあるコーニッシュパスティのお店Cornish bakehouseで、コーニッシュパスティを買いました。
劇中で、イギリスに帰還した兵士たちに老人が渡していたパイになります。コーニッシュパスティはイギリスの南西のコーンウォール地方で17-18世紀ごろに今の形となったのですが、この当時、鉱山で働いていた労働者が簡易にランチを取るために壊れにくい固い皮に具を包んで手づかみで食べることができるようにしたのが始まりだとか(諸説あり)。


ボリューム満点のパスティ。1個食べてお腹がいっぱいに。

ということで、ホッカイロ兼用のランチを購入し、いそいそとバス乗り場(Purbeck Breezer Bus)へ移動。ここからスワネージ/ウール方面のバス(路線30番;夏季限定の路線)に乗り、スワネージに向かいます。


(ドーセット スワネージ編へ続く)


Ref)
1. ジョシュア・レヴィーン(2017年)『ダンケルク』(武藤陽生 翻訳)ハーパーコリンズ・ジャパン社
2. A.J.バーカー(1980年)『ダンケルクの奇跡 イギリスの大撤退作戦』(小城正 翻訳)、HAYAKAWA nonfiction
3. 地球の歩き方 イギリス2017-2018(2017年)ダイヤモンド・ビッグ社
4. ドーセット観光協会 (Visit Dorset)、「Dunkirk Filming Locations」<https://www.visit-dorset.com/ideas-and-inspiration/film-and-tv/dunkirk-filming-locations>(参照2018-04-24)
5. Dorset ECHO (2017年5月8日付), “WATCH: Weymouth shines in the new Dunkirk movie trailer” < http://www.dorsetecho.co.uk/news/15271511.WATCH__Weymouth_shines_in_the_new_Dunkirk_movie_trailer/ > (参照2018-04-24)
6. Dorset ECHO (2017年5月9日付), “Weymouth shines in Christopher Nolan’s new Dunkirk trailer-but there’s something not very 40s in the background!” (参照2018-04-24)
7. Dorset ECHO(2017年12月8日付)“Dunkirk, starring Harry Styles, and with scenes filmed at Weymouth harbour comes to DVD” <http://www.dorsetecho.co.uk/leisure/stage/15707757.dunkirk-starring-harry-styles-and-with-scenes-filmed-at-weymouth-harbour-comes-to-dvd/>
8. Dorset ECHO Picture Galleries “Dunkirk Movie” <http://www.dorsetecho.co.uk/news/picture_galleries/dunkirk/25/>
Katie Williams, THE PRESS (2017年7月20日付) “IN THE SPOTLIGHT: Time for Weymouth to shine in Dunkirk as town's wartime history is remembered” < http://www.yorkpress.co.uk/news/15421688.IN_THE_SPOTLIGHT__Time_for_Weymouth_to_shine_in_Dunkirk_as_town_s_wartime_history_is_remembered/?ref=nuo>
9. Haru (2017年)『On my way』個人同人誌
10. VOF (2018年)『Traveler』個人同人誌
11. MoreBus公式HP <http://www.morebus.co.uk/> (参照2018-04-14)
12. Purbeck Breezer Bus公式HP<http://purbeckbreezer.co.uk/> (参照2018-04-14)
13. Cornish bakehouse公式HP <http://www.cornishkitchen.com/> (参照2018-04-14)
14. モモグラモ(2016年6月24日) 「【イギリスで食べたい】固くて持ち歩けてカイロの代わりにもなる?コーニッシュ・パスティ」<https://theryugaku.jp/1318/> (参照2018-04-14)
15. 東京朝日新聞(東朝)「英反戦新聞を禁止」、1940年5月31日(3版)(明治大正昭和新聞研究会、新聞集成 昭和編年史15年度版、平成4年、新聞資料出版 収載)
16. BBC breaking news (2016/7/27) ‘Preparations for filming of Dunkirk movie in Weymouth ‘ (参照2018-05-03)

旅ケルクの記録10(ロンドン編 その3)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年08月15日 23時46分17秒 | ダンケルク
<旅行4日目つづき>

さて、RAF museum Londonで時間をすごした私ですが、なれない頭脳労働に頭が痛くなってきてしまい(ふだん使わないから)、夕方に博物館を出て、ロンドン市街地に戻りました。
←帰国してから、撮影した飛行機の写真の撮り逃し、不備に気付いて撃沈する。もうちょっと粘ればよかったああああ。

といっても、戻った時間は17時過ぎ頃で、まだホテルに帰るには早い時間だし買い物だけするのは時間がもったいないし…ということで、急きょ、チェルシーにあるNational Army museum(国立軍事博物館)に向かいました。ロンドン ヴィクトリア駅から徒歩で10分程度のところにあります。
RAF museumで空組要素を頭に詰め込んだので、今度は陸組要素を詰め込もう…と思った次第。





こじんまりとした博物館。RAF museumやIWMより慎ましく小さい。

手荷物検査を受けた後、展示スペースへ向かいました。


さすがはパックスブリタニカの一時代を築いた国とあり、とくに19世紀の展示物が豊富です。
IRAがついこの間まで国内で活動していた国とあって関連の資料も豊富でしたが、ダンケルク関連に焦点をしぼって、展示物をみていきました(深堀すると視点がぶれる…というのと、我が貧弱なる能ミソが過重労働でストライキを起こしていたので)。


スコットランド部隊の軍帽(バルモーバルボンネット:ボンネットは帽子の意)
展示物の中に、見覚えのある帽子をみかけたので激写。WW II中のスコットランドの部隊が被っていた帽子なのですが、ダンケルク劇中でもハイランダーズの一人が被ってた帽子に似てるような…。
劇中のアレックスが所属していたハイランダーズはスコットランドの部隊ですが、1940年の在フランスのイギリス軍部隊のハイランダーズは以下の通り。そのうちの誰かがこれをかぶっていたんでしょうか。ちなみにこの帽子は2000年代に廃止されたとのこと。

<在フランスのイギリス軍のハイランダーズ>
・第51歩兵師団;1940年5月10日にフランス軍の指揮下でザール戦線に参加。のちにソンム川南方の戦闘に参加
   第152歩兵旅団 
    シーフォース・ハイランダーズ第2大隊
    シーフォース・ハイランダーズ第4大隊
    クイーンズ・オウン・キャメロン・ハイランダーズ第4大隊
   第153歩兵旅団
    ゴードン・ハイランダーズ第1大隊
    ゴードン・ハイランダーズ第5大隊
 第154歩兵旅団
    アーガイル&サザランド・ハイランダーズ第7大隊
    アーガイル&サザランド・ハイランダーズ第8大隊

・第52師団
  第157歩兵旅団
    ザ・グラスゴー・ハイランダーズ第1大隊


WWII時にイギリス陸軍が使用していたメタルのヘルメット。重そうだけど、首が凝らないんだろうか。


WWII時にイギリス陸軍が使用していたドッグタグ。RAF museumでみたタグとほぼ同じ。ここら辺は陸軍/空軍の区別がなかったのかしら。残りの海軍のドッグタグを拝見したいところ。


WW IIでイギリス陸軍が使っていた銃とパネル。銃が近代化されていくにつれて訓練期間が長くなっていく..というような説明書きと一緒に展示されてました。グリーンになるのに18ヶ月。思ったより熟練するのに時間がかかる。そんなに育てる時間があったのかなあ。徴兵された若者たち(いわゆる職業軍人ではない人たち)は、劇中のトミーのように、銃を撃つのがスムースにいかなかったのでは。


<番外編>




ナイチンゲールのランプと胸像。イギリス陸軍の博物館だし、何か関連した展示物があるかなー…と思ってたら、やっぱりありました。なんといっても、統計学を駆使して戦地の病院における兵士の死亡率を衛生管理の改善によって低下させた立役者ですもんね。慈悲の心でもって看護…とかいうイメージより、キレッキレの統計学者であった部分に、医療系社畜の端くれの私は心がもっていかれます。当時パスツールが主張していた微生物による感染症を否定していたものの、統計学的分析により、感染制御の基礎を理論を構築なしえたという凄い人だし(今回は時間がなくてナイチンゲール博物館へ行けなかったのが本当に残念)


というわけで、駆け足でしたが、ざっくりとnational army museumを巡ってまいりました。
(他にもいろいろ展示があったんですが、今回のテーマとはあまり関係がなさそうだったので記載を省略)

博物館を出た後、スーパーでその日の夕ご飯、次の日の朝ご飯+お弁当にするパンを買って、帰宅しました。
(本当はもっと買い物をしたかったけど、RAF museumで大量にグッズを買ってしまい、これ以上の買い物は不可能でした…orz)

次の日は始発で、ピーターやドーソンさん、ジョージたちの拠点のウェイマスと、トミーとアレックスたちが機関車に乗り込んだ駅であるスワネージへ向かいます。


旅行4日目の移動)
ロンドン ヴィクトリア駅→コリンデール駅(地下鉄)
コリンデール駅⇔RAF museum(片道徒歩20分程度)
コリンデール駅→ロンドン ヴィクトリア駅(地下鉄)
ロンドン ヴィクトリア駅⇔National army museum(片道徒歩15分程度)

旅行4日目に歩いた+走った距離)
Iphoneに入っているアプリで測定された距離:17.4 km(ロンドン市内)



・蛇足
そういえば。
丁度この夜、サッカーワールドカップでイングランドvsコロンビアの試合があり、イングランドの試合を多くのロンドン市民?はTV観戦していた模様。「おおー!」とか「ぎゃああ!」とか、とにかく夜中までイチイチうるさい(笑)。別に私が宿泊していたホテルのすぐ側の道路で若者が騒いでいた…という訳ではないのですが。
そしてイングランド勝利の瞬間、こんどは複数の船の汽笛?が鳴り響いてまたうるさい。←車のクラクションでなくて、汽笛だったと思う。
ダンケルク劇中でも、例えばリトルシップがダンケルクに到着し始めた時に海軍の船が汽笛を鳴らすシーンがありましたけど、あんな感じで。




1. ジョシュア・レヴィーン(2017年)『ダンケルク』(武藤陽生 翻訳)ハーパーコリンズ・ジャパン社
2. A.J.バーカー(1980年)『ダンケルクの奇跡 イギリスの大撤退作戦』(小城正 翻訳)HAYAKAWA nonfiction
3. National Army museum公式HP <https://www.nam.ac.uk/> (2018-04-24参照)
4. 吉田 宗平(2016)『ナイチンゲールは「白衣の天使」だったのか?統計学者ナイチンゲールとその歴史的背景』関西医療大学
5.Florence Nightingale museum公式HP<http://www.florence-nightingale.co.uk/?v=24d22e03afb2> (2018-04-23参照)
6.地球の歩き方 ロンドン2017-2018(2017年)ダイヤモンド・ビッグ社
7. アローヘッド(2017年) Head dress (1923〜現在)、Arrow-Head vol.23(個人同人誌)

旅ケルクの記録9(ロンドン編 その2)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年08月14日 05時11分45秒 | ダンケルク
<旅行4日目>


コンチネンタルスタイルのホテルの朝食(ロンドンのホテルとしては安い部類にはいるホテルですが、紅茶+牛乳は美味しかった!)

ロンドンのB&Bで朝を迎えた旅行4日目。
簡単な朝ご飯をもりもり食べた私は、うきうきと地下鉄に1時間ほど乗ってロンドン郊外のコリンデールへ出かけました。『ダンケルク』の劇中でファリアやコリンズが属していた”Bloody air force” こと、RAF(イギリス王立空軍; Royal Air Force)の博物館、Royal Air Force (RAF) museumに行くためです。今年で創立100周年ということもあり、様々な企画やイベントも開催されつつある賑々しい雰囲気を味わいながら、博物館へ向かいます。看板やフラッグが道にあるので迷いようがないという分かりやすさ。


駅を出たすぐ側の道路にある看板。ピクトグラムが可愛い。


museumへと連なる100周年のフラッグ。有刺鉄線みたいな飛行機雲のイラスト。

RAF100周年ということで、あちこちにフラッグが立ち並んでいるのを見ると、「空軍はどこにいる?!(Where is the bloody air force?!)」と、劇中でも、また史実でも、味方であるイギリス軍兵士にも罵られたり喧嘩になったというRAFの過去を考えると、(RAF兵士たちの)苦労が報われて良かったと思うべきなのか。
もちろん、ダンケルク撤退が完了した1940年6月4日の夕方に行なわれたチャーチルの演説や、その後のチャーチルの回想録によって、RAFの働きは言及されてはいる訳ですが。
『It was gained by the Air Force. Many of our soldiers coming back have not seen the Air Force at work.』(1940/6/4 チャーチル演説一部)

『(ダイナモ作戦において)イギリスとドイツの空軍の資質が直接試されることになった。我が戦闘機司令部は大きな努力を払って、現場の上空を絶えず警戒し、勢力において優る敵と戦った。刻々とドイツ戦闘機隊と爆撃機隊に食い込み、大きな損害をあたえ、分散させ、追い払った。(中略)不幸にして、海岸の軍隊は、この勇壮な空中戦をほとんど見ていない。多くの場合、何マイルも離れたところや、雲の上で行われたからである。(中略)陸軍の中には、空軍に対して激しい怒りをぶちまけるものもあり、ドーバーやテームズの港に上陸した軍隊のあるものは、何も知らないところから、空軍の制服を着た軍人を見ると、悪口を浴びせた。』(W. チャーチル『第二次世界大戦』より抜粋)

一般市民、あるいは兵士たちのRAFへの印象はダンケルクの数か月後に起こったバトル・オブ・ブリテン(ドイツ空軍による英国本土の攻撃)以降に変わったわけなのですが、それはつまり空軍の活躍+犠牲が一般市民の眼に見えるまでにフロントラインが迫ってきたということであり、そもそもの軍隊の存在意義を考えると皮肉と言うかなんというか(国民の生命および財産の保護...)。
吉田茂の防衛大学の学生への訓示を併せて思い出して、なんとも言えない気分になったりも。
<君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。

とはいえ、何のための道具なのか、何を目的に開発されたのか、などを差し置いても、やはり戦闘機やその製造技術、それを乗りこなすために鍛錬をしたパイロットたちや周辺のスタッフたちは、どうしようもなくカッコ良いと思えるものです。政治とか軍事とか、いわゆる『難しい事情』を忘れてワクワクするというか。物理的にとんでるのってそれだけでも楽しい。
スピットファイア開発設計の技師であるミッチェルがスピットファイアを開発した過程には興奮しますし。特に、エアレースのシュナイダー・カップで世界記録のスピードを他国メーカーと競っていく過程、ロールスロイス社のエンジンとタッグを組む過程、1936年にスピットファイアが初飛行し、イギリス空軍に実戦配備されるまでの過程等には、宮崎駿の映画「紅の豚」や「風立ちぬ」を思い出して、おもわずニヤリとしてしまいます。
(そしてもちろん、ドイツのメッサーシュミット教授がメッサーシュミットを開発した過程も、同様に)

劇中のドーソンさんではありませんが、スピットファイア開発メンバーやパイロットたちは、きっと自分たちの乗った飛行機の『口笛のようなエンジン音』、’Sweetest sound’をとにかく愛してやまなかったでしょう。1936年にスピットファイアの試作機に乗ったRAFパイロットたちはひどく狂喜したと言いますが、『スピット』という愛称の優れた同機に興奮を覚えたことでしょう。最初にスピットファイアが配置された第19中隊(第12戦闘機集団)のパイロットたちの心情はいかばかりか。
『現在、飛んでいる「スピットファイア」はほんの一にぎりしかない。空を飛ぶときにおこる、あのなつかしい口笛のようなひびきをきくこともめずらしい。しかし、その後わたくしは、ときどきなつかしい操縦席にすわって飛行するのだが、そのとき「マーリン」発動機の音が、あの勇敢にたたかった日々を思いださせてくれるのである。』(ジェームズ・エドガー・”ジョニー”・ジョンソン英国空軍少将(昭和48年当時)、元RAFのスピットファイアのパイロットで、かつイギリス空軍きってのエースパイロット:ジョン・ベター著、『スピットファイア』(昭和48年)より抜粋)

さて、そんなこんなで歩いて行って、RAF博物館に到着です。道路からフェンス越しに見えるスピットファイア(レプリカ)やハリケーン(レプリカ)にワクワクしながら入場です。


ハリケーンのレプリカ


入口からしてデザイン性がある。陸上自衛隊の広報センターの「りっくんランド」とは雰囲気が違う感じにやや戸惑う。管理する団体や目的が違うといわれればそれまでなんですが。←シン・ゴジラのロケ地巡りで行ってきたので。それにしても、元が空軍基地の敷地に建てた博物館なだけあって、敷地は広い。

入ってすぐの手荷物検査を受けた後、さっそく突入。
なんといっても広い敷地に展示する建物が複数点在しており、一つ一つの建物の中には展示品が沢山あるので、効率よく行かねばなりません。集中して見るのは体力も使いますし。第二次世界大戦(WW II)に焦点をしぼり、じっくりねっとり見ていけば良い…。
などと思っていたのですが、RAFの制服やら何やら、スピットファイアやロールスロイス製エンジンに遭遇して興奮してしまい、効率とか回る順番とか要領が、すっ飛んでしまいました。だって、そこにあるんだもの、本物が。



WW II頃のドッグタグ。ファリアやコリンズがつけてたのかもしれないとhshs。メタルじゃないのが意外。←いままで見てきた映画の影響+不勉強






マスコットやチャーム


兵士が使用していたバイオリン。

展示品にWW I時に兵士が愛用していたバイオリンがあり、一瞬驚いたのですが、考えてみればRAFに入隊するのは比較的上流の家柄の人が多かったそうなので、小さいころから教養の一環として習ってた人も多いかも。コリンズはともかく(Oilを「おいう」と発音するスコットランド出身!)、ファリアはソフィスティケートな都会っ子のスメルがするので、小さい頃に嫌々ながらも習っていたらと想像すると面白いかも。
『空の勝利の鍵はチームワークにあった。スピットファイアのパイロットたちは、生活も遊びも訓練も戦いも、つねに一緒にやった。』とRAF元パイロット(ジョンソン少将:昭和48年当時)も言及するくらいだったので、あんがいファリアが弾くバイオリンに耳をかたむけるコリンズ…みたいな光景を、どこかで目にすることはあったのかもしれません(←妄想を真顔で断言するオタク)。
それにしてもマスコットや小物がいちいち可愛い(イギリス人、熊が好きだなあ)。


脱出を想定している人(=パイロット)向けの脱出用キット。パイロットが占領地で捕虜になった場合に一般人に紛れて脱出するためのもの。捕虜になった場合、地図(シルクに印刷された地図←折りたたみ自由だし、紙よりは怪しまれない)が回収されることもあったとか。また、こうした地図は本のカバーやチェス盤、トランプカードなどに挟み込まれて秘密裏に捕虜収容所に持ち込まれたそう。パイロットのブーツも切って普通の靴と変わらない体裁にして逃げられるようにした仕様になっている。(最悪な状況の中で、ベターな状況に近づけるよう選択肢が与えられてるというのはいいな...と思ったり。最悪を想定し、打開するための手段をきちんと考え、そのための教育訓練が実施されているというのが素晴らしい!覚悟を教えるのでなくて!)



スピットファイアMkVb

それにしても、博物館に展示されるものとあって、スピットファイアは綺麗な状態で保管されていました。ダンケルクのダイナモ博物館に展示されていたボロボロのスピットファイアとは雲泥の差過ぎて、思わず「うっ(泣)」となりました。勝利の女神の祝福をうけた者と受けなかった者の差異の大きさに泣けてきたというか。
フランスのダイナモ博物館(ダンケルク)に展示されてたスピットファイアのプロペラは途中からポキンと折れてたし、ハリケーンなんて、プロペラ一つだけになってたし(中身はどこへ?海の中へ?)。
博物館に展示されているのは撃墜されずに生き残った、あるいは出撃しなかった等、いろんな理由があるのでしょうが、やはり外も中身も無事であって欲しいもの。
<ダイナモ博物館で展示されていたスピットファイア+ハリケーンの展示写真については拙ブログ『旅ケルクの記録5(ダンケルク編 その3)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅』に。


バッテリー


ロールスロイス「マーリン3」エンジン
Sweetest sound…とドーソンさんのように言ってみたくなるロールスロイス社製のエンジン。このエンジンとタッグを組んだスーパーマリーン社(設計技師:ミッチェル)の飛行機は世界一のスピードをマークし、やがて戦闘機「スピットファイア」へ繫がっていく。
因みに、上述の元RAFパイロットのジョンソンも同じようにスピットファイアのエンジン音をSweet soundと言っている。
<“I found the engineer officer and together we had a look at her, gleaming and bright in a new spring coat of camouflage paint. Later I took her up for a few aerobatics to get the feel of her, for this was the first time I had flown a Mk IX. She seemed very fast, the engine was sweet and she responded to the controls as only a thoroughbred can. I decided that she should be mine, and I never had occasion to regret that choice.” James Edgar “Johnnie” Johnson; His first encounter with EN398 (Spitfire)





フォーティス隊も愛用?していたスピットファイアMkI


給油中?のスピットファイア。思ったよりも給油する燃料タンクの容量が小さいのに慄く。

それにしても、スピットファイアの実物が思ったよりずっと小さいことに驚愕しました。私が日本からヨーロッパへ来るときに乗ったスーパージャンボとは本当に全然違うんだなあと。スピットファイアの弱点は航続距離(MKI型680km、MKIIa型651km)が短いこと…とwikiやベター著の『スピットファイア』に載ってた情報が頭をかすました。劇中で3.空(1 hr)とあったけど、さもありなん。飛行可能時間は90分なんだもの。
フォーティス隊長が「燃料を残せ」と言っていたのはダンケルク撤退戦でスピットファイアは海の上で交戦するということもあったんでしょうか。燃料切れで海に落ちたら、あとは英独どちらかの海軍に拾ってもらうしかなくなるから。
敵に撃たれて海上に不時着する直前のコリンズが「15ガロン!」と言っていた時点でファリアの燃料はギリギリだったのでは…などと思ったり(帰らなかったのがファリアのファリアたる所以なのでしょうが)
ちなみに、スピットファイアの機関銃はブローニング銃と呼ばれ、もとはコルト社の機関銃を導入していたが、イギリス国内で生産が開始されて名前になったのだとか。スピットファイアのパイロットは、ときに相手パイロットの白い歯が見える距離まで近づいて撃ったとの話も。
『スピットファイア』の著者ベター(←元カナダ空軍のスピットファイアのパイロットでもある)によると、射撃性能はドイツのメッサーシュミット(7.3ミリ機関銃)より良かったとのことだけど、ここはイギリスでもないドイツでもない、第三者の意見を聞きたい所。←イギリス・ドイツの各戦闘機パイロットによる著作を見る限り、互いに自分の所の飛行機の性能が良いと主張してる感じがするし。

ダンケルク劇中ではフォーティス隊(+ちらっと一瞬だけ見えた爆撃機ブレナム)しか見えなかったRAFですが(まさに「空軍はどこにいた?!」状態)、実際のダイナモ作戦においては、スコットランドの部隊をのぞく全ての部隊の戦闘機が出撃したということで(RAFのホームページで適当に中隊の履歴を検索すると、結構な部隊の戦歴にDukikが入っている)、実際に200機近い飛行機と80名以上のパイロットがが失われたことを考えると、フォーティス隊以外にも観客の目には見えないだけで戦っていたのかも…と思ったりもします(それこそ、観客の私たちからも空軍がどこで戦ってたのか見えてなかったのかも…なんて思ったり)。
ダイナモ作戦まではパイロットの射撃訓練も組織的に充分につめていたが、それ以降は自主性にまかせるしかなくなったという主旨の話もありますが、この作戦の後にBOBがあり、イギリス以外の国(ポーランドやベルギー等)からの亡命パイロットや義勇兵の活躍を聞くと、RAFの慢性的なパイロット不足(=死亡率が高く入れ替わりが激しい)が伺えます。
とはいえ、慢性的なパイロット不足(リソースの不足)については、それこそドイツ空軍でも日本の軍隊でも同じだったわけですが。



黄色のノーズが目印のメッサーシュミット
劇中では黄色いノーズでしたが、ダイナモ作戦が実施された1940年6月の時点では黄色に塗られていなかったのだとか(映画上の演出)。
1935年に初飛行、1938年から戦闘に参加したドイツの誇る戦闘機であるメッサーシュミットは、当時の世界トップクラスの性能を誇る戦闘機で、イギリスの戦闘機ハリケーンを圧倒した。空飛ぶサラブレッド。ドイツ空軍の快進撃を担ったといっても過言ではないのかも?エンジンはダイムラーベンツ社。エンジンが重く、空中での小回りする能力(旋回する能力)はスピットファイアより、やや劣っていたとか。
『あまりにも数が少なく、出現がおそすぎた』(マーチン・ケイディン著『メッサーシュミット』より抜粋)と言われていたくらいなので、歴史にifは禁物とは言いますが、メッサーシュミットが大量生産されていたら、あるいはヒトラーが運用を誤っていなければ、ドイツの快進撃はもっと続いていた…のかもしれません。こう考えると、兵器にかぎらず、システムや製品の開発やオペレーションをマネージメントをする人間のクオリティーって大事になってくるなあと思います。知らんけど。


背中あわせ?のように配置されてるスピットファイアとメッサーシュミット。とかく比較されがちな機体だからだろうか。物語のワンシーンかと思ってしまいました。スピットファイアと戦ったはずの日本の零戦がないのは、展示のコーナーがドイツ空軍とイギリス空軍の空中戦であるバトル・オブ・ブリテン(BOB)のコーナーだからか?BOBコーナーには、戦闘機集団の司令官にして防空レーダーシステムを構築した立役者のダウディング空軍大将や、ロンドンを含むイングランド南東部の防衛にあたった第11飛行隊司令官のキース・パーク少将の写真も。
<イギリス空軍は防衛にあたり空域をわけ、飛行場と管制基地を配置した。第11飛行連隊がロンドンを含むイングランド南東部、第12飛行連隊がイングランド中部、第10飛行連隊がイングランド南西部となる。こうした空域はさらにいくつかのセクターに分けられ、セクターごとに管制基地(高空用レーダー基地、低空用レーダー基地)が配置され、当時としては最新の防空レーダーシステム(ダウディングシステム)を構築した。


ピーターのお兄さんが乗っていたホーカー ハリケーン。
メッサーシュミットはハリケーンを圧倒したと『メッサーシュミット』にもあったが、ダンケルクの博物館に展示してあったハリケーンのプロペラの一部を思い出して、泣けてくるなど。


劇中ではダンケルクのビーチ上のイギリス兵+フランス兵たちにぼろんぼろん爆弾を落として行ったドイツ空軍爆撃機ユンカース ストゥーカ。




劇中で掃海艇に爆弾をボロボロ落としていたドイツ軍の爆撃機ハインケル。乗務員の乗る箇所(風防の部分)が金属製ではないが、彼らの安全が気になるところ。←撃たれてエンジンは無事だがパイロット死亡で墜落しそう。


イギリスの爆撃機ブレナム。ダンケルク劇中で一瞬だけ登場。ジョージの頭上のはるか上空をフランス→イギリスへ移動。








WWII当時のパイロットの服装。ファリア大尉のタイプ。RAFの1940年代のパイロットの写真を見る限り、ファリアみたいな服装(セーター+制服+ジャケット)だったりコリンズ少尉みたいな服装(シャツ+ネクタイ+制服)だったり、さまざまだったのですが、イギリスには衣替えみたいな規定はないのかな?夏服と冬服が混じってフリーダムな感じがしますが、他の国の空軍もこんな感じだったのかしら。


股引みたいなパイロットの下着。マネキンが金髪なのもあってコリンズが着替えてるのかと思いました。


RAFパイロットたちの戦いを顕彰したステンドグラス。マンストン(BOBにあってRAFの前線基地として機能した)にあるスピットファイア&ハリケーン博物館にも、ステンドグラスを撮影してプリントアウトしたものが展示されてましたが、それだけRAFにとってはとても象徴的で大事なものなのかも。


飛行中隊のバッジ。各中隊には独自のマークと銘(モットー)があった。
ちなみにスピットファイアが初めて配置された第19中隊のバッジはイルカ。銘はラテン語で「Possunt quia posse videntur; They can because they think they can」。この中隊はダンケルクにも出撃している。←最初に第19中隊のイルカを見た時、赤塚不二夫が書いたウナギイヌみたい…と思った。ごめん。


平和が一番だ..と思いながら芝生に寝転ぶ。←オタ活動は世情が安定してないと難しいしね!


<蛇足的な>
そういえば。
H.I.S Londonのツイッターアカウントさん(@his_london)が、スピットファイアのコックピット体験コーナーを有料(10ポンドていど)で今年の9月までの期間限定でやっているとのツイートをしているの見て、私、うっきうきしながら、体験コーナーへ向かったんです。うっきうきしながら向かった先にはExperienceと書かれた看板があり、いざっと乗り込んで行った先に…スピットファイア、ありませんでした。RAF創立100周年ということで、そちらのパレードに駆り出されていたそうです(7月9日にパレードがあったとか)。Closedの表示を恨みながら見てました(しくしく)



恨めしく睨む視線の先(空っぽのスペース!)


恨みをひとまずカフェで一休みして晴らす。素朴な味のケーキと珈琲。展示物は多いし敷地は広いし、で休憩をはさみつつ見学をした。


ということで、朝10時からたっぷりと集中力と体力が続く限り、RAF博物館を見て回りました。少しだけ時間が中途半端にあまったのでNational army museumに立ち寄りましたが、それは次の記事にて。



(ロンドン編3へ続く)


<スピットファイアMK I概要>
発動機:ロールス・ロイス「マリーン」3 1030馬力
武装:7.7 mm機関銃8
最高時速:583 km/hr(高度5600 m)
上昇速度:770 m/分
実用上昇限度:9670 m
航続距離:925 km
全備重量:2950 kg
全幅:10 m
全長:9.11 m

ジョン・ベダー(昭和46年)『スピットファイア』(サンケイ新聞社出版局)より抜粋


<メッサーシュミットMe109E3概要>
発動機:ダイムラーベンツ601A 1100馬力
武装:7.9 mm機関銃 2、20 mm機関銃 3
最高時速:570 km/hr(高度3690 m)
上昇限度:11250 m/分
航続距離:663 km
自重:2003 kg
全備重量:2502 kg
全幅:9.71 m
全長:8.47 m

マーチン・ケイディン(昭和46年)『メッサーシュミット』(サンケイ新聞社出版局)より抜粋



1. ジョシュア・レヴィーン(2017年)『ダンケルク』(武藤陽生 翻訳)ハーパーコリンズ・ジャパン社
2. A.J.バーカー(1980年)『ダンケルクの奇跡 イギリスの大撤退作戦』(小城正 翻訳)HAYAKAWA nonfiction
3. ジョン・ベダー(昭和46年)『スピットファイア』(山本 親雄 翻訳)サンケイ新聞社出版局
4. マーチン・ケイディン(昭和46年)『メッサーシュミット』(加藤 俊平 翻訳)サンケイ新聞社出版局
5. バトル・オブ・ブリテン 戦闘機集団レーダー網(英国公文書館蔵)、マイケル・スウィフト他(2015年)『第二次世界大戦作戦マップ』(福田 希之 他 翻訳)河出書房社
6. haru /在処(2017年)『On my way』自費出版
7. 地球の歩き方 ロンドン2017-2018(2017年)ダイヤモンド・ビッグ社
8. Royal Air Force museum公式ガイドブック(2018年)『RAF museum suvenir book』
9. Wikipedia 「スーパーマリーン スピットファイア」<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%B3_%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%A2>(2018-08-09参照)
10. Wikipedia 「No.19 Squadron 」<https://en.wikipedia.org/wiki/No._19_Squadron_RAF>(2018-08-09参照)
11. Wikipedia「ジョニー・ジョンソン」<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3>(2018-08-09参照)
12. Bryan Legate (2015年10月31日) 『Heraldic Badges: Halloween edition』Royal air force (RAF) museum <https://www.rafmuseum.org.uk/blog/heraldic-badges-halloween-edition/>(2018-08-12参照)
13. イギリス空軍博物館(Royal Air Force museum)公式HP <https://www.rafmuseum.org.uk/>(2018-04-23参照)
14. イギリス王立空軍(Royal Air Force)公式HP <https://www.raf.mod.uk/>(2018-08-13参照)
15. Bill Haward(2015年)『What the RAF Airman Took to War』Shire
16. Johnnie Johnson (初版1956年、再版2010年)、『WING LEADER』Crecy Publishing社
17. The telegraph (2001年2月1日付) Air Vice-Marshal J E 'Johnnie' Johnson <https://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/1320495/Air-Vice-Marshal-J-E-Johnnie-Johnson.html> (2018-08-13参照)
18. Bill Gunston (2001年1月31日付) ‘Johnnie Johnson’ The guardian <https://www.theguardian.com/news/2001/feb/01/guardianobituaries2> (2018-08-13参照)
19. Mrtin Waligorski (2010/4/16)「Johnnie Jonson’s Spitfire」The spitfire site <http://spitfiresite.com/2010/04/johnnie-johnsons-spitfire-revisited.html> (2018-08-13参照)
20. イギリス空軍の脱出地図(英国公文書館蔵)、マイケル・スウィフト他(2015年)『第二次世界大戦作戦マップ』(福田 希之 他 翻訳)河出書房社
21. ウィンストン・チャーチル(2001年)『第二次世界大戦』第1巻(佐藤亮一 翻訳)河出書房新社
22. ウィンストン・チャーチル(2001年)『第二次世界大戦』第2巻(佐藤亮一 翻訳)河出書房新社
23. 君山(それはエドワルダに訊いて)(2018年)『Tell me, your thinking about DUNKIRK』(個人同人誌)