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鳥の巣頭の世迷い言

読書音楽観劇、ハゲタカ廃人、そしてアラシックライフをエンジョイしている三十路のお気楽会社員・ガバ鳥のblog

続・旅ケルクの記録4(帰国編)@ダンケルク ロケ地・ゆかりの地を巡る旅

2019年01月01日 14時10分11秒 | ダンケルク
<旅行3日目>

というわけで、荷物をひっつかんで空港へダッシュしたワタクシ、2回目という慣れ?もあって無事にヒースロー空港に到着することができました。何事も下準備と慣れが肝要でございます。<オイスターカード、ありがとう...。電車でも使えたらもっといいのに...(スイカは便利だ...)。
チェックインした時になぜか私の席が見つからず、対応してくれたスタッフの一人に「Good luck!」と言われたりもしましたが(家に帰らせてくれええええ)、なんだかんだでチケットを取得。
少し余裕ができたので、ヒースロー空港の本屋さんで本を買ったり(アガサ・クリスティとか大英博物館の本とか)、カフェでラテ+フルーツ(ビタミン不足を補うため)をいただいたりしました。←空港での時間の過ごし方がだんだん分かってきたというか、慣れてきた。


ようやく買った、レヴィーンの「ダンケルク」(英語版オリジナル)


なんのフルーツだったのか不明な赤いツブツブ(美味しかった)

そんなこんなで飛行機に乗り込みます。例によって、出国手続き(パスポートにハンコをバーン)がなく、航空会社のスタッフによるチェック(フライトチケット+パスポート)のみで出国です。楽チン。

例によって、飛行機の中ではマーヴェルの映画を観まくり、ツイッターのTLに時々流れてきてたスティーブとバッキーの(世界を巻き込んだ熱い)友情について分かったような気がしました(多分)。


なんか見覚えのある映像と一緒に写るファリア熊


相変わらず美味しかった機内食。オムレツをうまいうまい言いながら食べてた。←旅行中に食べたまともな食事は機内食だった疑惑

中継地点のドバイ空港ではナツメのお菓子、ラクダのミルクのチョコなどを買ったり。看板に書いてあるアラビア文字にワクワクしたりしてました。地理的には違いますが、「ペルシャ!」って感じがして。←アルスラーン戦記(田中芳樹 作)とか薔薇園、シャー・ナーメとか好き。いつかサマルカンドとかバクダッドとかに行きたいな。イスファハンのブルーモスクとか、綺麗なんだろうね。
例によって体調不良がぶり返し、トイレの中でお祈りのお知らせ(ムスリムの国だから)を聞く羽目になりましたが。ううん、体調管理は大事だ。






砂漠の国!って感じ。

そんなこんなで、乗り継ぎ便にのり、今度こそ東京/羽田空港へ。
機内では、ご飯を食べたりダラダラしたり、日本語アナウンスもあったりしてラクチンモード。


チキンの何か。添えられてた野菜はうまいが味が濃い(ビールがすすむうう)。デザートは甘い(がっつりコーヒーを飲む)。

そして着圧ソックスの効果が信じられなくなる程度にはむくみまくった足になったころ、22時すぎに羽田空港へ到着。到着後は終電近くのモノレールにまたしてもダッシュし、ようやくの帰宅をいたしました。
例によってスーツケース(36L)の中はお土産(公式ガイドブック、本、スピットファイアのクッキー型など)でパンパン、機内持ち込みのパッカブルのリュックサック(20L)の中もお土産(ジャクロの舞台のパンフレット+スクリプト+ポスターなど)でパンパン。肩に食込まんばかりの重い荷物にヒーコラ言いながらの帰宅となりました。前回の旅行から何一つ学習してない(教訓は身につかない!)。
ベッドに倒れ込んだ翌朝には、元気に?会社へお勤めをさせていただきました(社畜だからああああ)。

という訳で、正味ロンドン2泊3日の旅行はこれにて終わり。
舞台感想については、また別個にしようと思います。これね、ヘイリーさんや他の共演者の人たちの演技もまたよくて...。あんな小さなハコでの芝居を観るのは初めてだったので(嵐のライブはドームとか国立競技場だから)、色々新鮮だったし面白かったんですよね。Mee too運動ともからめ、あれは興味深いトライだったと思う。
とはいえ、ひとまずこれにて旅ケルクは一旦〆です。読んでくださったみなさま、お疲れ様でした。


今回は抑えめにいったぜ....!!と思ってたお土産群。熊をお土産にしたのは初めてかも。

旅行3日目の移動)
ラッセルスクウェア→ヒースロー空港(地下鉄ピカデリー線)
ヒースロー空港→ドバイ空港→羽田空港(東京)

続・旅ケルクの記録3(ロンドン編3)@ダンケルク ロケ地・ゆかりの地を巡る旅

2018年12月29日 19時30分09秒 | ダンケルク
<旅行3日目>

舞台やステージドアで興奮冷めやらぬ時を過ごした次の日。
ホテルをチェックアウトして荷物を預けた私は、朝早くに地下鉄に乗ってRAF museumに向かっておりました。
前回し損ねたスピットファイアのコックピット体験をするためであり、前回の撮りこぼしを拾うためでもあります。別にコックピット体験を狙って再渡英したわけじゃないんですが(舞台の観劇のためだから)、でもやっぱり体験できるなら行きたい、ということで。
前回の記録(スピットファイア体験に嫌われた記録ともいう):旅ケルクの記録9(ロンドン編 その2)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

まあそんな訳で、I shall return的な捲土重来、えっちらおっちらと1時間かけて地下鉄に乗って博物館へ行きました。博物館の最寄のコリンデール駅を降りてから博物館へ着くまでのスムーズでしたわ、ええ(7月に行ったばっかりだから道を覚えてる)。




門を通って見慣れた?駐車場を横切り、まずは挨拶がわりにハリケーンを撮影。
そのまま流れるようにエントランス→荷物検査で、そのまま展示スペースへ突入。そしてスペース入ってからは、コーフンしながら展示物を見て回り、バッシバッシと撮影です。

1度往訪したことのあるエリアなのですが、コーフンしたせいで事前に考えた経路(見る順番)を忘れてしまったりして、あっちにいったりこっちにいったりする、残念無念なオタクになりながら撮影です。←動線がむちゃくちゃな感じに…(残念なオタク)。
ということで、効率重視の人が見たら怒髪天を衝きそうな動線で撮影した写真(の一部)は以下の通り。





やっぱり撮っちゃうスーパーマリーン スピットファイア。Come on Farrier, come on!


背中合わせの展示のスピットファイアとメッサーシュミット


スーパーマリーン スピットファイアMk1


また会ったね、なメッサーシュミット


前回取り損ねていたランカスター(すっごく大きい)。トルメキアの軍船(@風の谷のナウシカ)かな?と思うくらい。


チャペル。そういやHMSベルファスト号にもチャペルがあったなあと思い起こしながら。

そういえば。
BOBの展示で思い出していたのですが、BOBにおいてスピットファイアで空を駆けたのはイギリス人だけでなく、亡命ポーランド人らもいたんですよね。特に303中隊の活躍は映画にもなるくらいで(オリジナルタイトル:Hurricane, 邦題:バトル・オブ・ブリテン)。
博物館の中にはWWIIに限らずRAFの活躍した隊員のパネルがポコポコあちこちに立ってましたけど、彼らの姿は博物館のどこかにあったりしたのかね?(←私は見つけられてないけど、どこかにあるかもしれない。わからん)。
パネルを見ながらマンストンのSpitfire and Hurricane memorial museumで展示されていた、彼らが使用していた戦闘機のマシンガンの存在を思い出したりしました。


マンストンの博物館(Spitfire and Hurricane memorial museum)に展示されていた303中隊使用のマシンガン(戦闘機の装備品)←2018年7月に撮影

さておき。
目的の1つ(撮り逃しをカバーする)をクリアした私は、Spitfireのコックピット体験に申し込みました。10時に申し込んだ時点で2時間待ち。おおう、やっぱり人気。
そういうわけで、待ってる間にスバヤク食事をしたりグッズを買ったり、別のハンガーの展示物を見ていたりしつつ、思春期の学生のごとくソワソワと待機することに。


サンドイッチ+カフェラテ
芸がない私はランチにまたしてもサンドイッチとカフェラテを注文…(普段から外食しない人間だからね…、バラエティーというのが乏しくて…。美味しいんだけどね?!)。

この他にも、お土産売り場でスピットファイアのクッキー型を買ったり、2019年版の熊を買ったりと(ライフジャケットを着ていたのでファリアと命名)、ソワソワする時間を過ごした後、スピットファイアへ向かいました。係員のお姉さんの説明付きで15分間、ぞんぶんに味わうために。
実際には、お姉さんの巻き舌ちっくな英語も併せて楽しませてもらいましたよ。
「すぴっとふぁいあ まるく ふぁいぶぅ!(Spitfire Mk V)」←私にはこう聞こえた(英語難民)。



今からコックピットへ


コックピット全体(慌てていてキャノビーがとれてない、残念)




スロットルと油圧計(@ファリアー!!!!と脳内でひたすら涙する私)


そうそう、スタッフお姉さんの説明が聞いていてとても楽しかった。
お姉さんの「ダンケルク知ってる?ファリアっていうトム・ハーディーが演じたパイロットがとばしていた飛行機はもっと古いMK1ごろので」の説明には私も「Yes! I know well…(あっはっは、ええ、よくご存じです)」と元気よく答えたり。

この他にも、
スタッフのお姉さん(以下、ス)「(RAFに装備された)最初の頃はマシンガンにはこの弾丸を使ってたんだけど(小さ目の弾を見せつつ)、後になって威力の強いこの弾丸(何ミリだったか数字を忘れた)を使うようになったの。」
私「ははあ、なるほど。貫通できるものに改善されたんですね。」(なるほど、コリンズ、あの後は大丈夫だったのかなあ。BOBは生き残れたんだろうか。)
ス「Correct!!」

ス「Mk1の飛行時間は90分だった。ガスタンクが小さいから飛行距離が短いのが弱点だった。だんだん飛行距離が伸びていった。」
私「ああ、なるほど。そんなに飛ばなかったんですね。」(あ、それ、映画の冒頭にsky 1hrとあったやつ。)

ス「マンストンにも実際に使用されていたスピットファイアがあるので行ってみたらいいよ。」
私「へえ、わかった」(実は今年の夏に観に行きました)

と存分に楽しむことができました。
この他にも、(説明された)スピットファイアが飛び立つまでの手順の少なさと簡単さに驚いたりも。
ここのスイッチを押す、ここのスイッチを押す、ここのハンドルを引く、You can fly!って感じの説明でした。手順が3 stepsで、とても簡単なのにはビックリだ。←他にももっと気にするべきものはあるんでしょうが。

ところで。
スピットファイアのコックピットに座って思ったんですけど、イギリス人ってやっぱり背が高いし足が長い!ジャクロはより一層。
だってね、私が椅子に座ったら前が見えくい。そしてペダルに足は届いたけど、そんなに余裕しゃくしゃくでもなかった。コリンズ(@ダンケルク)を演じたジャクロ(身長185cmの脚長俳優)が「(スピットファイアの)コックピットが狭い」って言ってたのが蘇って「ぐぬぬぬ」と思いました…。


身長158㎝、胴長短足の悲哀を味わった悲しみ。黒く写ってるのは私の短い足です。

ということで、約15分のコックピット体験が終わったら、あとは荷物をひっつかんで駅まで猛ダッシュ。余韻に浸る間もなし。
何しろこの数時間後には飛行機にのって帰国しなけりゃならなかったので。極東のシャチクには時間がなかったんです、なにしろ有給2日しかとれなかったので(ロンドン滞在2泊3日)。

というわけで、地下鉄に飛び乗ってロンドン市街地に猛ダッシュで戻り、ホテルに預けた荷物をひっつかんでいざ、ヒースローへ。
地下鉄ピカデリー線で1時間ほど揺られた後は、飛行機にのって帰国です。


→帰国編へ

旅行3日目の移動)
ユーストン駅→コリンデール駅(地下鉄)
コリンデール駅⇔RAF museum(徒歩)
コリンデール駅→ユーストン駅(地下鉄)
ラッセルスクウェア駅→ヒースロー空港


Ref.)
1. リチャード・ハウ他(1994年)バトル・オブ・ブリテン―イギリスを守った空の決戦(河合 裕 翻訳)新潮社
2. エドワード・ビジョップ(1972年)栄光のバトル・オブ・ブリテン―英本土航空決戦(山本 親雄 翻訳)サンケイ出版


続・旅ケルクの記録2(ロンドン編2)@ダンケルク ロケ地・ゆかりの地を巡る旅

2018年12月20日 19時40分55秒 | ダンケルク
<ロンドン滞在2日目>

さて、リア充めいた旅行日程を送った次の日の朝、私は一人ノコノコとHMSベルファスト号を訪れておりました。一気にオタクな気配のする旅に早変わり。
朝早くにホテル近くの公園でリスがウロチョロしてるのを横目に見ながら、最寄駅であるロンドンブリッジへ向かいました。


ロンドンブリッジといつも間違えられているタワーブリッジ

ということで、ボルトン中佐の勤務風景を感じに、あるいはトミーたちがのってた船の空気を味わいに(毛布をとって~)HMSベルファスト号へ。
あらかじめon line予約で買っていたチケットを渡して、いざ入場です。





HMSベルファスト号は1939年に就役して第二次世界大戦や朝鮮戦争等を戦った後に63年引退したイギリス海軍の軽巡洋艦なのですが、今は帝国戦争博物館(IWM)の管理のもとに公開されております。

船は、ちょっとした低層ビルなみで、内部をじっくり観察するのは一苦労でした。
体力と集中力がががが(寄る年波…)。

これで「軽」巡洋艦なんてウソだろ?!などとブーブー文句を言いながら、あっちにこっちに船内を見て回りました。←ベルファスト号の仕様については本記事の下記にて。
パーツ1つずつは狭いんですけども(船だから)、それでもトータルとしてデッカイというか。軽巡洋艦でこれなら、巨大戦艦の内部とかが想像がつかなさすぎるくらいで。巨大戦艦の「大和」とか、船内で迷子になったり行方不明になったりした人はいなかったのかなあ。





大砲(どーん)。


おっかなびっくり、狭いし急なタラップを降りたり登ったり。
タラップ+タラップ、段差+段差で、眼がくらむやら何やら。なるほど軍人は体が資本とはこういう所に…などと妙に感心するやらで。




なんだか障害物競争をしてる気分になりながら、まずは一番下にあるエンジンルームへ突入。



ハリウッド映画的なイメージだと真っ先に(敵の攻撃によって)水が入って「あけてくれえええええ!」になるか、全速力で逃げるぞ!ってなる時に「(スピード出し過ぎで)エンジンが燃える!」とかになってるイメージがあるんですが。←貧困な脳みその発想



ちなみに、ここの感想ですが、臭い、狭い、暗い。換気システムどうなってるのか?くらいしかありませんでした…。
.....申し訳ない。
エンジンに詳しければ、あるいはミリタリーに詳しければもっと別の感想や視点が持ててたかもしれませんが、私の感想メモにはこれしかなかったです…。←豚に真珠
長崎にいた時には、ドッグに留まってた海自のイージス艦や、建造中の豪華客船を見る機会も多かったですが、あれらの船もこんな感じの臭いだったりするのかなあくらいの感想しか...。

さておき。
エンジンルームの臭いに悶絶した後は、手術室、歯医者、懲罰房、歓談するスペース等へ移動です。


手術ルーム(わくわく)


歯を削る効果音と野太い悲鳴の効果音付きで展示されてた歯科治療の展示(わくわく)


ボルトン中佐がいそうな空間。若い頃のボルトン中佐もこうやってトランプしてたんでしょうかね?




ご飯の匂いがしてきそうな美味しそうな展示。


懲罰房

この他にも、購買部みたいな部署もあったり、チャペルがあったり。爆弾もあったりする船なのに(海軍の船だから当たり前なんだけど)、ここで見えているスペースがあまりにも日常的すぎて驚きます。まあ、軍船で生活するってこういうことなんでしょうかね。
(船にはカフェも営業されており、パンの匂いやコーヒーの匂いが漂い、余計に食欲をそそられます。本当に展示スペースでパン焼いてるのかと思った..。)




さて。
船内の展示を満喫したオタクが甲板へ出ていくと、「ダンケルク」(映画)でみたことあるような装備に遭遇。
劇中で、ドイツ空軍の飛行機を撃ちおとそうと、海軍の兵士がバカスカ撃ってた対空砲です。


Anti- aircraft gun(対空砲)。
飛行機へ撃つとして、その命中率ってどれくらいだったんでしょうかね?ちょろちょろ動いてる飛行機には当たらなそうな感じなんですけど、イメージとして。高速で動くものの移動先を予想して撃つのって難しそう。

対空砲をじっとりと見た後は、キャプテンがいたスペースへ。


キャプテンの椅子(堅そうだし、おしりには優しくなさそう)

キャプテンといえば、ムーンストーン号のモデルとなったサンダウナー号のオーナーにしてキャプテン、ライトラーさんは退役海軍中佐だったけど、ドーソンさんも退役中佐なのかしら。
ムーンストーン号出航前にドーソン一家が持ってた旗、青地の旗でしたよね。ってことはやっぱり、ドーソンさんはタダのシビリアンでもないし老人でもなかった説。
以下、Wikipediaのブルー・エンサインより抜粋

【無地のブルー・エンサイン】
1864年のイギリス海軍の再編前は、無地のブルー・エンサインは海軍の三個艦隊のうちの一つ「青色艦隊(the Blue Squadron)」に使われていた。1864年に枢密院令にて、レッド・エンサインは商船に、ブルー・エンサインは政府船もしくは海軍予備役船に、ホワイト・エンサインが海軍に割り当てられた。
そのため1864年以降は、民間船でも下記の条件を満たすものだけが、レッド・エンサインではなく、無地のブルー・エンサインを使用することができる。一つ目は海軍軍人(現役・退役を問わない)が船長及び一定人数の船員に含まれている商船。二つ目は、長い歴史を持つイギリスのヨットクラブに所属するヨット。後者に関しては、第一次世界大戦と第二次世界大戦の最中はそれぞれ許可が中断された。

ってことで、やっぱりドーソンさんはライトラーさんのように海軍に属してた人ってことでFinal answer…なんですかね(一定人数って、劇中ではドーソンさん1人しかいないやん…1人でええんかい、という疑問もあるが)

(閑話休題)

ということで、ドーソンさんのあれやこれやに想いを馳せつつ、オタクは艦長の席に座って、のほほーんと景色を眺めてみることに(座ってみたら、やっぱり尻に優しくない仕様だった。かたい)。


艦長の席に座って見えた風景。

浮かんできた感想は「車幅が解りにくいなあ、ぜったい車庫?とかに擦れそう」くらいしか出てこなかったですけども(車の運転と一緒にしてはいけません)。←豚に真珠な感想2

いわゆる名艦長と言われる人たちの感覚ってどんな感じなんでしょうかね?相手方の船だけでなく、飛行機も潜水艦も相手にしなきゃならなかったりしたら、情報処理が早くなければやっていかれなかったのでは。味方の配置も意識しないとダメだろうし。
そういえば、ボルトン中佐のモデルと思しき、ダンケルクのジョーこと、テナント大佐はダンケルク撤退戦の後に巡洋戦艦レパルスの艦長となりマレー沖海戦で日本軍と戦い、そこで繰り出された魚雷を回避しまくったとのことですが、彼の頭の中ってどうなってたんだろう。(マレー沖海戦でレパルスは沈没するも、テナント大佐は無事に退艦。その後提督となり、ノルマンディー作戦に参加。後に海軍大将。)。

ベルファスト号を降りた後は売店でガイドブックを買ったり休憩したり。
ちなみにベルファスト号のグッズ売り場にはジャクロの舞台を観に来た日本人のダンケルク民の方がいて…実は前日に劇場前でちらりとお目にかかっていた人たちだったのですが、その方々と遭遇するビックリな偶然も(ダ民同士であれば必然の出会い?)。

(閑話休題)

また一方で、船を回りながら、父方と母方の祖父に思いをのんきに馳せたりしておりました(うちの祖父は父方と母方も過去に海軍に所属しておりまして)。特に、母方の祖父兄弟は、「俺らは税金で太平洋1周旅行をした」と言ってましたが、一体どんな船に乗っていたのやら。もっとも、(母方の)祖父は(中国での戦闘に対する)戦勝記念勲章をもらった後に南方戦線へ送られ、ラバウルでサバイバル活動をすることになるのですが(ヤシの葉っぱで服をつくるマンと化す)。


さておき。
その後は、劇場の近くの売店で買った珈琲やお寿司(弁当)をつまみつつ開場までの時間をつぶし、またジャクロの舞台、尺には尺を(Measure for Measure)を2回ほど観劇(感想は別記事)。ジャクロとツーショットしたりハグをもらってアワアワ+コーフンした夜を過ごしたのでした。ハゲが治りそうな効用でした…(←ストレスでハゲが出来てた人)。


さて。
興奮した次の朝、またしてもダンケルク的要素の強い所へ私は出かけて行きました。
Royal Air Force museum。
前回(2018年8月14日付日記:旅ケルクの記録9(ロンドン編 その2)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅)行ったときに振られた、スピットファイアのコックピット体験をしに再訪です。
I shall return的な博物館の再訪については、次の記事にて。


→イギリス王立空軍博物館へ続く

<HMSベルファスト号の概要>
製造:ハートランド&ウルフ造船所
タイプ:軽巡洋艦
全長:613フィート6インチ
幅:69フィート
吃水:19フィート19インチ
排水量:11,553トン
スピード:32ノット
起工:1936年
進水:1938年3月18日(聖パトリックデイ)
就役年:1939年
引退:1963年


2日目の移動)
ラッセルスクウェア→ロンドンブリッジ(地下鉄)
ロンドンブリッジ→コベントガーデン(地下鉄)
コベントガーデン→ドンマー劇場(徒歩)
ドンマー劇場→ホルボーン駅(バス停);徒歩
ホルボーン駅(バス停)→ラッセルスクウェア(バス)



Ref.)
1. HMSベルファスト号公式HP (IWM HMS Belfast) <https://www.iwm.org.uk/visits/hms-belfast> (参照2018-05-03)
2. 帝国戦争博物館(Imperial war museums) (2018)『HMS Belfast Guide Book』
3. Wikipedia「マレー沖海戦」(参照2018-12-12)
4. Military factory HMS Belfast (C35)<https://www.militaryfactory.com/ships/detail.asp?ship_id=HMS-Belfast-C35> (参照2018-08-07)
5. Historic Naval Ships Association <http://www.hnsa.org/>(参照2018-08-07)
6. Wikipedia「HMSベルファスト号」(参照2018-12-12)

続・旅ケルクの記録1(ロンドン編1)@ダンケルク ロケ地・ゆかりの地を巡る旅

2018年12月18日 03時31分22秒 | ダンケルク
10月にジャクロの舞台(Measure for Measure/尺には尺を@ドンマー劇場)を観にロンドンへ渡った私ですが(安い航空券での弾丸旅行)、隙間をぬってダンケルクに関連する所へ足を運びました。
舞台の感想と別に分けたかったので、舞台の感想以外のものは旅ケルクの続編として作成いたします。なんでロンドンへ行くことになったのかは、こっちの記事を参照くださいませ…。→2018年5月29日付「ジャクロ(の舞台)のためにイギリスへ@チケット予約編


今回も一緒に旅をすることになった熊ファリア。密航のようになってる。

<ロンドン到着初日>
さて。
ドバイを経由する、いわゆる南回りのフライトチケット(安いが時間がかかるルート)を手にした私は、日本を22時に出発し、次の日の13時頃にイギリスについておりました。
さすがは南回り、とにかく時間がかかるかかる。
ご飯は美味しいんですよ、機内エンタメも充実していて。ただ時間がかかるだけで。22時間くらい(しんどい)。
お蔭で帰国する頃には機内エンタメに収載されてたマーベルシリーズをほぼほぼ観終えてました(時差ボケ防止もかねて)。アイアンマン、キャプテンアメリカ、ブラックパンサー、GoG、アベンジャーズなどなど。友人がアベンジャーズの新作をみて「うう、きえた…!!」と悲痛なコメントをこぼしてた理由が解る程度には観まくってましたよ、あっはっは。


結構おいしかった機内食

ヒースロー空港についた時には、足はむくむし、もともとの体調不良が悪化してお腹が緩いポンポンペインな状態でかなりキビシイ状態でした。が、ロンドンについた途端に元気になってしまいまして、ポンポンペインもどこへやら(正露丸がきいたのかしら)。ホテルに着いた私は、ついた早々に荷ほどきをして着替え、散歩→大英博物館でウロウロ+博物館のカフェでお茶→観劇(1回目)をかましたのでした。
やあ、たのしいー!(←ばか)



モアイ像(「(モアイに)乳首があったんだ!もあい!ちくび!」と叫んでた。←不審者)




ハリポタ!ハリポタだ!と叫んだチェス盤


ウルの石板!山川の教科書だ!資料集だ!と叫んでた。←理系だが世界史好き。許されるなら考古学を学びたかった。


博物館のカフェで一休み(ピラミッド型のケーキはお腹の調子が悪くて断念)







ドンマー劇場(座席数251の小さな劇場)
Measure for measureの舞台+その後のステージドアも含めて夜公演をたっぷり満喫するの巻。


7月のダンケルク旅をした時とは一転して、いわゆる「るるぶ」や「ことりっぷ」にも載っていそうな一般的な観光コース。大英博物館にいってお茶して、好きな俳優さんが出演するお芝居を呑気に満喫しておりました。芝居を観た後にホテルに帰れたのは夜中の23時を過ぎておりましたが(ステージドアでサインをもらったりしてたら遅くなった)、1日をめいいっぱい楽しんだ充実した時間でした。案外、ロンドンも危なくなかったし(当たり前だが、場所と時間等による。過剰にビビる心配はなかったの意味でよろしくです)。

ここまでダンケルク的オタ要素nothing。
ホテルに帰ってぐーすか寝て次に備えます。次の日はHMSベルファスト号の内部見学+舞台鑑賞(ジャクロの舞台をまた観る。しつこい。)です。

→2日目に続く


初日の移動)
成田空港→ドバイ空港→ヒースロー空港(南回り)
ヒースロー空港→ラッセルスクウェア(地下鉄ピカデリー線)
ラッセルスクウェア→大英博物館→ドンマー劇場(ソーホー);徒歩
ドンマー劇場→ホルボーン駅(バス停);徒歩
ホルボーン駅→ラッセルスクウェア;バス(68 Euston行き)



薄い本を作るの巻@ダンケルク

2018年10月27日 14時48分42秒 | ダンケルク
ダンケルクの旅の記録を本にしてみようかと思ってます。ほぼほぼ、本人の記録のためですが。
冬コミに受かれば冬コミにだします(予定は未定)。受からなければ、しれっと身内に配っておわります。
内容は、ブログの記事プラスアルファをベースに、遠足のしおりのように作る予定です。
乞うご期待?
←wordでちまちま頑張ります^_^


サンプル(とちゅう)