鳥の巣頭の世迷い言

読書音楽観劇、ハゲタカ廃人、そしてアラシックライフをエンジョイしている三十路のお気楽会社員・ガバ鳥のblog

嵐オタ的宮城めぐり@女川~石巻 その2

2015年11月03日 04時05分17秒 | アラシックなロケ地巡り
もはや誰がこんなレポートを読むのかと思うのですが、このブログのそもそもが備忘録として初めたものですから、まあご容赦あれ。
女川からの続きになります。

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女川駅のゆぽっぽで時間を気にしつつ汗を流したワタクシ、セカセカと電車に乗り込み石巻へ向かいました。
朝きた道を戻りつつ、海沿いに見えるもの、陸沿いに見えるもの、それぞれの景色を目に焼き付けつつ。
これからどんな風な景色になっていくのかは解りませんが、現地の方々の現在と未来になるべくアジャスト+発展させていけるような風景になれば良いなと祈りつつ。






さて、そんなこんなで石巻に到着。
仮面ライダーやサイボーグ009をカメラに収めつつ(正直、私、あまり詳しくないためこれらについては何ともコメントできず…)、駅前を軽く散策してみました。






駅前の建物は整然と並んでおり、ここで災害が起こって沢山の死者も出たのだということをスッカリ忘れてしまいそうになりそうでした。
ただ、少し歩いた所にある街燈の柱には、浸水した高さを示したプレートが貼付されており、ここが被災地であることを私のようなオタにも思い出させてくれるのでした。






一通り駅の周りを散策したらば、ワタクシ、大野さんがネコの島で、松潤が海辺の工場でそれぞれロケをしているようだとのうわさ情報をツイッター経由で聞きつつも、バスに乗って正反対の方向の内陸部へ進んで行きました。

向かったのは石巻赤十字病院。
ご存知の通り、震災時において石巻市周辺の病院機能のほとんど全てを担った病院です。
翔さんも、ZEROで訪れております。


(wikiより一部抜粋;なお、石巻赤十字病院の救護チームの活動については、同病院のサイトに詳しい記載がある)
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震、またそれに伴う津波の影響で、石巻市は甚大な被害が出た。発災と同時に、石巻赤十字病院は災害拠点病院として予め用意してあったマニュアルに従い、全職員が配置につきトリアージと治療の準備を完了。多くの救急患者が運び込まれ、最大で震災2日後には1日1251人もの急患が運び込まれた。

本来、石巻市では地震などの災害時、市内116の医療機関が連携して対応するはずであったが、大津波の影響により、旧北上川河口にあった石巻市立病院をはじめとしたほぼ全ての医療機関が機能停止。大津波の到達もなく、また、災害拠点病院として、自家発電や緊急時の水などを備えた石巻赤十字病院が石巻都市圏20万人を一手に背負うことになった。全国から120人ほどの医師が石巻赤十字病院に応援に駆けつけ、当院職員と共に対応に当たった。





翔さんは、震災1カ月後の4月に石巻を訪れています。
当時は飛行機が使えず、山形でおにぎりを買って宮城まで行ったと、山崎 元ZEROプロデューサーがコメントをしています(情文ホールのNews Zeroの公開セミナーにて;2012年7月)。
病院の前に張られていた沢山のテント、瓦礫の中に立つ翔さんは忘れることのできない風景です。

私が書いた同セミナーについてのレポートより一部抜粋(2012年7月10日;(公開セミナーのレポート2;製作者に聞く!番組制作の現場から NEWS ZERO)より)
八木さん⇒櫻井さんはいち早く被災地に行きました。震災の1ヶ月後(4月11日)には村尾さんと石巻に向かっています。
山崎P⇒新幹線が動かなくて。山形空港から石巻へ移動しました。まだ避難所も機能していない時で。山形で事前に準備して…おにぎり1,2個だけ食べて(被災地へ)行きましたね。





あの時の病院は今はどうなっているのか、今までどうしてきたのか。
(なんとなく)確かめたくて、行ってきました。
<勿論、遠目ですよー。患者さんやスタッフ以外の立ち入りは駄目だから。






当たり前の話ですが、「何もなかった」。




さて、
ひとりしきり、ボンヤリした後は、すばやくバスに乗り込み石巻駅へ行き、物産センターでお土産を購入しました。
大野さんがロケで行ったというネコの島に因んだお土産も欲しいなと思ったのですが、あいにく鰹節入りのクッキーしか見当たらず、これについては断念することに(さすがに買って食べる勇気がががが。)。
代わりに、ネコのみみかきカリントウと金華醤油を購入し、私は帰路につきました。







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こうして、駆け足の女川~石巻巡りは終わりました。
ロケ地巡りというには、正確性に欠けるところもあるツアーだったとも思うのですが、まあ、私的には満足してます。
現地に着いてから、もっと他にも行きたい所が出てきたのですが、それは次の機会に取っておこうとも思いました。

周知のように、東日本大震災の被害規模は大きく、10年20年単位での時間を必要とするものです。
1995年に起きた阪神淡路大震災の土地の区画整理ですら、2011年3月に終わったのですから。
時間、人、お金とが長いスパンで必要となってくるのだろうなと。
だからこそ、1回の往訪で終わるのでなく、もっと繰り返し足を運びたいなと思ったので。

東北(被災地)への旅に対するモチベーションをくれた嵐さんに感謝しつつ次の日のライブに備えたオタでしたとさ。






Ref)
石巻赤十字病院公式ページ

石巻赤十字病院(wiki)

石巻赤十字病院の100日間
著者名:由井 りょう子, 石巻赤十字病院

東日本大震災 石巻災害医療の全記録
著者名:石井 正

拙ブログ(2012年7月10日の記事)
公開セミナーのレポート2;製作者に聞く!番組制作の現場から NEWS ZERO

嵐オタ的宮城めぐり@女川~石巻 その1

2015年10月23日 23時31分33秒 | アラシックなロケ地巡り
やあやあ皆さま、こんにちは。
Blastライブレポートを書く前にJaponismライブツアー突入しそうな勢いの毎日に翻弄されているガバ鳥です。
(需要なんかないじゃん、、、という現実には目を瞑る。)


さておき、標題の件です。
幸運なことに、私はArashi Blast in Myagiライブに参戦する機会をもらい、9月19日~23日の宮城に滞在することができました。
19-23日のうち、21日は休演日だったため、宮城の女川~石巻に足をのばして嵐オタ的宮城めぐりをすることに。

大野さんが特別番組・明日へかける旅(NHK)で廻った所であり、翔さんがZEROの取材で訪れた所である女川町。
翔さんがNEWS ZEROの取材で訪れた所である石巻市。

BLASTで宮城を訪れる機会があったなら、必ず行こうと思っていた2つの町に行ってきました。

正直、被災地を嵐のロケ地として巡るなんて…と思ったのも事実。
しかし、東北地方に縁故がない私にとっては、嵐メンバーが巡った所が縁のある所でもあったので。

「被災地を忘れないで」
「(被災地に)直接足を運んで欲しい」

上記のようなメッセージは繰り返し聞いていたものの、私はナカナカ足を運ぶことは出来ませんでした。
正直、怖かったのもある。
しかし嵐のライブで宮城に行くということがドライブとなり、ようやく私は、震災から約4年たって、被災地へ行くことが出来たと思っています。
そういう意味では、オタで良かった、、、と思ったりして。←オタク的POSITIVE発想

さてさて。
そんなこんなのオタ女な私が、ライブの中休みである21日、朝も早くからJR仙石線を使って最初に訪れたのは女川町。
ご当地ヒーロー・イーガーがいる所であり、NHKドラマ・ラジオの舞台であり、元NHK PR1号(現 麻生鴨)さんと縁の深い街でもあります。
そんな町に、電車を乗り継ぎつつ一人で向かいました。





仙石線は文字通り、仙台と石巻を結ぶ線路であります。途中で松島海岸を経由することもあり、電車の中から見える美しい三陸海岸を見ながら電車で1時間ちょい、ガタゴトと揺られていきます。







女川は石巻よりも、さらに北側に位置する町です。石巻駅で電車を乗り換え、女川へ向かいます。
石巻は漫画家・石ノ森章太郎さんに馴染みのある町ということで、様々なモニュメントやイラストが駅を飾っていました。





三陸海岸沿いを電車で北上して女川駅に到着したのは、お昼間近の時間帯でした。
出来たばかりの駅舎が綺麗でした。
そして、東京を出発する前に、櫻井さんがZEROで伝えていた駅の様子を見返していただけに、強烈なまでの光を感じました。
それはまた、4年という歳月と女川の方々や関係者方々の尽力を感じた瞬間でもありました。






さて。
ライブ参戦で被災地を訪れたお気楽なオタ(私)は、空いた小腹を、駅前で売られていた「さんまタイ焼き」という謎?のおやつで満たしつつ、希望のかね商店街へ徒歩で向かいました。
イーガーのグッズを売っているお店がある商店街であります。
(町内巡回バスで向かう予定でしたが、数分違いで乗り損ねるという悲劇で徒歩でいくことに…orz)





駅から少し離れた高台の場所にある商店街にいくのに比較的大きな道路(2車線)をひたすら歩いて行きましたが、なにぶん、津波で流された影響もあり、建物がない(本当にない)、道路が途中でなくなる、という状態。
持っていたiphoneの地図が役に立たなかったため、あちこちに点在していた工事現場の警備員さんに道を尋ねることになりました。






そしてそれは、ひっきりなしに続く工事の音と舞ってくる土埃と共に、「現在進行形」という言葉が肌で感じられた瞬間でもありました。
復興であり新生でもある町作りという長い長い道のりを、東北の小さな自治体(人口6,930人:2015年9月30日現在)が歩んでいくのだなあと。



(女川は流されたのではない。新しい女川に生まれ変わるんだ。という言葉が見える。)

さてさて。
若干の心細さを感じつつ、たどり着いた希望のかね商店街で、ワタクシ、うっかりイーガーのクリアファイルとワカメのふりかけ、サンマのポストイットを買いました。
(女川はサンマが有名なんですねえ、どうりで、さんまタイ焼きなる謎?のネーミングの食べ物が出現する訳です…。)
これを見た瞬間に、大野さんが好きそうだな、櫻井さんが面白がりそうだな、と思いました。
ああ、オタク。。。
(彼らが、また訪れる機会があることを祈ってます、心から。)







すばやく買い物が済んだらば、海鮮料理には目もくれず?(うそうそ、目から血が出そうだった、未練で)、ワタクシ、お風呂に入りました。
女川駅の駅舎内にある温泉で、名前を「ゆぽっぽ」といいます。
出来たばかりの綺麗な浴場でリーズナブルな値段(大人500円)だったので、もし今後、女川を訪れる方にはお勧めの場所です。
女川の観光案内パンフレットの中にも記載があったから、知ってる人も多いことでしょう。
そこで土埃と汗(ついでにメイクも…やっちまっただー…orz)を洗い流してしまい、さわやかな気分で電車に乗り、次の目的地である石巻に向かいました。


これについては、その2へ。


Ref)
女川町公式ホームページ⇒
女川温泉ゆぽっぽホームページ⇒

モダンアートの旅+茶室@ホテルオークラ東京

2015年06月30日 21時22分39秒 | アラシックなロケ地巡り
今更ながらのレポートになりますが。

2015年6月某日(平日)、建て替えが始まる前にと、わたくしうっかり、またしてもホテルオークラにいってまいりました(前回は翔さんの?フレンチトーストを食べに行ってましたんw⇒モダンアートの旅+フレンチトースト@ホテルオークラ東京)。









今回は、茶室にいってまいりました。
そうです、翔さんがCasa Brutusuの取材で訪れた茶室でございます。

茶室で茶菓子をいただくため、「うっかり」平日にお休みを頂き(いえいえ、ちゃんと休日出勤した代休としてですな)、行ってまいりました。
オークラを訪れるのは2度めです。
1度目はオーキッドルームでフレンチトーストを頂きに(これもCasa Brutusの翔さんつながりで…笑)、そして2度めは茶室でお茶を頂きに。

相変わらず解りにくい場所にあるホテルを探し(もータクシーで行けよとしか)、時間ぎりぎりに茶室に滑りこみました。
若干、係の人にせかされながら?、外国からの客人にまじって(というより日本人客が私1人だけでした)、お茶席開始でございます。

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茶室の意匠や雰囲気などは、素晴らしいものでした。
そして庭も。
ホテルオークラのロビーは、オーナーと建築士の美意識の戦いであるとの情報を得ておりましたが、それと同じ流れ?を感じることが出来たというか...。


また、ホテルの室内で炭を使用するのは消防法でNGとのことで、炭が使用できる「室外」にするために様々な工夫を建築段階でしたなど、興味深い話を係員の方からきくこともできました。
<窯に使用する炭


値段も1500円(1人分;相席)でリーズナブルであり、十分に満足できるものでした。
平日のみの営業でしたが、建て替わった後のオークラでも、また味わってみたいと思いました。

にしてもですね、正直、ホテルオークラに自ら足を踏み入れる時があろうとは思いもよりませんでしたよ。
(正直、仕事の接待や結婚式程度でしか縁がないだろうと思っていたので)

またしても、嵐(翔さん)のおかげで世界がまた広がった瞬間でもありました。
お陰で良いものを拝見出来ましたよー。


多謝!


Ref)
鳥の巣頭の世迷言(2015年4月20日)
モダンアートの旅+フレンチトースト@ホテルオークラ東京

大人の遠足@横浜

2015年05月24日 17時24分50秒 | アラシックなロケ地巡り
5月某日、ワタクシ、大人の遠足に行ってまいっておりました。
行き先は横浜市、キリン横浜工場+博多屋台村 天神(横浜西口店)。

キリン工場は、まんま、嵐がCMをしていることから+ビール飲みたいから+工場見学してみたいから。
博多屋台村 天神は、ピカハフのロケ地だから(2015年12月現在、お店は移転されたとのこと)。

両方とも横浜市にあることから、ちょっとした遠足に嵐オタ仲間といってまいりました(うしし)。


++

生麦地区にあるキリン工場。
とにかく大きいです。
やっぱり大きな需要がある産業プラントは他のものとは桁が違うんだなあとシミジミ思いました。
見学ツアーは時間毎にグループをつくってガイドさん付きで回るのですが、同じグループには嵐オタももれなくいらっしゃり(コンバッグもってたりしてたし)、いやはや、どこにでもオタはいるぜと感心したり(←お前もな!)。





ツアーの最後には無料試飲コーナー(3杯まで)もあり、出来立ての「横浜つくり」ビールを飲むこともできました。
これがまた美味しくて、無料なのが信じられないくらいには充実してましたw
(この後、同じ缶ビールを飲む機会があったが、風味が全然違うことに驚いた。本当に、ちがう。)




+++

横浜工場でビールを飲み、ご機嫌な酔っ払いと化したワレワレですが、そのまま屋台村へ移動しました。
ピカダブの中では「北の家族」だった居酒屋さんへ。





上映会場で見た、あの時の雰囲気をまた味わうことが出来ました。
同じテーブルを予約してね、同じメニューを頂きましたのよ、奥さん!←だれだお前は
(私は大野さんと同じ席で頂きました!)




メニューは以下の通り。

・冷ややっこ
・焼き鳥盛り合わせ
・枝豆
・蒸し鶏サラダ
・イカの丸干し
・餃子










というわけで、横浜遠足はビールで始まりビールで〆ました。
お店は、博多というお店の名前の通り、九州のメニューもあったりして、長崎に住んでいた私としてはちょっと懐かしいものだったりして。

そしてね、キリン株式会社も元々、長崎に所縁のあるものですからね、ちょっとしたノスタルジーを味わいましたよ。
<長崎在住だったトーマス・グラバー(グラバー邸でおなじみの幕末期に日本で活躍したスコットランド人の商人)はキリンビールの前身である「ジャパン・ブルワリ・カンパニー」(日本醸造会社)の設立に関与している。

機会があれば、また訪れてみたい所です。

モダンアートの旅+フレンチトースト@ホテルオークラ東京

2015年04月20日 23時14分19秒 | アラシックなロケ地巡り


4月某日、Casa Brutusで翔さんが訪れたホテルオークラ東京へ行って参りました。
狙いは、翔さんが味わったオーキッドルームのフレンチトースト。
勿論、翔さんはオークラに態々フレンチトーストのみを味わいに来た訳じゃなので、エントランスの作りや家具も含めてじっくり味わって参りましたが。
(茶室は今回は味わえず。残念。)






それにしても、東京のオークラホテルに入ったのは初めてだったのですが、そこかしこに施工主と設計者の拘りを感じてしまいました。
ピリピリするものがあるのです。
建築主の大倉喜七郎はホテル設計に関して谷口吉郎に平家納経模本を見せ、「藤原期の雅を建築によって再現せよ」と難題を出したとのことで、建築を介しての美意識のバトルがあったのかしらん?と思ったりもして(ref; 1)。




椅子とテーブルのデザインは長大作だそうだけど、カッコ良かったな。家にあったら素敵だなと思いましたもんね、身の程知らずにも。


さて、肝心のフレンチトーストですが、さすがはオークラのフレンチトースト!と思うくらい美味しかったです。フレンチトーストセットの値段はサービス料金含めて4100円という脅威の値段でもありましたが、これは一生に一回味わっても良いよねとか思いました。
(因みに我らが翔さんは、フレンチトーストは家族でよく食べにきてたそうで、くうううう!と感じた次第でございます。)



外はカリッと中はふんわりでホックリ。フルーツも美味しい。美味ー!でございました。
カトラリーも完璧。欠けた所がないというか。
(結構、端っこの欠けたお皿をだしたり、シルバーの曇ったりしてるのを出すお高いお店も多いから)

モダンアートの建物としても素晴らしく、サービスも素晴らしい、スンゴイスンゴイを連発してホテルオークラを後にしたガバ鳥でございました。

次は茶室に行く予定ですが、これも楽しみです。

Ref1) 建築家さんから見たホテルオークラ東京についての興味深いブログ記事はこちら←