鳥の巣頭の世迷い言

読書音楽観劇、ハゲタカ廃人、そしてアラシックライフをエンジョイしている三十路のお気楽会社員・ガバ鳥のblog

タバ作戦的足跡めぐり@シン・ゴジラロケ地

2016年10月30日 02時34分10秒 | シン・ゴジラ
シン・ゴジラは主に東京を中心物語が展開される映画です。
よって、ロケ撮影の多くが東京もしくは東京近郊の都市で行なわれています。
蒲田しかり、立川しかり。

ということで、シンゴジのにわかオタと化した私は東京在住の地の利を生かし、アチコチと隙あらばロケ地、あるいは舞台を巡っております。
そのロケ地・舞台めぐりのレポートを揚げたいと思います。
今回のレポート第1弾は、タバ作戦の前線指揮所が置かれた、多摩川浅間神社です。

場所は東京と神奈川の境となる多摩川の河川敷の近くです。
神社の入り口に立つと、そこからすぐ近くに丸子橋があります。例の、ゴジラがぶっ飛ばした橋です。
ゴジラが橋を破壊した後に、神社に設置された前線指揮所は機能不全に陥りますが、さもありなんと思える至近距離です。




鳥居をくぐって神社の敷地に入ると、目に着くのが赤い欄干の展望台です(やや広い)。
ここから、タバ作戦の展開地域を一望することができます。
ここに立っていると、武蔵小杉のビル群からゴジラが歩いている様を見ることができる...気がしてきます。

  



また、境内には、シンゴジ的に見覚えのある階段もあります。
「本当に実践が始まるんですね。(ニュアンス)」と言った新人?の自衛官に対して「訓練通りにすればいい。(ニュアンス)」とベテランの自衛官が応えた所です。




この神社から歩いて数分(5分もかからない)のところに、丸子橋があります。F2にJDAMで爆撃されてもなお健在だったゴジラが思いっきり蹴り飛ばした?橋です。
河川敷に降りられるので、下から橋を見上げることが出来ます。なので、橋をぶっとばした後のゴジラがノッシノッシと東京方面へ歩いて行く様を隊員らが間近から見上げるシーンがありましたが、それを身近に感じることが出来るスポットです。




因みに、東京側の河川敷は戦車を置けるようなスペースがないように見えたのですが、どっち側(東京側 or 神奈川側)の川岸に戦車が配置されたのかを私が忘れてしまいました...ので、これについては後日の宿題で...。
(GCで描かれてるんだから、そんなん無意味!とかは解ってるんだ!!)




ということで、タバ作戦のロケ地を巡る旅はひとまず終了いたしました。
神奈川県側に行ったら、もっと面白いことが分るのかもしれませんが、それはまたの機会ということで。







多摩川浅間神社のHP⇒
最寄駅:多摩川

彼が笑う理由@シン・ゴジラ感想

2016年10月29日 23時10分27秒 | シン・ゴジラ
映画「シン・ゴジラ」に登場する赤坂さん(赤坂秀樹:首相補佐官、後に官房長官代理)は劇中で、数少ない「大人」な人物として描かれ登場します。彼の視点はぶれず論理的であり、物語における彼の視点は「現実的な視点」あるいは「正しい視点」ともいえると思います。
さて、その赤坂さんですが、会議中にしばしば笑っている所が目撃されています。
総理レクの時や閣僚会議の時などです。

私などは、どうして笑ってるのかと疑問に思います。
劇中の赤坂さんは、結構気配りができる人として描かれているようだからです。決して、人を面向かって小馬鹿にするようなことはしないような。
だから、どうして笑うのか、少し疑問に思っていました。
みんなが真剣に会議をしている中で笑う行為(斜に構えるような態度にも見える)は、敵を作る危険な行為だと思うので…(個人的には)。

特に印象的に残ったのは、会議の席上で「だからこそ、自衛隊で(ゴジラを)駆除すべきじゃないか!」と声を荒げる想定外を連発する金森防災特命担当大臣に対して、「今は避難を優先すべきです!」と花森防衛大臣が発言しているところです。
この2人のやり取りの後ろ?で、赤坂さんが少し笑っているシーンです。

この理由…を鳥の巣的脳みそで考える限り。
普段の行動から推察されている人となりと、非常時に出てくる人となり(非常時に現れるものこそが本性ともいう人もいますが)とが随分違うなーと思って笑った可能性も捨てきれないなと。
勿論、会議は踊る…とまでは行かないものの、滑稽だなーと思ったのかもしれませんが。
(でも、そうだとすると、外務省出身の赤坂さんがそれを思うのはちょっとアレかなーとか思いますが。)

もしかして、花森大臣は普段はイケイケ押せ押せの好戦的な防衛大臣だったこともあるのではないかな?と。
いつもは、例えば某国でミサイルの実験があった場合とかは「遺憾に思う」のコメントよりも、「我が国も準備がある!」くらいのコメントを出しそうな威勢の良い大臣だったのではないかと。
ゴジラの襲来があった時、もしかしたら赤坂さんは、(総理大臣による布告の宣言を行う判断を下す前に)「防衛大臣自らが防衛大臣の権限で発動できる自衛隊の武力行使命令を出すんじゃないのか?」と思っていたのでは?
いつもの花森大臣なら「やりそうだ」と。
しかし、実際にゴジラが登場して自衛隊の対応がいざ必要になると、花森大臣は周りの予想に反して、意外と冷静な対応をとっていた。
総理が布告の宣言をする判断を待ったり(自身の保身もあるかもしれないが)、制服組に対しても以外と冷静だった。本省に検討の時間を頂きたいと言ったり、財前統幕長への態度も冷静だった。

逆に好戦的(勢いが良かった)だったのは、想定外大臣の方で。彼は最初から魚雷とかで吹き飛ばせ!と言っていましたし。彼は威勢だけは良い大臣として描かれていた。

両者の態度の違いは、銀河英雄伝説(田中芳樹 原作)に登場するヤン・ウェンリーが言っていた「戦場から遠ざかるほど人は好戦的になる」に象徴される出来事だなあと思います。

有事が起こった際に人の本性が出てくるとは言うが、まだまだ自分からうかがい知れない一面をもっているものなんだな…と思って赤坂さんはおかしくなって笑ってたのかなーとか、思う次第。


そういえば。
里見さんが器の大きい人物であることが分かった時、ああ、本当に人は分らないものだな、と思いました。
派閥間のアレコレと年功序列で農林水産大臣になった人だと志村秘書官にまで言われる里見さん(総理大臣(臨時))が、結局はすべての責任をとり、矢口たちが好きにできるように全面的にバックアップして後始末まで引き受けてくれた…というのは、ナカナカにくい爺さんっぷり、もとい、演出だなと思うのです。まさに「腹の内の読めないお方(by 泉修一)」だったという。
赤坂さんに対してすらも、「大人」でいることが出来る人でした。
(里見さんは、庵野総監督が言っていたシンゴジラの中に登場する「3人の大人」のうちの一人なのでは…?と私は勝手に推察しております。)
上記であげた小説・銀河英雄伝説の中に、マヌエル・ジョアン・パトリシオ議員というのが出てきます。
彼は最高評議会議長(日本でいうと総理大臣のポジション?)なのですが、温厚で冷静な人物ですが強力なリーダーシップは示さないタイプとして描かれています。しかし一方で、彼はかつての政敵(コーネル・ヤングブラッド)を閣僚として招き入れれる度量の大きな人物として、また、人の能力を的確に見抜く人物としても描かれています。
「気のいいお爺さんとあなどるなかれ!彼は全部わかってんぜ、引き受けてるぜ、小僧!」と言いたくなる人物なのですが、里見さんはこの人物に似てると勝手に思っています(全部が全部似てる訳じゃないんですが、同じフラグメントを持っているというか)。
(とすると、野心と行動力と指導力のある若手の政治家コーネル・ヤングブラッドは、やはり赤坂さんポジになるのかしら。)

シン・ゴジラに関する小道具(自分メモまとめ)2

2016年10月28日 20時25分11秒 | シン・ゴジラ
映画、シン・ゴジラで使用されている小道具についてのメモ書き第二弾です。
今回は、矢口の官房副長官執務室や、検察庁長官室で使用された萩焼についてです。
実は、前回のメモでも、少しだけ触れていたのです。ただ、メモを作ったのが8月29日頃だったので、あまり詳細情報ものっておらず...だったのです。
しかし、窯元である泉流山さんが9月になってシンゴジラを映画館で見てくださったお陰でfacebookに新たなゴジラネタを提供してくださった...という訳です。
よって、今回はその情報提供をうけたアップデート版ということになります。


① 湯のみ;片桐はいりさん演じる、官邸のおばちゃんが官房副長官執務室でお茶をいれてくれた時のもの。
1)番茶器セット・2(商品番号:e_022);巨災対チームが使用

  
2)湯呑・7(商品番号:e_020);矢口が使用(2016年10月28日 追記1)


3)湯呑・9(商品番号:e_030);志村が使用(2016年10月28日 追記1)


② 湯のみ:カヨコが執務室を訪れた時に出されたもの(来客用?)
・蓋付き湯呑・1(商品番号:e_018)  


③ 香炉;官房副長官執務室においてあったもの
・透かし香炉(商品番号:p_011)


④ 花器;官房長官室/検察庁長官室:2016年11月03日 追記2
1)変形花入・2 (商品番号:c_036)


2)取手付四角花入(商品番号:c_007)   



⑤ 湯のみ;検察庁長官の執務室で使用されていたもの (矢口官房副長官 秘書官(志村の隣)が使用していたと思われる:2016年11月03日 追記2)
・湯呑・5(商品番号:e_016)





好きな人物の愛用?の品を使って、日常生活で常にニヤニヤしたいワタクシ、さっそく、劇中で矢口さんが使用していた湯のみを購入いたしました...(ぐへへ)。
ピアニストで作曲家であるショパンは故郷であるポーランドを離れる際に友人達から故郷の土を入れたカップを送られた...という話がありますが、山口生まれ山口育ちで現在は東京住まいの私とても、我が故郷の土が使われた食器(それもシンゴジラ関連!)をこれを機に使って、日常をニタニタして過ごしたい...などと思ったのでした。
ご興味のある方はいかがでしょうか?

泉流山公式facebook (9月27日の記事)
泉流山 公式オンラインショップ


+++

追記(10/28)
泉流山さんへ注文をした折に、矢口と志村が使用していた湯のみについてコメントを頂きました。それを元に、情報を一部更新いたしました。

追記2(11/03)
公式facebookの記事の中で、沢口検察庁長官の執務室にも作品がある...とのコメントだったが、具体的にどの商品を使用していたのかまで言及されていなかった。
湯飲みNo.5(青い湯飲み)については、私(ガバ鳥)自身が映画を見て矢口の秘書官(志村の隣に座っていた秘書官)の脇に置いてあるのを確認している(追記:2016年11月03日)。

その瞳にうつるもの@ZERO 10年 写真展

2016年10月24日 22時02分07秒 | アラシックなライブ+イベント


写真家である大村克己さんが撮影されたNews Zeroの写真(Zero 10年 写真展)を見に、日本テレビ麹町スタジオへ行ってまいりました。
写真は、2014年ー2016年に撮影されたものを中心に飾られていました。
リオオリンピックのオリンピアン、アーティスト、被災地(石巻など)、政治家、様々な顔が飾られていました。
写真を通して様々なニュースの記憶が思い起こされましたが、写真がNews Zeroのアーカイブの役割を果たしているかのようでした。
基本的に、ニュース番組はアーカイブされないですし。
これを見ると、ああ、大友さんがNews Zeroについていてくれて良かったなあと。

展示された写真の中、翔さんのうつったものは3枚ありました。
1) 2014.12.14 House of Representatives election; スタッフの話を聞いている翔さん(白黒写真)
2) 2016.07.10 House of Councillors election;安倍首相へのインタビューの時
3) 2016.07.10 House of Councillors election;少し髪を触っているようなカット
キャスター席からキリリと見つめる彼の視線の先には何が映っていたのかな...などと、ぼんやり考えてしまいました。
(前回の写真展の時、防護服を着た翔さんの写真が展示されていましたが、なんだか、あの時の瞳を思い出しました。あの瞳の先に映ったものが分ればなあと、今でも思います。とても非現実的な感情ですが。)

言うまでもなく、News Zeroは放送開始から10周年。ということは、翔さんのキャスターも10周年ということで。
写真の中の翔さんのキャスターぷりも、すっかり板についてきたようでした。
(ベテランキャスターの風貌...とは、他のキャスター陣からもコメントされていたような。2012年のセミナーあたりで。)

言うまでもなく、キャスターを10年...というと、月4回とすれば年間48回、10年で480回をの出演をこなしていることになります(単純計算で)。
ずいぶんとキャスターらしくなったなあと思いました。
10年の間には、夏冬のオリンピックがあり、東日本大震災があり...こうして人の世は移っていくのだな、変わっていくのだなと思ったものです。
←親戚のおばちゃんの感想か。
(別段、大きなイベントや災害が人を成長させたのだ!などと声高に言いたいわけでもないし言いたくもないのですが(個人的な意見ですが、私は障害や震災を「乗り越える」という表現が嫌いなのです...。)、これらが人に何らかの影響を与えるのは間違いないのだろうなとも思いました。)

それにしても、大村さんの写真、本になって出版していただきたいと思いました。
写真展に足を運ぶことができる人間は限られますし。
本当に惜しいなと思うのです。沢山の人に見てもらいたいのです。翔さんのファンのみならず、様々な出演者のファンのみならず、より多くの人たちの手に渡ってみてもらいたい。
大村さんの写真は一つの「報道番組」のアーカイブとして、時代の瞬きの目撃者の記録であると思うのです。
そして切り取られた一瞬は常に美しいのです。
権利の関係はもちろんあるでしょう。今回の展示だって、様々な条件の元でOKを頂いたものでしょう。これまでの展示でも、展示を拒否された写真だってあるかもしれません。
出版となれば、許可を得るのにまた沢山の労力が必要になることでしょう。

しかし、それでも、それを超えてでも、より多くの人の目に触れてほしいと思う。
そんな風に思った写真展でした。


・会場設置のメッセージ(ニュアンス)
<写真家・大村克己>
本日はご来場ありがとうございます。
News Zeroによりそい、撮影した「時」の断片が、Zero10周年の節目に日本テレビの特設会場で展示される運びとなりました。
10年という時の流れと寄せる想いは人それぞれあると思います。
我々が生きているこの時代はどこに向っていくのか。
人々は永遠に問い続けるのでしょう。
映像の形もどんどん変わっていくことでしょう。
写真の果たす役割は記録です。
それが記憶とつながっていく…。
News Zero写真展を通して私が感じたことです。
皆様はどんな感想をお持ちになるのでしょうか?

<キャスター・村尾信尚>
10年前のあなた、何を思い何をしていたか?
10念前の私たち、若い人にニュースを解りやすく伝えようとNews Zeroを始めました。
2008年、世界経済はリーマンショックで不況に。
不況の底から抜け出たものの、今でも世界は不安定な状況です。
2011年、東日本大震災、福島第一原発事故。
被災地や被災者の皆さんへの支持はこれからも必要です。
2015年、安全保障関連法が成立。
日本をどう守るのか?防衛政策が大きく変わろうとしています。

これまで来た道を振り返れば、これから行く道が見えてくるのでは…。
そんな思いでこれまでのZeroの歩みを大村克己さんによる写真で綴りました。
私たちの軌跡をどうぞご覧下さい。




平山秀幸映画屋街道40年記念祭り トークショー(10月10日:ゲスト・竹野内豊)No.3

2016年10月12日 00時02分36秒 | 舞台・コンサート感想
~映画全般について~

MC「映画がお好きなようですが、いつ頃からですか?」
竹野内さん「中学生の頃ですね。中学2年生の頃から、少しずつ見始めた。一番最初に映画館に見に行ったのがスタンドバイミー。友達と一緒に新宿まで出て見に行って。その後に、世の中のレンタルビデオショップが出て来て、とにかく借りまくってましたね。1日2,3本ずつくらい。」
MC「洋画が多かったですか?」
竹野内さん「洋画が多かったですね。僕らの世代はバブルの余韻がひきずっていて。ハリウッドの全盛期で。ちょうど70,80年代。結構、一杯借りて見てました。」
MC「監督はこちらに」
監督「僕は文芸座が新になる前に。70年代の初めごろ。オールナイト見たり。当時お金で150円で。(映画をみてました)。」

MC「今でも映画館いったりしますか?」
竹野内さん「いや、行きますよ。」
監督「今は上映のシステムが良いから...音にしても。昔は立ち見で後ろがギュウギュウで映画を見るエネルギーや熱気があった。(今は)綺麗ですから。熱みたいなものが懐かしいなと思って。」
竹野内さん「うん...うん(相づち)」

MC「さっき上から映写室でご覧になってて。」
竹野内さん「あそこに丁度いたんで(映写室の方を指さしつつ)」
MC「皆さんと一緒にご覧になってた。」
監督「後ろの箱から。」
MC「今、フィルムで上映するのも少ないですしね。」
竹野内さん「そうですね、フィルムがカタカタカタカタって凄い良い音で回ってました、さっき。当然、ここ(客席)は聞こえないと思いますけども。」
監督「昔は切れてましたから。フィルムが燃えて、上映が休憩になって。」
竹野内さん「ハハハ(笑)」
監督「ニューシネマパラダイスみたいな。今はそういうのはないですが。」
竹野内さん「ああー。中々今、フィルムで上映する映画もないですしね。」
監督「撮影自体も、フィルムじゃなくてデジタルだから。この『太平洋の奇跡』は(監督にとって)初めてのデジタル。それまではフィルムで撮影して。これは偶々、日本軍は僕が演出してアメリカ軍はアメリカの監督が撮影して。台本で日本語の多い部分は僕が演出して、英語の多い部分は彼が演出する…そうすると、編集するときに日米のデータを併せとすると、コミュニケーションを取りやすい。(デジタル撮影は便利ではあるが)失うものもあると思いますが。」
竹野内「ここで見たかったですね。」
監督「呑むか取るかで!」

~映画のオファーについて~

MC(映画のオファーについて。どういうポイントでオファーを受けるのか/仕事を選ぶのか?)
竹野内さん「いや、そんなに沢山もう…選べるほど...。映画って本当、タイミングですよね。別の仕事で、今までそういうの何本もありますよ。あの映画、本当は自分やりたかったなっていうのは。でもスケジュールがたまたま...後々に公開した時に、ああ、これだったんだっていうのはありますけど。タイミングが合わないと中々出来ないですし。TVドラマもやらせて頂いたりしてるので。連続ドラマは4ヶ月、前後いれたら。スケジュール押さえられちゃうので。そうなるとオーディションとか...例えば海外作品もありましたし。映画って待ってはくれないので。どうしてもやりたくても。ドラマがあるんで、そっちに力をいれなくちゃいけない時で。悔しい思いをしたことは沢山ありますけどね。(だから)平山監督と一緒にお仕事が出来るなんて...『愛を乞う人』が本当に素晴らしいなと思って。」
監督「(『愛を乞うひと』に出た)原田美枝子さんと乗馬仲間なんだって?『竹野内いい子だからよろしく!頑張って!』って伝言を(先日、新文芸坐で行われたトークショー檀上で)貰いました」
竹野内さん「ええ、光栄です。」
監督「僕は5年前に太平洋の奇跡で3ヶ月50℃のタイで、去年、エベレストという作品で5ヶ月-20℃の世界にいた。次は温泉の映画にしてマッタリした映画にしたい。我慢大会はもういいかなって。
竹野内さん「ハッハッハ(笑)」
監督「僻地監督って呼ばれてる。」
竹野内さん「でも僻地がお似合いなんですよ。実際、タイに行かれた時も全然馴染んじゃってて。」
監督「タイに行く前は腹膜炎だし、エベレストに行く前には脊椎板狭窄症で腰にメスを入れた。だから、やっぱり..次は温泉でまったり。体にやさしいやつを。」


~これからの仕事、やりたい仕事について~

MC「どんな映画がやりたいですか?」
竹野内さん「いや、もうー...。(もごもご)」
MC「ここで言っといたらそういう話が実現するかも」
竹野内さん「今までやったことがないような役...昔から、もちろんアクションみたいなものもやってみたいと、ずっと思っていたんですけど。どうもね..自分ね、あんまり動くイメージがないみたいで。最近はもう、流石に、もしそういう役がきたらそれなりに準備をしないと体が動かないかなあとは思いますけど。元々、器械体操も昔やってたんで。だから、20代のころね、もっとやりたかったですよね、そういうの。」(この時、左足方面に視線を送る)」←別に竹野内さんは左足を痛めてる…等という推論を言いたいわけではない。念のため。

竹野内さん「そういうのも面白そうだと思いますし。あと、時代劇とか。」
監督「時代劇ありそう。」
竹野内さん「ないんですよ。大河1回だけの経験しかないですね。」
監督「久しぶりに会って、こういう髪型してたんで、太平洋の奇跡パート2?と思ったくらい、軍人さんらしい。時代劇、武士っぽいフォームがあるんで、時代劇なんか絶対合うと思うんですよ。」
竹野内さん「ありがとうございます(嬉)」
監督「スラッとして似合いそうじゃない。」
竹野内さん「奇麗な役が多かったですよね。それはそれで凄く有り難いことなんですけども。でも男なんで、色んなのやって見たいですよね」(唇を少し尖らせる)
←この時の竹野内さんの姿がとても可愛らしかった。一回り年上の方に対してアレですが。

監督「俺、犯人やれ、悪役やれ、って言った事あるよね。」
竹野内さん「ありますよね。」
監督「(『愛を乞うひと』に出ていた)原田さんはね『竹野内くんはサイコのアンソニー・パーキンスみたいなのが良いよ』って言ってた。」
竹野内さん「ああ...。」
監督「この間、チラっと言ってた。あ、でも(パーキンスを)見ない方がいいよ!」
竹野内さん「うーん。」

MC「アクションするなら急がないと。60代になってしまったら…。」
竹野内さん「まあでもね、時代劇とかね、殺陣とか乗馬とか、そういうのも。」
監督「むこうから走ってくる竹野内豊はカッコ良いと思いますよ。馬に乗ってね。」
竹野内さん(ちょっと嬉しそう)
監督「すっとしてるじゃないですか。」
(観客一同、深く深くうなずく。)


~最後に一言~
(スタッフのカンペで時間が押し迫ったとの知らせもあり、最後の挨拶へ)

竹野内さん「もっと本当は...さっき10分前って…あっという間だなと思ったんですが。なかなかこういうトークショーっていうのが初めてだったんで。さっきから全然、何を話したらいいんだか。どっかここら辺で考えてはいるものの、全然ちゃんと話をつなげていけないし。(後頭部の後ろら辺を指しつつ)あっというまに時間が過ぎちゃったんですけど」

竹野内さん「今後も、まだ平山監督とは..たったの1本しかご一緒出来ていないので、今後とも是非、機会がありましたら。」
監督「ええ。お茶でものんで待って…俳優っていうのは、空気がないといけないんですが、作れるもんじゃないんですよ。それでいうと、(竹野内さんは)俳優の中でシュッとしてる感じがあるんで。…僕とやったら悪役とか捻くれた役になりそうな気がするんで大丈夫かと思うのですが...。」
MC「大丈夫です!」
監督「そういうのじゃなくて(苦笑)。…そういう役が手に入ったらオファーします。」
(観客一同、是非よろしくお願いしますの拍手。そして終わりの合図)
一同「ありがとうございました。」

監督、竹野内さんの順で退場。竹野内さんは自分の椅子を元の位置に戻して退場される。←動作がいちいち可愛い…雑な動きではない。
また、MC、竹野内さん、監督ともども、結局テーブルの上に置いてある水を飲まずに退場。終始、まんべんなく2人+MCで会話を進めた印象。


(終わり)


**追加①
竹野内さんの去り際、ファンの方3人(やや年配の女性の方)がプレゼントを片手にステージに駆け寄り、竹野内さんに手渡されました。(ワイン?とかかなと。)
竹野内さん、「ありがとう」と声をかけていました。そして、「握手を…」というファンの求めに応じて握手を。これには会場からは悲鳴があがりました(いいなあという声、非難の声などなど・笑)。
この時に指の美しさ、お礼をする時の体の傾け方の絶妙さを堪能いたしましたが、これについては役得でした。←私、竹野内さんの靴音が聞える程度には近くの座席に座っていましたので...(結構前の前)。
安全の面でこういう類のイベントではプレゼント、あるいは直接手渡しは受け付けないと思っていましたが、こういうのが許されるのなら私もバラくらい買っておけばよかったかしらと、ちょっと思ってしまいました。←いろいろ止めとけ。

**追加②
どこかの場面で、竹野内さんのため息がマイクを通して流れました。イケボのヒトはため息までもイケボなんだなと思いました…とても色っぽかったです(昇天2)。