鳥の巣頭の世迷い言

読書音楽観劇、ハゲタカ廃人、そしてアラシックライフをエンジョイしている三十路のお気楽会社員・ガバ鳥のblog

クインテット・嵐

2010年07月26日 22時21分01秒 | アラシック
嵐のTo be freeのイントロを聞いてると、ガ*ダム00のエンディングテーマかと思ってしまう。
ボーカルを女性にしてみたら、ダブルオーになってしまったりして。
と思ってしまうオタクな私を許してください。


ハナシ変わりまして

嵐のハーモニーの秘密って何だろうってコノゴロ考えます。
<これに関して、昔マーティーさんが日経エンタで書いていたような気がしますけど・・・内容忘れちゃった

大野君の甘い歌声が凄く好きです。ニノの高音ボイスも好きです。
彼ら2人は嵐オケのバイオリンです。
大野君の第一バイオリン、二宮君の第二バイオリンの絡みの良さは、to be freeでは凄く良く出ていると思います。
掛け合いのような寄り添うような感じ。
大野君の歌声なんか、「歌声が一番優秀な楽器」by 五木寛之・生きるヒント、というのがよくよく解る位だもの。

そして相葉君や櫻井君、松本君は安定感のあるコントラバスやチェロになったりするのかしら?と思います。
奏でられる低いベースラインは、確実にヘッドフォンをして聞きたい位に甘く響いて悶絶する。

一人一人を厳しく見ていくと、安心して聞ける歌、というのは大野君だけかもしれない。
でも、5人が合わさったユニゾンを聞くと、嵐の曲として堂々と唯一を示してくるから不思議。
彼ら以外にこの曲を歌うのが考えられなくなる位。
歌詞と曲と歌手とが合ってる、っていうのは中々ない奇跡だから、本当に大事に味わっていきたいとファンとしても思う。

普段、歌詞に関心を払うことはない私だけど(どちらかというとメロディーラインオンリー)、全てを噛み締めて聞いときたいなって思う。
歌ってる嵐、聞いている私、双方の今のタイミングだからこそ。

そうなると、2月のボロンボロンな状態の時に、「僕が僕のすべて」を聞いてしまった時は、私が嵐担になる最大最強なヒキだったんだなあ・・・。

夢見ることを「許される」年頃を過ぎたとしても。

2010年07月25日 17時49分41秒 | アラシック
アラシックになって早3ヶ月。
3ヶ月の間にコンサートDVDを購入し、CDを購入し、番組を極力録画。彼らの姿を見て聞いてそして笑って、自分の中に元気を貯めている日々です。<これをアラシックライフといいます。

はてさて。20代も後半の私が、嵐くん達にハマった切っ掛けが櫻井翔君のラップ(サクラップ)だったりする訳ですが。
*過去の私の記事
remarkableをリピする女


その惹かれる理由の1つとして、ノスタルジーと希望をかき立てられることだろうな。
隠れた名曲(by 二宮和也)のピカダブ(PIKA☆☆NCHI DOUBLE)や、still・・・のリリックは、その代表格になるのではないかな。
特にPIKA☆☆NCHI DOUBLEの「終わったはずの夢がまだ、僕らの背中に迫る刻まれた思い出が騒ぎだす(中略)限られた愛と時間を両手に抱きしめるせめて今日だけは消えないで」という歌詞の後の、「浅はかな青い思いを抱いていたのかあかさたな習った頃から10年以上か若すぎた「このままずっと」なんて考え」というリリックは、愚かな若者たちの典型的な後悔や失敗を思い起こさせる。

愚かな若者、私も勿論含まれるが、誰もが経験するであろう苦い思いがこのリリックの中に普遍的に書かれていると思う。リリックを書いた櫻井君は当時22歳(PIKA☆☆NCHI DOUBLE; 2004/2/24発売)。
若者特有の甘さや愚かさがあり、老成したような嘆きがあり、またそれを超越した希望のようなものがあり。
理想を持って、現実を知っていて。時には現実を「思い知る」ことになったり、無意識にでも理想を描いてまた現実を知って。・・・そんな、中途半端な年頃。
これくらいの年(10代後半~20代前半)特有の、何とも言えない甘酸っぱい気持ちがあったということを、年かさの人間(櫻井君と同い年のアラサーの私とか)に思い出させるような。この頃の自分を思い出すと(日記なんかを見ると、赤面の至り・・・)、本当に切なく苦く・・・でもあの頃に戻りたいとも思わないんだ。

よくもまあ、こんなリリックを書いたよね。出せたよね。
で。
何で櫻井君に可能だったのだろうと考えてく、ならば。

櫻井君は、嵐のメンバー内で一番時の流れの中で経験により変わってきた人間で。<キラリと光るへそピアスは、その頃だったっけ?恐らくは古参のファンの人たちの方がつぶさに見ていただろうからよく知っているだろうけども。

自分を殻で完全武装して尖っていた10代から人を信じていった20代への変遷。
櫻井君がジャニーズになってアイドルになって捨てざるを得なかったこともあっただろうし、またそれによって得たものもあるだろう。その中で、彼は見事な変体を遂げたのではないかと思う。
一度折れた骨が、元よりもさらに強い骨に成長していく様に。
経験こそが成長のもと、というのを顕著に表しているのが彼なのではないかな。

つまり。
櫻井君は受けてきた批判や賞賛、友情や裏切り、様々なもの全てを飲み込み咀嚼していき、そして自分の道を見つけ出していったのではないのかな、と思う。
<メディアに登場するジャニタレは、よくも悪くも注目されてしまうものだし。アンチスレも凄い回転率だしね。

幸か不幸か、櫻井君は、そんな自分を客観的に見つめる力を持っていた。なんというか、打たれ強い人・努力の人だからね。
そんな櫻井君から紡ぎだされてる「フツーの人」に寄り添うリリックは、だからこそ酷く「フツーの」私たちの琴線に触れるような言葉を出してくれるんじゃないかな、って思う。
遠く離れて側にいる近しい人というか。

PIKA☆☆NCHI DOUBLEを聞いていると、リリックで若者特有の自虐や愚かさを歌っても、でも歌詞からは希望が溢れてる。
そんなことが感じられる。
でもこれってかなり凄いこと。
20代も後半の捻くれ女の私、つまりはソコソコに甘いも酸いもの人生経験を送ってきた人間が聞いていてもそのリリックの中に欺瞞を感じさせないのだね。
22歳の若者に「俺ら若すぎた・・・」って言われてもねえ。普通はケッて思うからね。何を言ってるんだってさ。
そうならないのはつまり、私たちファンが嘘のない櫻井君の生き方そのものが、リリックに込められていることを知っているからじゃないかな?って思う。

エスカレーター式に名門大学を卒業したジャニーズアイドルって。
選択出来ただろう進路も他にあっただろうにって、勿体ないって、いわれ続けていただろう櫻井君。
だけど櫻井君は、言霊の人だった。
だって櫻井君は、アイドルになることで捨てた可能性を、拾い集めて拾い集めてそしてそれ以上の可能性を手に入れて、まっすぐに彼の道を歩いているのだから。


「俺は嵐に就職するよ」

その姿が、自分たちが夢見る頃を過ぎていたとしても夢を追うことが出来るってことと、一つ一つ自分たちで出来ることをやって行こうっていうモチベーションやエンカレッジを思い起こしてくれるんだよね。

まっすぐに。

だから私はサクラップが好きなんだと思う。

夢見る頃を許された10代をとっくに過ぎていたとしても。


そういえば。
歌手の平井堅さんがMステーションの中で「サクラップが好き」っていうコメントを出していた。平井さんの歌も郷愁を誘う歌が多い。何か通じるものがあったのだろうか。
いつかスペシャルコラボで良いので、サクラップ付きで平井さんが歌を歌ってくれないだろうか・・・。
「僕らの音楽」なんかでコラボしてくれたら、凄く嬉しいんだけどな~。草薙さんのナレーションで紹介されたら泣きたくなるな。