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鳥の巣頭の世迷い言

読書音楽観劇、ハゲタカ廃人、そしてアラシックライフをエンジョイしている三十路のお気楽会社員・ガバ鳥のblog

旅ケルクの記録5(ダンケルク編 その3)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年07月22日 22時42分03秒 | ダンケルク
<旅行2日目>

さて、ダンケルク2日目(旅行2日目前半)の記録になります。
1日で30km以上歩いた事実と来たるべき筋肉痛に戦きながら寝たのですが、無事に7時に起床しました。普段がダメダメ不摂生なオタ会社員生活のため、時差ボケもなくあっさりとしたものです。
ホテルで朝ご飯をいただき(簡単なコンチネンタル)、いざ出発です。


蜂蜜とヨーグルトと卵の美味しさに戦いた朝。そしてヌテラは悪魔の食べ物(うまい)。

まずはOperation dynamo 1940 museum…の前を通り過ぎて、English only兄さんがいた疑い地点(Ref; 旅ケルクの記録4(ダンケルク編その2)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅)を確かめに。
地図の上では昨日見に行ったEast moleに通じている+浜辺から最初につながっている道なので、トミーとギブソンが担架をもって走ってmoleにある病院船まで行くことからすれば確かにここかも…な場所だし。



うーむ、English only兄さんの側に見えた鉄の棒がない..ということは、ここは外れ?しかし、トミーたちが浜辺からmoleへ行くには、この道を通るのが自然…。疑念が晴れないので、ひとまず行けるところまで歩いてみて確かめてみることに。




歩いて行ったら、(前日に歩いた)見覚えのある道と工場が見えてきて、やっぱりEast moleへ続いている道だなと判断。
ということは、トミーとギブソンは、この道を通ってEnglish only兄さんの近くを駆け抜けてEast moleの先に待ってた船をめざして走って行った…のかなと推察。
撮影当時はともかく、今現在(6月30日、7月1日撮影当時)はフェンスが入っており、East moleへの直接の通り抜けが出来ない状態でしたが(うーん、残念)。

ということで自分の中では何となく納得したので、トミーが走りぬいた通りをもう1回歩きなおした後に(しつこい)、Operation dynamo 1940 museumに行くことに。1874年に沿岸防衛強化のために建設された「第32要塞」の遺構を利用した博物館とのことで、見た目からしてなんだか厳しい。





博物館の前にはフランス国旗、イギリス国旗、そしてドイツの国旗が。博物館前の看板にもドイツ語表記があったしドイツの人も来るのかしら...、真珠湾の展示に日本語はあったりするのかしら...などと思いつつと激写して、入場です。



さて、入って早々、カッコいいフランス陸軍登場。



ナポレオンとかのイメージがあるし、江戸幕府も近代化にあたってフランス式の陸軍を学んで取り入れたくらいなのに、どうして敗北したんだろう。特に20世紀のフランス陸軍(WW I、WW II)はやられっ放しなイメージが(ちなみに日本陸軍へのイメージは(以下自粛))…などと思いつつ、ドイツの電撃作戦、黄色作戦・赤色作戦の説明パネルも含めてじっくりねっとり観察。
イギリスとの温度差をボードの説明に感じつつ(ドーバー城での展示でも思ったけど、互いに相手のせいだと思ってるフシが)、軍の装備やダンケルクで墜落したスピットファイア・ハリケーンを観ていきます。


どこかで見たことがあるカップたち(イギリス軍が当時使っていた食器)。劇中でもピーターたちがムーンストーン号で使っていたシーンとは別にイギリス軍兵士の腰のあたりにぶら下がってるのが映っていたシーンもあったし、このタイプの食器が軍で用いられていたんでしょうか。軍・民間で広く使用されてたアウトドアグッズ的な。




イギリス軍の鉄製ヘルメットと銃。ヘルメットが鉄製なのを聞いて、重くて首が痛くならないのかとBBAは心配になりましたよ..。防弾できるほど厚みはなさそうなのに、鉄製の意味ってなんだろうか...と思ったが、しょうがないのか。そして、こんな銃(ブレンガン)で上空をとんでる飛行機を撃とうとするなんて無謀だし映画の演出じゃあ…と思いましたが、帝国戦争博物館(IWM)のアーカイブに同じ構図の写真があったのを思い出し、その場で「あああああ」と声が出ました(うるさい)。


劇中ではスコットランドにゆかりのある人たちとしては、ハイランダーズやコリンズがいましたが、いわゆるスコットランドの部隊がダンケルクにおりましたので、その関係かと。アレックスのお仲間のハイランダーズの人が被ってた帽子は、この博物館にはありませんでした(ロンドンにあるNational army museumに似たものがありました)。


イギリス海軍が履いてた靴下。ぬくそう。中佐が着ていたセーターと似た感じの繊維。ジョニーくんも履いてたのかな。


当時の自転車。イギリス空軍の爆撃機のパイロットのエンブリー中佐(当時)はダイナモ作戦時に爆撃機が撃墜されたところをドイツ軍の捕虜になったが、ドイツ兵を殴り倒して脱出。カカシの服を奪って自転車で南フランスの港まで逃げ、そこからイギリスに10週間後に帰国した...らしいですが、ファリアにおかれましても、この感じで脱出をしていただきたいところ(ポーランドのザーガンにあったスタラグ・ラフトIII収容所からの脱出でもハリウッド映画的だけど、ほとんど脱出に成功してないし、脱走した50名はのちに銃殺されているので;映画「大脱走」のモデル)。


ピーターのお兄さんが乗っていたハリケーンのプロペラ。大きい。この展示の状態で私よりも高い(私の身長は160cm弱)。




こんな姿になっちゃって…と言わんばかりのスピットファイアの機体。現地でも人気なのか、写真を撮る人(フランス人かイギリス人かは不明)が途切れる感じはなかった感じが(とはいえ、母数は小さいので列にはならない)。お触り禁止の表示をほぼほぼ無視して触っていく人たちも多かったですが、そんなフリーダムで大丈夫なんだろうか。

ダンケルクの危機に際し、フランスの救援に向かったイギリスの戦闘機は10個中隊(防衛庁防衛研修所戦史室 著、大東亜戦争開戦経緯(1)より)とのことだけど、その中の1機だったりするのでしょうか。
フランスの博物館にイギリス空軍の飛行機が展示されているのを観ると、劇中でも史実でも「空軍はどこにいる?!(Where is the bloody air force?!)」と言われたRAFだけど、ちゃんと戦っていたんだなあと謎の感動に襲われました。6月4日庶民院でのチャーチルの演説や、その後の語録でも言及されていた通りに。
地上や海上から空軍の戦闘を確認することは困難だったから、イギリス海軍に撃ち落とされた(=フレンドリーファイア)機もあったようなので。イギリス空軍が任務を果たしていることを知っているのは、同じ高度で制空権を得るために戦うドイツ空軍だったりしたら皮肉なことだし、さらには本土に爆弾が落とされまくる(一般市民も死ぬような)BOBで空軍の働きについて誰もが知るようになったのも皮肉なことだし。
<It was gained by the Air Force. Many of our soldiers coming back have not seen the Air Force at work...(1940/6/4 チャーチル演説一部)

ところで、イギリス海峡上空の航空部隊の任務の担当は第11戦闘機群で戦闘機は16個中隊(約200機)、ダイナモ作戦中の1940/5/27に会敵した第74中隊のスピットファイアが11機、第56中隊+第610中隊のハリケーン+スピットファイア20機とバーカーの著書(ダンケルクの奇跡)にあるのだけども(もちろん、これ以外も沢山あるんだろうけど)、この機体がどこの隊のものなのか、そもそもファリアやコリンズの『フォーティス』はどこの隊に所属していたのか。
映画「ダンケルク」の考証もしたレヴィーンの著書『ダンケルク』(ノンフィクションの方)には、ファリアやコリンズたちの所属については明らかになっていないと書いてありましたが、キャラクターに特定のモデルがいない分、想像の翼が広がります。
映画の主人公であるイギリス軍兵士の名前がトミー(演:フィン・ホワイトヘッド)であるように(トミーはイギリス軍兵士を表す俗語。“無名の兵士”の代名詞である“Tommy Atkins”に由来する; wikiより)。
あるいは、私の知人のイギリス人が、「あの映画は僕の祖父の物語でもある」と言ったように(彼の祖父はRAFの爆撃機乗りだった)。
映画の脚本・演出を手掛けたノーラン監督の祖父も大戦中はパイロットをしていたり(戦死している)、ファリアを演じたトム・ハーディーの祖父もダンケルクにいたという事実も含めて、数珠つなぎのように、あるいは網のように個人と物語がつながっていく様が見えてくるようでした。

ちなみに、私の母方の祖父は三菱の工場で機械いじりをしたり太平洋戦争中には海軍に所属してラバウルで戦ったりしてた人なのですが(ヤシの葉っぱで作った服で帰国)、母によると何時頃かに零戦もいじくってたそうで(ほんまかいな)、彼らの祖父の物語を通じて、私の祖父の物語がふっと思い起こされたりしてました。完全に余談。

(閑話休題)

博物館には、ダイナモ作戦の日ごとの推移がイギリス軍・フランス軍の防衛ラインやドイツ軍の包囲網と併せて展示されてましたので、私のようなプロセスが分らない人間にも分りやすかったです。
それにしても、博物館の展示パネルにあった「ダンケルク:勝利か,それとも敗北か?(Dunkirk: Victory or Defeat?」にはドキリとしましたが。
6/1(夕方)にドイツ軍はダンケルクの全周陣地を形成し、6/2に内部に侵入(港から数百ヤードまで接近;大阪朝日新聞が6月3日に伝えるところによると、20kmに迫る)。これを受けて、ダンケルクのフランス軍が行動限界を迎えるとイギリス軍に通知された6/3の翌日の6/4に、ダイナモ作戦は終了。その翌日6/5にはダンケルクのフランス軍(司令官:アブリアル)は降伏し、同市は1945年に解放されるまでドイツの支配下に入るわけで(イギリスに亡命したド・ゴールらによる「輝けるレジスタンス」の始まりでもある)。フランスにとっては長い忍辱ライフの始まりとなったアレコレに、複雑な感情があるのでは….と勝手に推察。
とはいえ、ダンケルクは造船の町であり貿易港を有する町でもあるため、連合軍に対する物資の補給を担う港が失陥したというのは経済的な損失がバカにならないはずで、イギリスにとっても苦しい戦いがこれからも続くわけですが。

博物館のショップには色んなグッズや書籍があったのですが、フランス語の書物が読めないので(恥ずかしながら、今年の5月に旅行用のガイドブックや単語帳/文法のテキスト等を買って始めた程度で、正直、看板やレストランのメニューが読める程度…)、クッキーを買って帰ることに。

<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/d5/2f7ec8790516e386f92c3e5ff02e9e6d.jpg" border="0">



勝手にダンケルク煎餅と呼んでいたクッキー。個包装で6個入り。バターの香がよくて配った同僚にも評判が良かった。

駅への道すがら、もう一度プリンセス・エリザベス号の写真を撮り(しつこい)、心残りはイロイロあるものの(海鮮料理食べてないし…ぶつぶつ)、ダンケルク市に別れを告げることに。<2泊3日くらいで日程組めばよかった...。
ダンケルクからカレーへ電車で移動して、トミーたちのように船(フェリー)でドーバー海峡(フランスではカレー海峡と呼ぶらしい)を渡り、イギリス(ドーバー)へ移動します。

「作戦完了。我、ドーバーに帰還す。(Mission completed. Returning to Dover.)」by テナント大佐(英海軍大佐。後に海軍大将。ダイナモ作戦においての働きにより、ダンケルクのジョーと呼ばれる。)


<ダイナモ作戦概要>
1940年5月26日〜1940年6月4日に実施
参加した艦船:約40(イギリス、フランス、オランダ、ベルギー)
参加した民間船:約940(正確な数は不明)

救出されたイギリス兵:33万8226人(ラムゼー提督報告)
救出されたフランス兵士:2万525人(ラムゼー提督による報告)

以上、第二次世界大戦マップ(スフィフト著)、及び帝国戦争博物館(IWM)データベースより抜粋


ダンケルクの海岸線とリトルシップたちの航路などのメモ書き
<イギリス海軍は脱出のための海路を3つ(X,Y,Z)設定した。劇中のドーソン親子のモデルになったライトラー親子はXルートを使ってラムズゲートへ帰還するルートを選択したとされる(Ramsgate maritime museum展示パネルより)。
*上図は、Museum Dunkerque 1940 Operation Dynamo展示パネル、及び、ダンケルク海岸線(イギリス国立公文書館 No. ADM 1/9997)を基にガバ鳥がてきとうにメモ書き。


(ダンケルク編終わり。ドーバー海峡編に続く)


Ref)
1. ジョシュア・レヴィーン(2017年)『ダンケルク』(武藤陽生 翻訳)ハーパーコリンズ・ジャパン社
2. A.J.バーカー(1980年)『ダンケルクの奇跡 イギリスの大撤退作戦』(小城正 翻訳)、HAYAKAWA nonfiction
3. 真砂 博成(2001年)『5月の嵐 ドイツの電撃作戦とダンケルク』学研M文庫
4. 「ダンケルク海岸線(イギリス国立公文書館 No. ADM 1/9997)」、マイケル・スウィフト他(2015年)『第二次世界大戦作戦マップ』(福田 希之 他 翻訳)河出書房新社
5. ジョン・ウィリアムズ(昭和46年)『パリ陥落<ダンケルクへの敗走>』(宇都宮直賢 翻訳)、サンケイ新聞社出版局
6. MUSEE DUNKERQUE 1940 OPERATION DYNAMO公式HP <http://www.dynamo-dunkerque.com/> (2018-04-23参照)
7. 山室良(2017年8月28日付)「いま,ダンケルクが熱い! ……ような気がするので,本物のダンケルクへ行ってみた」<https://www.4gamer.net/games/138/G013889/20170825090/> (2018-04-23参照)
8. Dunkirk Battlefield tour公式HP <https://www.dunkirk-tourism.com/Group-travel/Group-travel-Adults/Group-trips-Adults-Tours-and-visits/Dunkirk-battlefield-tour> (2018-04-23参照)
9. イギリス国立公文書館(The National archives) 公式HP (Cabinet papers; The fall of France) <http://www.nationalarchives.gov.uk/cabinetpapers/themes/fall-france.htm> (参照2018-04-24)
10. 帝国戦争博物館公式HPアーカイブ(Imperial War Museum; IWM)”WHAT YOU NEED TO KNOW ABOUT THE DUNKIRK EVACUATIONS” < https://www.iwm.org.uk/history/what-you-need-to-know-about-the-dunkirk-evacuations>
11. 帝国戦争博物館公式HPアーカイブ(Imperial War Museum; IWM)” 7 PHOTOS FROM THE DUNKIRK EVACUATIONS” < https://www.iwm.org.uk/history/7-photos-from-the-dunkirk-evacuations>
12. ウィンストン・チャーチル(2001年)『第二次世界大戦』第1巻(佐藤亮一 翻訳)河出書房新社
13. ウィンストン・チャーチル(2001年)『第二次世界大戦』第2巻(佐藤亮一 翻訳)河出書房新社
14. ウィンストン・チャーチル(1940年6月4日)『We shall fight on the beaches』<https://www.youtube.com/watch?v=MkTw3_PmKtc&t=59s>(2018-04-23参照)
15. WinstonChurchill.org公式HP、『We shall fight on the beaches』<https://winstonchurchill.org/resources/speeches/1940-the-finest-hour/we-shall-fight-on-the-beaches/>
16. 大阪毎日(大毎)新聞「獨空軍、マルセイユ始め南仏各地へ初の空襲 ダンケルクへ余す5里」、1940年6月3日、1版 (明治大正昭和新聞研究会、新聞集成 昭和編年史15年度版、平成4年、新聞資料出版 収載)
17. 読売新聞「英兵撤退完了」、1940年6月5日、1版(明治大正昭和新聞研究会、新聞集成 昭和編年史15年度版、平成4年、新聞資料出版 収載)
18. 読売新聞「ダンケルク要塞占領 海岸線独軍に帰す」、1940年6月5日、1版(明治大正昭和新聞研究会、新聞集成 昭和編年史15年度版、平成4年、新聞資料出版 収載)
19. 「フランス敗れたり」、『画報近代100年史第15集』1952年、p1214、国際文化情報社
20. 防衛庁防衛研修所戦史室(昭和48年)『戦史業書 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯(1)』朝雲新聞社
21. 伯林、昭和15年6月7日、「獨軍のダンケルク占領と連合国の経済的被害」、『獨逸事情』、昭和15年7月号

旅ケルクの記録4(ダンケルク編 その2)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年07月17日 21時48分36秒 | ダンケルク
<旅行初日のつづき>

ダンケルク市のてくてく歩きの続きです。驚くべきことですが、まだ旅行初日の記録が終わってないという…(HAHAHA!)。

さておき。

FRACでの展示を存分に堪能した後、私はEast moleに向かいました。ボルトン中佐やウィナント大佐がいた桟橋です。FRACから歩いて行ける距離ということもあり、テクテクまた歩いて行きました。
(明るい道でしたし時々車や自転車も通る道ではあるのですが、ほとんど人通りもなく、建物もない道でした。自分がやっておいて矛盾しますが、正直、若い娘さんがここを一人で歩くのは推奨はしない…かな…。せめて自転車を使った方が良いかも。)
おっかなびっくりなチキンな心情をサングラスで隠し(日差しが強くて日中はサングラスが必須。眼だまの保護大事)、いつもより姿勢を良くして早歩きでテクテクとまた20分弱歩いていきました。

てくてくとSquare Marine Dunkerque 39/40方面(WWIIの記念碑がある。お花も供えてありました。)に歩いていくと、East moleの入り口に到着。そこにはダイナモ作戦の史跡であることを示す看板が。
ちなみに、この看板の側にはキャンピングカー、釣りを楽しむ人たちやランニングを楽しむリア充なフランス人たち(鎌倉の由比ヶ浜にもいる、こういう人たち(断言))が登場し、なんとなく安心してしまうという。





ここは丁度、’English only!’と叫んでいたイギリス兵がいた地点でもあり、トミーとギブソンがけが人をのせた担架をかついで病院船まで移動していった路でもあります。
(English only兄さんがいた地点、実はもう1地点、疑わしい場所があるんですが、そこには劇中で兄さんの脇にうつってた鉄棒入りの手すりがなかったから、たぶんこっちの方が濃厚かなあと)

この桟橋の路を、フランス人の老若男女構わず的なナンパを避けながら歩いていくと(釣りをしながらナンパするんですよ、器用だよね…)、左手側に見覚えのある工場が。
映画でボルトン中佐の後ろに移っていた灯台や工場とわかると、ひとしきの感動と感心が。
「ここから沈んでいく船を見てたのか、ここからHomeと言っていたのか、中佐…(涙)」などと、オタクな私は、釣りとナンパをしているリア充フランス人たちの中で1人ウルウルとしておりました。
1940年当時の桟橋、あるいは撮影に使用された桟橋はここからはうかがい知ることはほとんど出来ないのですが、ここに彼らがいて、生き抜いていった(あるいは脱出できずに死んでいった)、それを映画として撮ったことには変りはなく。



ついさっきFRACで展示されてた映画の桟橋のセット(の一部)を思い起こし、’I'm staying, for French.'もよみがえって「尊い…」以外の感想が出てこなかったです。








ところで、ダンケルクの海は、劇中でイギリス海軍少将が言うように「Too shallow(遠浅過ぎる)」であることが(なんとなく諫早よりは遠浅ではない感じがしたけど)、ここからダンケルクの浜辺を見れば何となくわかるというか。
だからこそ、劇中で語られている通り、大きな船を乗り入れることができるmole(ダンケルクの主な港はドイツ軍に破壊されてたから、あとはEast mole、ここしかないという)が兵士たちを帰還させるための生命線であることも理解でき('The mole it is')、また、サイズの小さな民間船(リトルシップ)が兵士を救助するために工兵隊(史実だと、イギリス陸軍のライクリフト中尉とか)がジープで作った簡易の桟橋が後に生きてくるわけでもあるわけですが。


Too shallowなダンケルクの浜辺。午後1時頃の干潮の頃に砂浜から撮影。




FRACで展示されていたトラックの桟橋。史実通りにタイヤがパンクされていた。

それにしてもEast mole(桟橋)からはダンケルクの浜辺や、バカンスでそこに来ている人たちの姿が肉眼でも見えていたわけですが、ということは中佐や大佐たちはドイツ空軍の戦闘機に自軍の兵が撃たれまくってるのを目撃できていたことが想像できて、なんともいない気分に。(私は日本人だけど…、と思いつつ。とはいえ、ダイナモ作戦の1940年5月~6月時点では日本とドイツは軍事同盟は結んでないのですが;1940年9月に日独伊三国軍事協定が締結される)

とまあ、一瞬まじめな気持ちになった私ですが、所詮はアホなオタクなので一瞬でまた気を取り直し、えっちらおっちら元の道をたどってFRACまで徒歩で戻り、そこから近くの橋をわたってビーチへ進むことに。
それにしても、ビーチは本当に広くて何にもなくて(隣の市を通り越してベルギーまでつづく)、帝国戦争博物館(IWM:英国)のアーカイブにあった、浜辺で船を待つ兵士たちの写真にあるように、40万人の兵士が浜辺にいても隙間あるのも、まあ納得というか。
あと、本当に遮蔽物がない平らな所なもんだから、ドイツの戦闘機はイギリス兵を狙いやすかっただろうなあ…とも思いました。
(それにしてもイギリス兵たちはどうやって凌いでたんだろう。塹壕をつくるにしても、ダンケルクの浜辺の砂、さらっさらでしたよ?そんなんでも出来るのか?)
ダンケルクのビーチは文字通り汗と血で塗れた激戦区だった訳ですが、今となってはその名残は看板に示されてるだけで、バカンスを楽しむ人間で溢れかえるビーチになっておりました。ビキニがまぶしかった。


ダンケルクのビーチは、見晴の良いビーチ。
なんとなく、「私はダンケルクが大嫌いであった。そこへ行く時は易々と敵を殺すだけだったからである。海岸は敵兵でいっぱいであった(中略)地上の目標に対し、機関銃を撃ちまくった。」(ドイツ空軍のパイロットの証言より@J.Aバーカー著、ダンケルクの奇跡より)が思い返されました。

さて、そのビーチを歩いていくと、見覚えのあるポールと通りにぶつかりました。トミーがビーチに逃げ込んでくるビーチの最初にあるものです。ここを往復しつつ写真を撮っていきます。あいにく、バカンス中というこもあって朝の8時から路駐やら日光浴やらをする人らで溢れており、綺麗な無人の写真を撮ることは出来なかったのですが…。


トミーがビーチに出た時に見えたポール。ここから逆走して、映画の始まり(最初)の地点へ移動した。

映画の冒頭、トミーが空から落ちてくるビラ(とりかこまれてる地図)を拾うフジュレ通り5付近(史実でも5月28日にドイツ空軍によるビラがダンケルクにまかれたそう。「イギリス軍(トミー)諸君、この地図を見給え!諸君は完全に包囲されている!」)、


扉を乗り越えて逃げる所(ベルラード通り36付近)


トミーがフランス軍の陣地の内側に滑り込む所(ボンボヤージュのフランス兵と遭遇する箇所)(ベルラード通り16付近)


トミーが浜辺へダッシュしている所(ベルラード通り10〜ディーグドメール通り16付近)




トミーが辿りついたポールが立ってる浜辺(ディーグドメール通り16付近)



こうして見ると、そのままの街並みを使っているように見えても、やっぱりセットが作られてたんだなあと今さらながら。
FRACには、トミーがビーチに走り込んできた時に後ろに移ったお店の外壁が展示されてましたけど、こっちの方が「それっぽい」ように見えるから不思議です。


FRACに展示されていたお店の外壁

ところで、劇中でも背後に見えていたように、ここの辺りの町の建物は、少し現代的なデザインで統一されてます。なんでだろう…あんな古い鐘楼も市街にあったのに…とも思いましたが、ドイツの空襲にやられた後(市街地の80%は破壊されたそう)、再建された際に、とあるデザイナーの元で実施された都市計画で再建した..という話で納得。
<1989年から実施されている「Projet Neptune」(プロジェクト・ネプチューン)と呼ばれる市街と港湾の再建・再開発プロジェクト:建築家のリチャード・ロジャース(Richard Rogers;ポンピドゥーセンターを建てた建築家)がマスタープランを手掛けている

ダイナモ作戦中の14日間だけでも、5月27日の空襲(血の月曜日;ドイツ空軍第2航空集団のダンケルクへの大規模な空襲。ダンケルク上空を煙が覆うくらいだったそう)、5月29日の空襲(ドイツ空軍第1、3、4、8航空団 約400機による大規模な空襲)があった訳で。
ところで空襲というと、日本人の私は自分の生まれ育った地区の空襲だったり、東京大空襲だったりを思い出したりするのですが、フランスにも日本と同じように焼夷弾とか原爆の模擬弾も使われたりしなかったのかな?となどと思いつつ(原爆はナチスも開発してたことだし...と思いましたが、マンハッタン計画級のものは実行されなかったのかしら...とか考えてたら迷宮入りしてしまいました。無学無教養不勉強わからない!…orz)、テクテクとバカンスにわく街中を1人で歩いていきました。
ちなみに驚くべきことに、街中でほとんど人に遭遇しませんでした..。ビーチに人が集結してたのかと思うくらい街中は閑散としてました。←ただし、路駐はすごく多い

さて、トミーが逃げて行った経路をたどった後、ビーチに戻って次の場所へ移動です。ビーチ沿いの道をテクテク歩き、めざすはギブソン+トミーが出会った砂浜(としか言いようがない)です。強い海風にのって飛んできた砂に目と喉を傷めつつ(正直マスクが欲しいくらいだった。のど飴は必須)、ダンケルクの隣の市のブレ・デューンと呼ばれる地域までだいたい40分くらい歩きます。



ここまで、驚くべきことに、遮蔽物はありません。ひたすら海岸線がつづいているので、ノンストップ。歩こうと思えば、どこまでも歩いて行けそうな…(ベルギー国境も余裕で歩いて越えられそう…と一瞬思いました。パスポートも携帯してたし行こうかなーとか←やめとけ)。




ということで、ギブソンとトミーが出会った場所に到着です。
私が到着した時には、すでに日光浴をしていらっしゃる先客がいたので全景を撮るのは少し難しい頃合いだったのが少し残念(とはいえ、バカンスシーズン以外だと人通りがなくなるエリアなので1人歩きは避けた方が良いとの情報もあり、タイミングが難しい)。
ブレ・デューンには、ナチス・ドイツの遺構らしきものもあり(大西洋の壁など)、ここが確かに戦場で占領地域であったことが伝わります。とはいえ、こういう感傷めいたものを(知り合いの)イギリス人やフランス人にいっても鼻で笑われそうな感じもしますが(お察し)。

そんなこんなで隣の市まで歩いてきた私、ヒイヒイ言いながら、浜辺をUターンしてテクテクホテルまで歩いて帰りました。行きはよいよい帰りはこわい。

途中に、監督やキャストが料理をいただいたLa cocotteという伝統的なフランス料理のレストラン(というよりビストロかな?)を見つけて写真を撮影しました。窓のところに監督やマーク・ライアンス(Mr. Dawsonの中の人)とレストランスタッフの写真が貼ってあり、本当にここ(ダンケルク)で撮影されたんだなあと妙な感動を覚えました。ちなみに、ここには我が推しジャック・ロウデンは写ってませんでした、残念。





そんなこんなでヒイヒイ言いながらいったんホテルに帰り(20時30分)、途中で見つけたスーパーで晩御飯の買い物をして食事をして23時には就寝。朝の4時にCDGに着いてからの長い1日が終わりました。次の日もダンケルクを歩きます。


(続きます)


初日に歩いた+走った距離)
Iphoneに入っているアプリで測定された距離:33.1 km


++++++++++++++++++++++++++++
【追記】10月30日

今回、私がえっちらおっちら歩きまくったダンケルク市街地ですが、バスも当然ながら走っています。
ギブソンとトミーが出会った場所はRue PierreLotiと呼ばれる小道になりますが(下記の地図でいうと、赤い矢印の箇所;286 ディーグ・ユーロプラージュあたりで右折)、近くにバス停があります(Leffrinckoucke Plage;ルフランクク プラージュ)。ランドマークでいうと、Les Oyatsというレストランが近くにあります。


最寄りのバス停までの路線)DK busのC3番線。最寄りバス停の「Leffrinckoucke Plage」(ルフランクク プラージュ)は終点。ダンケルク駅からだと20分程度
DKバスのURL) https://www.dkbus.com/


ギブソン・トミーの出会った場所がよく解らなかったので、砂浜(フランス語でプラージュ)を歩きながら場所を探したせいで徒歩で移動しまくった今回の旅でしたが、2度目に訪れる機会があったらバス/レンタサイクルを使用したいかな…。←方向音痴炸裂野郎だから

ちなみにバスの路線図自体は、観光協会で貰えるようです。レンタサイクルのスポット自体はあちらこちらにあるので、気軽に使おうと思えば使えるかも…。
私よりも前に現地に向かったダ先輩(←私が勝手に呼んでいる)たちは、タクシーを上手に使ってらした記憶が。



地図のURLはこちら
Openstreet map

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Ref)
1. ジョシュア・レヴィーン(2017年)『ダンケルク』(武藤陽生 翻訳)ハーパーコリンズ・ジャパン社
2. A.J.バーカー(1980年)『ダンケルクの奇跡 イギリスの大撤退作戦』(小城正 翻訳)、HAYAKAWA nonfiction
3. 真砂 博成(2001年)『5月の嵐 ドイツの電撃作戦とダンケルク』学研M文庫
4.いちれん(2017年09月09日付)、「ダンケルク:ダイナモ作戦」<フランス見聞録;http://francekenbunroku.blogspot.jp/2017/09/blog-post_9.html>(参照2018-04-24)
5.ダンケルク市観光協会(Ville-Dunkerque)、「"Dunkerque" sur les ecrans, les Dunkerquois des etoiles plein les yeux !」<https://www.ville-dunkerque.fr/decouvrir-sortir-bouger/dunkerque-le-dernier-film-de-christopher-nolan/>(参照2018-04-24)
6. Haru(@haru-hall) (2018年)、「ドーバーからダンケルク旅2018冬・ダンケルク①浜辺_西半分編」<twitterモーメント>(参照2018-04-24)
7. Haru(@haru-hall) (2018年)、「ダンケルク市街」<twitterモーメント>(参照2018-04-24)
8. Haru(@haru-hall) (2018年)、「ダンケルク浜辺」<twitterモーメント>(参照2018-04-24)
9. Haru(@haru-hall) (2018年)、「ダンケルク桟橋」<twitterモーメント>(参照2018-04-24)
10. kinai(@kinaiyu_z)(2018年)、「2017年冬イギリス・フランス旅行(前)」<twitterモーメント>(参照2018-05-03)
11. MOVIE FUN (2017年9月18日付)、「『ダンケルク(2017)』ロケ地」<http://nicoraiss.blog.jp/archives/72146842.html>(参照2018-04-24)
12. Yann Fossurier,(2017年6月25日)「"Dunkirk" : 24 jours de tournage à Dunkerque avec Christopher Nolan」3 hauts-de-france <https://france3-regions.francetvinfo.fr/hauts-de-france/nord/dunkerque/dunkirk-24-jours-de-tournage-dunkerque-avec-christopher-nolan-1032735.html>(参照2018-04-24)
13. Par YF (2016年6月17日付) “Dunkirk” : de nouveaux détails sur la suite du tournage aux Pays-Bas” 3 hauts-de-france <https://france3-regions.francetvinfo.fr/hauts-de-france/dunkirk-de-nouveaux-details-sur-la-suite-du-tournage-aux-pays-bas-1026587.html>(参照2018-04-24)
14. Par YF(2016年6月17日付)  “Dunkirk” : Christopher Nolan en tournage nocturne à Malo”3 hauts-de-france <https://france3-regions.francetvinfo.fr/hauts-de-france/nord-0/dunkerque/dunkirk-christopher-nolan-tournage-nocturne-malo-1026431.html>(参照2018-04-24)
15. Par YF(2016年6月14日付) “Euro 2016 : deux acteurs de “Dunkirk” de passage à la fan zone de Lille”、3 hauts-de-france<https://france3-regions.francetvinfo.fr/hauts-de-france/nord-0/euro-2016-deux-acteurs-dunkirk-passage-fan-zone-lille-1023515.html>(参照2018-04-24)
16. 4Travel.jp(ダンケルク; 2003年9月18日)<https://4travel.jp/travelogue/10003509>(参照2018-04-24)
17. 帝国戦争博物館公式HPアーカイブ(Imperial War Museum; IWM) (検索キーワード/フィルター:Dunkirk / Evacuation) <https://www.iwm.org.uk/collections/search?query=dunkirk&pageSize=15&filters%5BperiodString%5D%5BSecond+World+War%5D=on&filters%5BtermString%5D%5BEvacuation%5D=on>(参照2018-05-31)
18. イギリス国立公文書館(The National archives) 公式HP (Cabinet papers; The fall of France) <http://www.nationalarchives.gov.uk/cabinetpapers/themes/fall-france.htm> (参照2018-04-24)
19. Doug Goodman (2017年8月10日付)「Dunkirk, France: in the footsteps of its military history」(Travel magazine) (参照2018-04-24)
20. La cocotte公式HP <https://www.lacocottedk.fr/>(参照2018-04-24)
21.VOF (2018年)『Traveler』個人同人誌

旅ケルクの記録3(ダンケルク編 その1)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年07月16日 17時10分46秒 | ダンケルク
<旅行初日>

CDG空港に朝の4時についてから、かれこれ7時間過ぎ。ようやくダンケルクに到着しました。
思ったよりも大きな駅だな...と思いましたが、ダンケルクはフランス第3位の港町・鉄鋼の町であり(人口9,3000人)、TGVも停車する駅なので、それはそうだよなと納得。ベルギー国境にも近いこともあり、ベルギーからバカンスに来ている方もちらほらと(何でわかったかって、その人たちに電車の乗り場を質問されたから)。



電車を降りた途端に聞こえてくるカモメの声(結構うるさい)に慄きつつ、まずは駅近のホテルに直行して荷物を預けに。WEB予約をした時に「チェックインを早めにしたい(12時くらいにしたい)、チェックインができない場合は荷物だけ預けたい」旨をあらかじめ英語+フランス語(Google翻訳)で知らせていたこともあり、トラブルもなく部屋に入ることができました。


アメニティもないけど綺麗だし駅近だし、まあまあ良かったと思う。

荷物を置いて、いよいよダンケルク市街地へ出発。
まずはプリンセス エリザベス号を見学に。



プリンセス エリザベス号は普段はレストランとして営業している船ですが、実際のダイナモ作戦に参加したリトルシップの一員であり、映画「ダンケルク」に参加した一員でもあります。ダンケルクで映画「ダンケルク」のプレミアを行った際に後ろに写っていたのを知っているファンの方も多いことでしょう。監督やキャストも食事をいただいた場所だとか。
レストランでは1940年当時の食事が提供されているとのことでしたが、今回は私一人での旅だったしロケ地巡りを優先させたかったこともあり予約しませんでした...が、オフ会があれば行きたいなと思いました。
(ダンケルクでダンケルクのオフ会...。)

次はダンケルク市の観光協会へ。
ある方のblogによると、観光協会の入っている建物(古い塔というか鐘楼なんですが)の上から、ダンケルク市街を一望できるとのことだったので。併せて観光マップ、ちょっとしたお土産を入手できればと。



結論から言うと、ここはヒットでした。
「ダンケルク」が市内で撮影されたこともあって、それについての記事が掲載された雑誌も売られてたし(ラス1ということでサンプル品を値引きして売ってもらった...。"No problem! Better than none!!"と言って売ってもらった...。)。
塔の上から、映画の最後にファリアがスピットファイアの中から見たダンケルクもこんな感じだったのかなー....と思いながら、ぐるりと市街を眺めてました。










この隣りにあったのは教会。
ダンケルク(Dunkerque)の名前の由来はフラマン語(オランダ語の方言)「砂丘の教会(Dune;砂丘+Kerk;教会」ということですが、フランスの寒村に建てられた砂丘の上の教会の周りに町ができ、イギリスの支配やスペイン無敵艦隊の寄港地を経てフランスの第3の港町となっていった....と言うことで、これもまた激写。



観光協会で観光マップを手に入れた私は、次なる目的地に向かいます。FRACと言う展示施設で、期間限定で映画「ダンケルク」で製作・使用された小道具やセットの一部が展示されています。向かう途中に、撮影した名残のようなものもキャッチしつつ、テクテクと歩いて向かいます(レンタサイクルもあるので、適度に利用すれば良かったなと。ただ、フランスの交通ルールがよくわからないうちに乗りたくないと言うのもありましたが)。



と言うことで、テクテク20分くらい歩いて、FRACに到着。入場無料と言うことで、ねっとりじっくりと眺めてきました。
CGを使わなくとも、こんな技術であんな圧倒的な映像が作れるんだなあと感心しきりです。






















ものの見事に騙されてた...!!ええ、こんなチンケ(想像してたのより、あんまりリアルじゃない)のでも、あんな風な映像になってあんな風になるんだ!と映像技術と言うか演出技術と言うか、とにかくそう言ったものに感心してました。メイキングで知っていたとはいえ、驚くべきノウハウと言うかなんと言うか。
ものを作る人たちは凄いなあと「へええ」「はああ」「ひええええ」の連続でした....。

期間限定展示なのは残念ですが、訪れる機会がある人は見逃して欲しくない展示..!!と言う感じでした。


続く
(長くなったので一旦切ります)


Ref)
1. ジョシュア・レヴィーン(2017年)『ダンケルク』(武藤陽生 翻訳)ハーパーコリンズ・ジャパン社
2. A.J.バーカー(1980年)『ダンケルクの奇跡 イギリスの大撤退作戦』(小城正 翻訳)、HAYAKAWA nonfiction
3. 真砂 博成(2001年)『5月の嵐 ドイツの電撃作戦とダンケルク』学研M文庫
4. いちれん(2017年09月09日付)、「ダンケルク:ダイナモ作戦」<フランス見聞録;http://francekenbunroku.blogspot.jp/2017/09/blog-post_9.html>(参照2018-04-24)
5. 吉田佐和子(2017年10月02日付)、「よしだより パリから映画『ダンケルク』の舞台へ!1泊2日の1人旅」<http://sawakoyoshida.com/archives/12566>(参照2018-04-24)
6. ダンケルク市観光協会(Ville-Dunkerque)、「"Dunkerque" sur les ecrans, les Dunkerquois des etoiles plein les yeux !」<https://www.ville-dunkerque.fr/decouvrir-sortir-bouger/dunkerque-le-dernier-film-de-christopher-nolan/>(参照2018-04-24)
7. Doug Goodman (2017年8月10日付)「Dunkirk, France: in the footsteps of its military history」(Travel magazine) (参照2018-04-24)
8. Haru(@haru-hall) (2018年)、「ドーバーからダンケルク旅2018冬・ダンケルク㈪浜辺_西半分編」<twitterモーメント>(参照2018-04-24)
9. Haru(@haru-hall) (2018年)、「ダンケルク市街」<twitterモーメント>(参照2018-04-24)
10. Haru(@haru-hall) (2018年)、「ダンケルク浜辺」<twitterモーメント>(参照2018-04-24)
11. Haru(@haru-hall) (2018年)、「ダンケルク桟橋」<twitterモーメント>(参照2018-04-24)
12. FRAC公式HP<http://www.fracnpdc.fr/>(参照2018-04-24)
13. プリンセス・エリザベス(Princess Elizabeth)公式HP<http://www.princesselizabeth.eu/>(参照2018-04-24)

その他、本映画ファンのSNSアカウント(非公開アカウント)や会員制サイト発信の情報ほか

旅ケルクの記録2(出発編)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年07月16日 14時27分30秒 | ダンケルク
<旅行初日>






上(↑)の写真は、羽田空港から飛び出すぜいよいよ…!という気分を落ち着かせるために撮った写真です。
今回の旅行は一人旅なのですが、「ダンケルク」の足跡を追う旅でもあるということで、ファリア熊(RAF museumショップで販売されているパイロットの熊)と一緒に風景写真を撮り、気分を落ち着かせてみました。
(←以降、この子と一緒に写真を撮っている。じゃっかん奇異な目で現地の人たちに見られていた感は否めない…。)

というわけで、夜行バスさながらの深夜の便で羽田空港からいざ出発(23時くらい)。
12時間後に目覚めたらそこはフランスでした、ボンジュール…。
のはずでしたが、
機内の映画プログラムにダンケルクがあったので、これは観ねばならぬとばかりに観てから就寝しました。他にもいろいろと面白そうな映画がたくさんあって、ついつい観てしまったりしましたが、もうこればっかりはショウガナイ。気になるんだもの(ダンケルク2回、ブラックパンサー、キングスマン、ピーターラビットを視聴)。



機内食もばっちり食べちゃったし、そこそこ起きたりしつつですが(足がむくむから時々足をあげたりなんだりして休みなおす)、
むっしゃむっしゃとご飯を食べて寝て起きてました。なんて極楽なんだ。何もしなくてもいいなんて。
<キヌアのサラダとエビ、牛肉のソテーとトマト+じゃがいも/人参/サヤインゲン、チーズ、レモン+アールグレイのケーキ、コーヒー(夕食)









美味しかった機内食(2回でてきた)。エコノミーでこんなに美味しいならビジネスとかファーストクラスはさぞや美味しかろう。

そして、
特に大きなトラブルもなく朝の4時にシャルル・ド・ゴール(CDG)空港に到着、そして入国。
入国審査官に色々と質問されることを想定してフランス語・英語で応答できるようにスタンバイしてましたが、哀しいくらいにあっさりと入国できました。
ちょっとガッカリ。←フランス語をしゃべらなくてよくなったから態度がデカくなってる
(たぶん、朝の4時にフランスに入国してきた飛行機が日本からの飛行機からしかなかったから…かもしれませんが)

さて、そんな小心者の私は田舎者よろしく広くてオシャレなCDG空港に圧倒されつつ、トイレで着替えて化粧して、日本からもってきたwifiデバイス(今回はグローバルwifiのを借りた)の設定をしたりとgdgdと時間を過ごしてからSNCF鉄道の駅(TGVに乗るから)へ移動。
機内食がまだお腹に残ってるせいで、特に朝ご飯を食べることもなく、なんとなく駅の売店で買った駄菓子を食べながら日本で予約をしたTGVを待ちました。
駅の待合室にはコンセントがあるので充電をしつつ待つことが出来るのがうれしいところ。
やり方が簡単なフリーWifiも飛んでいるので、すぐに調べたいもの/調べる必要がでてきたもの(電車の待ち時間とか駅への行き方とか)をウェブで調べることができるのもありがたい。特に、私のようにフランス語が出来なくて駅員に質問ができないときとか。外から客人がくる人のためのシステムが整ってる…(感動)。
ということで、ガイドブック(地球の歩*方)には、フランスの鉄道は発車25分前にならないとプラットホーム番号が判明しないと書いてあったので、その時間がくるまでウロウロしつつ、自分で作った遠足のしおりを見たりネットをしつつ待つことに。



滅茶苦茶甘いチョコレート菓子とモナカのようなUFO菓子(モナカの皮の円盤菓子。中の空間にラムネみたいな味の粉が入ってる。アスコルビン酸みたいな)、そしてお茶。


遠足のしおり。切り貼りしたものを眺めるの巻。

そして発車25分前になった頃、プラットホームの番号を確認するために、発車列車が表示されているモニター前に行きました。
私の予約した電車の番号を探して…探して…無い。見つからなかった(汗)。
焦りました…。
行先と発車時刻が一致してるのを探せばいいじゃん!と思うでしょうが、違う電車番号だけど行先・時刻は一緒、でも乗り場が違う電車が2つ表示されてましてね…。


不安…。


私の予約した電車はどっちなのか、そもそも私の予約した電車は存在しているのか、実はキャンセル(運航中止してた)とかイロイロと考えてしまいましてね。結局、そこらにいる駅員さんに焦りつつ質問をすることになりました、インチキ英語で。

私「Pardon, Monsieur!!!! (こっからインチキ英語)すみません、予約した電車番号(A)がパネルに見当たらないんだけど、どういうことですか?BとCが表示されてますけど、どっちかが私の予約した電車なんですか?それとも私の予約した電車Aは運行停止?!」
駅員「Mademoiselle、(こっから英語)あなたの予約した電車AはBのことです。」
私「つまりAとBは同じ電車なんですね、私はN番乗り場に行けば予約した列車に乗れるんですね?!同じ時間にリールに行く別の電車(C)がS番乗り場から出ますけど、こっちじゃないんですね?!」←しつこいやつ
駅員「Correct, Mademoiselle」
私「安心しました、ありがとう。Merci!Monsieur!!」

というドタバタぶりで、予約した電車に乗ることに(なんで番号がちがうのか、ちがう番号なのに同じなのか)。
まあ、とはいえ、職員さんから答えをもらったこともあり、安心して該当するプラットフォームで電車をボケーっと待っていました。この時に、似たような観光客の方にいきなり話かけてきてこられまして。

(多分)中国からの女性「勞駕…(以下よくわからん中国語)」
私「Sorry, Madam. Could you speak English? I'm not good at Chinese.(苦手どころか全然喋れん。最初の挨拶に反応したのが精一杯)」
女性「Oh....You speak English?!(以下、うろ覚えの英語の会話)この電車なんだけど、ここで待ってればいいのか?列車の番号が違うの。同じ時刻に別の乗り場からもリール行きの電車が出るよね?」
私「あ、私も今、それを駅員さんに聞いてきたんですよ!ここの乗り場で大丈夫です!」
中国からの女性「あ、そうなの?!ありがとう!」

という話から、いろんな話をし始めて(フランスで英語(というより言語)が通じる東洋人に会えたせいかお互いにテンションが高い)、冒頭の「あなたユニークね!」につながる訳なんですが(Ref; 旅ケルク準備編1@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅)。

そんなこんなで、ダンケルクに向かっていざ出発。CDG空港からリールにTGV(高速鉄道)で向かい、リールからはTER(普通列車)に乗り換えて向かいます。3時間ちょいのフランスを北上する移動となります。
とここで残念な事項が。
ここでリールまでの風景を楽しみたくて、TGVの窓側を予約したんですが、窓が汚すぎて外の様子がよくわかりませんでした(わーん)。
何でこんなにも汚いんだ、車内環境はとっても良かったのにいいいい(コンセントあり、お手軽簡単アクセスなwifiあり、椅子の座り心地いい。日本の新幹線に是非導入されてくれええええ!)。







ということで、窓が汚くて外の風景がよくわからなかった以外は特に不満もないまま、リール ヨーロッパ駅に到着しました(もっと乗っていたかった)。
ここで駅を乗り換えて(リール フランドル駅に乗り換える)、ダンケルクに向かいます。徒歩10分程度でつくのですが、次の電車まで1時間ほど時間があったので街をフラフラしながら移動しました。古い建物が整然と並んでいる、綺麗な街だなと思いました(美味しそうなパンの匂いに誘われましたがパン屋の位置が特定できなくて悔しかったなあ...。←パン大好き)。





リール フランドル駅では銃を携帯して駅を巡回している軍人さんのチームとの遭遇にビビりつつ(特別警戒中だったのかしら)、売店でご飯を買ったり有料トイレに行ったり(0.7ユーロ)したりと、それなりに写真を取りながら時間を潰し、ようやくダンケルクに向かいます。



1940年5月、英国大陸派遣軍の戦線はフランダースを放棄して必死の後退の一途を辿っており、多くの部隊がリールを経由してダンケルクへ撤退をしていた(1940/5/31 大阪朝日新聞、1940/5/31 東京朝日新聞 他より)。
1940/6/2の大阪毎日新聞のドイツ特派員が報じるところによると、ドイツ軍は5/30にはリールのフランス軍を降伏させ、ダンケルクへのイギリスの撤退に対して空爆をしていた。当時の英国国王ジョージ6世(エリザベス女王のお父上)の従兄弟であるケンブリッジ公爵もベルギー戦線で行方不明になり、戦死したことも伝えられている(5/31 大阪毎日新聞より)。
そのくらい、イギリス部隊の損害はひどかったのだろう。「撤退街道」とも言われたリールからダンケルクに向かう街道を、日本人の私が辿って行くという事項に何とも変な感慨を抱きつつ、ダンケルクへ向かいます。




(続く)

移動ルート)
羽田空港→CDG空港;12時間程度
CDG空港 TGV駅→リール ヨーロッパ駅(TGV;50分程度)
リール ヨーロッパ駅→リール フランドル駅(徒歩移動:10ー20分程度)
リールフランドル駅→ダンケルク駅(TER;1時間程度)

フランス国鉄(TGV, TEF)は同社のアプリを使ってチケット管理(充電切れや盗難などのトラブルに備え、念のためにEチケットも印刷して準備)

Ref)
1. ジョシュア・レヴィーン(2017年)『ダンケルク』(武藤陽生 翻訳)ハーパーコリンズ・ジャパン社
2. A.J.バーカー(1980年)『ダンケルクの奇跡 イギリスの大撤退作戦』(小城正 翻訳)、HAYAKAWA nonfiction
3. 真砂 博成(2001年)『5月の嵐 ドイツの電撃作戦とダンケルク』学研M文庫
4. 西方電撃作戦マップ、マイケル・スウィフト他(2015年)『第二次世界大戦作戦マップ』(福田 希之 他 翻訳)河出書房新社より)
5. ダンケルク海岸線、マイケル・スウィフト他(2015年)『第二次世界大戦作戦マップ』(福田 希之 他 翻訳)河出書房新社より)
7. 大阪毎日(大毎)新聞「海、空軍の援護の下に連合軍必死の退却 輸送船団を獨機猛襲」、1940年5月31日(1版)(新聞集成昭和編年史 昭和15年度版 2 (四月~六月) 明治大正昭和新聞研究会 編集製作. 新聞資料出版, 1992.12 より)
8. 東京朝日(東朝)新聞「フランダースを放棄 ダンケルクへ総退却」、1940年5月31日、夕刊(1版) (新聞集成昭和編年史 昭和15年度版 2 (四月~六月) 明治大正昭和新聞研究会 編集製作. 新聞資料出版, 1992.12 より)
9. 大阪毎日(大毎)新聞「英帝の従兄ケ卿戦死す」、1940年5月31日(1版)(新聞集成昭和編年史 昭和15年度版 2 (四月~六月) 明治大正昭和新聞研究会 編集製作. 新聞資料出版, 1992.12 より)









旅ケルクの記録1(準備編)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年07月12日 02時19分56秒 | ダンケルク
「ねえ、あなた、とってもユニークね!」


7月某日、私はフランスのリールのプラットホームで、旅行客と話をしていました。フランスという異国において、英語が通じる有り難い旅行客同士として。
彼女はフランスの料理や庭園を楽しむためにパリ経由でリールに来ており、私はダンケルクに行くために来ておりました。
私がダンケルクへ行くためにフランスに1人で来ていること、これが初めてのヨーロッパ旅行であること、パリに行く予定はないこと等を告げると、彼女はビックリしておりました。
わざわざロケ地巡りをするために、パリにも行かず、(例えば3つ星のような)有名なレストラン・ビストロにも行かず、ベルギーに周遊するわけでもない。なんでわざわざ北フランスの田舎町に行こうとしているのか。
2017年8月の段階の私であれば、彼女の意見に全面的に同意をしたことでしょう。

「なんてユニークなんでしょう!(これ以外、どう表現できるだろう!)」

私だって、まさかこんなことになるなんて思いもしませんでした。2017年9月レディースデイに品川のIMAXで「ダンケルク」を観に行くまでは。
2017年12月の段階では紅茶や熊を買ってみたり、地図旅行をしてみたりで満足していた訳です。
それなのにどうです、1人で行ってしまった訳ですよ。フランスとイギリスに、ダンケルクの足跡をたどるために。
なんというか、カッとなってフライト+ホテルを取ってましてね…(わっはっは)。もうね、ダンケルクの海が私を呼んでいたとしか。

とはいえ、私は海外旅行に慣れておりません。数えるほどしか行ったことがない。出張を含めて7回くらい。ぱぱぱっと決めてささっと行けるほど段取り上手でもないし、現地であれこれ対応できるほど適応力があるわけでもない。(ジミジミと下調べしてから行くタイプ)
ということで、素人な私はH★Sのホームページをのぞいたり旅行代理店でヨーロッパ旅行のカタログを手に所から準備スタート。

調べてみたところ、
・3都市周遊(ローマ、パリ、ロンドン)の場合、時間はXX日、費用はXX円ほどかかる(6月~9月に限定して検索)
・1人で行く場合はツアーよりもホテルと飛行機をバラバラで予約した方がお得
・ホテルと飛行機をセットで旅行会社で頼むよりも、バラバラで予約(Booking.comとか)する方がお得。

ということで、H★Sで飛行機をとって、ホテルをBooking.comで予約するで決定。
次に、旅のテーマと自分の最低限やりたいことを列挙して、日程と具体的な移動ルートを決めることに。

【テーマ】
登場人物たちの視点でダンケルクの足跡をたどる

【やりたいこと】
・ダンケルクからドーバーへはフェリーで移動する(海路でドーバー海峡を渡り、トミーたちのHOMEへ行く)
・ダンケルクで最低1泊2日する
・イギリスではドーバー(ダイナモ作戦の本拠地)、ロンドン、ウェイマス(ドーソンさんたちのベース)、スワネージ(トミーとアレックスが列車に乗って帰る駅)、ラムズゲート(ムーンストーン号のモデルの船が停泊している)、ディール(テナント中佐の口から出た港町)、マンストン(スピットファイア&ハリケーン博物館)に行く
・ロンドンで行きたい場所:RAF museum London(スピットファイアやハインケル等)、IWM London(スピットファイア、リトルシップ等)、IWM チャーチル博物館(戦略マップ等)、IWMベルファスト号、英国国会議事堂
・いわゆる観光は不要だが、時間があまれば行きたい。目的地に着くまで/帰り道にあれば、寄り道して観たい


わお、たくさん…。
ということで、まず最初に、上記を実現するための仮のタイムスケジュールをエクセルを使って立てることにしました。フライトや鉄道の時間、ホテルの場所等は考慮に入れず。

つまり、このタイムスケジュールを実現するため、フライトやホテル、TGV(フランス国鉄の高速鉄道)、フェリー(フランス→ドーバー)を予約していったわけです。どうしても予算的に無理、時間があわなければスケジュールを入れ替えたりしつつ調整すれば良い。
ということで作ってみたのがこちら(注意:あくまでも作成途中のもので、最終的に実施したものとは異なります)。



これに従い、
CDG空港に早朝に到着する飛行機を予約し、
CDG空港から直接ダンケルクに行くように電車を予約し、
ドーバー海峡を船で移動するためにフェリー(カレー→ドーバー)を予約し、
ダンケルクからカレーに移動するための電車を予約し、
イギリスの鉄道を使って移動をするためのブリットレイルパス(ロンドン)を予約し、
ロンドンから日本に帰るように飛行機を予約する。
ホテルは到着した日の時間、あるいは次の日の出発時間を(治安の良さも含めて)考慮して予約する。
どうしても行きたいツアーを事前に予約する(英国国会議事堂見学ツアー;土曜日限定)。


6月中旬であれば、値段的にもお得。ヨーロッパだし梅雨はない。私の仕事もまだ忙しくない。
よし、いける。
そう思い、飛行機とホテルを予約しました。
やれやれ一安心。
さて、それではフランス語とかを勉強しようかな、買い物リストとかも作って…などと浮かれて『る*ぶ』や『地球の歩*方』などの買い物ページを眺めていたのですが。そんな私に思わぬニュースが舞い込んでまいりました。

フランス国鉄、春の大ストライキ祭の開催。

なんと、4月~6月の間にほぼ毎週2,3日くらいをストライキするとのこと。
とはいえ、ストライキする日にぶつからなければ関係ないや…と思っていたら、モノの見事に私がフランスに滞在する日に該当していることが判明。
国内の長距離移動が出来なくなり、ダンケルクやカレーに行けなくなるリスクが発生。

ダンケルクに行けなかったら何のためにヨーロッパ行くんだ(いや、ない)。

いえね、代替え手段も考えてみたんですよ。タクシーでダンケルクからカレーに行くとか、自転車をダンケルクで買って直接ダンケルクからカレーに行くフェリーに乗るとか(ダンケルク~ドーバーのフェリーは歩行者の乗客を受け入れていない)、そもそもストライキといっても時間が遅れるだけで動かないとは限らないし…などと。
しかし、友人知人のフランス人やイギリス人から「(ヨーロッパ初めての素人は)止めとけ」と言われ、なおかつ4月に発生したフランス国鉄のストライキ時の運行率が30%程度だったというニュース、フランス国鉄社長が「ストライキの期間中は旅行をキャンセルすることをお勧めする」と言ったことを聞き、これはいかん…と涙をのんでキャンセルしました。
(TGV等のSFCNの電車のキャンセルはWEB上で無料でできます;自分で直接WEB予約をした場合)


次の週。
休みのリスケを果たした私、2回目のフライト+電車の予約をしておりました。

一度清水の舞台から飛び降りたら、次はもっとうまく飛ぼうって思うんですよ!(大きな声)

という訳で、2回目のトライ。そして、某月の金曜日の夜、私は無事に?、フランス行きの飛行機で旅経ちました。
仕事の緊急対応してたせいでギリギリまで仕事をしてましたが、なんとか間に合わせて(うそ、途中で上司に仕事を押し付けた)羽田空港へ走り込んで、飛行機に乗り込んだ訳です。
さて、方向音痴でうっかりミスばかりをする、フランス語ダメダメ英語ダメダメの私は、無事にダンケルクに着くことが出来るのか。
そもそもフランスに入国できるのか。

乞うご期待。






必死こいて準備したダンケルク遠足のしおり兼メモ帳。いずれ薄い本を作るかもしれないとき、これが基礎となる...かも。


【追記】
ロンドンのホテル予約をする際は、(ロンドン/海外に慣れない場合は)ここは避けろと言われた地区のホテルは避けた(Ref; 妄想ロンドン会議)
1. ブリクストン、2. ホワイトチャペル、3. エレファント&キャッスル 
を避けた。




Ref)
拙ブログ:アフタヌーンな日々
拙ブログ:熊を求めて@ダンケルク
拙ブログ:ダンケルク沼にハマる正月休み(地図旅行の巻)
拙ブログ:知らないことが多すぎることで翻弄されるオタク(時系列編)@ダンケルク

フランス国鉄 春の大ストライキ祭りについてのニュース記事→仏国鉄がスト入り 3カ月予定 マクロン氏改革に抗議 BBC
SCFN(フランス国鉄)公式HP
P and O Ferries公式HP(航路:Calais-Dover)
DFDS sea ways公式HP(航路:Dunkirk-Dover)
英国政府観光協会公式HP
SouthEastern Railway公式HP(経路:London-Dover, London-Ramsgate)
South Western railway公式HP(経路:London-Weymouth)
Swanage Railway 公式HP(Swanage, Dorset)
Morebus Bus公式HP(Dorset
Perbeck Breezer Bus公式HP(Dorset)
Stage coach公式HP(Ramsgate等)
CityMapper (App)(Londonの交通検索アプリ)