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鳥の巣頭の世迷い言

読書音楽観劇、ハゲタカ廃人、そしてアラシックライフをエンジョイしている三十路のお気楽会社員・ガバ鳥のblog

旅ケルクの記録4(ダンケルク編 その2)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年07月17日 21時48分36秒 | ダンケルク
<旅行初日のつづき>

ダンケルク市のてくてく歩きの続きです。驚くべきことですが、まだ旅行初日の記録が終わってないという…(HAHAHA!)。

さておき。

FRACでの展示を存分に堪能した後、私はEast moleに向かいました。ボルトン中佐やウィナント大佐がいた桟橋です。FRACから歩いて行ける距離ということもあり、テクテクまた歩いて行きました。
(明るい道でしたし時々車や自転車も通る道ではあるのですが、ほとんど人通りもなく、建物もない道でした。自分がやっておいて矛盾しますが、正直、若い娘さんがここを一人で歩くのは推奨はしない…かな…。せめて自転車を使った方が良いかも。)
おっかなびっくりなチキンな心情をサングラスで隠し(日差しが強くて日中はサングラスが必須。眼だまの保護大事)、いつもより姿勢を良くして早歩きでテクテクとまた20分弱歩いていきました。

てくてくとSquare Marine Dunkerque 39/40方面(WWIIの記念碑がある。お花も供えてありました。)に歩いていくと、East moleの入り口に到着。そこにはダイナモ作戦の史跡であることを示す看板が。
ちなみに、この看板の側にはキャンピングカー、釣りを楽しむ人たちやランニングを楽しむリア充なフランス人たち(鎌倉の由比ヶ浜にもいる、こういう人たち(断言))が登場し、なんとなく安心してしまうという。





ここは丁度、’English only!’と叫んでいたイギリス兵がいた地点でもあり、トミーとギブソンがけが人をのせた担架をかついで病院船まで移動していった路でもあります。
(English only兄さんがいた地点、実はもう1地点、疑わしい場所があるんですが、そこには劇中で兄さんの脇にうつってた鉄棒入りの手すりがなかったから、たぶんこっちの方が濃厚かなあと)

この桟橋の路を、フランス人の老若男女構わず的なナンパを避けながら歩いていくと(釣りをしながらナンパするんですよ、器用だよね…)、左手側に見覚えのある工場が。
映画でボルトン中佐の後ろに移っていた灯台や工場とわかると、ひとしきの感動と感心が。
「ここから沈んでいく船を見てたのか、ここからHomeと言っていたのか、中佐…(涙)」などと、オタクな私は、釣りとナンパをしているリア充フランス人たちの中で1人ウルウルとしておりました。
1940年当時の桟橋、あるいは撮影に使用された桟橋はここからはうかがい知ることはほとんど出来ないのですが、ここに彼らがいて、生き抜いていった(あるいは脱出できずに死んでいった)、それを映画として撮ったことには変りはなく。



ついさっきFRACで展示されてた映画の桟橋のセット(の一部)を思い起こし、’I'm staying, for French.'もよみがえって「尊い…」以外の感想が出てこなかったです。








ところで、ダンケルクの海は、劇中でイギリス海軍少将が言うように「Too shallow(遠浅過ぎる)」であることが(なんとなく諫早よりは遠浅ではない感じがしたけど)、ここからダンケルクの浜辺を見れば何となくわかるというか。
だからこそ、劇中で語られている通り、大きな船を乗り入れることができるmole(ダンケルクの主な港はドイツ軍に破壊されてたから、あとはEast mole、ここしかないという)が兵士たちを帰還させるための生命線であることも理解でき('The mole it is')、また、サイズの小さな民間船(リトルシップ)が兵士を救助するために工兵隊(史実だと、イギリス陸軍のライクリフト中尉とか)がジープで作った簡易の桟橋が後に生きてくるわけでもあるわけですが。


Too shallowなダンケルクの浜辺。午後1時頃の干潮の頃に砂浜から撮影。




FRACで展示されていたトラックの桟橋。史実通りにタイヤがパンクされていた。

それにしてもEast mole(桟橋)からはダンケルクの浜辺や、バカンスでそこに来ている人たちの姿が肉眼でも見えていたわけですが、ということは中佐や大佐たちはドイツ空軍の戦闘機に自軍の兵が撃たれまくってるのを目撃できていたことが想像できて、なんともいない気分に。(私は日本人だけど…、と思いつつ。とはいえ、ダイナモ作戦の1940年5月~6月時点では日本とドイツは軍事同盟は結んでないのですが;1940年9月に日独伊三国軍事協定が締結される)

とまあ、一瞬まじめな気持ちになった私ですが、所詮はアホなオタクなので一瞬でまた気を取り直し、えっちらおっちら元の道をたどってFRACまで徒歩で戻り、そこから近くの橋をわたってビーチへ進むことに。
それにしても、ビーチは本当に広くて何にもなくて(隣の市を通り越してベルギーまでつづく)、帝国戦争博物館(IWM:英国)のアーカイブにあった、浜辺で船を待つ兵士たちの写真にあるように、40万人の兵士が浜辺にいても隙間あるのも、まあ納得というか。
あと、本当に遮蔽物がない平らな所なもんだから、ドイツの戦闘機はイギリス兵を狙いやすかっただろうなあ…とも思いました。
(それにしてもイギリス兵たちはどうやって凌いでたんだろう。塹壕をつくるにしても、ダンケルクの浜辺の砂、さらっさらでしたよ?そんなんでも出来るのか?)
ダンケルクのビーチは文字通り汗と血で塗れた激戦区だった訳ですが、今となってはその名残は看板に示されてるだけで、バカンスを楽しむ人間で溢れかえるビーチになっておりました。ビキニがまぶしかった。


ダンケルクのビーチは、見晴の良いビーチ。
なんとなく、「私はダンケルクが大嫌いであった。そこへ行く時は易々と敵を殺すだけだったからである。海岸は敵兵でいっぱいであった(中略)地上の目標に対し、機関銃を撃ちまくった。」(ドイツ空軍のパイロットの証言より@J.Aバーカー著、ダンケルクの奇跡より)が思い返されました。

さて、そのビーチを歩いていくと、見覚えのあるポールと通りにぶつかりました。トミーがビーチに逃げ込んでくるビーチの最初にあるものです。ここを往復しつつ写真を撮っていきます。あいにく、バカンス中というこもあって朝の8時から路駐やら日光浴やらをする人らで溢れており、綺麗な無人の写真を撮ることは出来なかったのですが…。


トミーがビーチに出た時に見えたポール。ここから逆走して、映画の始まり(最初)の地点へ移動した。

映画の冒頭、トミーが空から落ちてくるビラ(とりかこまれてる地図)を拾うフジュレ通り5付近(史実でも5月28日にドイツ空軍によるビラがダンケルクにまかれたそう。「イギリス軍(トミー)諸君、この地図を見給え!諸君は完全に包囲されている!」)、


扉を乗り越えて逃げる所(ベルラード通り36付近)


トミーがフランス軍の陣地の内側に滑り込む所(ボンボヤージュのフランス兵と遭遇する箇所)(ベルラード通り16付近)


トミーが浜辺へダッシュしている所(ベルラード通り10〜ディーグドメール通り16付近)




トミーが辿りついたポールが立ってる浜辺(ディーグドメール通り16付近)



こうして見ると、そのままの街並みを使っているように見えても、やっぱりセットが作られてたんだなあと今さらながら。
FRACには、トミーがビーチに走り込んできた時に後ろに移ったお店の外壁が展示されてましたけど、こっちの方が「それっぽい」ように見えるから不思議です。


FRACに展示されていたお店の外壁

ところで、劇中でも背後に見えていたように、ここの辺りの町の建物は、少し現代的なデザインで統一されてます。なんでだろう…あんな古い鐘楼も市街にあったのに…とも思いましたが、ドイツの空襲にやられた後(市街地の80%は破壊されたそう)、再建された際に、とあるデザイナーの元で実施された都市計画で再建した..という話で納得。
<1989年から実施されている「Projet Neptune」(プロジェクト・ネプチューン)と呼ばれる市街と港湾の再建・再開発プロジェクト:建築家のリチャード・ロジャース(Richard Rogers;ポンピドゥーセンターを建てた建築家)がマスタープランを手掛けている

ダイナモ作戦中の14日間だけでも、5月27日の空襲(血の月曜日;ドイツ空軍第2航空集団のダンケルクへの大規模な空襲。ダンケルク上空を煙が覆うくらいだったそう)、5月29日の空襲(ドイツ空軍第1、3、4、8航空団 約400機による大規模な空襲)があった訳で。
ところで空襲というと、日本人の私は自分の生まれ育った地区の空襲だったり、東京大空襲だったりを思い出したりするのですが、フランスにも日本と同じように焼夷弾とか原爆の模擬弾も使われたりしなかったのかな?となどと思いつつ(原爆はナチスも開発してたことだし...と思いましたが、マンハッタン計画級のものは実行されなかったのかしら...とか考えてたら迷宮入りしてしまいました。無学無教養不勉強わからない!…orz)、テクテクとバカンスにわく街中を1人で歩いていきました。
ちなみに驚くべきことに、街中でほとんど人に遭遇しませんでした..。ビーチに人が集結してたのかと思うくらい街中は閑散としてました。←ただし、路駐はすごく多い

さて、トミーが逃げて行った経路をたどった後、ビーチに戻って次の場所へ移動です。ビーチ沿いの道をテクテク歩き、めざすはギブソン+トミーが出会った砂浜(としか言いようがない)です。強い海風にのって飛んできた砂に目と喉を傷めつつ(正直マスクが欲しいくらいだった。のど飴は必須)、ダンケルクの隣の市のブレ・デューンと呼ばれる地域までだいたい40分くらい歩きます。



ここまで、驚くべきことに、遮蔽物はありません。ひたすら海岸線がつづいているので、ノンストップ。歩こうと思えば、どこまでも歩いて行けそうな…(ベルギー国境も余裕で歩いて越えられそう…と一瞬思いました。パスポートも携帯してたし行こうかなーとか←やめとけ)。




ということで、ギブソンとトミーが出会った場所に到着です。
私が到着した時には、すでに日光浴をしていらっしゃる先客がいたので全景を撮るのは少し難しい頃合いだったのが少し残念(とはいえ、バカンスシーズン以外だと人通りがなくなるエリアなので1人歩きは避けた方が良いとの情報もあり、タイミングが難しい)。
ブレ・デューンには、ナチス・ドイツの遺構らしきものもあり(大西洋の壁など)、ここが確かに戦場で占領地域であったことが伝わります。とはいえ、こういう感傷めいたものを(知り合いの)イギリス人やフランス人にいっても鼻で笑われそうな感じもしますが(お察し)。

そんなこんなで隣の市まで歩いてきた私、ヒイヒイ言いながら、浜辺をUターンしてテクテクホテルまで歩いて帰りました。行きはよいよい帰りはこわい。

途中に、監督やキャストが料理をいただいたLa cocotteという伝統的なフランス料理のレストラン(というよりビストロかな?)を見つけて写真を撮影しました。窓のところに監督やマーク・ライアンス(Mr. Dawsonの中の人)とレストランスタッフの写真が貼ってあり、本当にここ(ダンケルク)で撮影されたんだなあと妙な感動を覚えました。ちなみに、ここには我が推しジャック・ロウデンは写ってませんでした、残念。





そんなこんなでヒイヒイ言いながらいったんホテルに帰り(20時30分)、途中で見つけたスーパーで晩御飯の買い物をして食事をして23時には就寝。朝の4時にCDGに着いてからの長い1日が終わりました。次の日もダンケルクを歩きます。


(続きます)


初日に歩いた+走った距離)
Iphoneに入っているアプリで測定された距離:33.1 km


++++++++++++++++++++++++++++
【追記】10月30日

今回、私がえっちらおっちら歩きまくったダンケルク市街地ですが、バスも当然ながら走っています。
ギブソンとトミーが出会った場所はRue PierreLotiと呼ばれる小道になりますが(下記の地図でいうと、赤い矢印の箇所;286 ディーグ・ユーロプラージュあたりで右折)、近くにバス停があります(Leffrinckoucke Plage;ルフランクク プラージュ)。ランドマークでいうと、Les Oyatsというレストランが近くにあります。


最寄りのバス停までの路線)DK busのC3番線。最寄りバス停の「Leffrinckoucke Plage」(ルフランクク プラージュ)は終点。ダンケルク駅からだと20分程度
DKバスのURL) https://www.dkbus.com/


ギブソン・トミーの出会った場所がよく解らなかったので、砂浜(フランス語でプラージュ)を歩きながら場所を探したせいで徒歩で移動しまくった今回の旅でしたが、2度目に訪れる機会があったらバス/レンタサイクルを使用したいかな…。←方向音痴炸裂野郎だから

ちなみにバスの路線図自体は、観光協会で貰えるようです。レンタサイクルのスポット自体はあちらこちらにあるので、気軽に使おうと思えば使えるかも…。
私よりも前に現地に向かったダ先輩(←私が勝手に呼んでいる)たちは、タクシーを上手に使ってらした記憶が。



地図のURLはこちら
Openstreet map

google







Ref)
1. ジョシュア・レヴィーン(2017年)『ダンケルク』(武藤陽生 翻訳)ハーパーコリンズ・ジャパン社
2. A.J.バーカー(1980年)『ダンケルクの奇跡 イギリスの大撤退作戦』(小城正 翻訳)、HAYAKAWA nonfiction
3. 真砂 博成(2001年)『5月の嵐 ドイツの電撃作戦とダンケルク』学研M文庫
4.いちれん(2017年09月09日付)、「ダンケルク:ダイナモ作戦」<フランス見聞録;http://francekenbunroku.blogspot.jp/2017/09/blog-post_9.html>(参照2018-04-24)
5.ダンケルク市観光協会(Ville-Dunkerque)、「"Dunkerque" sur les ecrans, les Dunkerquois des etoiles plein les yeux !」<https://www.ville-dunkerque.fr/decouvrir-sortir-bouger/dunkerque-le-dernier-film-de-christopher-nolan/>(参照2018-04-24)
6. Haru(@haru-hall) (2018年)、「ドーバーからダンケルク旅2018冬・ダンケルク①浜辺_西半分編」<twitterモーメント>(参照2018-04-24)
7. Haru(@haru-hall) (2018年)、「ダンケルク市街」<twitterモーメント>(参照2018-04-24)
8. Haru(@haru-hall) (2018年)、「ダンケルク浜辺」<twitterモーメント>(参照2018-04-24)
9. Haru(@haru-hall) (2018年)、「ダンケルク桟橋」<twitterモーメント>(参照2018-04-24)
10. kinai(@kinaiyu_z)(2018年)、「2017年冬イギリス・フランス旅行(前)」<twitterモーメント>(参照2018-05-03)
11. MOVIE FUN (2017年9月18日付)、「『ダンケルク(2017)』ロケ地」<http://nicoraiss.blog.jp/archives/72146842.html>(参照2018-04-24)
12. Yann Fossurier,(2017年6月25日)「"Dunkirk" : 24 jours de tournage à Dunkerque avec Christopher Nolan」3 hauts-de-france <https://france3-regions.francetvinfo.fr/hauts-de-france/nord/dunkerque/dunkirk-24-jours-de-tournage-dunkerque-avec-christopher-nolan-1032735.html>(参照2018-04-24)
13. Par YF (2016年6月17日付) “Dunkirk” : de nouveaux détails sur la suite du tournage aux Pays-Bas” 3 hauts-de-france <https://france3-regions.francetvinfo.fr/hauts-de-france/dunkirk-de-nouveaux-details-sur-la-suite-du-tournage-aux-pays-bas-1026587.html>(参照2018-04-24)
14. Par YF(2016年6月17日付)  “Dunkirk” : Christopher Nolan en tournage nocturne à Malo”3 hauts-de-france <https://france3-regions.francetvinfo.fr/hauts-de-france/nord-0/dunkerque/dunkirk-christopher-nolan-tournage-nocturne-malo-1026431.html>(参照2018-04-24)
15. Par YF(2016年6月14日付) “Euro 2016 : deux acteurs de “Dunkirk” de passage à la fan zone de Lille”、3 hauts-de-france<https://france3-regions.francetvinfo.fr/hauts-de-france/nord-0/euro-2016-deux-acteurs-dunkirk-passage-fan-zone-lille-1023515.html>(参照2018-04-24)
16. 4Travel.jp(ダンケルク; 2003年9月18日)<https://4travel.jp/travelogue/10003509>(参照2018-04-24)
17. 帝国戦争博物館公式HPアーカイブ(Imperial War Museum; IWM) (検索キーワード/フィルター:Dunkirk / Evacuation) <https://www.iwm.org.uk/collections/search?query=dunkirk&pageSize=15&filters%5BperiodString%5D%5BSecond+World+War%5D=on&filters%5BtermString%5D%5BEvacuation%5D=on>(参照2018-05-31)
18. イギリス国立公文書館(The National archives) 公式HP (Cabinet papers; The fall of France) <http://www.nationalarchives.gov.uk/cabinetpapers/themes/fall-france.htm> (参照2018-04-24)
19. Doug Goodman (2017年8月10日付)「Dunkirk, France: in the footsteps of its military history」(Travel magazine) (参照2018-04-24)
20. La cocotte公式HP <https://www.lacocottedk.fr/>(参照2018-04-24)
21.VOF (2018年)『Traveler』個人同人誌

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