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★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇絶頂期のマゼール指揮ウィーン・フィル、名古屋での来日ライブ録音盤

2021-11-25 09:48:54 | 交響曲(ベートーヴェン)

                           

ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」

指揮:ロリン・マゼール

管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1980年11月5日、名古屋市民会館ホール(ディジタル・ライブ録音)

LP:CBS・ソニー 32AC 1240(45回転)

 このLPレコードは、ロリン・マゼール(1930年―2014年)がウィーン・フィルと共に来日した時(50歳)のライブ録音盤である。当時としては、珍しかったデジタル録音で、45回転(通常は33回転)と高速回転となっているため、かなりの高音質で聴くことができる。マゼールは、1965年にベルリン・ドイツ・オペラとベルリン放送交響楽団(現ベルリン・ドイツ交響楽団)の音楽監督に就任。さらに、1972年にクリーブランド管弦楽団の音楽監督、そして1982年にはウィーン国立歌劇場の総監督に就任した。つまり、ウィーン国立歌劇場総監督就任の2年前の来日で、まだ、ウィーン・フィルとの付き合いができたばかりの時の録音だ。そのためか、演奏にかなりの緊張感が漂っていることが聴いて取れる。互いに自己主張をし合っているようでもあり、互いに手の内を読みあっているようにも聴こえる。そのことが逆に面白く聴こえ、結果的にかなり質の高い「運命」に仕上がった。指揮者として絶頂期のマゼールの演奏が聴ける貴重盤であるが、特に終楽章は、その後のマゼールとウィーン・フィルの活躍を占うかのように、壮大で力強さが前面に立った名演となった。最後の熱烈な拍手の音を聞くと、当時の聴衆が大喜びしている情景が目に浮かぶようだ。CDを含め、私がこれまで聴いてきた数多くの「運命」の録音の中でも、このLPレコードは最上クラスの1枚に挙げることできる。何回聴いても少しの飽きがこないどころか、聴くたびに新鮮な気分に浸ることができるのは驚嘆すべきことだ。ロリン・マゼールは、フランスで生まれたが、間もなくアメリカに移住する。8歳の時にニューヨーク・フィルを指揮して指揮者デビューを飾ったというから驚きだ。10代半ばまでには全米のほとんどのメジャー・オーケストラを指揮したというから、指揮者になるために生まれてきたも同然。ピッツバーグ大学在学中は、ピッツバーグ交響楽団においてヴァイオリニストとして活躍。その後指揮者としては、順調にキャリアを積み重ね、将来が約束された指揮者と認められていた。しかし、思わぬ不幸が待ち受けていた。それは、カラヤン辞任後のベルリン・フィルの音楽監督のポストを逃したことであった。当時、誰もがベルリン・フィルの次期音楽監督はマゼールと信じて疑わなかった。それがアバドに決まり、この時の本人の落胆は大きかったという。来日公演は、1963年以来30回を超え、日本にも多くの熱烈なファンがいた。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇カラヤン&ベルリン・フィルのベートーヴェン:交響曲第4番/第8番

2021-05-03 09:48:50 | 交響曲(ベートーヴェン)

ベートーヴェン:交響曲第4番/第8番

指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1962年1月23日(第8番)、3月14日(第4番)、11月9日(第4番)、ベルリン、イエス・キリスト教会

LP:ポリドール SE 7812(ドイツグラモフォン MG4003)

 ベートーヴェン:交響曲第4番は、1806年に短時間でつくられた交響曲だ。第1番や第2番に近い性格の曲で、シューマンは、「二人の北国の巨人(第3番と第5番)に挟まれたギリシャ娘のよう」と言ったと伝えられている。古典的な形式を持ちながら、豊かな情緒も併せ持ったロマンチックな優美さが特徴の曲だ。一方、第8番は、1812年5月から書き始め、リンツに滞在中の10月に完成させた。ベートーヴェン自身、「第7番を大交響曲と呼び、第8番を小交響曲」と呼んでいたということでも分かる通り、コンパクトで幸福感の漲った作品だ。演奏は、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルである。この録音がなされたとき、カラヤン(1908年―1989年)はどのような状況にあったのであろうか。1954年、ドイツ音楽界に君臨していたフルトヴェングラーが急逝し、カラヤンは、翌1955年にベルリン・フィルの終身首席指揮者兼芸術総監督の地位に就任している。さらに1956年にはウィーン国立歌劇場の芸術監督に就任したことからカラヤンは“帝王”と呼ばれるようになって行った。そして1965年には前人未踏のクラシック音楽の映像化事業にも着手している。つまり、このLPレコードの録音が行われた頃カラヤンは、その絶頂期にあったわけである。まず、ベートーヴェン:交響曲第4番。ここでのカラヤンの指揮ぶりは、カラヤンの特徴である絢爛豪華で歯切れの良く、テンポを早めに取った、鉄骨を思わせるような、お得意のスタイルを披露し、万人が納得する音づくりを徹底する。そこにはディレッタント(趣味人)的な要素を少しも差し挟まない。このような姿勢は、どこから来るのか。私は最近、このようなカラヤンの演奏スタイルは、クラシック音楽の行きずまりを何とか解決したいというカラヤンの意識がそうさせたのではないかと思えてならない。20世紀に至るまではクラシック音楽は、音楽の王者として君臨することができた。ところが20世紀に入り、ジャズをはじめ、ポピュラー音楽が大衆の人気を博し、クラシック音楽の相対的な凋落が見え始めてきた。カラヤンは、そのことをいち早く嗅ぎ取り、クラシック音楽からディレッタント的要素の排除に向かったのではないのか。一般的に第4番は情緒たっぷりに演奏されるが、カラヤンはそんなことは一切お構いなしに、第4番という曲の骨格を客観的に表現する。一方、ベートーヴェン:交響曲第8番の演奏は、そんなカラヤンの音づくりの傾向と曲自体とがぴたりと合い、万人を納得させる演奏内容となっている。第8番の躍動感溢れるベートーヴェンの楽想が、カラヤンの指揮で生き生きと蘇る。やはりカラヤンは“永遠のスター”なのだ。(LPC) 


◇クラシック音楽LP◇名指揮者フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン・フィルのベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

2021-02-08 09:36:50 | 交響曲(ベートーヴェン)

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

指揮:フェレンツ・フリッチャイ

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1958年10月7日、13日

LP:ポリドール KI 7310

 ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」には、次のような逸話が常に付きまとう。ベートーヴェンは、第3番の交響曲を作曲するのに当たり、ナポレオンを想定していたという。完成の暁にはウィーン駐在のフランス公使館を通じてナポレオンに献呈されることになっていた。ところが完成直後の1804年5月にナポレオンは皇帝の地位に就いてしまう。これを聞いたベートーヴェンは「あの男もありふれた人間にすぎなかった。自己の野心を満たすために皇帝に地位に就いたのだ」と怒りに体を震わせ、机の上の楽譜を取り上げると、引き裂いて床に叩きつけたと言われている。そして、第3交響曲の表題を「エロイカ―ある偉人の思い出のために」と書き改め、ナポレオンにではなく、ロブコヴィッツ公に献呈してしまった、というのがその内容。しかし、この逸話に関して疑問を差し挟む意見もしばしば聞かれる。その一つ、古山和男著「秘密諜報員ベートーヴェン」(新潮新書)によると、この逸話はまったくでたらめで、ベートーヴェンがナポレオンを嫌ったという証拠はなにもないとする。ロブコヴィッツ公に献呈することは最初から決まっていたこと。当時、オーストリアとナポレオンは対決が不可避の状態に置かれており、そんな時にナポレオンを待望するような献呈を行うことは、「ウィーンを攻めてください」と言わんばかりで、当時の状況からあり得ぬこと。表紙の文字がペンで荒々しく消され、表紙に穴が開いているのは、ベートーヴェン自身が行った証拠はなく、後になって誰かが行った行為であるという。このLPレコードは、このような逸話を持つベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」を、名指揮者フェレンツ・フリッチャイ(1914年―1963年)が、ベルリン・フィルを指揮した録音だ。フリッチャイは、ブタペスト・オペラの指揮者として世界的名声を得る。1949年RIAS交響楽団の常任指揮者となり、さらにベルリン国立オペラの音楽監督を務め、LPレコードへの録音を通じてわが国にも徐々にその名が知られるようになった。このLPレコードでのフリッチャイの指揮は、一点の隙のない、きりりと引き締まった集中力を極限まで高めた筋肉質の「英雄」を聴かせる。ベルリン・フィルの弦も、一糸乱れぬ響きを聴かせ見事。フリッチャイの棒は、豊かな音楽性に基づいたものだけに、そのスケールの大きさは他の追随を全く許さない。このためリスナーの集中力も途中で途切れることはない。こんな凄い「英雄」を聴かせるフリッチャイには、もっともっと長生きしてほしかった。(LPC)


◇クラシック音楽LP◇カラヤン指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン:交響曲第7番

2020-11-12 09:39:34 | 交響曲(ベートーヴェン)

ベートーヴェン:交響曲第7番

指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン

管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

発売:1977年

LP:キングレコード(LONDON) GT 9127

 カラヤンは日本へは何回来たのであろうか。調べてみると合計11回だったようだ。このLPレコードの発売は、7回目の1977年の時のものであろう。これらのうち、私は1981年10月31日、東京文化会館でのブラームス:交響曲第4番/交響曲第2番の演奏会を聴いたことを昨日のように思い出す。この頃、既にカラヤンの体調に異変が生じつつあったようで、片足を引きずりながら指揮台に登壇したのを見た時には一瞬びっくりした。その痛々しい姿が今でも目に焼き付いて離れない。逆に言うと、そうまでしてカラヤンは、日本公演に拘ったとも言うことができる。カラヤンは大のメカ好きで、当時の日本の音響機器には世界最高の製品が数多くあり、そんなこともカラヤンが日本に引き付けられた一因にもなっていたようでもある。カラヤンが亡くなった時に、その部屋に居たのは元バリトン歌手で当時のソニー社長の故大賀典雄氏であったことでも、カラヤンと日本の因縁の深さを感じざるを得ない。さて、このLPレコードのジャケットの帯には、「カラヤン/ウィーン・フィルのステレオによる唯一のベートーヴェン」と記載されている。正に貴重な録音なのだ。そういえばカラヤンはベルリン・フィルとの録音は数多く残しているが、ウィーン・フィルとの録音はそう多くはないことに思い当たる。そもそもウィーン・フィルは常任指揮者を置かないし、プライドも高そうなので、帝王カラヤンといえどもそう気易く指揮をするわけにいかなかったもしれない。それを裏付けるように、このLPレコードのA面のベートーヴェン:交響曲第7番の第1楽章および第2楽章を聴くと、いつもの“カラヤン節”は、少々湿りがちで、全開に至っていない。やはり、両者(カラヤンとウィーン・フィルの団員)が互いに様子見の綱引きをやっているように私には聴こえる。ワーグナーがこの7番を「舞踏の神化」となぞらえたような活力が聴き取れない。第1楽章および第2楽章の演奏だけを聴くと、何かを手探りで模索してしているかのような演奏に終始する。ところが、B面の第3楽章および第4楽章に入ると、ようやくにいつもの“カラヤン節”が全開する。その鋼鉄のような力強い表現に圧倒される。同時に「舞踏の神化」そのものの軽快な音の運びは聴いていて心地よい。特に第4楽章に入ると、弦、管、打楽器の全てがカラヤンの棒の下に結集して圧倒的な効果を発揮する。このLPレコードを聴くと、やはり帝王カラヤンをもってしても、ウィーン・フィルを統率するには一筋縄ではいかなかったのではなかろうか、との思いに至った録音ではあった。(LPC)