台所で「ああ、大変だ!」とヨメが言う。ついさっき鍋を焦がしたばかりなのにまた焦がしたのかと思った。そうではなかった。
何が大変かと聞けば「もうこんな時間だ」と言う。知らない間に何処かにワープしてたのか。このボッケ家には廊下以外の全ての部屋に時計がある。だから何時の間にか時が過ぎるなんて有り得ないのだ。
こんなヨメにはどうすれば良いんだろ。時刻を表示してるヘッドマウントディスプレイを何時も装着してれば良いけど現実的ではない。というより付けてても恐らく「もうこんな時間だ」と言うに違いない。
それにしても浦島太郎は竜宮城が幾ら楽しいからって何時迄も遊び呆けて困ったもんだ。こんな事にならないようにするにはどうすれば良いか。知らない亀に付いて行ってはいけないってことだな。
今朝はパン食。ヨメが寝床の中でスープ作れと言う。座右の銘が世の中に寝るほど楽はなかりけり浮世の馬鹿は起きて働くのオレサマとしては極めて面倒臭い。作れるスープは2種。コーンスープかトマトスープ。しかしわざわざ起きてそれを作るのも面白味もヘチャチャも無い。
クノールのインスタントにポテト・ポタージュがあって以前からそれを作ってみたかった。どうすりゃいいのか分からないけどテキトーにオンサイトトライ。ジャガイモを茹でて潰してたんじゃ時間が足りなそうだったのでおろし金で摺って水と牛乳で煮た。他に玉葱も摺り下ろして一緒に似た。火が通った後はバター、コンソメ、塩、胡椒を加えるだけ。
写真に撮るならオレガノを散りばめろとヨメ
味は思った通りに出来たけどヤマイモみたいなトロみがついた。多少トロみは有っても良いけど思ってた以上だった。塊を茹でずに摺り下ろしたからかな。写真を撮る時、殺風景だからこれをかけろとヨメがオレガノの瓶を差し出した。オレガノは好みではない。かけるならパセリの粉だけどそれは無いので仕方無い。
連日の峠越えでは疲れちゃう。近所の岩場は超寒そうだけど楽なのでそこにした。早く着いても寒いだけなので昼少し前に到着。
キツネかタヌキの足跡みたい
岩場までの林道には足跡が沢山あった。俺は犬の散歩かと思ったけど、「人の足跡が無いから犬じゃないよ」とヨメが言う。今時は放し飼いの犬や野良犬は見ないので大きさからいってキツネかタヌキかな。ウサギらしきのもあった。
ウサギかな?
何をやろうか物色してる時、岩がボロボロだけど1度もやった事のないルートをやることにした。何よりそこは日が当たってる時間が長い所なので岩が比較的暖かい。
ヨメちゃんの最初の悲鳴は下部での出来事。何かがシューッって言っていると大騒ぎ。俺が登った時はまだ寝てたのかな。シューッと言ったら蛇なのか。また登った時に指で突いてみたら柔らかくて生暖かい。ビロードのような手触り。そしてシューッと言った。恐らく岩の隙間に居たのはコウモリ。
2度目は俺が登ってる時に絶叫。熊でも出たかと思ったがこの時出て来たのはムササビ。岩陰から飛び出してきた時だった。それも2匹。誰も登らないルートだったので今までは安心してたのだろう。
岩壁が暖かくなるのを待ってる間、カラビナのゲートをパチパチやって遊んでた。ゲートを開けた時、ふと見るとゲートの中心とスパインのセンターがずれていた。それが殆どのカラビナで同じだった。ちなみにスパインは初耳言葉で spine (脊椎)の事みたい。
赤がゲートのセンター、橙がスパインのセンター
カラビナはBDのナイトロンだけど同じ頃に買ったポジトロンではこういうずれが無い。なのでこのずれに何か意味があるというより、結果オーライならこの程度のことは気にしないって作りなのか。
浅間山 今月4日の地震100回超える! |
火山活動いまだ衰えず |
・・・・・略・・・・・ |
気象庁は、火口から約2キロ範囲では、大きな噴石が突然飛散するおそれもあるとして、噴火警戒レベル「2」を発令し、火口周辺への立ち入りを禁止している。 |
ハザードラボ 2017年2月6日 16時29分 |
ここのところの浅間山、山頂の噴煙は冬なので水蒸気が目立つだけだと思ってた。そしたら活動が活発だとラジオでテレビでやっていた。噴煙が高く立ち上る事は無いけどたまに山に沿って降りてくることがある。こんな時は御代田町や軽井沢町辺りでは硫黄の臭いがするのかな。
ヨメが岩を登ってる時「緑色で小さくて綺麗な虫が居る」と騒ぎ出した。真っ先に浮かんだのはクサカゲロウ。だけどクサカゲロウの成虫は口が無くて寿命は1日だと聞いている。それに今は冬。一体どんな虫なのか。そこでカメラを持って登ることになった。
クサカゲロウは岩の窪みの天井部分に張り付いていた。動いてはいないけど生きてるようだ。この状態で冬眠? だってその日真冬日というか佐久の山は真冬月だ。その日はたまたま外の方に出て来たのかな。
ところで冬眠とは冬の間は眠ってるってことなんだけど、こういう虫を見ていると本当に眠ってるのかという疑問。本当にそうなのかは脳波測ってみないと分からないけど、俺にはただボーッとして動かないで居るだけのような気がする。
佐久に来てから暫くして自転車で買い物などをするようになった。ここは佐久平と言うくらい平らだし当時は家で仕事してたから運動不足解消って目的もあった。
自転車に乗って怖い目に何度も遭った。田舎では自転車が走ってるのは朝夕の中高生の通学時間帯くらい。真っ昼間に自転車が走ってるなんてのは頭に無いようだった。そんなこんなで佐久の無神経な運転は予測出来るようになった。それは車に乗ってても役に立つ。
下の写真はスーパーの出口でのドライブレコーダーの記録。ここから出る時は要注意なのだ。何が要注意って右側から車が入ってくる時の大回り。好き放題のライン取りなのだ。
今回は侵入スピード、はみ出し具合に関して歴代ワースト5に入るくらいの車。危ない出口なので徐行してたから助かったけど、もう頭おかしいとしか言いようがない。ちなみに運転手は中年の女。もしかすると赤信号で停止線からはみ出て待つのは大回りするなよっていう意思表示なのかな。控えてるから突っ込んでくるという裏目。
いきなりこの車がドーンッと現れた!
電車に乗ってると車内アナウンスが日本語と英語の2種類だ。最近気が付いたのが駅に番号が振ってあるらしいってこと。山手線に乗ってて Next station is shinagawa なんてのの次に数字を言ってるのだ。でも日本語の案内にはそれが無い。
初めは何だか分からなかったけど続けて聞いてると数字が1つずつ増えていって東京でそれが1になった。その時にこれは駅番号で山手線の駅の数が30なんだと想った。俺の耳にはKY 29 などと聞こえたんだけどKではなくてJのようだ。
朝一番にやるのはストーブに薪をくべること。前夜の熾が残ってるので火は直ぐにつくけど中々暖まらない。扉を開けて燃やすと段違いに暖かくなる。透明なガラスでも熱線を遮断してるようだ。
扉を開けると暖かいが
こんな燃やし方をしても煙は煙突から抜けていくので燃える臭いはしないし空気が汚れる事もない。でもこの方法では部屋は暖まらないらしい。部屋の空気も煙突を通じて外に出ちゃうそうだ。しかも薪は直ぐ燃え尽きる。暖かいのは直接火が当たっているところだけ。急速暖房にはならないようだ。
ヨメ兄から電話があったので3人で岩場に行くことになった。寒そうだから暖かそうな場所が良いけど山梨はここのところ続けて行ってる。同じエリアに連続して行かないようにしてるので何処にしようか迷った。2ヶ月ぶりに二子に行くことにした。エリアは祠。ヨメ兄と一緒なので何時もよりやや早い8時集合。
兄妹は長靴
雪対策でヨメ兄妹は長靴。対策としては正しいが、俺は長靴が要るようではさっさと撤退したい。幸い積雪は大したことないし、気温が低かったのでぬかるみも無く歩きやすかった。
岩場に着いたのは10時をちょっと回った頃。その時は数人居たが間もなく居なくなる。ここに居た人達はここでウォープアップして皆弓状エリアに行ってしまうのだ。すると貸し切り状態。勿論順番待ちも無し。トップロープも張り放題。
他に知り合いが1組だけ
4時少し前、日が陰ってきたりで寒くなったのでおしまい。でも駐車場の様子は朝来た時と同じ。誰よりも遅く来て誰よりも早く帰るクライミングであった。
先に帰った車は無かった
青空文庫はタダで読めて良いんだけど知ってる作家はほんの僅か。俺が知ってるのって学校の教科書に登場した人だけだからそんなもんだろう。もし学校に行かなかったら誰も知らないってことか。
青空文庫の作品は著作権が切れてるくらいだから昔の人が書いた古い文章だ。読んでも分からなかったり面白くなかったりする。知ってる作家を探してたら芥川龍之介があった。短編なので電車の中で読みやすい。読んでいてさすが芥川賞なんてのになるだけはあるな、と。
ふと直木賞の直木って誰なんだろうと思った。検索したら直木三十五にちなんだ賞だった。初耳名。三十五は捻って読み方は全くなくサンジュウゴ。青空文庫を探したら作品が載っていた。
数字の名前には他に五十六とか一二三なんてのがある。この三十五って名前にはどんな意味があるんだろと思った。そしたら本名では無かったので由来の興味は無くなった。本名は植村宗一だそうだ。
朝、友達の家に泊まってるシェルパを迎えに行った。玄関で軽く挨拶。ちょっと知ったかぶりで「ナマステ~」。ナマステは通じたが、シェルパ族の挨拶はナマステではなくタシデレという初耳言葉だというのを後になって聞いた。
このシェルパというのは職業の名前ではなく、荷揚げする人の多くがシェルパ族だからそういう風に呼ばれるようになったそうだ。東南アジア辺りでオートバイの事をホンダと呼んでるのと似てる。
そのシェルパは荷揚げだけするのかと思ったらそうではなかった。テントを担ぎ、キャンプ地でそれを広げ、その中で料理を作る。歩く民宿だ。
2015年、ネパールで大地震があった。印象としては去年なんだけどそれよりも前だった。災害が起きれば瓦礫を片付けたり炊き出ししたりなんだけど、カースト制の上位の人は下位の人が作った食事は食べないという初耳話を聞いた。
俺とヨメに対するチャーの態度や仕草は違う。膝の上に抱っこして欲しい時、ヨメには前足でゴソゴソとお願いのような仕草をする。俺にはそういう事はしない。スペースが空いてる時に来ることはあるけど塞がってる時は隣で寝る。
抱かれた時の格好も微妙に違う。こに写真のように右前足を胸に付けるのは俺にはした事がない。ちなみに以前は左前足を背中に回してたことがあったけど今はしてない。
この前足は親愛の証なのか
東京の駅にはエスカレーターがある。それがとても長い。階段だったら途中に踊り場があるけどエレベーターにはそれが無い。
エスカレーターに乗る時、岩登りをするようになってからはベルトを掴むようになった。岩壁では必ず安全確保するからだ。下りのエスカレーターで脇を抜いてく人に押されたりしたら危ない。例え相手が悪くても怪我して得な事は無い。
ボッケ家の階段には手摺が無い。家を建てた時に付ける話はあった。だけど先ず余計な経費を抑えたかったしそんな物は要らないと思ってた。それに手摺くらいなら自分で後から付けられる。
ヨメ職場の同僚、ヨメと同年代の人が自宅の階段から落ちた。受け身を取れず頭から落ちたので暫くは休まざるを得ないそうだ。そんな話を聞いて家の階段に手摺があった方が良いのかなぁと思った。
ところで手摺ってどちらに付けるのかな。丸棒ではなくロープをフィックスってのもアリかな。要らないロープ沢山あるし。
「ボッケさん暇でしょ」ってことでネパール人を接待する事になった。面白半分というより面白全部で引き受けた。平日なのでヨメちゃんは留守番じゃなくて仕事。暇は恥だが役に立つってやつだ。
ネパール人の職業はシェルパ。日本語は喋れるそうだけど心配だからってことで1人オマケが付いて来た。その若者はヒマラヤ登山でそのシェルパの世話になった人だ。
何故シェルパが日本に来たのか。そのシェルパの世話になった日本人達が皆で招待したのだ。その日はクライミングが目的だけど実際どのくらい楽しめるのかが不明。そしたら依頼側は観光案内でも何でも良いって言う。ならば最近行ったK府の小さな岩場に行くことにした。今の時期だと富士山、白根三山、甲斐駒、八ヶ岳、金峰山という日本の代表的な高い山が手前の黒っぽい山の後ろに白くはっきり見える。観光的にもOKだ。
しっかし年齢、経歴、国籍、どこにも接点が無い。強いて言えば登山だけど方やエベレストだよ。そこで一流には一流ということで元師匠を相手役として招待。ついでにトップロープを張って貰う。
シェルパはホームシックのようだった。来日して10日くらいは経ってるらしいけど車の中ではネパールに電話しまくり。そして恐らく毎日毎日取っ替え引っ替えで日本観光や宴会が続いててそれなりな心労だと思われた。そこで今日はユルユルやろうということになった。ま、元師匠と俺の何時ものスタイルだ。
ビレイしてて今までになくロープを引かれた。後で聞いたら体重90kgと過去最重クライマー。グリグリじゃなかったらロープが流れたかも。しかしこのくらいの巨漢じゃないと酸素が少ない山頂付近で20kgも30kgも荷物背負って歩けないわな。ちなみに酸素ボンベは使わずに活動するという無酸素シェルパ。
2人共同じルートを交代でやった。下の写真、このルートの難しい部分はヨメちゃんしか登れてない。そんな所を若者に登ってもらうことにした。無理無理って言ってたけど話の種にとやってみたらということでトライ。無理だったけどまたやりたいと言っていた。
まぁそんなこんなで接待クライミングは元師匠の手助けもあって無事終了。俺は運転手兼カメラマン役だったかな。ちなみにこの日1日だけは元が取れた師匠として活躍。一日署長とか一日駅長なんてのがあるけど一日師匠。
背景の白い山は白根三山
ネパール人の職業はシェルパ。日本語は喋れるそうだけど心配だからってことで1人オマケが付いて来た。その若者はヒマラヤ登山でそのシェルパの世話になった人だ。
何故シェルパが日本に来たのか。そのシェルパの世話になった日本人達が皆で招待したのだ。その日はクライミングが目的だけど実際どのくらい楽しめるのかが不明。そしたら依頼側は観光案内でも何でも良いって言う。ならば最近行ったK府の小さな岩場に行くことにした。今の時期だと富士山、白根三山、甲斐駒、八ヶ岳、金峰山という日本の代表的な高い山が手前の黒っぽい山の後ろに白くはっきり見える。観光的にもOKだ。
しっかし年齢、経歴、国籍、どこにも接点が無い。強いて言えば登山だけど方やエベレストだよ。そこで一流には一流ということで元師匠を相手役として招待。ついでにトップロープを張って貰う。
シェルパはホームシックのようだった。来日して10日くらいは経ってるらしいけど車の中ではネパールに電話しまくり。そして恐らく毎日毎日取っ替え引っ替えで日本観光や宴会が続いててそれなりな心労だと思われた。そこで今日はユルユルやろうということになった。ま、元師匠と俺の何時ものスタイルだ。
ビレイしてて今までになくロープを引かれた。後で聞いたら体重90kgと過去最重クライマー。グリグリじゃなかったらロープが流れたかも。しかしこのくらいの巨漢じゃないと酸素が少ない山頂付近で20kgも30kgも荷物背負って歩けないわな。ちなみに酸素ボンベは使わずに活動するという無酸素シェルパ。
2人共同じルートを交代でやった。下の写真、このルートの難しい部分はヨメちゃんしか登れてない。そんな所を若者に登ってもらうことにした。無理無理って言ってたけど話の種にとやってみたらということでトライ。無理だったけどまたやりたいと言っていた。
まぁそんなこんなで接待クライミングは元師匠の手助けもあって無事終了。俺は運転手兼カメラマン役だったかな。ちなみにこの日1日だけは元が取れた師匠として活躍。一日署長とか一日駅長なんてのがあるけど一日師匠。