5月23日(金)夕刻に東京池袋の豊島公会堂で開催される、
『小沢一郎議員を支援する会』主催シンポジウム
「小沢一郎が語る これからの日本の外交と経済」
に、鳩山友紀夫元首相が出席されることになった。
画期的なことであると言える。
鳩山友紀夫元首相の出席
日本政治はいま、戦後最大の危機に直面していると言っても過言ではない。
2009年9月には日本政治史上初めての
「民衆の民衆による民衆のための政権」
が樹立された。
小沢氏と鳩山氏が主導する旧民主党が、政権交代の大業を成就したのである。
このこと自体は、日本政治史上の金字塔であると言って良いだろう。
日本の主権者国民が拍手喝さいを送った。
しかし、この政権は短命で幕を閉じた。
光り輝く時代は暗転し、そこから日本政治は急坂を転げ落ちてきた。
そして、いま、憲法が破壊される危機に直面している。
日本社会が根底から変質させられようとしている。
この現状に歯止めをかけて、もう一度、主権者国民政権を樹立するべきである
と、多くの主権者が考えている。
私は、2009年9月から2010年6月までのわずか8ヵ月半の時間では
あったが、日本政治に一筋の光が差し込んだ期間を、
「小鳩の春」
と表現している。
「プラハの春」
は軍事的に破壊されたが、のちに東側社会は自己崩壊に進んでいった。
日本では旧政復古政権が樹立され、時計の針が大きく逆戻しされ、日本は大日
本帝国憲法下の時代に引き戻される気配を強めている。
このまま、歴史の逆行を許してしまうのか。
それとも、もう一度、時計の針を右回りに転換することができるのか。
重要な正念場に差し掛かっている。
2009年に小鳩政権が誕生したとき、危機に直面した日本の既得権勢力は、
「三本の矢」を放った。
第一の矢が狙ったのは、小沢一郎氏の人物破壊であった。
第二の矢が狙ったのは、鳩山友紀夫の人物破壊であった。
そして、第三の矢が狙ったのは、小沢氏と鳩山氏の分断であった。
小沢氏と鳩山氏が連絡を密にして、強固な連携を展開することを阻止する工作
が展開されたのである。
民主党内部には、主権者と敵対する勢力につながる分子が多数潜伏していた。
この隠れ既得権益勢力が鳩山政権を破壊し、小鳩分断を実行していった。
菅直人政権、野田佳彦政権が生み出されていったが、この二つの政権は主権者
政権ではない。
既得権勢力が奪還した旧政復古政権である。
菅・野田政権は民主党政権のイメージを破壊し尽くした。
二度と民主党政権が生み出されないように、徹底して民主党政権のイメージを
破壊する自傷行為に突き進んだのである。
それは、自民党に大政を奉還するための方策であったようにも見える。
安倍政権が推進する方向は、
「戦争と弱肉強食」
である。
極めて明瞭である。
この路線が好きだという国民も存在はするのだろう。
しかし、国民の過半数がこの路線に賛同するとは考えられない。
対峙する方向は、
「平和と共生」
である。
「戦争と弱肉強食」
の政治を、
「平和と共生」
の政治に転換できるか。
これが主権者国民に与えられた課題である。
政治刷新を実現するには、大同団結が必要不可欠だ。
この意味で、23日のシンポジウムには、果てしない、限りない、大きな意味
がある。
現在の日本政治状況を打開しようとするときに、二つの理念系が存在する。
ひとつは、「政治における数」を重視するアプローチである。
「政治は数」という、冷徹な原理がある。
いかなる高邁な理想を掲げようとしても、最終的に「数」が揃わねば、大きな
力にはなり得ない。
「政治を実現する」には、議会多数勢力が必要なのだ。
残念なことに、いまの政治状況では、衆院も参院も、自公が過半数を占めてい
る。
野党勢力は極めて弱小になってしまった。
「一強多弱」と表現されている。
野党第一党の民主党が壊滅的である。
2010年にクーデターが挙行され、民主党内に潜伏していた、既得権勢力が
権力を強奪してしまった。
その後、主権者勢力の多くが「生活の党」などとして民主党を離脱した。
民主党の大半を既得権勢力が占有し、いまや民主党は、もっとも国民に忌み嫌
われる存在に成り下がっている。
野党のなかでは、我が道を行く共産党だけが、自陣をわずかに拡大している
が、政権奪還の道程はまったく示されていない。
小沢一郎氏は、かねてより、政権交代がある普通の民主主義の状況を作り出す
ことの重要性を唱えてきた。
この視点からすれば、現在の一強多弱の状況を打破するには、野党勢力の結集
が必要だということになる。
野党勢力の結集が唱えられ始めている。
しかし、2009年に樹立された鳩山友紀夫政権が、短命に終わり、党内クー
デターが挙行されたのは、民主党内に異質な二つの勢力が混在していたからで
ある。
既得権とは、
米・官・業
である。
これに対峙するのが
主権者国民。
小鳩政権は、
「既得権の政治」を排除して、
「主権者の政治」を打ち立てようとした。
ところが、民主党のなかに、主権者の側ではなく、既得権の側に軸足を置く人
間が多数存在した。
その結果、政治権力は、
主権者の側から既得権の側に、
奪い返されてしまったのである。
「政治は数」というのは、冷徹な原理であり、重要な意味を持つことである
が、逆に「数」だけに頼る政治運営は、大きな落とし穴に陥りやすいのであ
る。
対米従属・官僚利権擁護・大資本の利益優先
の政策路線は、根本的に、
主権者国民の利益優先
の政策路線と矛盾する。
したがって、政治の質、政策、基本理念、哲学における基本路線を確認し、そ
の上で連携を図ってゆかないと、単なる数合わせに陥る危険も生まれてくる。
政治運営の基本理念、基本哲学を軸に政党分化が進み、この基本理念、基本哲
学の退治を基軸に、主権者が政権を選択する状況を、どうやって作り出すか。
この点に、私たちは知恵を絞ってゆかねばならないと思う。
基本理念・基本哲学の対峙ということでは、
私はやはり、
「戦争と弱肉強食」
の道を選ぶのか、
それとも、
「平和と共生」
の道を選ぶのか、
を問う、あるいは考えるのが分かりやすいと思う。
小沢一郎氏が強調する「共生」、「国民の生活が第一」の基本理念は、
鳩山友紀夫氏が強調する「友愛」の政治とオーバーラップする。
これに対して、小泉竹中政治とその二番煎じである安倍晋三政治は、
「戦争と弱肉強食」
を追求するものであると判断できる。
日本はいま、急速に、
「戦争と弱肉強食」
の方向に進路を定めつつある。
日本の主権者国民が総意として、この路線を選択するなら構わないが、日本の
主権者国民の多数が、この路線に反対であるなら、いまの政治の流れを止める
必要がある。
「平和と共生」の基本路線で、広い意味で考えを共有する主権者が連帯して、
次の政治決戦への備えを始動しなければならない。
5月23日シンポジウムに市民が参集し、新しい政治運動の狼煙を上げねばな
らない。
『小沢一郎議員を支援する会』主催シンポジウム
「小沢一郎が語る これからの日本の外交と経済」
に、鳩山友紀夫元首相が出席されることになった。
画期的なことであると言える。
鳩山友紀夫元首相の出席
日本政治はいま、戦後最大の危機に直面していると言っても過言ではない。
2009年9月には日本政治史上初めての
「民衆の民衆による民衆のための政権」
が樹立された。
小沢氏と鳩山氏が主導する旧民主党が、政権交代の大業を成就したのである。
このこと自体は、日本政治史上の金字塔であると言って良いだろう。
日本の主権者国民が拍手喝さいを送った。
しかし、この政権は短命で幕を閉じた。
光り輝く時代は暗転し、そこから日本政治は急坂を転げ落ちてきた。
そして、いま、憲法が破壊される危機に直面している。
日本社会が根底から変質させられようとしている。
この現状に歯止めをかけて、もう一度、主権者国民政権を樹立するべきである
と、多くの主権者が考えている。
私は、2009年9月から2010年6月までのわずか8ヵ月半の時間では
あったが、日本政治に一筋の光が差し込んだ期間を、
「小鳩の春」
と表現している。
「プラハの春」
は軍事的に破壊されたが、のちに東側社会は自己崩壊に進んでいった。
日本では旧政復古政権が樹立され、時計の針が大きく逆戻しされ、日本は大日
本帝国憲法下の時代に引き戻される気配を強めている。
このまま、歴史の逆行を許してしまうのか。
それとも、もう一度、時計の針を右回りに転換することができるのか。
重要な正念場に差し掛かっている。
2009年に小鳩政権が誕生したとき、危機に直面した日本の既得権勢力は、
「三本の矢」を放った。
第一の矢が狙ったのは、小沢一郎氏の人物破壊であった。
第二の矢が狙ったのは、鳩山友紀夫の人物破壊であった。
そして、第三の矢が狙ったのは、小沢氏と鳩山氏の分断であった。
小沢氏と鳩山氏が連絡を密にして、強固な連携を展開することを阻止する工作
が展開されたのである。
民主党内部には、主権者と敵対する勢力につながる分子が多数潜伏していた。
この隠れ既得権益勢力が鳩山政権を破壊し、小鳩分断を実行していった。
菅直人政権、野田佳彦政権が生み出されていったが、この二つの政権は主権者
政権ではない。
既得権勢力が奪還した旧政復古政権である。
菅・野田政権は民主党政権のイメージを破壊し尽くした。
二度と民主党政権が生み出されないように、徹底して民主党政権のイメージを
破壊する自傷行為に突き進んだのである。
それは、自民党に大政を奉還するための方策であったようにも見える。
安倍政権が推進する方向は、
「戦争と弱肉強食」
である。
極めて明瞭である。
この路線が好きだという国民も存在はするのだろう。
しかし、国民の過半数がこの路線に賛同するとは考えられない。
対峙する方向は、
「平和と共生」
である。
「戦争と弱肉強食」
の政治を、
「平和と共生」
の政治に転換できるか。
これが主権者国民に与えられた課題である。
政治刷新を実現するには、大同団結が必要不可欠だ。
この意味で、23日のシンポジウムには、果てしない、限りない、大きな意味
がある。
現在の日本政治状況を打開しようとするときに、二つの理念系が存在する。
ひとつは、「政治における数」を重視するアプローチである。
「政治は数」という、冷徹な原理がある。
いかなる高邁な理想を掲げようとしても、最終的に「数」が揃わねば、大きな
力にはなり得ない。
「政治を実現する」には、議会多数勢力が必要なのだ。
残念なことに、いまの政治状況では、衆院も参院も、自公が過半数を占めてい
る。
野党勢力は極めて弱小になってしまった。
「一強多弱」と表現されている。
野党第一党の民主党が壊滅的である。
2010年にクーデターが挙行され、民主党内に潜伏していた、既得権勢力が
権力を強奪してしまった。
その後、主権者勢力の多くが「生活の党」などとして民主党を離脱した。
民主党の大半を既得権勢力が占有し、いまや民主党は、もっとも国民に忌み嫌
われる存在に成り下がっている。
野党のなかでは、我が道を行く共産党だけが、自陣をわずかに拡大している
が、政権奪還の道程はまったく示されていない。
小沢一郎氏は、かねてより、政権交代がある普通の民主主義の状況を作り出す
ことの重要性を唱えてきた。
この視点からすれば、現在の一強多弱の状況を打破するには、野党勢力の結集
が必要だということになる。
野党勢力の結集が唱えられ始めている。
しかし、2009年に樹立された鳩山友紀夫政権が、短命に終わり、党内クー
デターが挙行されたのは、民主党内に異質な二つの勢力が混在していたからで
ある。
既得権とは、
米・官・業
である。
これに対峙するのが
主権者国民。
小鳩政権は、
「既得権の政治」を排除して、
「主権者の政治」を打ち立てようとした。
ところが、民主党のなかに、主権者の側ではなく、既得権の側に軸足を置く人
間が多数存在した。
その結果、政治権力は、
主権者の側から既得権の側に、
奪い返されてしまったのである。
「政治は数」というのは、冷徹な原理であり、重要な意味を持つことである
が、逆に「数」だけに頼る政治運営は、大きな落とし穴に陥りやすいのであ
る。
対米従属・官僚利権擁護・大資本の利益優先
の政策路線は、根本的に、
主権者国民の利益優先
の政策路線と矛盾する。
したがって、政治の質、政策、基本理念、哲学における基本路線を確認し、そ
の上で連携を図ってゆかないと、単なる数合わせに陥る危険も生まれてくる。
政治運営の基本理念、基本哲学を軸に政党分化が進み、この基本理念、基本哲
学の退治を基軸に、主権者が政権を選択する状況を、どうやって作り出すか。
この点に、私たちは知恵を絞ってゆかねばならないと思う。
基本理念・基本哲学の対峙ということでは、
私はやはり、
「戦争と弱肉強食」
の道を選ぶのか、
それとも、
「平和と共生」
の道を選ぶのか、
を問う、あるいは考えるのが分かりやすいと思う。
小沢一郎氏が強調する「共生」、「国民の生活が第一」の基本理念は、
鳩山友紀夫氏が強調する「友愛」の政治とオーバーラップする。
これに対して、小泉竹中政治とその二番煎じである安倍晋三政治は、
「戦争と弱肉強食」
を追求するものであると判断できる。
日本はいま、急速に、
「戦争と弱肉強食」
の方向に進路を定めつつある。
日本の主権者国民が総意として、この路線を選択するなら構わないが、日本の
主権者国民の多数が、この路線に反対であるなら、いまの政治の流れを止める
必要がある。
「平和と共生」の基本路線で、広い意味で考えを共有する主権者が連帯して、
次の政治決戦への備えを始動しなければならない。
5月23日シンポジウムに市民が参集し、新しい政治運動の狼煙を上げねばな
らない。
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