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セピア色の映画手帳 改め キネマ歌日乗

映画の短い感想に歌を添えて  令和3年より

「Love Letter」

2020-12-14 14:26:30 | 映画感想
 「Love Letter」(1995年、日本)
   監督 岩井俊二
   脚本 岩井俊二
   撮影 篠田 昇
   音楽 REMEDIOS
   出演 中山美穂
      豊川悦司
      酒井美紀
      柏原 崇
      笵 文雀  加賀まりこ
      篠原勝之

 山で遭難死した婚約者の法事、その実家で卒業アルバムを見せられた博子は、未だ忘れられないその人の当時の住所をメモし「お元気ですか」とアテもなしに手紙を出す、幾日かして死んだ筈の藤井樹(ふじい いつき)から返事が来た・・・。

   予告篇 https://www.youtube.com/watch?v=M0UA1yrUTfs

 まぁ、同じクラスに同姓同名の女子が居たという事なんだけど、この二人が文通を交わしていく内に同姓同名故に揶揄われた厭な思い出ばかりだと思ってた裏側に自分では気付かない恋心が育っていた事を知る、博子の思い出補完で始まった本格的文通が樹の知らずいた恋心を自覚させる事になり、それが「Love Letter」の意味と重なる。このナイーブな設定は中々面白くて良かったし、又、綺麗に撮ってもらってる中山美穂と酒井美紀の魅力が遺憾なく発揮されて魅せるものが有りました。

 只、博子が小樽を訪ねた際に二人はすれ違い博子だけが樹に気が付く、それは樹が自分にそっくりだったから。そこで博子に自分がもう一人の樹、つまり初恋の相手の代用品ではなかったのかという疑念に苛まれるのてすが、この葛藤に対する解決をウヤムヤにしてるのが凄く気になりました。
 それと博子って何をして生活してるのか、まるで生活感がない、亡き婚約者の山仲間からプロポーズされてる現状は高橋留美子氏の名作マンガ「めそん一刻」の響子さんと同じ状況なのですが、この人には葛藤はあれど誰にでも有る自我がまるで無い、岩井監督の経営する岩井牧場の柵の中で大人しく飼われている雌羊のよう。
 この監督さんの「リップヴァンウィンクルの花嫁」も観てるけど、あのヒロインも自我が無く流されてばかりでしたね、だけど、最後は自分の足で立って歩くまでに成長した、でも、この博子さんは最後まで流されるまんまに感じてイマイチ共感性が薄くなってしまいました。

 ピュアでメルヘンチックな良い作品だと思うけど、ヒロインの主体性の無さに「これ、どうなの?」と思った作品でもありました。

 R2.12..6
 DVD
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「あなたの名前を呼べたなら」

2020-09-28 14:11:57 | 映画感想
 「あなたの名前を呼べたなら」(「Sir」、2018年、印・仏)
   監督 ロヘナ・ゲラ
   脚本 ロヘナ・ゲラ
   撮影 ドミニク・コラン
   音楽 ピエール・アヴィア
   出演 ティロタマ・ショーム
      ヴィヴェーク・ゴーンバル
      ギータンジャリ・クルカルニー

 インドとフランスがくっ付くとラストがぶった切りになる。(笑)
 「めぐり逢わせのお弁当」('13)も相当なもんだったけど(でも、ある程度、先の予測はつく)、こちらはもっと凄い、まぁ、あそこで終わるのは充分アリなんだけどね。

 先がないのを知りながら婚家に隠され持参金なしの一見好条件で結婚、僅か4ヶ月で10代の未亡人となり、今度は口減らしのため都会に働きに出る。大手建設会社の御曹司のメイドとして働きながら生家の妹の為仕送りの日々、そんなラトナの夢はデザイナーになる事だった・・・。

   予告篇 https://www.youtube.com/watch?v=RVtt_x5BRHM

 「玉の輿」か「自立」か。
 アジア的には「玉の輿」解釈かもしれないけど、フランス資本が入ってるし、僕は旦那様の愛するが故の置き土産で「自立」だと思う、何となく「世界一キライなあなたに」('16)で御曹司が臨時ヘルパーのルー(E・クラーク)にチャンスを遺していったのと同じ感じがします、彼女もデザイナー志望じゃなかったっけ。(笑)
 カーストのないアメリカで二人が結ばれる「玉の輿」コースは作品のトーンと微妙に違う気がするし、カーストが骨の髄まで染み込んでるラトナの性格で二人がやっていけるのか疑問、友人が言うように親族の問題もある、大体、(カーストの)上の者が下の者に気遣いは出来ても実際を知る事は出来ないと思う、男と女の間の理解が想像でしかないように。

 公式には廃止されたという「カースト制」、しかし、今も厳然と存在しインド人の生活を縛っています、生まれた階層で仕事の上限も年収もほぼ決まってしまう、テーブルの上を拭く人と床を拭く人さえカーストが違う国、映画「きっと、うまくいく」で落第→自殺が何度か出てくるのもITエンジニアと医者が数少ないカースト除外職種だからで、低カースト者が縋る蜘蛛の糸なんです、その為に親戚中からお金を借りて成功へ突き進むけど落第すれば借金と低カーストの中で一生を過ごす人生が待ってる、日本の落第とはまるで意味が違うのです。

 そんなカーストの越えられない厚い壁を心理的に描いた作品だと思います。

※旦那様役の人(ヴィヴェーク・ゴーンバル)、インドのアンソニー・パーキンス(ジェームズ・スペイダーにも似てる)。
※日本でインド人を雇用、掲示板に新入社員としてフルネームを張り出すと人事課にクレーム(泣き)が入る、同じインド人が見ると名前(フルネーム)で所属するカーストが解るらしい。
※インド資本が入っててインドが舞台、演じるのもインド人なのに99分。(笑)

 R2.9.27
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「グリーンブック」

2020-09-14 13:21:04 | 映画感想
 「グリーンブック」(「Green Book」、2018年、米)
   監督 ピーター・ファレリー
   脚本 ニック・ヴァレロンガ  ブライアン・ヘインズ・カリー
      ピーター・ファレリー
   撮影 ショーン・ポーター
   音楽 クリス・ハワーズ
   出演 ヴィゴ・モーテンセン
      マハーシャラ・アリ
      リンダ・カーデリーニ

 1962年、J・F・ケネディ政権下、公民権運動がピークに向かっていく頃、ジム・クロウ法による黒人差別が当然の権利として行われてるアメリカ南部へ著名な黒人ピアノ奏者ドン・シャーリーがツアーに旅立つ、その運転手兼ボディガードとしてイタリア系白人のトニー・リップを彼は雇った・・・。

  予告編 https://www.youtube.com/watch?v=eJ-4zk7WRu8

 この作品に「黒人差別に対する白人救世主」という既視感があるのは確かだけど、あの時代、特にアメリカ南部で戦争以外に「白人と黒人の連帯」など殆ど有り得ないので、タイプで文句は付けられないと僕は思う。(白人にしたってアメリカのヒエラルキーでは下層のイタリア系だし)
 それよりも韓国の「タクシー運転手〜約束は海を越えて」と同じく政治的アピールを凄く感じる、「タクシー運転手〜」が現政権への「おもねり」、「ご機嫌取り」なら、こちらはトランプに対する民主党の牙城ハリウッドの反感でしょう、アカデミー賞に選ばれたのも多分に政治的なものが含まれてる(昔から政治的スタンスというのがアカデミー賞の選考基準には有ったけど、最近は「酷い」というレベルまで来てしまってる)、権威ある賞を政治の道具にして欲しくないとミーハーな僕は甘く考えてしまいます。

 クレームばかり書きましたが映画は面白かったです(映画って、観た人が面白いと感じれば勝ちだよね)、「手錠のままの脱獄」('58 スタンリー・クレイマー監督)から有るような白人と黒人の友情発芽物語だけど、定番だからこその安定と楽しさがしっかりとある。
 ドンがアラバマでの騒動の後、「オレンジ・バード」で解放されたように楽しんでピアノを弾くシーン、トニーの重戦車のような頼もしさと愛妻への手紙で苦闘する優しさ、刺身のツマみたいな扱いだったけどトニーの奥さんの親しみやすい可愛さとラストの台詞の良さ。
 差別問題を扱いながらエンタティメントとの調和が取れていて、とても見やすい作品でした。

※出演者たちを平等に人種へ割り振る、反レイシズムという正義が彼らの大切な「表現の自由」という正義を束縛していく。イデオロギーが作品を制約したソビエトの映画は一部の例外を除きロクなものがなかった、市場がバカでかいから衰退はしないかもしれないが教条主義、啓蒙主義がまぶされた面白くもない作品が増えるのだろう、そして、それを仲間内で褒め称え陶酔してる嫌な世界が見える。(「ポギーとベス」、どうすんのかね)

 R2.9.13
 DVD
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「突撃」、「渚にて」

2020-08-31 22:14:07 | 映画感想
 「突撃」(「Paths of Glory」、1957年、米)
   監督 スタンリー・キューブリック
   脚本 スタンリー・キューブリック  カルダー・ウィリンガム  ジム・トンプソン
   原作 ハンフリー・コッブ
   撮影 ゲオルク・クラウゼ
   音楽 ジェラルド・フリード
   出演 カーク・ダグラス
      ジョージ・マクレディ
      アドルフ・マンジュウ
      ラルフ・ミーカー

 第一次世界大戦中の仏軍最前線、不落の要塞「蟻塚」に対する攻撃が決定した、自らの名誉の為、無謀な作戦と知りながらミロー大将は受諾する、作戦当日、敵要塞の銃火は凄まじくダックス大佐の懸命な指揮でも諸部隊は前進もままならず釘付けとなる、戦況に逆上した大将は・・・。

   予告編 https://www.youtube.com/watch?v=drys1OnF35E

 ジャン・ルノワールの「大いなる幻影」が、幻影とも言える貴族の滅びゆく気高さを写すものなら、この作品は、庶民と牛馬の区別が付かない貴族の傲慢、愚劣さを描いた作品。
 「くじ引きで殺されるのか」
 「軍隊ではよくある事さ」
 そういうものなんだ・・・。
 ダックス大佐役のK・ダグラスが好演。

※ラスト間近のドイツ娘、黒澤監督の「隠し砦の三悪人」で人買いの上田吉二郎が言う台詞「戦があると女の出物が沢山あってな」を思い出した。
※今夏の第一次世界大戦モノ、これにて打ち止め、(個人的に)良かった順、「誓い」、「突撃」、「1917 命をかけた伝令」

 R2.8.15
 DVD

 「渚にて」(「On the Beach」、1959年、米)
   監督 スタンリー・クレイマー
   脚本 ジョン・パクストン
   原作 ネビル・シュート
   撮影 ロゼッぺ・ロトゥンノ
   音楽 アーネスト・コールド
   出演 グレゴリー・ペッグ
      エヴァ・ガードナー
      フレッド・アステア
      アンソニー・パーキンス
      ドナ・アンダーソン

 まだTVで映画を見ていた頃以来(荻昌弘さんの月曜ロードショーかと思ってたけど水野晴郎さんの水曜ロードショーでした)の再見、約半世紀ぶり。(笑)

 1964年1月、米潜水艦スコーピオン号がオーストラリア メルボルン沖に浮上した。核戦争の放射能により北半球は全滅、やがて、南半球も同じになると皆解っていたが、不安を押し殺しながらもまだメルボルンは日常が続いていた・・・。

  OPシーン ゴールデングローブ賞で作曲賞を獲ったテーマ曲
   https://www.youtube.com/watch?v=EMzEWpKKOZs&list=PLnZRjAiwJ5RNcW8u2EBY548xB0UHJbU6L&index=2&t=0s

 広島以後、日本以外でも核戦争による終末モノ、デイ・アフターものが沢山作られたと想像するけど、世界映画史に残った最初の作品は多分この作品だと思う。
 家族をアメリカで失った潜水艦艦長のペッグとメルボルンで出会うガードナー、オーストラリアの海軍士官パーキンスと妻アンダーソン、友人の科学者アステア、豪海軍司令とその秘書達の未来の無い絶望の日々を淡々と描いていきます。

 何故、戦争が起きたかの論議が紋切り型だったり、人々が余りに従順とか今から見ると甘い所が多分にあるけど、個人個人の最期の迎え方と静かな覚悟を描いていくので、ウエットな分、胸に迫るものがあります。
 愛と平和の象徴として描かれてる自分達の赤ちゃん(しかし、泣き声だけで姿は殆ど見せない)を自ら殺さなければならなくなった夫婦の苦哀、もし現実に起きれば充分あり得る話で辛すぎるのですが、'60年頃のハリウッドでヘイズコードも健在だったろうから、そこは結果は同じにしろ直接描写は無く上手く逃げてます。
 珍しくA・パーキンスがエキセントリックでない普通の大人を演じてる。(笑)
 折角メインテーマ曲が素晴らしいのに、他の音楽や音の使い方にセンスがなく、あざとくて騒々しすぎる、画面は淡々と描いてるのに「ハイ、ここ強調」とばかりシンバル強打のような事を臆面もなく何回もしてる、そこが残念。自分的には名作半歩手前の秀作という感じです、初回と感想は殆ど変わらなかったと思います。

※「On the Beach」ってA・ガードナーが潜水艦を見送る有名なシーンのイメージかと思ってたけど、台詞として出て来たのはA・パーキンスとD・アンダーソンが出会った場所の事だった。(訳は「浜辺」)
※その有名なスチール写真ですが、「渚にて」と聞くと、何故か「地上より永遠に」のB・ランカスターとD・カーの波打ち際のキスシーンのスチールが真っ先に浮かぶのです。(汗)
※二回目だから無線のカラクリは憶えてましたね、F・アステアが出てるのは忘れてたけど顔見た瞬間、彼の最期のシーンを思い出した。

 R2.8.30
 DVD


 
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「銀嶺の果て」

2020-08-16 22:36:58 | 映画感想
 「銀嶺の果て」(1947年、日本)
   監督 谷口千吉
   脚本 黒澤明 
   撮影:瀬川順一
   照明 平田光治
   音楽 伊福部昭
   出演 三船敏郎 (トップクレジットだけど後日改変した?どう見ても主役 志村さんでしょ、出番、ギャラやキャリアから言っても)
      志村喬
      小杉義男 (「七人の侍」では燃やされる農家のリーダー格)
      河野秋武 (續・姿三四郎の敵役)
      若山セツ子 (戦後、大ヒットした「青い山脈」のヒロイン)
      高堂国典 (「七人の侍」の村のじさま、「ゴジラ」では島のじさま、「野良犬」ではアパートの耳の遠い管理人)

 銀行強盗三人組が北アルプスの温泉へ逃げ込んだ、追う警察、強盗犯達は警察を察知、尚も奥地へ、雪崩で一人を失うも小さなスキー小屋へ辿り着く、そこは清浄な山々と住人、客の居る場所だった・・・。

   映像はこれしか無くて https://www.facebook.com/1901339263216388/videos/1953399401343707/
    三分の二くらい延々と山スキー、出てるのは順番に若山、河野、志村、高堂で三船はここには出ていません。
    五竜かなと思ったけど八方尾根らしい、スキー行った時の何となく見覚えのあるような地形はある。(僕達が行く40年前でリフトも何もない時代だけど)

 戦前、P.C.L(東宝の前身)の専属監督だった山本嘉次郎組の助監督達は最早、伝説と言っていいくらい、ファースト助監が谷口千吉、セカンドが「ゴジラ」の本多猪四郎、そしてサードが黒澤明。
 その谷口千吉の監督デビュー作である本作、山男でもあった谷口が「銀行強盗が北アルプスに逃げ込んだら」という構想を黒澤に話して彼が兄弟子の為に脚本を書いた、確か最初のタイトル(仮題)は「山小屋の三悪人」(「隠し砦の〜」でも書いたけど黒澤さん三悪人って言葉が好きなんだよね)だったと読んだ気がする。日本を代表する俳優 三船敏郎のデビュー作でもあります。

 兎に角、昭和22年の作品とは思えないくらい画質が綺麗(リマスターしたのでしょう)、音声に関しては東宝だから(笑)、まぁ、僕は殆ど聞き取れましたけど。(昔観た「酔いどれ天使」より数倍音は良いと思う)
 物語は黒澤ヒューマニズムが滲み出てるけど、その性質は「酔いどれ天使」と同工異曲と言っていいでしょう、山小屋の純真な娘、若山セツ子と「酔いどれ〜」の久我美子がダブって見えます。
 それ言っちゃうと、本作の三船は「酔いどれ〜」の根っからの悪でヤクザの親分だった山本礼三郎の立ち位置と似たもんだし、志村喬の強盗犯リーダーは悪になりきれない松永(三船)で、その志村の演じた酔いどれ医者の位置にいるのが山男の河野秋武(こっちは毒のない善人だけど)かな。

 演出は少しモッサリしてる所はある、でも、デビュー作として充分過ぎるほどの出来だったと思います、本邦初かもしれない本格的山岳映画でかなり危険な撮影もしてるように見える、新人監督がこれだけ撮影部や照明部に仕事させたというのはP.C.Lの名物男と言われるほどだった谷口さんに、スタッフからの信頼があったからなのでしょう。
 「上手いな」と思ったのは発端の銀行強盗をOPのタイトルバックの短い時間で済ましてしまう所、それも壁に写る影で(もっとクッキリ出来れば「第三の男」なみだった、惜しい)、ここは黒澤明の脚本術「まず核心にズケズケと切り込む」を本人が実践してる訳で谷口さんの手柄ではないのだけど、でも、そのお陰で最初のシーンは松本か大町あたりの警察署で「三人組の強盗犯が山に逃げ込んだ」とスピーディーに話が進められるんですよね。

 尚、本作は「ゴジラ」で有名な作曲家 伊福部昭の映画初仕事であり、ここに使われた曲は少し変えられて「空の大怪獣 ラドン」に流用?されてます。

※編集は黒澤明もやっていて、ある日、ラッシュで崖にしがみ付く男の尻ばかり延々と映ってるフィルムがあり黒澤がハサミを入れると、「この下は300mの絶壁なんだぞ、凄い所でな、撮影するのにどれだけ苦労したと思ってんだ!」と血相変えたクレーム、黒澤が一言、「お客が男のケツ見て喜ぶのか」とチョキ。(上記の映像の最後の方に出てくる崖シーンの出来事のような気がする)

 R2.8.14
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「誓い」

2020-08-11 15:11:32 | 映画感想
 「誓い」(「Gallipoli」、1981年、豪)
   監督 ピーター・ウィアー
   脚本 デビット・ウィリアムソン
   撮影 ラッセル・ボイド
   音楽 ブライアン・メイ 
   出演 メル・ギブソン (フランク)
      マーク・リー (アーチー)
      ビル・カー
      ロバート・グラブ

 「1917 命をかけた伝令」を観たので、似た部分があるという本作を。

 1915年、地方で一番速い足を持つ18歳のアーチー、彼は地方大会で優勝した後、念願だったオーストラリア軍に志願して欧州戦争に参戦しようとするが3つ年齢が足らずハネられる、そこへレースで二番だったフランクが別の街なら大丈夫だと・・・。

  予告篇 https://www.youtube.com/watch?v=CT1JHKpSHXA 
 
 近代要塞や機関銃陣地への突撃は悲惨極まる事になる、日露戦争時の旅順攻略戦で日本は骨身に滲みるほど理解した、しかし、欧米は陥落させた乃木将軍を讃えはしたが、海軍と違い陸軍は極東の僻地で起きた蛮族のレアケースと認識したに過ぎなかった。
 その優越意識の莫大な代償を欧米は欧州大戦(第一次世界大戦)で払う事になる、彼らは日本の何倍もの将兵を無知、無能な突撃戦で機関銃の餌食にさせた。

 この作品を観ると、旅順攻略戦は世界にとって遠い縁ない国のお話、紙芝居のようなものに過ぎなかったんだなと。
 欧州兵も主人公達オーストラリア人も戦争のイメージは牧歌的な中世っぽいものを少し出た程度、精々、ナポレオン時代のものだった、大砲の撃ち合いの後、前進して鉄砲の一斉射撃、そして騎兵と歩兵の突撃。近代戦がどれ程、残酷で個人の尊厳とまるで関係ないものだと知らなかった。
 現代から見ると主人公の一人、アーチーの戦争に行きたがる気持ちが安易に見えて仕方ないのだけど、当時の小説にあるような「危険な冒険に挑む」くらいの感覚だったのでしょう、「長閑だね」とは今だから言える事。
 でも、アーチーの戦争への憧れのような動機が余りに漠然としてるので1時間以上、映画の推進力が足りず散漫な印象を受ける、この話がアーチーとフランクの友情物語だとしても。
 ラスト15分がいいだけに何か工夫が必要だったんじゃないでしょうか。
 僕はファーストシーンが失敗だった気がします、プロローグでも何でもアーチーの戦争への憧れを最初に印象付けておいた方が以後の行動に納得出来る様になったと思う、確かに走る練習の「気合い入れ」がラストに回収される訳だけど、それはセカンドシーンでも充分だったでしよう。
 悲劇としか言いようのない絶望感とその中でのアーチーとフランクの友情、そして「走れメロス」のような熱い仁義、ラスト20分くらいは本当に見せてくれます、見終われば漠然とした1時間も意味あるものと解るのだけど、やっぱり、もっと、やりようは有った気がしてなりません。
 あと一つ、この作品はオーストラリアによるオーストラリアの為の映画でしょう、移民国家であるオーストラリアやニュージーランドの国民が初めて一つになったアイデンティティを確認する為の物語。それが前半、中盤とアジア人にはイマイチな原因かもしれません、最後の生死を賭けた友情の部分は万国共通だから我々にも響く、そういう事なのかなと思いました。

※この突撃戦は大日本帝国の特攻隊と同じだ、遺書、遺品を塹壕に突き刺していくシーンは、学徒出陣兵の「きけわだつみのこえ」や普通の特攻隊員の遺書を読むような気がしました。
※これ、現実だったら悲惨極まる、若気の至りとはいえ偽名、年齢詐称で志願してるから、戦死しても恩給渡す先が解らないし、戦死者名簿にも本名でなく偽名でしか残らない、最早、遺品と戦友の証言だけだけどこの部隊で生き残るのは難しい、戦争はまだ何年も続く。
※原題はオーストラリア軍が初めて国として参戦した第一次世界大戦で上陸したトルコ帝国の地名、オーストラリアにとっては多くの戦死者を出した聖地であり、公費による巡礼が長く続けられた場所、尚、この作戦の大失敗でチャーチルは最初の失脚をしました。

  間に合わず 突撃の笛 鳴り響く
   我れを恨めと 我れを恨めと

 R2.8.10
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「ジョジョ・ラビット」

2020-07-24 16:29:03 | 映画感想
 「ジョジョ・ラビツト」(「Jojo Rabbit」、2019年、米)
   監督 タイカ・ワイティティ
   原作 クリスティン・ルーネンズ
   脚本 タイカ・ワイティティ
   撮影 ミハイ・マライメア・Jr.
   音楽 マイケル・ジアッキノ
   出演 ローマン・グリフィン・デイヴィス
      トーマシン・マッケンジー
      スカーレット・ヨハンソン
      サム・ロックウェル  タイカ・ワイティティ
      
 10歳のジョジョ・ベッツラーはヒトラーを空想の友達とする程のガチガチの軍国少年、晴れてヒトラーユーゲント(ナチス青年団)に入団するもその優しい性格の為ジョジョ・ラビットの渾名を付けられてしまう。
 敗色の濃いドイツ、ヒトラー信者のジョジョが知る事になる母親の真の姿、更に、その母は屋根裏にユダヤ人の少女を匿っていた・・・。

  予告篇 https://www.youtube.com/watch?v=CNEdwEpVoEw

 観たい映画が隣町で上映されてんだけど、何せ隣町は新宿に次ぐ感染のメッカ、仕方ないのでレンタルDVD。

 中々、ビターなお伽話、終盤、手榴弾背中に背負わされたドイツ少年兵が指導官の元、嬉々として米兵に自爆攻撃させられるシーンとかある。でも、根本は「人は理解し合えるし、どんな相手でも知れば恋も出来る」という優しさなのかと思います。
 「ユダヤ人は大人になると角が生えて尻尾も出来る」、そう教え込まれた軍国少年が否応なくユダヤ人少女と運命共同体となってしまう、その結果、彼女エルサと極北の位置に居る筈の自分が何ら変わらない人間であると知っていく成長譚。
 僕の世代で言うと空想の虚像が主人公にアドバイスするというのはW・アレン主演の「ボギー!俺も男だ」だし、屋根裏のユダヤ人少女というのはJ・スティーブンス監督の「アンネの日記」、「アンネ〜」の泥棒捜査で夜間、ドイツ兵が隠れ家を家捜しするサスペンスがゲシュタポの家宅捜査に、連合軍のアムステルダム爆撃をバックにアンネとペーターがキスするシーンはベルリン?空襲をバックにしたジョジョとエルサの心の邂逅に、エルサの登場シーンは「貞子」だろ(笑)、と、まぁ、いろいろ有るけど、僕にとっては作品の完成度の前には問題とする程でもないかなと思いました。

 この作品をお伽話とするのは、1960年代までのハリウッド作品でもないのにドイツのドイツ人が全て英語で喋ってる事、毎度の事ながら生活していくという経済的なことが無視されてる点(終盤、どうやって食ってる?ゴミ箱漁りじゃ食べていけないよ)、ゲシュタポが被疑者の家宅捜索するのに家族の履歴、親族、交友関係を調べずにやる訳がない、ドイツ人の几帳面さは世界が知ってる事、姉インゲの死をドイツでどうやって隠してたかの説明がないから。
 クレンツェンドルフ大尉も随分と漫画チックに描かれいて、エルサの「大人の女とは?」という疑問にジョジョの母ロージーが答える「ダイヤを貰ったり、銃を撃ったり、モロッコへ行ったり、男と遊んだり、苦しめたり」の相手だったのか、ロージーの家の使用人だったのか、大尉の経過や顛末を見ると僕は前者の方かなと。(笑〜彼女の事を愛していたか、少なくとも惚れていた) ※8/7 最後のシーンでジョジョに「ロージー」と名前呼びしてたから使用人ではないな(字幕は「ママ」だったけど)、それで女性不信となり男に・・・、「ブルックリン」の地元のセレブ男も、あんな目にあったら男に走りそう。

 男は子供でも余り興味ないけど、ジョジョ役のローマン・グリフィン・デイヴィスは上手かったです、この子の演技力がないとこの作品全てが画餅に帰してしまうので、その点からも立派でした。
 女優陣ではギャラが場違いな感じのS・ヨハンソンは選んだだけあって良かった、だけど、何と言ってもエルサ役のトーマシン・マッケンジーの印象が強い、アンネの分身にしては健康的だけどファンタジーの世界にリアルなガリガリはそれはそれで問題あるかもですしね。クロエちゃんがイマイチ伸び悩んでる今、その後継になれるかもしれない、大人役への転換は本当に難しい事ですが期待してしまいます、それくらい良かった。
 「スリー・ビルボード」で名を挙げたサム・ロックウェルは美味しい役を思いっきり楽しんでましたね、これも、面白かったです。

 「踊れること、それが魂の解放であり自由の象徴なのだ」、何だかラストの3分で誤魔化された気もするけど(それくらいラストがいい)、それなりのお勧め作品。(汗)

※何処へ向かう作品なのか全然、判らんかった。(笑〜ちょっと、そこを我慢して観て下さい)
※予告編のVサインのマーク、僕達の世代なら「ジョニーは戦場へ行った」
※日本も「ポツダム宣言」の無条件受諾がなければ、これより酷い事が平然と行われたのでしょう。
※今年の1番は今の所、「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」なんだけど、例年の僕のベスト10で言えば3位あたりが「座りの良い」位置、「天国でまた会おう」も「ジョジョ・ラビット」も良い作品だけど、観た数の少なかった去年のベスト10で言っても「僕たちは希望という名の列車に乗った」と同じ位置、「〜わたしの若草物語」が、その少し上かな、そろそろ、スタンド中段かその上のホームラン作品に出会いたいです。

 君と吾れ 違いがあると 誰決めた
  男と女 ほかにありしや

 R2.7.23
 DVD
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「CORD WAR あの歌、2つの心」

2019-07-14 16:28:54 | 映画感想
 「CORD WAR あの歌、2つの心」(「ZIMNA WOJNA」、2018年、ポーランド・フランス・イギリス)
   監督 パヴェウ・パヴリコフスキ
   脚本 パヴェウ・パヴリコフスキ  ヤナッシュ・クヲウァツキ
   撮影 ウカシュ・ジャル
   音楽 マルチン・マセッキ
   出演 ヨアンナ・クーリグ
      トマシュ・コット
      ボリス・シィツ

 その地政学的位置の為、ナチス・ドイツ、連合国、ソビエトに蹂躙、翻弄されたポーランド。
 1949年、ソビエト連邦の衛星国となった国で、ボーランド共産党は愛国心による祖国統一への一助として民族舞踊を利用しようと、音楽家に各地方に埋もれてる才能を発掘するよう命じる。
 やがて結成されたマズルカ舞踏団、その過程でヴィクトルとズーラは出会った・・・。

 予告編 https://www.youtube.com/watch?v=6Okgr00Wa08

 「CORD WAR」とは直接的には東西冷戦が始まった時代背景を意味しますが、一筋縄ではいかない一組の男女の心のアヤを指し示すものと僕は感じました。
 約15年に渡る「腐れ縁」の物語。
 そして、2018年に創られたポーランド製の「浮雲」(成瀬巳喜男監督、1955年)。勿論、話も設定も全然違いますが、時代はかなりの部分重なっています。
 重みに於いては「浮雲」の勝ちかなと思うけど、120分の「浮雲」に対し、こちらは90分で上手く纏めてるから観やすいのはこちらかもしれません。
 「浮雲」が好きな方の感想を聞いてみたい、そんな作品でした。

 R1.7.14
 ヒューマントラストシネマ有楽町
 
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「SANJU/サンジュ」

2019-06-17 00:31:27 | 映画感想
 「SANJU/サンジュ」(「Sanju」、2018年、印)
   監督 ラージクマール・ヒラニ
   脚本 ラージクマール・ヒラニ  アビシャート・ジョーシー
   撮影
   音楽 A・R・ラクマーン  アトゥル・ラニンガ  サンジャイ・ワンドレーカル
   出演 ランビール・カプール
      アヌシュカ・シャルマ
      パレーシュ・ラワール  ヴィッキー・コウシャル
      ソーナム・カプール  ボーマン・イラニ
      (サンジャイ・ダット)
    ※急に上映を決めたのかバンフレット無いし、ネットの日本語版でも撮影者が解らない状態。

 銃器不法所持の刑で6年の実刑が最高裁で確定したインドのスター サンジャイ・ダット。
 彼は世に出回る、誇張された暴露本に悩んでいた、家族の名誉の為、本当の事を書いてもらおうと著名な女性ライターに自伝の執筆を依頼する、真実を話す条件で。

  予告編 https://www.youtube.com/watch?v=qaSNBhdtxco

 日本で公開されたヒラニ監督の作品は、喜怒哀楽を詰め込みながらもテーマは明確でした。
 「学ぶ事の意味」をテーマにした「きっと、うまくいく」
 「宗教を題材に盲信の危うさ」を訴えた「PK」
 「マスコミの偽善性」をテーマにしようとしたのだと思う本作、だけど、前2作ほど上手くいってない気がします。

 監督はテーマを、実在のスター サンジャイ・ダットの半生を描く事で表現しようとしたのだけど、結果として2時間使って描いたサンジャイ(サンジュ)の伝記部分のウェイトが重すぎで、残り40分では肝心のテーマが伝記部分に押し潰され、サンジュの不幸を見るのかマスコミの「真実より売れる」の欺瞞を見るのかを明確にし切れなかった。
 サンジャイ・ダットというインドでも特異なスターは、日本でいえば勝新太郎に近い。有名監督で下院議員となった父、母は大スターというサラブレッド、七光りで主演しスター街道に足を掛けるが偉大な両親の存在が負担となり酒に逃げ、ヤク中から廃人手前まで突き進んでしまう。施設に入り更生するも自分と家族を守る為、秘密に所持した自動ライフル銃の出元が大テロ事件に使われた銃器と同じだった為、テロ幇助罪で服役、結局、テロ幇助罪は無罪になるも「親の七光り」とされテロリストの汚名が付いて回る、おまけに闇社会(インドの893)の付き合いもある。
 実にテーマを浮き出す材料として最適なんだけど、そこが落とし穴だったんじゃないかな。又、監督とサンジュの関係が近すぎたのもバランスが崩れる遠因のような気がしてしまう。(監督の初作品の主演がサンジュで幾つもの賞を取り、サンジュも再浮上する切っ掛けとなったとか)
 実在の人物を使った為(それも現役の)、どうしても現実に縛られ今までのように飛躍が出来ない、モデルのサンジュ自身、親の名声に潰されるのを、自分の心の弱さと言い訳してるけど、酒とクスリは言い訳どうりとしても、女癖は単にだらしないだけのクズで、しかもお金持ちだからシンパシーを抱きにくい。
 確かにその分、庶民の想像外の苦労を生まれながらに背負い込むし、父母、妹、子供達に汚名を着せる事のプレッシャーは如何許りかなんだけど。
 普通の人間がマスコミの利益の為、人生を狂わされるというのは在り来たりで確かにインパクトに欠ける、だからと言って、だらしないスターを代わりにしてもね、という感じ。大概のスターさんは上手く立ち回ってる訳で。(もう一つ、その役をボリウッド一番のプレイボーイと噂されるランビールに演じさせるってのも悪趣味に感じた。監督、「PK」の償いだったのかな、まぁ。お気に入りなんでしょうが。上手い役者は間違いない〜個人的にディピカに手を出したのが許せんのかも(結局そこか(笑))
 
 「きっと、うまくいく」、「PK」のように明るい作品ではないけど監督の腕でそれなりに面白い作品に仕上がってはいます、只、それ以上には感じませんでした。

※アヌシュカ・シャルマとソーナム・カプールの無駄使い、別に彼女たちビックネームでなくても務まる、特にソーナムの使い方、酷い!出番ちょこっとだし(泣)。彼女、内藤洋子(古い)を陽性にした感じでインドでは珍しく可愛い顔立ち(インド女優ですから美人はデフォ)ヒラニ監督も三谷幸喜になってきたのかな。
※エンドロールで唄う歌、サンジャイ本人とランビールが演じてるのですが、なんの事はない、この5分くらいの歌でテーマは語られてる、何の為の159分だったんだろう。
※ランビール・カプール 三大カーンの次の(次)世代のトップスター。カリシュマ、カリーナ(「きっと、うまくいく」、「バジュランギ」)姉妹の従兄弟と聞いた事がある。

 R1.6.15
 新宿武蔵野館
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「ある日どこかで」

2019-04-23 22:05:50 | 映画感想
 「ある日どこかで」(「Somewhere in Time」、1980年、米)
   監督 ジャノー・シュワーク
   原作 リチャード・マシスン 「Bid Time Return」
   脚色 リチャード・マシスン
   撮影 イシドワ・マンコフスキー
   音楽 ジョン・バリー
   出演 クリストファー・リーブ
      ジェーン・シーモア
      クリストファー・プラマー

 1972年、脚本家を目指す大学生コリアーが母校で上演した劇が大好評、その晩の打ち上げ会場で彼は見知らぬ老婦人から声を掛けられ、美しい懐中時計を渡される・・・。

  予告編(原語版) https://www.youtube.com/watch?v=68ilCVxXVhQ

 第1回の「午前10時の映画祭」で僕の大好きな「フォロー・ミー」と共に人気を博した作品、その時、作品名を知って観てみたいと思ったのですが、翌年の再上映を含めて都合が合わず見逃してしまって、以来、ずっと、映画館で観る機会を待っていました。残念ながら本年度をもって終わる「午前10時映画祭」でも上映叶わずとなり、やむなくDVDで。

 10年は待ちすぎた(笑)、期待値が上がりすぎてたし、「時空を超えた愛」もメグ・ライアンの映画で有ったり、最近、「今夜、ロマンス劇場で」でボロ泣きしたばかりというのも響いたような。
 基本、ロマンティックな話は好きだし、この作品も良かったのは違いないのですが、何処か僕の芯を微妙に外してた感じです。ちょっと、今、映画を観る感性が衰えてるのかもしれません。(世上大絶賛の「バジュランギおじさんと〜」も好きなインド映画なのに上がりきらなかったし)

 まず、話の本筋(タイムスリップ)に入るまでが長すぎで、その為か、肝心の本編が短すぎる感覚に陥ってしまいました、全体のバランスが悪い、この作品が行間を考え感じさせるタイプの作品だとしても。
 ヒロインのマッケナもC・プラマー演じるロビンソンも「この日の来る事を予期してた」のですが、その理由が解らないのも、ちょっとモヤっとしました。単に年頃の女性が想う男を見つける一般論をロビンソンが恐れていたのか、タイムスリップというSF要素のある作品だけに、彼もまた何処かでタイムスリップを経験してたのか、単に思わせ振りの台詞があるだけでフォローがない。
 ラストも‘80の作品とはいえ、ホワイトバックにドライアイスという演出は如何にも安過ぎ、最もロマンチックなシーンで役者はそのように演技してるのに。シンプルにしたいなら、それもいい、でも、シンプルと安いの違いを理解してないような気がしてしまいました。(これ観ると、先例のパクリとは言え「今夜、ロマンス劇場で」のラストは派手だった(笑)、文芸調作品とラブコメ要素多目の作品という違いは有れど)
 マッケナがポートレートを撮るシーンと舞台上で、突然、アドリブで想いを台詞にするシーンは良かったです。

 嫌いじゃないし、好みといえば好みなんだけど、イマイチ、上がりきらなかったなぁ、僕は俗っぽいけど「今夜、ロマンス劇場で」の方が好み。(汗)

※ラスト、情感を残すならストップ・モーションじゃなくてフェード・アウトでは。
※これも「牡丹灯籠」のタイムスリップ版に感じてしまいました。(汗)
※はて、懐中時計の出所は(笑)
※4月、これが1本目、調べたら1ヶ月以上、映画、見てなかった。

 H31.4.21
 DVD
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「いつだってやめられる〜」三部作

2019-03-13 01:04:20 | 映画感想
 シリーズもので単独でも観られるけど三つで一つの物語、しかも軽い円環構造になってるから1→2→3と観るべき。
 但し、三本とも75点レベル(僕基準)の出来だから、そのレベルで5時間半見続けられる方に推薦します。(3作、トータルの評価は80点くらい)
 黒澤監督の「七人の侍」、数人のブロフェショナルがチームを組んで、というプロットを犯罪に使って成功したのが「オーシャンズ」シリーズで、イタリアにも「黄金の七人」というヒット・シリーズが昔ありました、まぁ、その現代版のような作品だけど、如何にもイタリアな感じのヌケかたが楽しい作品でした。
 ちょっと、各研究員たちの専門性の発揮が回を追うごとに希薄になってくきらいはあるし、3ではただ居るだけって感じの研究員もチラホラで活かしきれてない感もするけど、シャープさはなくとも伏線回収は巧みだし、物語や可笑しさのレベルはシリーズ通じて落としていないのでガッカリ感は殆ど無いと思います。

 まだ、もう少し続きが観たい気にさせる作品でした。
 味方も敵も、皆、優秀な研究員という設定は面白い。でも、研究員たちを悪行に堕とした諸悪の根源みたいな俗物教授やエライさんに何の報いが無いのも、頑張った研究員たちに相応しい報酬が無かったのもカタルシスに欠ける気がする、だから、長時間の割にスカッと感が余りしない、そこを「未来への希望」で補うのがイタリア式なのかな、一言でいえば残尿感。(笑)
 なんか欠点ばかり書いてる気がしてきたので、良かった所も。
 2から出てくるコレッティ警部、決して善人ではなさそうだけどキュートな人でした、検索して中の人の画像見たら撮り方によってはイタリアのメラニー・ロラン(+ルーニー・マーラ÷2)て感じ。制服萌えは20代で卒業しましたが、2のラスト、肩章付きの正装姿に萌えました(汗)、バットなシーンだけどね。
 とにかく、何が良かったって1にグレタ・スカラーノ、2にグレタ・スカラーノ、見続けられた主因。(笑)
 最後にイタリア映画と言えば無駄にオッパイというイメージが有るのですが、年初に観た「愛と銃弾」も本シリーズも、そういうシーン皆無でした、少し残念(笑)、3では無駄に男たちの全裸は有った、そっちが趣味なんだろうか。

 「いつだってやめられる 七人の危ない教授たち」(「SMETTO QUANDO VOGLIO」、2014年、伊)
   監督 シドニー・シビリア
   原案 シドニー・シビリア  ヴァレリオ・アッタナージオ
   脚本 シドニー・シビリア  ヴァレリオ・アッタナージオ   アンドレア・ガレッロ
   撮影 ヴラダン・ラドヴィッチ
   音楽 アンドレア・ファッリ
   出演 エドアルド・レナ (ズィンニ 神経生物学・有機分子学)
       ステファーノ・フレージ (アルベルト 計算化学)
       リベロ・デ・リェンツォ (バルトロメオ 数理経済学)
       パオロ・カラブレージ (アルトゥーロ 考古学)
       ピエトロ・セルモンティ (アンドレア 人類生物学)
       ヴァレリオ・アブレア (マッティア ラテン言語学)
       ロレンツォ・ラヴィア (ジョルシオ ラテン言語学)
       ネーリ・マルコレ (ムレーナ 流体力学)
       ヴァレリア・ソラリーノ (ジュリア ズィンニの妻 薬物中毒患者リハビリ施設のカウンセラーとして勤務中)
        

 学位を三つ持ち有能な神経生物学者であるピエトロ・ズィンニは科学予算削減のあおりを受け大学を解雇、正式採用の知らせを待つ妻ジュリアに本当の事が言えず途方にくれる。
 ひょんな事から2ユーロで作れる合法ドラッグが100ユーロで密売されてるのを知ったズィンニは、同じようにリストラされどん底生活をしている有能な学者たちを集め製造、販売する事を思い付く・・・。

  予告編 https://www.youtube.com/watch?v=JVCNeIWskgI

   H31.3.2 DVD


 「いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち」(「SMETTO QUANDO VOGLIO: MASTERCLASS」、2017年、伊)
   監督 シドニー・シビリア
   原案 シドニー・シビリア   フランチェスカ・マニエーリ   ルイジ・ディ・カプア
   脚本 シドニー・シビリア   フランチェスカ・マニエーリ   ルイジ・ディ・カプア
   撮影 ヴラダン・ラドヴィッチ
   音楽 ミケーレ・ブラガ
   出演 前作と同じ
       グレタ・スカラーノ (コレッティ警部)
       ジャンパオロ・モレッリ  (ルーチョ 機械工学)
       マルコ・ポニーニ (ジュリオ 解剖学)
       ロザリオ・リスマ (ヴィットリオ 教会法)
       ルイジ・ロ・カーショ (ヴァルテル 無機化学)

 1年後、皆の罪を被り強盗、恐喝、合法ドラッグ密売の罪で服役中のズィンニ、たくましく刑務所内で化学の講師をして身重の妻ジュリアに仕送りする日々、しかし、ジュリアからは離婚届のサインを求められている。
 そんな或る日、合法ドラッグの蔓延に悩むコレッティ警部がやって来て、30種類の合法ドラッグの成分分析から製造元をそれぞれ割り出せば罪科抹消するという取引を持ちかけられる。
 仮出所した彼は「一度くらい世の中の為に仕事しようじゃないか」と仲間を説得、新たに三人をスカウトしチームを再結成・・・。

  予告編 https://www.youtube.com/watch?v=Z02C9o0GMcw

   H31.3.10 DVD


 「いつだってやめられる 闘う名誉教授たち」(「SMETTO QUANDO VOGLIO- AD HONOREM」、2017年、伊)
   監督 シドニー・シビリア
   原案 シドニー・シビリア  フランチェスカ・マニエーリ  ルイジ・ディ・カプア
   脚本 シドニー・シビリア  フランチェスカ・マニエーリ  ルイジ・ディ・カプア
   撮影 ブラダン・ラドビッチ
   音楽 ミケーレ・ブラガ
   出演 前作と同じ
       ペッペ・バーラ (シネヴラ 無機化学 ヴァルテルの恋人)

 合法ドラッグを追っていくうち見つけた最強の合法ドラッグ「sopox」、しかし、製造者にとってそれは目的ではなく手段だった。
 化学方程式からそれに気付いたズィンニだが誰も信じてくれない、彼は再び監獄の中・・・。

  予告編 https://www.youtube.com/watch?v=heViVa47t-s

   H31.3.11 DVD


※まぁ、敵対勢力がマフィアだったら、何処にいても全員皆殺しでしたね。(笑)
※広川太一郎さんが存命だったら・・・。
 
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「バジュランギおじさんと、小さな迷子」

2019-02-15 23:31:32 | 映画感想
 「バジュランギおじさんと、小さな迷子」(「BAJRANGI BHAIJAAN」、2015年、印)
   監督 カビール・カーン
   原案 V.ヴィジャエーンドラ・プラサード
   脚本 V.ヴィジャエーンドラ・プラサード   カビール・カーン   パルヴィーズ・シャイク
   撮影 アセーム・ミシュラー
   音楽 プリータム
   出演 サルマン・カーン
       ハルシャーリー・マルホートラ
       カリーナ・カプール
       ナワーズッディーン・シッディーキー
      
 「アルプスの少女 ハイジ」の舞台のようなパキスタン、カシミールの山奥。
 生まれつきの発声障害を持つ女の子 シャヒーダーの為、母親は霊験あらたかと評判が高いインドの寺院に娘を連れ願掛けに出掛けるが、夜行列車でうたた寝をしてる間にシャヒーダーが行方不明になってしまう。
 ヒンドゥー教の神様の一人、ハヌマーン神の熱烈な信者バジュランギ(パワン)は父が亡くなり、デリーの父の友人宅に居候、そこの娘ラスィカーと恋仲となって、現在、結婚の為、必死に貯金中。
 ハヌマーンの祭りの日、バシュランギと迷子のシャヒーダーは出会う・・・。

  予告編 https://www.youtube.com/watch?v=WmuAI7TI44Y

 この作品、最大の見所は僅か6歳でシャヒーダー(ムンニ(娘さん))を演じたハルシャーリー・マルホートラの抜群の可愛さを愛でる所にあります。
 耳は聞こえるけど発声障害で喋れず、表情と小さな仕草で感情を伝える、特徴ある故、演じやすいのかもしれませんが達者な演技である事は間違いなく、そこに子供だけが持つチャーミングさが加わりほぼ無双状態、こりゃ、共演者タマランわ。(笑)
 あと、印象に残ったのは途中から同行するパキスタン記者を演じたナワさんこと、ナワーズッディーン・シッディーキー。この作品に於いて彼の演技は普通かもしれない、が、兎に角、この人は正体不明。
 今回は出てるの知ってたから、この人だろうと解ったけど、やっぱり、他作品と同一人物には思えない。
 初めて見たのは「めぐり逢わせのお弁当」の調子のいい見習い社員、で、次が「女神は二度微笑む」の強面の警視、キャスト表見るまで解らなかったし、知った後でも同じ人が演じてたとはとても思えなかった。「LION〜25年目のただいま」はチョイ役の人買いで出てて、これも、消去法であの役だろうなと推測できただけ、門閥がハバを効かすインド映画界では主演も賞も、中々、難しいけど欧米に生まれてれば演技賞の常連になれたでしょう、この作品も彼が出てきてから作品に締まりが出てきたと思います。(今回、ちょっと、西郷輝彦に顔が似てると思った)
 個人的には、インド三大カーンの一人、サルマン・カーンが見られて、やっと三大カーン制覇が出来たのもよかったかな。(「恋する輪廻〜」に、ちょこっとゲスト出演してたのは見てるけど)
 キング・オブ・ボリウッドと呼ばれスター性と愛嬌抜群、更に、演技も上手いシャー・ルク・カーン、役と演技に徹底的に拘るアーミル・カーン、アクションを主戦場にしてきたマッチョ代表のサルマン・カーン、今回は脱アクションで演技に重点を置いたみたい、上手いけど、二人に較べると少し単調に感じないでもなかったです。(汗〜スター特有の愛嬌は良かった)

 肝心の作品ですが(笑)、物語は「LION〜」の時間短縮版(作品の中の時間)とも言えなくはない、それを、インド仕様にコテっと色付けし、インド・パキスタン関係や宗教問題に昇華していった印象を受けました。
 ハナシは見えてるのですが、そういう話を盛り上げていくのは流石に上手いし、そこに社会問題、宗教問題を絡ませていくのも手馴れています。
 ただ、十何本かインド映画を観てきて思ったのは、多くの作品で主人公がパターン化していて段々、新鮮味がなくたってきたかなと。
 純粋無垢な主人公、例外で思いつくのは「めぐり逢わせのお弁当」と「女神は二度微笑む」、「マルガリータで乾杯を」くらい、今まで観たインド映画の主人公の多くが聖人君子、純粋でクソ真面目で目的や疑問の解決に向かって一直線に突き進むタイプ、そこに社会問題、宗教問題を絡ませると言うのが作劇の基本パターンになってるのかなと感じています。
 一つ前に観たインド映画「パッドマン 5億人の女性を救った男」と本作の違いはテーマと手法が違うだけで、こっちの主人公とあっちを入れ替えても成立してしまうのではと思えるくらい。
 宗教対立、男尊女卑、カースト制度、日本では、せいぜい勝ち組負け組や嫌韓・嫌中でワアワア騒いでるくらいですけど、向こうでは宗教による血で血を洗う抗争に加え、カースト制からの差別、虐待が当たり前のようにある、その身近にある問題の余りの大きさが似たテーマを扱う作品の量産に繋がってるのかもしれません。(日本に入ってくるインド映画なんて全体の1%にも満たないのだから、単に日本でウケそうなのを買い付けてるだけでしょうが)

 これ単体で観れば面白いと思うけど、宗教対立を扱った作品としては「PK」、「マイネーム・イズ・ハーン」の方が優れてると感じました、でも、深刻な問題でもユーモアとエンタティーメントを絶対忘れないインド映画の作劇法、僕は大好きです。

 (2.21 追記)
   国際版のENDの後、本国版では歌が1曲入るそうです
   https://www.youtube.com/watch?v=gGYzmj-SnVw 
   (ナワさん踊ってるの初めて見た(笑))

※シャヒーダーの乗ってた夜行列車が彼女の一時下車に気付かずに発車、その列車が夜の靄に吸い込まれていくシーンは、悲痛だけど幻想的で美しかったです。
※植民地の支配方法
 イギリス式 支配国の第二勢力へ秘密裏に援助し第一勢力と絶えず争わせ、お互いの力を浪費させ反抗勢力の力を削ぐ。(第一勢力は、それを知っても自分達の強力な後ろ盾だから文句が言えない)
 フランス式 第一勢力の後ろ盾となり弱小勢力を叩き潰す。
 日本は植民地じゃないけどフランスは幕府側に付き、イギリスが薩長に付いたのも良い例。

 広大なインドでは、昔からヒンディー教徒とイスラム教徒の仲は悪かったけど、今程ではなかったとか。
 イギリスの植民地となってから、イギリス式で双方を絶えず争わせた結果、互いに憎しみだけが深く刻まれてしまいました、ガンジーによって独立した後もこの怨念は消えず、結果、大インドはインド、パキスタン、バングラデシュに分裂、半世紀の間に3回も戦争・紛争を起こし不倶戴天の敵状態。
 その紛争の大きな種、カシミール地方が本作の舞台です、(今日もパキスタン側の自爆テロでカシミールのインド兵が何十人も犠牲になったというニュースが)
※「ダンガル」の鶏肉売りのおじさん、「PK」の神様フィギュア売りのおじさん、後、何に出てたか思い出せないけど、顔知ってる人が一人いた。(笑〜いずれもチョイ役だけど)

 H31.2.9
 チネチッタ川崎
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「日の名残り」

2019-01-16 14:29:46 | 映画感想
 「日の名残り」(「The Remains of the Day」、1993年、米)
   監督 ジェームズ・アイヴォリー
   原作 カズオ・イシグロ
   脚本 ルース・プラヴァー・ジャブヴァーラ
   撮影 トニー・ピアース・ロバーツ
   美術 ルチアーナ・アリジ
   衣裳デザイン ジェニー・ビーヴァン ジョン・ブライト
   音楽 リチャード・ロビンス
   出演 アンソニー・ホプキンス
      エマ・トンプソン
      ジェームズ・フォックス  クリストファー・リーヴ
      ピーター・ヴォーン  ヒュー・グラント

 1956年、曰く付きの物件として寂れていたダーリントンホールに新しい主がやって来た。
 スタッフの多くが四散し人手不足に悩む執事スティーヴンス、そんな時、ダーリントンホールが華やかだった全盛期に女中頭として共に働き有能だったミセス・ベンから手紙が来る・・・。

 ノーベル賞作家カズオ・イシグロの代表作を映画化したもの。
 演技、特にA・ホプキンス、E・トンプソンの主演二人、撮影、美術、演出、何れも格調高く素晴らしい。
 でも、解るのは其処までなんですよ、僕にノーベル文学賞作品は難しかった。(涙)
 原作の小論を幾つか読んで、まぁ、当たってたのは執事を親子で勤めた二人が大英帝国の繁栄と没落を象徴してるんだろうな、くらい。(笑)
 原作の評論を読むと、ほぼ、黒澤監督の「羅生門」的作品と思いました、あの映画から二回目の杣売りの証言を抜いて結末へ持っていった感じ、二回目の証言の要素も最小限有るけど。
 つまり、繰り返される回想シーンは語り手スティーヴンスによる美化された世界。
 小説は、「信頼出来ない語り手」による回想と現在の現実を描き、意識的に語られていない事の裏にある実際を推測させ(※1)、そこに見たいものしか見れない、そうありたいという願望と現実の相反を装飾なしに語れない人間というものの弱さを描きながら、それでも人は前に進むしかないのだという事を書いたものだとか。
 高貴で優れた知性と品格の持ち主であるご主人様に貢献する最良の執事である自分、それを誇りとして生きてきた人生。
 が、現実はヴェルサイユ条約によるドイツの疲弊に同情、その理想的宥和主義をナチスに利用された貴族で、結果としてイギリスを大戦に導いた親独派として非難と不名誉を背負ったまま世を去っている。その親ナチスのご主人様に献身した半生を隠すように生きてる現在。
 その相克が、やがてアイデンティティ・クライシスを起こす、映画でその部分を表現してるのは旅先の宿で戦死した宿屋夫婦の息子の写真と一夜を共にするシーンじゃないでしょうか。
 ラストの迷い込んだ鳥を解放する意味は、この束縛に満ちた館(古いイギリス)を出て自由に生きたミス・ケントンを羨むとともに、自分の罪を解放し新しい主人(アメリカ人)の元で生きていく決意を表しているのでしょう。
 この物語の終わりは僕の生まれた1956年、産業革命以来、長く続いたイギリスの栄光がスエズ動乱(第2次中東戦争)によって幕を降ろした年だとか。

※1 ダーリントン卿は自殺、しかし、映画では「お亡くなりになる前は塞ぎがちでした」としか言ってない、肝心な事を匂わせるだけでボカし、それを饒舌の中に埋没させる、小説はこの手法をフルに使ってるそうで映画も其処は弁えてる。
 映画を観て、「話は解るけど掴み所が無い感じ」を受け、隔靴掻痒感が残ったのは、そういう手法の原作だったからかもしれません。
※スティーヴンスとケントンが当時お互いに思い合ってたのは事実、現在のスティーヴンスにミセス・ベン(ケントン)から来た手紙の全貌は出てたっけ?彼は読みたい所だけ記憶して己の願望と妄想に突き動かされて旅に出た、原作ではミセス・ベンの結婚生活は不幸でなかったし、復職の気持ちも無い。(再会した日の記述だけが無い)
 「孫が生まれるのよ」、映画では復職を諦めた理由で、現実と願望は交わらない意味になってますが、小説は普通に喜びとして発せられる台詞、それによって自分の思いが願望に過ぎなかったと思い知る。
※スエズ動乱〉スエズ運河の権益奪取を狙うエジプトに対し英・仏がイスラエルを使って阻止しようと引き起こした戦争。同時期に起こったハンガリー動乱で第三世界を味方に付けソ連包囲網を作ろうとしていた米だが、スエズ動乱によって第三世界がソ連側に付いてしまい頓挫、激怒。が、これを逆に利用し米は英・仏の力を削ぐ為、国連安保理でソ連側に付き、結局、英・仏がスエズ運河の権益をエジプトに渡す事となって、以後、パックス・アメリカーナの時代になる、本作で新しい主人がアメリカ人と言うのはその意味で、それが1956年。
※J・フォックス、キャスト見た時、E・フォックス(「ジャッカルの日」)と関係あるのかなと思ってました。スクリーンで初めて見た瞬間、「あ、兄弟か」と。目から頬骨の線がそっくり。(後で調べたら兄、兄さんの方が品があるかも、尤も、最近のエドワード見てないから何とも、歳相応に貫禄付いただろうしね)
※今回は、ちょっと解らない所が多かったので色々、調べてしまいました、で、吃驚。(笑)

 H31.1.14
 TOHOシネマズ 日本橋
コメント (2)
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「異人たちとの夏」

2019-01-06 01:45:22 | 映画感想
 「異人たちとの夏」(1988年、日本)
   監督 大林宣彦
   原作 山田太一
   脚本 市川森一
   撮影 阪本善尚
   音楽 篠崎正嗣
   出演 風間杜夫
      片岡鶴太郎
      秋吉久美子
      名取裕子
      永島敏行

  脚本家 原田英雄が体験したひと夏の不思議な物語

 個人的には中々、良かったです。
 大林版「牡丹灯籠」で、そこに「見るなの禁忌」である「鶴の恩返し」(を「鶴の仇返し」にした)を入れたのかな、結末は大林風味のファンタジーとノスタルジーをまぶしたオリジナル。
 只、「牡丹灯籠」と言っても、あくまでサイドストーリーの位置付け、メインは英雄の死んだ父母との再会と別れなんですが、その意味がイマイチ解らない。(「盆帰り」のイメージなのは解るけど)
 新三郎が日に日に衰弱していくのはお露のお陰なのだから、英雄に死相が表れるのはケイが原因で死んだ父母じゃない。
 では、何の為に死んだ父母が出て来て話のメインに位置してるんだろう?
 守護霊なのかと思ったけど父母はケイの事、匂わせもしない、まぁ、ケイの方が「浅草に行くな」と言ってるから守護霊的意味を持たせてるのかもしれないけど、ケイを残して自分たちは消えちゃうし、天から護ってると言うなら、この世の作品、何とでも言い訳が付いちゃいます。
 監督自身が親孝行出来なかった贖罪感を映画で表現し償おうとしたのか、とまで邪推してしまう、それならプライベート・フィルムじゃねえかと。(「親孝行はしておくもんだよ、というなら修身の教科書だし)
 この映画、嫌いじゃないけど、僕の能力では消化不良を起こしてるし、苦手なノスタルジーも有って素直になれない。ファンタジーとしては面白いのですが。

 役者陣では、片岡鶴太郎がいけない、所作、動きは良いのだけど、「江戸っ子」の口跡に「如何にも」の作為を感じてしまいます、例えて言えば「江戸弁」のテキストを聞くようで生味がない。
 秋吉久美子の方が、よっぽど東京下町のサバけた女房を自然に出してます。
 風間杜夫の演技も芝居してますって感じで何だかなと、残念でした。

 スタッフ・キャストが一所懸命に作った作品に点数を付けるのは好きじゃないけど、僕の中では70点という感じの作品でした。

※僕も「牡丹灯籠」を脚色した劇を書きたいと何年も思ってるんですよ。(笑)
 小学生の時、親戚の家でNHKの白黒ドラマを見て、僕を幽霊恐怖症にした恩返しとして。(汗)
※片岡鶴太郎さん、顔が四角いから、余計に寅さんの真似としか見えない。渥美清さんの口跡は自然だけど。
※浅草「今半 別館」のすき焼きは確かに美味しい。去年、娘の合格・就職祝いに、お世話になった親族招いて食事したけど、ヘソクリ半分吹っ飛んで、直後、電動自転車壊れて残り半分持っていかれスッカラカンになった。(涙)

   (替え歌)

  恋しくば 尋ね来てみよ 三階に 愛しきひとも 恨み積もれば

 H31.1.3
 DVD

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「パッドマン 5億人の女性を救った男」

2018-12-17 22:00:36 | 映画感想
 「パッドマン 5億人の女性を救った男」(「Padman」、2018年、印)
   監督 R・バーリキ
   原作 トゥインクル・カンナー 「ザ・レジェンド・オブ・ラクシュミ・ブラザード」
   脚本 R・バーリキ
   撮影 P・C・スリーラム
   出演 アクシャイ・クマール
      ソーナム・カプール
      ラーディカー・アープテニ
      アミターブ・バッチャン

 2001年、インドの田舎町に住むラクシュミ、鉄工所の職人である彼は新妻ガヤトリを迎え幸福の絶頂にあった。
 彼は愛する新妻が生理の度に部屋外に出され不衛生な布で処置してるのを知り、高価なナプキンを贈るが妻は価格を知り拒否。
 職人である彼は安く手作りのナプキンを妻に贈るも生理を穢れ、恥と考えるインドの強固な因習は素直過ぎる彼には想像を絶するものだった・・・。

  公式 http://www.padman.jp/site/

 「アメリカにはバットマン、スパイダーマンが居るが、インドにはパッドマンが居る」byアミターブ・バッチャン※インドで最も尊敬されてる俳優。

 ナプキン使用率12%のインドで安価なナプキン製造機を作りインド女性の衛生向上と女性雇用に貢献した男、その実話を脚色した作品。
 インド映画特有の派手さを抑えドキュメント風に作っています(歌とダンスはある)。インド映画は時々、着地のさせ方が強引で、そこをエンタメや外連、或いは歌、踊りで上手にカムフラージュするんだけど、今作はドキュメント・タッチで作ってる分、誤魔化しが効かなかった感がしました。
 でも、「いい話」を面白く作ってるしエンタメ要素も忘れてないので見易い作品だと思います。

 今回は映画の直接的な感想はここまで、この作品を観て思った別の事を書きます。
 インド映画の縛りの変遷、まぁ、大好きだけど専門的に調べた訳ではなく、浅薄な知識に基づくものなので間違ってる所も有ると思います、その点は予め御了承下さい。
 インド映画には昔有ったハリウッドのヘイズコードに似たものが存在していましたし、今でも残ってると思います。(宗教上からの制約も多い)
 ・キスシーンはNG?
 2007年の「恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム」ではNGでした。キスシーンは2回あるけど何れも撮影角度でしてるように見えるだけ(1回はシルエットだし)、多分、これでも、当時は進化途中の段階ではないかと。
 でも、2011年の「きっと、うまくいく」では堂々とブチューとしてたから、この4年の間に解禁されたと推測。
 ・ヌード、ベットシーンは?
 際どいシーンは前から有るような。(笑)
 これをインド映画に求めるのは違う気がするし殆どないんじゃないかと思う、けれど、半分以上アメリカを舞台にしたインド映画「マルガリータで乾杯を」(2015年)では有ったから絶対無しという事ではないと思います。
 ・不倫?
 この規制は今でも有るんじゃないかな。
 「恋する輪廻〜」でも、オームが手を繋ごうとするけど、シャンティは既婚者だから拒否してた。(結局、オームの純情さにほだされて手だけは許したけど)
 「めぐり逢わせのお弁当」は夫に問題有りだけどイラの精神的不倫話、ただ、次のステップへ行く前に夫婦関係を清算しようとしてるから、実質は伴ってない。
 「マダム・イン・ニューヨーク」も本作も、そこを知ってれば着地点は自明。
 でも、本作では未婚女性が既婚者(多分、離婚届にはサインしてない)に、本気を挨拶でカムフラージュしたキスがあるから、この辺も厳格でなくなってきてるのかもしれません。

 「マダム・イン・ニューヨーク」のシャシの判断は、僕はあれだから良かったと思ったのですが、フランス男のローランとくっ付くべきだという女性の意見が少なからず有って、「そうなのかな」と疑問を持ってました。
 本作は、その立場の男女逆転版。(笑〜監督の奥様は「マダム〜」の監督ガウリ・シンディで、話の構成、偏見をベースにしクライマックスにスピーチを持ってくるとこまで全く同じだ)
 今度はラクシュミの協力者となったパリーとくっ付いた方が良かったんじゃと思う自分が居て(彼が奥さんを愛してるのを解っていても)、つくづく、男の保守思考の身勝手さを感じてしまいました。
 まぁ、奥さん、激怒してもラクシュミをまだ愛してるのが解るから、こちらの方が目出度いし実話ベースで多分、今でも良い夫婦なんだろうし。(パリーのモデルは女性大学教授で恋愛感情は一切無かった)

 最後にインド映画界は歌舞伎の世界に似て門閥主義、五大名家の出じゃないと主役もいい作品も巡って来にくい。(本作のパリー役の女優さんも名門カプール家の一族出でしょう、今まで見たカプール一族の娘達の中で一番の美人ではある)
 賞も門閥外には大きなハンデがあるみたい、あれだけ大ヒットした「バーフバリ」の主役ブラヴァースが演技的にも素晴らしいのに大きな賞と無縁なのは非ボリウッド(ボリウッドは北インド、彼は南インドの俳優)というハンデの他に映画一家出でも名門の出自じゃないからというのもあるらしい。(噂としてカーストも絡んでるとか)
 ボリウッドのキング、シャー・ルク・カーンは例外なのかな。(汗)
 
 今回は、ちょっと横道に突き進んでしまいました、すいません。(要するに、悪くないけど自分的には「あと一、ニ歩足りなかった」し、よく考えたら奥さんの作った「マダム・イン・ニューヨーク」の丸パクリに近い、演出のセンスも奥さんの勝ち)

※キスの定義(笑)、唇同士の接触で、おでこや頬なら昔もOKだったように思う。
※インド映画では珍しく(本当に珍しく)歌に魅力を感じなかった。
※主役の人、名前だけは知ってたけど顔見て「きっと、うまくいく」のランチョー(本物の方)の人だと思った、ら、違ってた。(笑)
※実在のムルガランナム氏によれば、この映画の85%は実際に有った事だとか、つまり、パリー(ヒンディー語で妖精を意味する)とのロマンス風味が脚色部分なのでしょう。

 H30.12.16
 TOHOシネマズシャンテ
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