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ウソに乗る話

2008年05月11日 | 物語愉楽論
僕は普段「おたくなら、こうだ」とか「それは、おたくとしては恥ずかしい」とかそんな言い回しをしたりするのですが、実は「おたく」という言葉にちょっと特別な意味を込めて喋っています。…いや、特別と言っても、そんな特別な意味じゃなくって(←どっちなんだ)むしろ、ロートルな意味なんですけどね…。これ読んでいる人が「年寄りのおたくが考える“おたく”の意味なんてこんな感じじゃないの?」と考えたとしたら、まあ、そんな外してないと思いますw

…まあ、ここで「おたくとは?」みたいな話をするのは、今回の本旨じゃないので割愛するとして…僕がそういう意味を「おたく」という言葉に付加したのは、切っ掛けがあって。岡田斗司夫さんの書いた「オタク学入門」とか、そこらへんに前後したあの人の言動とかが、切っ掛けになっています。
最近、岡田さんは「オタクはすでに死んでいる」って本を出していますね。ちょっと読んでみたんですが…まあ、内容は置いておくとして………ってか、何カ岡田サン、周リノ空気、気ニシテネ?w…世間がどうだろうと自分のやる事は変わらない気にしないのが「おたく」の一義じゃないの?(←あ、ロートルだ)…ごほんっ、ま、置いておくとして(汗)w

この「オタク学入門」とか読んで、おたくに纏わる悲喜こもごもの四方山話は、あははと楽しく読ませて貰ったんだけど、本論というかおたくとは何か?って箇所については、おたくという存在をなんかけっこう特別視していて、ああ…この人ウソをついているなあ…って思ったんですね。(あ、悪い意味にとらないで。もう少し話を聞いて)

そもそも「おたく」という言葉はあまりいい意味で生まれていない。むしろ差別語として醸成されて来ました。まあ元々、おたくなんて言葉が生まれる以前から「いい歳こいてマンガに夢中」は世間的に非常に恥ずかしい存在だったし…どうしてもこの時代の(原始的な)おたくは、相応の“決意”を必要としたので、差別とか、冷たい視線とか、そこらへんはまあ今さら~とも言えるんですがw
ただ、元々、身内(?)の自虐的な意味で使われていた「おたく」という言葉は、れいの“宮崎事件”で世間にその言葉が流布した時は、完全にネガティブなイメージで定着しました。「いい歳こいてマンガに夢中」が「おたく」ってコンパクトに記号化されたのも大きいのでしょうねwだから、そこらへんの流れを体験して来た身としては(岡田さんも当然大体同じ体験な上で)この本で書かれていた事や、当時の岡田さんの言動「おたくは凄い!」とか「おたくは進化する!」みたいな話は、正直ええ~?(´=ω=`)って思っちゃったんですよねw

むしろ、マンガやアニメが普通に楽しいものとして、文学好きや映画好きが普通に世間に受け入れられているように、普通に認められて欲しかった当時の僕は(だから、この頃のおたくは作品を評するに「大人の鑑賞に堪える」って言葉がやたら好きなんだよね~w)「おたくも普通の人だよ」と言いたい…いや、この場合「おたくは~」ってレッテルにそのまま乗ると上手く伝わらないかな?「マンガ好きやアニメ好きも普通の人だよ」と言いたいって言った方が伝わりやすいですかね?
…ってかホントに普通に、すごい人もいるけど皆が皆すごいワケじゃない(そんなのどこの世界も同じだ)。頭のいい人もいれば悪い人もいる、性格のいい人もいれば悪い人もいる、ってのが正直な真相ってもので…。
だから「オタク学入門」は、吹いてるなあ~wウソついてるなあ~w(汗)って思ったわけです。…んでも、です。それで一考して僕が次に思った事は…


うん。じゃあ、そのウソに乗ってみようか。


…って事でした。それは本来、悪い意味で使われている「おたく」という言葉をいい意味にひっくり返してやろうって試みですね。……だってね、僕は直接嫌な扱いを受けた事はないけど、マスコミの扱いとか観ていて「おたく」が恥ずかしい奴なのはしょうがないとしても、犯罪予備軍扱いはあんまりなんじゃない?って思ったもの。世間がそれを真に受ける度合いは今の比じゃない時代だったし。

これに対して「アニメが好きたって…他は普通の人間ですよ?」なんて普通の反論にどれくらいの効果があるかって話で。「むしろ、アニメを観てる人間の方が凄い!」って話を強弁して、ようやくフィフティー・フィフティーに臨めるか?ってなもんで。だから岡田さんがやろうとしていた事(おたくの地位向上)は、そういうカウンターだったんですよね。だから日本人が弱いワード「海外で認められている!」とか「あの巨匠もおたくだ!」とかそういう話に持ってくるw
で。…ああ、そうか。それじゃ、微力ながらその話に協力しよう……と僕は思ったんですね。…微力って、本当に微々力な話ですよ?(汗)「『マンガ好き』なら、こうだ」とか「それは、『アニメ好き』として恥ずかしい」とか、下級生をイビったり(上級生に議論ふっかけたり)していたワードを「おたく」に切り替えただけ(汗)しかし、程なく僕はHPを開設して、そこでもその意識をもって、この「おたく」という言葉を使っていたので、微力な協力が、もう少しだけ広い範囲になった…………はず………………いいんだよ!なったんだよ!!(←あ、キレた)
岡田さんは、その「オタクは死んだ」との事なんですが。…まあ…ねえw…その話については「……え?何かやる事変える必要があるの?」ってところで締めておきましょうか?(※僕は田舎で細々とおたくをやっていた人間なんで、都心や前線にいたおたくの人たちとは経験や感覚に差異があるであろう事は留意すべきでしょうね)

さて、ここから本題w(!)こういう思い出話を書いたのは「ちょっと昔の事を思い出したオセンチな僕」って意味も3分の1くらいはあるんですがw(汗)主旨はそうではなく、ここで述べた「そのウソに乗ってみる」って話の一例を述べておきたかったからなんですね。
僕は今このブログで「物語愉楽論」ってカテゴリを作って、それについて色々書いて行こうと考えているのですが「その善い話に乗る」「そのウソに乗る」って話は、けっこう僕の思考の根っこの根っこにある要素で、僕が自分の思考を根詰めて説明しようとすると、割とひょこひょこ顔を出すんじゃないかと思うんですね。
「物語愉楽論」に関連付けて言うと「新しい楽しさを接収する時」「自分の視界を拡げる時」に使えるものの考え方だと思います。(ここらへんGiGiさんが以前、構造構成主義って話を上げてきた事があるんですけど、それとかなり近い話みたいですね)
まあ、そこらへんの実践の話はまたの機会にするとして、この「ウソに乗る話」はちょっと覚えていてもらえると、よく分からない話を口走り気味な僕の言動の意味が、少し分かりやすくなる……事もある……かもしれないよ?…多分?(汗)