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■現場からみた極めてミクロな問題
ここで述べることはひどく個人的な懸念です。「制度全体に影響を及ぼすほどでもないけど、こういう小さな事情もあるのではないかな」と思ったので、記しておきます。
非常勤職員の雇用期限が「3年」である現状にはコインの裏表のようにメリットとデメリットがあります。そのメリットの内の、極めてミクロなものの一つが「事務側常勤職員の異動パターンとの一致」です。各国立大学やそれぞれの職員によって差はあるかと思いますが、大体事務の常勤職員は2年から3年(長くて4年)くらいのスパンで異動を繰り返します。非常勤職員が「3年」で雇用上限を迎えるということは、係などにおける非常勤職員が「3年」を目途に入れ替わるということであり、事務側の常勤職員からしてみると新陳代謝の期間が一致するので違和感を覚えにくい訳です。これが教員側にとってみるとデメリットになります。教員側では常勤職員(つまり教授など)が10年以上同じ研究室にいることがざらにあります。そのため教員にしてみれば、非常勤職員がたったの「3年」で居なくなってしまうことには違和感を覚えやすい訳です。また、かつて公務員であった時代では事務側には非常勤職員はほとんどいなかった一方で、研究室などでは当時においてもその講座の事務を行う非常勤職員を長年雇っていたという習慣が存在します。事務側にしてみると非常勤職員とは最近新設された職種であって、その雇用期間が短くても「元々そういう風に設定されたものだから」という理由でこれを受け入れやすいのに対して、教員側では「元々はそのようなものでは無かった」ということになって、ここでも雇用期間の年数や、そもそも上限を設けること自体に対しても認識に差が生じるわけです。
別な問題として、異動が2年から3年くらいのスパンで行われる事務側常勤職員にとって、同じ場所で事務業務を何年も行っている事務の非常勤職員は例外的な存在になる、というものがあります。これは「異動を繰り返す事務職員側の事情」が「異動をしない事務の非常勤職員」には通用しないことになります。具体的には、例えば出張の事務処理なんかは部局によって僅かな差が生じたりします。それは旅費の精算方法の事務手続きの違いであったり、各部局においてどこまでを「業務」と認めて出張命令とするかという問題であったり様々です。このような業務の中核となる部分は、就業規則や、あるいは出張の場合は国家公務員に適用される「旅費法」などを参照して部局間においても意思統一をしています。あるいは事務処理を行う常勤職員が部局間を異動することが、自然にある程度の統一性を保持する結果を生みます。このような中で、その部局特有の出張の処理なども存在します。それは係が細分化していたりするために他の部局ではどこかの係が一手に引き受けている業務を、その部局では二つの係に分けて行っていたりとか、医療系研究者における研究活動が人文科学系研究者における研究活動と違うために、出張命令の幅が異なるとか、これも様々にあります。事務側の常勤職員は部局間を渡り歩くので、当然に「部局間で統一された部分」に強い一方、部局で長年事務を行っている非常勤職員は「その部局特有の事務」に強いことになります。これもどっちが「正しい」かを判断するのが非常に難しいことになります。常勤職員側が「この手の事務処理は就業規則や旅費法に則ってこう処理するのが適切である」と思っても、非常勤職員側は「この手の事務処理は長年このように処理してきた」という風に、意見が分かれる場合があります。時には「10年前の教授会でこう処理することに決定している」というような場合があり、事務側常勤職員としては「その教授会の決定はそもそも旅費法に違反していないのか?あるいは10年前のその決定はいまでも有効なのか?」と、いろいろと頭を悩ましたりします。このようなものは「問題」と解するのではなく、「性質の違う者同士が相互に足りない部分を補完しあう関係」と理解したほうが良いのかも知れませんが、気をつけていないと軋轢を生む原因にもなりかねないので常勤職員も非常勤職員も注意が必要かと思います。
最後に、非常勤職員の業務内容と賃金水準の問題です。非常勤職員の業務内容は、研究分野や事務分野などによって種類はいろいろあるものの、原則として常勤職員の補助業務という色合いが濃くなります。事務側においては、かつて新卒の正規職員が最初の数年で行っていた割と簡易な事務処理を、最近は非常勤職員が行うようになっています。研究者側ではそこそこの専門知識が必要とされる業務も行っているようですが、基本的にそれらはある特定の研究の下調べだとか実験の補助など、割とルーティン業務であるようです。しかし、事務と研究の違いに関わらず、簡易な仕事やルーティン業務を長年行うとより応用の利いた仕事やより責任がある仕事をしたくなる、あるいはそのような仕事を任されるようになるという場合が少なくありません。「ルーティン業務が好き」とか「責任ある仕事はちょっと…」という職員さんもいますが(「夫の収入を補うためにパートをやっています」という非常勤職員さんとかに多いです)、特に昨今は「本当は常勤職員としてどこかで働きたいのだけれども、勤め口がないから今は非常勤職員をしています」という非常勤職員さんも多いので、限られた期間で多くの業務を習得しようとする人は珍しくないのです。国立大学側としても、より高度な業務や違う種類の事務処理をしてくれるというのであれば大変に助かるわけですが、ここに国立大学側にひとつのジレンマが発生します。それは業務内容と賃金の関係です。全国一律というわけでもないと思いますが、非常勤職員の給与というものは(研究職の例外を除けば)大体が事務の新卒(4年制大学卒業者)の3年目から4年目くらいの給与水準を上限に停止してしまいます。そのため、例え本人が希望したとしても、非常勤職員に高度で責任ある業務を任せると、そのような業務を行わせているにもかかわらず給与水準が低いままであるという、完全な違法とは言えないかもしれませんが「好ましくない状況」が生じてしまいます。この問題は例え本人が「給与水準は低くても良い」と了承していても応じることができないという、なかなかやっかいなものです。応じることができない理由として、業務とは法律的には企業側から労働者への「命令」と理解されるので、仮に労働者側の承諾があったとしても、労基法とか労基署から見ると「国立大学が安い賃金で労働者に分不相応な業務をさせている」と理解されてしまうこと、などが挙げられると思います。要するに職務をより高度なものにするのであれば、賃金水準も上げるのが「全うな処置」な訳ですが、予算から見ても賃金水準を上げることができず職務も高度化させることができないという、何かおかしな因果関係が出来上がっているのです。このような国立大学の処置はある意味で非常勤職員の権利を重視しているから行われているわけです。そうでないなら低い賃金水準のまま常勤職員並みの業務に非常勤職員にバンバン従事させることも可能なわけですから。しかしその一方で、非常勤職員の権利を重視したゆえに非常勤職員の賃金水準が上がらないというのは、ある意味ストレートに権利侵害するより複雑な状況だと思います。また、非常勤職員の業務を簡易的なものとし続けることは上記の雇い止めの問題とも関連してきます。「業務内容」も雇い止めの際の判断基準となることを踏まえれば、雇い止めの問題を生じないように配慮する国立大学側は、「業務が簡素なものであることを、非常勤職員が有期雇用であることの根拠にしやす」くなるのです。もうこのあたりの話は「いたちごっこ」か「タマゴが先かニワトリが先か」の話だと思います。原因が結果を生み、その結果がまた原因を補強するという循環です。この循環が良いか悪いかは別として、こういう構造が存在しうる点について、機会があれば大学本部の職員さんや非常勤職員さんの意見も聞いてみたいなと思います。
■おわりに
えらく長くなってしまいましたが、末端の事務職員ですらこのくらいの疑問を感じていることを持って、この問題がなかなかにやっかいなものであることと理解していただきたいと思います。
文中において語尾に言い切りの形を多用しましたが、本当は全ての語尾に「~だと思います」を付け加えたいくらい、このエントリーは自分の独断と偏見で構成されています。勉強不足か考察不足で間違っていることも含まれているかと思いますが、そのような誤解を生じさせている環境であることも踏まえて、国立大学における非常勤職員の雇用期間の問題を捉えてください。
本当は「無期雇用より有期雇用であった方が採用を促進するのではないか」とかの問題を、過去のフランスの解雇自由化法案の内容と絡めて書きたかったんですが、下手すると卒業論文より時間がかかりそうなので諦めました。つくづく、「働く」ってことを考えるのは難しいことなんだなと、痛感した思いです。
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